テラーノベル
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砂浜を目前にコンクリートの地面をじゃっと革靴が擦れる。
宇佐美は惹かれるように佐伯の手をとった。
「踊れるかな」
久々の感覚にくす、と笑いながら言えば佐伯は目を細める。
「ふふ、あんなに軽やかに踊ってたんだから大丈夫でしょ」
「そうかなあ」
彼への好意を確かめようとずっと見て考えていたから自分がどんな風に踊っていたかなんて 覚えていない。
「じゃあ、いい?」
「うん」
「いち、に、さん、し」
彼のカウントをとる声に合わせてステップを踏んだ。少しぎこちない。だけど、思っているより上手く出来ている気がする。
さざ波の音に重なるようにして頭の中にあの演奏曲が流れていた。
彼を好きで、手離したくなくて。微笑む彼の顔を見て両思いなんじゃないかと思い上がり、思い直しを繰り返したこと。曲が終わって彼の寂しそうな顔を見てそんなの期待してしまうと葛藤したこと。
セレモニーが終わってからの3日間、真剣に考えて悩んで告白に至ったこと。告白する決め手がこうして悩んでいる間に誰かにとられてしまったらどうしようという酷く余裕のないものだったこと。そのくらい彼に心酔していたこと。
きゅっと手を握られた感覚がして顔を正面に向けた。曇一つない空には満月が浮かんでいた。その月明かりに照らされた彼は穏やかに、静かにこちらを見つめて微笑んでいた。
佐伯はあの時のことを思い出していた。
困惑と緊張と嬉しい気持ちとこんなのいいのかという葛藤。それが、そんなこと忘れさせたのは彼の優しい表情だったこと。 夢心地で幸せで、愚直にも終わって欲しくないと願ったこと。
そう思えば急にこの瞬間が愛おしくなった。
堪らず彼の手を握る。あの瞬間が独りよがりな思い出で終わらなかったのは彼が悩みながらも告白してくれたから。あの日から今この瞬間まで想いが続いたのは奇跡ではなく、彼のおかげで。
ほんの少しの余韻を残すようにして動きを止めた。彼も止まったところでぎゅっと抱きつく。広い背中を力いっぱい抱きしめる。彼の手が頬に触れてくる。そのまま顔を上げればまつ毛が重なりそうなくらい近くにオレンジと水色の目があった。この後何が起こるのか知っている。そのくらい分かる程、彼とは同じ時間を過ごしてきた。
瞼を閉じると、ほんの少し触れるだけのキスをされた。
髪を優しく撫でられて瞬きした。彼は愛おしそうにこちらを見つめていた。
「…あのね、リト君」
「なぁに?」
「あの時…告白してくれてありがとう」
彼は少しだけ驚いたように瞬きを繰り返した。首をくすめて言う。
「テツこそ、俺のこと好きになってくれてありがとう」
彼の笑顔にじわ、と視界が歪んだ。
ああ、そっか。俺も彼のことが好きにならなかったらこうはなっていないわけで。当たり前のことだけどそう考えたら片思いのまま終わらせようとしていた頃の自分を思い出した。
報われない結末を迎えるものだとずっと思っていた。でも今、確かに報われた。苦しい思いをしたのは今この瞬間幸せだと思うためにあったのではないかと錯覚するほどに満ち足りた気分だった。
このあと仮にエンドロールが流れるとして、きっと悲しい主題歌は流れないだろう。
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