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黒い霧を纏った刃物のような羽根が飛び交う。
水面を走り続け、身を翻してそれを避けていく。
「くははははッ! 逃げろ逃げろ、触れれば病むぞ! 刺されば死ぬぞ! 一瞬で重毒に冒し抜いてくれる!」
走り避けたはずの羽根の一本がUターン飛行で背後から迫っていることに気がつき、半身を切って手を伸ばし、片手で受け止める。
羽根は指の隙間をすり抜け首に直撃してしまったが、瞬間に破壊を望み、権能でそれを砕くことに成功した。
「『特例』の力、接触対象の破壊。 有用に使えば強力な能力に成りうるだろうに、持ち主がヒヨっ子の学生ではなあ!」
六翼から更に放たれる、十数の黒刃。
だが恐ろしいのは数だけではない。
その素早い追尾性能も脅威的だ。
いつまでも走って避け続けられるような代物ではない。
オレの持つ破壊の権能……、こいつをどこまで使いこなせるか。それが鍵になる。
「うおおおおおおッ!」
左右ではなく、前へ。
山なりに飛来する羽根を、前進して回避していく。
ドスドスドスッ、と水面に突き刺さる音を背後にラヴェンダーとの距離を詰める。
整列から外れた単独行動の二本羽根が正面から滑り込んできたところを、両手で押し飛ばすように触れ、壊して退ける。
「人と動物の違いを知っているかね。 動物は、危機察知すると動く。 対して人は立ち止まるのだ。 流石だよ君は! 想像通り動物的な行動をするねえ『特例』君!」
「嬉しくねえよ褒められたってなあッ!」
全力疾走する勢いのまま、思い切り振った右腕をフルにぶん回してラヴェンダーに殴り込んだ……、が、
拳が接触するまであと数十センチ、のところで六翼がはためき、足が水面から離れる。
ラヴェンダーはほとんど翼を動かさずに宙へと浮いて、拳を避けやがった。
「なっ……!」
「この翼は飾りだとでも? 飛べない翼など邪魔なだけだ、わざわざ不要な部位を取り付ける真似などしない」
「飛ぶっつーよりそりゃあ……、空中浮遊じゃねえか。 卑怯だぜ、そんなの……!」
「『特例』の権能は対象に触れねば執行できない。 こうして手の届かぬ空中を維持している限りはどう仕様もあるまい」
防戦一方では、圧倒的に不利だ。
足や翼に触れられる高さへ跳躍するための踏み台も、銃や弓のような遠距離兵器もない。
このまま浮かれ続ければ、オレに勝機はない。
なんとかしてあいつを空中から引きずり降ろさねえと、手も足も出せねえ……!
「踊れ踊れ、術台の上で! せめて綺麗な開腹を祈るといいぞ!」
「クソ……! 分が悪すぎる!」
こちらに反撃のタイミングがあるとすれば……、奴が低空を浮遊している時。
ジャンプして足首を掴めれば勝機はある。
成功する可能性があるのは、最初のワントライだけだ。
用心深いラヴェンダーの事だ。今は高揚しているが、こちらがアクションに失敗すれば、以降は必ず警戒される。
低空浮遊はもう二度としてもらえない。
そうなればもう勝機は絶望的。
殺されるか、タイムアップで負け確の夏休みに逆戻りだ。
だからこの一手は必ず成功させなければならない。
「踊れ踊れ! 肉塊よ踊れ!」
連続して放たれる黒羽根を走り避け、直撃の危険を感じたものは手を伸ばして壊し、押し進む。
「良いね良いなあ良いよお『特例』君! ならこれはどうだあ!?」
左手の指間から生えた黒い刀身がオレに向けられ、ラヴェンダーの背後に羽根が集まる。
黒い転輪のような一円となり、回転を始める。
「『献花を躙る骨切鋸』! この身を満たす負の念を凝縮した一刀だ。 切傷どころか、触れるだけで体内の常在菌をウイルス化させ、全身を死病が冒す!」
背後の輪がスクリューのように高速回転し、それに伴って悪魔の体躯が急発進した。
黒霧を帯びた刀剣を横に構え、一直線に突っ込んでくる。
接近しなければ触れることすら出来ないオレにとって、そのアクションは好機。
ここは剣振りをいなしてから、隙を探して手足にしがみつくのを狙うべきなのだろうが……。
あの慎重派と言われるラヴェンダーが、オレの権能の使い勝手を知った上でわざわざ接近などしてくるか?
