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第1話「零は、少し遅れて来る」
零は、いつも少し遅れてやって来る。
三分。時計の長針が、ほんのわずかに進むあいだ。
私たちはそれを「癖」だと思っていた。
誰も、理由を聞こうとしなかった。
「今日も遅いね」
今乃花がそう言うと、美未は窓の外を見たまま、あいまいにうなずいた。
去良は机に肘をついて、退屈そうに天井を見上げている。
チャイムが鳴って、教室のざわめきが少しずつ落ち着く。
その中に、ぽっかりとした“空白”があるみたいだった。
零の席だけが、誰にも触れられていない。
三分後。
ドアが、控えめに開いた。
「ごめん。ちょっと、時間がずれて」
そう言って、零は笑う。
その言葉は冗談みたいだったけれど、なぜか耳の奥に残った。
私は――今乃花。
自分の名前を、これまで特別だと思ったことはない。
“今”という字が入っているせいか、時間のことを考えると、胸の奥がざわつく。
零が席に着くと、教室の空気が元に戻る。
まるで、ずっと彼女がいたみたいに。
その日の昼休み、私たちは校舎裏の古い時計塔を見上げていた。
動いていないはずのその時計は、時々、低く鈍い音を立てる。
「ねえ、あれって本当に止まってるの?」
美未が言う。
「さあ」
去良は肩をすくめた。
「どうせ、同じ時刻を指してるだけでしょ」
零は、何も言わずに塔を見ていた。
その横顔は、少しだけ遠い。
風が吹き、鐘が――鳴った。
その瞬間、零がふらりとよろめいた。
私が名前を呼ぶより早く、彼女は何事もなかったように立ち直る。
「大丈夫?」
「うん……たぶん」
でも、その声は、どこか“今”からずれていた。
私は知らなかった。
この小さな違和感が、
私たちの時間を、少しずつ削っていることを。