羽根を飛ばし続けていれば手も足も出ないオレに対して接近するのは……、何か勝算があってのことに違いない。オレの弱点を突いて必殺するために、わざと隙を見せているとしか思えない。
奴が知っている可能性のある、オレの弱点。
それはきっと……、『黄昏症候群』から得た、夏の記憶の一片にあるもののはずだ。
夏の内にオレが経験したオレの弱点、それは、破壊を願わなければ破壊は起きないことだ。
キャンディーとの戦いで、初めて破壊の権能を知ったオレが直面した問題だ。
あの男はスーパーボールを木に跳弾させ、意識外の背後から攻撃してきた。意識外のものは壊そうと思うことすら出来ない故に、破壊は起きずボールに直撃してしまった。
もしラヴェンダーがそれを狙ってきているとしたら……、オレが注意すべきは正面のラヴェンダーではなく、背後の確認だ。
「っ……!」
振り向いた先に案の定、二本の黒羽根。
先程放たれた羽根の残りが遠回りして背後に接近してきていた。
それを確認してすぐにラヴェンダーに背を向け、羽根に向かって前進する。
両腕でクロスを組み、突進の要領で二本にぶつかって、それらを砕き抜けた。
そのまま飛び込み、空中で身を翻して背後へ振り向く。
ラヴェンダーは、もうすぐそこまで来ていた。
黒霧を纏い長さが延長された刀剣が思い切り振り回される。
宙に浮いたまま、片手で、それを、受け止め、壊す。
カキィン、と剣と剣がぶつかり合ったような金属音が、辺りに響いた。
弾けた刃の破片が、石の水切りみたいに水面をスキップしていく。
オレの背も同様に、バウンドして不時着。
下は水面だというのに緩衝材代わりにはならなかったようで、背中に摩擦熱と痛みが溜まる。
「……馬鹿な。 前と後ろからの同時攻撃に対応したというのか、あの一瞬で?」
そんなの、本人だって驚いている。
どうやらオレって奴は、頭で考えたがるくせに土壇場になると身体が勝手に動き出す。そういうタイプらしい。
背後に不意打ちの攻撃が飛んできている可能性を確認してすぐ、羽根を撃ち落とすことを優先すべきというところまでは想像できていた。
だが、そこからラヴェンダーの黒刀を空中で受け止めることまでは考えてはいなかった。
「……『特例』の権能。 意識さえすれば触れるだけで対象を破壊する、最強クラスの拒絶的防御能力になりうるというのか。 そしてそれを運用するに足る、権能執行者の持ち前の超反応力。 それが……、ロビンソンとディオを打ち倒した秘密か。 ただの学生と見ていたが、早計だったな」
ここぞ、という場面の反射神経。
それが上手く働いている。
今思えばロビンソンの槍斧も、ディオの銃弾も、キャンディーのスーパーボールも、権能が発動したことばかりに驚いていたが……、あの一瞬で危機察知し、どうしようと足踏むのではなく破壊という対策を取ることにした反射神経こそが驚くべき点だったのだ。
人と動物の違い。
動物は危機察知すると動くのに対して、人は恐怖で立ち止まる。
動物的な反応力が破壊の権能とマッチし、オレを守っている。
「『献花を躙る骨切鋸』、私の負を以て狂気を補填しろ」
ペストマスクの破れた穴から覗く片目から、黒い霧が吹き出る。
それは旋風となり、左手から生えた折れた刀に吸収されていく。
霧で視界不良となった隙を狙って、前進する。
旋風を纏い低空浮遊するラヴェンダーへ、一気に走り込む。
狙うは足首。
掴むことさえできれば……!
「良い勇猛さだが――――、」
ラヴェンダーを取り巻く黒の旋風が、剣先に凝縮されていく。
「その程度の計略では、決死の無謀に他ならんよ」
縦に振り下ろされた黒刀から、霧の塊が斬撃そのものの形を維持して放たれた。
黒い半月型のそれは、水面を切り裂きながら豪快な破壊音をたてて直進し、波紋のように巨大化していく。
全力疾走で慣性MAX状態のオレがこれを避けるのは、不可能に近い。
なら……、このまま減速せずに破壊して、道を拓くしかない。
「ぶっ壊、れろよッ!」
恐怖は当然にあった。
だが、前に進まなければ勝利はない。
破壊の奇跡を信じて、手を伸ばした。
再び、破壊は起きた。
オレの身長を何倍も超える巨大な黒の半月は、忽ち大欠片となって崩れ去った。
「ほう、巨大な対象物ですら破壊できるのか! 素晴らしい力だ。 面白い権能だ! だが悲しいかな、触れたものにしか執行できんのは最悪の条件と言える」
ラヴェンダーは、高空へと浮き上がっていた。
当然、あんな場所では手が届かない。
「『無慈悲な死の宣告』。
質量が無効なら、数の暴力はどうだ?」
ラヴェンダーの周辺に、翼から抜け出た多数の黒点が浮遊する。
その数は数十、悪ければ百以上に及ぶ。
「おいおい……、まさか、それ全部落としてくるわけじゃ……、ねえよな?」
「察しがいい。 その、目先だ」
奴の伸ばされた左手の、大目玉。
それが睨みつけるオレへ向けて、視線を追った全ての羽根が集中落下する。バケツをひっくり返したような、超局所的ゲリラ豪雨が襲いかかる。
回避のために走り出したはいいものの、追尾する雨を避けきれるわけがない。ある程度は破壊で対応する必要がある。
だが……、一本二本ならまだしも、全ての羽根を破壊で受け止めることができるだろうか?
雨を浴びた際に一粒一粒を意識して感じられないように、同時に直撃する何本もの脅威を、一本残らず全て感じ取って破壊しきるのは至難の業ではないのか。
「さあどうする『特例』! 底力を見せてみろ!」
考えてる余裕などない。
やらなくちゃ、ここまでが全て水の泡になっちまう。
「……来い!」
走りながら、右手を伸ばして雨を受け止める。
先ずは、左上。
進行先に向かって落下する羽根を叩き砕く。
次に、右下。
全力疾走する脚を狙う羽根を、足首で受けて壊す。
肩、横腹、右手。
続けて同時に、右腰、左手、肘。
右手、左腕、滑り込んで頭上を回避。
右手で同時に二本を受け止める。
「――――っ!」
壮絶な羽根の軍勢。
火事場の馬鹿力の一巻か、動体視力が高まり、遠くの飛来物まで周辺視野内でハッキリと追えている。
右手、走って回避、右肩、右手。
一度でもミスれば即死の毒羽根を、なんとかいなし続けた。
雨が止んだ頃には――――、
辺り一帯は針山になっていた。
「はぁ……、はぁっ! あぶ、ねぇ…………!」
「……なんと。 これは驚いた」
軽く身体を見回すが、傷は無い。
疲労や滑り込みによる摩擦の痛みはあるが、羽根が刺さったり、触れて切れてしまったような痛烈さではない。
なんとかなった……、ようだ。
「……素晴らしいよ、『特例』。 あの方の目は間違ってはいなかった。 君の権能も、その実力も認めよう。 とても……、とても、惜しい人材だった」
直後、ぐらりと。
視界が歪み、片手の平で目尻を押さえた時に、その手に異常が起きていることに気がついた。
手首より上が、黒く変色し始めていた。
「峠は越えたと思っていたようだな『特例』。 くくく……、傷つけられれば病む負の羽根をこれだけ突き刺されれば、もう手遅れだ」
「何の……、ことだ? 突き刺さった羽根なんて、オレの身体には一本も…………!」
「そう、君の身体にはな」
手の黒が、一層濃くなる。
伴って痛みが走り、目が眩む。
「言ったはずだ。 この夕日の世界は、『黄昏症候群』に罹患した君が無意識に生み出した、心の隅の診察室だと。 夢と現実の狭間は私の権能に罹患した末期症状患者のみ到達できる場所。 つまり……、天空は現実の世界を。 大地は心の世界を具象している。 そんな『心』の表面に、毒の羽根が突き刺さったんだ。 本人に影響が出ない訳がないだろう?」
あまりの体調不良に、膝をつく。
軽い呼吸困難の原因は、ダッシュで息が上がったからではない。喉の内側で腫瘍が腫れ上がったような、何かが詰まる感覚。
それだけじゃない。
脇や足裏など、汗腺の通っている部位が無性に痒く感じる。後頭部が酷く重く、肩から熱湯が湧き出したような熱を感じる。
複数の症状が、全身で同時多発する。
「夢と現実の狭間の中で私と戦ってしまった時点で……、君の敗北は決定していたのだよ。 『生まれてくるべきではなかった』により、君は心の底からじわりじわりと重毒にやられ、108の病に汚染されて死亡する。 終いだ、『特例』」
「がっ……、は……!」
立て膝で苦しむ、水面に映る自分自身を見た。
手首だけではない。頬や額まで黒い痣が発生し、広まってしまっていた。
「そうなってはもう駄目だ。 治療法などない。 全身に黒が伝って死に至るぞ、救われん。 救われんさ!」
「そん、な……」
「さあ踊れ! 踊って見せろよ重篤患者! 絶望して足掻け、苦しめ! どうしてこんなことにと不幸ぶれ! 私を味わえ! 私と私の同士たち、皆が感じてきた人生の苦味を、苦汁を!!」
手首の黒から血管のような脚が伸び、肘まで到達する。
痛みが増長し、四肢が麻痺して動かなくなる。
発汗が酷くなり、流れた汗が鼻先から落ちた。
汗は波紋を生んで、水面に溶け込んだ。
「クソ……、意識、が…………」
遠のく。
感じる。
小さな波紋が水面についた手のひらにぶつかっただけで、身体さえ動けば跳ね上がるような痛みが走った。
その痛みに乗って、更に黒が伸びる。
「ラヴェ、ン……、ダー…………!」
再び汗が落下して、波紋が起きた。
水面に映るオレの顔が揺れる。
揺れの中で、表情が歪んでいく。
そこに白と黒が交わっていき――――、
揺れが収まった時、
そこにいたのは夢の中の男の仮面だった。
「は………………?」
ぴちゃり、ぴちゃりと。
正面から聞こえる水音の方へ、
痛みに耐えて視線を向けた。
黒のロングコートに身を包んだ、
仮面をつけた夢の中の男がそこに立っていた。
『――――”呪われ”。
その身に迸る衝動に、己を任せよ。
背筋が溶け、身の砕ける程の快楽を求めよ』
「……どういう、意味……だ……!」
浮遊していたラヴェンダーが、羽根を放った。
夢の男は手を軽く上げただけで、それ以上の抵抗はせず、全てを背中で受け止めた。
そして、破裂音と共に黒い羽根の欠片が足元に散らばった。
何が起きたか分からない。
この男も……、破壊の力が使えるのか……?
「何だ……、誰だその男は。 どこから現れた!」
『――――疫病を操る黒鴉。
嫉妬に狂い果てた実験主義。
かつての欧の不吉の象徴、その真似事か』
「……どうやってこの世界へ入ってきたのかは知らないが、邪魔をするなら殺すまで」
再びラヴェンダーが浮上していく。
翼から抜けた羽根たちが、空中で黒点のまま静止する。
「『無慈悲な死の宣告』。
去ねよ、普通を生きる特別な者らよ!!」
空中で羽根の射出準備を整えるラヴェンダーを隠すように、夢の男が低く両手を広げる。
『眼を瞑れ、暗闇に浸透せよ。
そして、一切の希望を捨てよ。
底なしの罪悪こそが、
貴様の根源なのだから』
指示に従わずとも、勝手に目蓋が落ちる。
痛み溢れる赤黒い視界の中で……、奥に細菌のように蠢く煌めきを見つけた。
一切の希望を捨てる……。
その言葉の意味は分からない。
だが、暗闇に浸透するってのなら分かる。
あの煌めきを追うことも、逃げることもしない。
ただ、受け身であり続ける。
すると煌めきは、途端に拡大した。
そして、乱暴にオレを迎えたのだ。
煌めきはゆっくりと変形し、
接着と離散を繰り返す過程で、
様々な光景が形成されていく。
浮き出てきたのは灰被りの街の中心、
その広場で焚きつけられる十字架。
あるいは海戦の傷跡が残る座礁船、
荒波に揉まれる黒旗。
あるいは灯り無き暗く寂れた墓場、
そこから掘り起こされた泥塗りの棺。
あるいは謀反の焔に燻る巨城、
月明かりの射し込む天守閣。
あるいは岩蓋の亀裂から零れる一条の光、
出口なき洞穴の底。
あるいは人工的に削り出された川、
深くゆるゆると流れる上水。
あるいは本の山と新聞紙、
空薬莢と血痕が残る、
静寂が支配する地下シェルター。
纏まってはぼやけて、そうして幾つもの景色が過ぎ去ったのちに、全身が灼けるほどの光が突如として口を開いた。
そうして今度こそ、
あの不思議な空間へと接続した。
地平線の奥まで敷かれた白黒のタイル。
継ぎ目のない真白な空。
幻想的な情景に、遠近感覚が揺らぐ。
身体から重みが消え、立っているのか浮いているのかすらわからない感覚に満たされる、不安定な場所。
視界の先にはやはり……、あの男がいた。
男は見慣れない椅子に座って、長机の先からこちらを眺めている。
気づくとオレは、いつの間にか対面の席に座って、数メートル越しに男と顔を突き合わせていた。
『もうじき、彼等も集まるだろう』
男が手を泳がせた先には左右六席ずつ、計十二の空席が並んでいた。
各席には人間の代わりに、大鎌や日本刀、拳銃、ナイフ、杖なんかが腰掛けている。
『……貴様が仮面を砕き、
我々に迎合していくに連れて、
彼等との繋がりが確立していく。
忘却の彼方から――――、
失った記憶を引き出したいのなら。
破壊の力を飲み干すのだ』
男の手のひらがオレに向いた途端、
頭に比類なき激痛が走った。
「う、ああああぁああああああッ!!」
『衝動を拒むな、其れは王たる証左である』
全身が、黒に染まりきる。
激痛に耐えられず、座っていた椅子を倒して立ち上がり、絶叫してのたうち回る。
足先から髪の毛一本一本の先まで響く正体不明の痛みに、酷く過敏な痛覚神経が悲鳴をあげている。
「ああああああああああああああアアアァッ!!」
―――――――――――――――――――――
「……男が、消えただと? 『特例』の心の世界が見せた幻だったのか? ……全く、人の心とは解せんものだな。 まあいい、これで終わりだ『特例』君、今の内に礼を言っておこう。 君のおかげで何もかも全て上手くいくよ。 くく、有難い有難い……!」
「……………………」
「……もう声も出せなくなってしまったか。 ならば仕方がないな、さっさと終わらせてやろう」
ラヴェンダーが腕を伸ばすと、空を留まっていた羽根が一斉に射出される。
それは黒い雨となって、一点に降り注いだ。
雷が何度も落ちるような音が辺りに響き、着弾地点は砂埃のような黒い旋風に包まれた。
「さようなら、『特例』君」
「…………誰に、別れを告げてやがンだ?」
黒い旋風を、片手を振るって掻き分ける。
不良だった視界が一瞬で晴れた。
無傷の身体に、足元には黒い欠片の山。
それは全ての羽根を打ち壊した証拠だった。
「馬鹿な……、『生まれてくるべきではなかった』の毒病に冒されても尚、まだ動けるなど……!?」
「……壊した」
「…………馬鹿な。 今、壊したと言ったのか? 壊しただと……? まさかとは思うが、108の病、その全てをか? 目に見える羽根ならまだしも、体内に根付いてしまった見えない病を、ひとつひとつ個々に識別して破壊したと? そんなこと……、出来るわけないだろう!」
「……くっ、くくくッ」
自然と笑みがこぼれる。
理由は分からない。
ただ、ただ気持ちがいい。
笑っちまうほどの快楽が身体中を駆け巡っている。
オレは可笑しくなっちまったのか?
目線を落とし、水面に映る自分を見た。
そこには……、髪が真っ白に染まりきった自分がいた。
赤眼に、黒い痣で染まった眼窩。
その顔は、狂気を帯びた満面の笑みに火照っていた。
「く、はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!」
我慢が出来なかった。
快楽のゆくまま、身体が、脳が、心が、感情が動く。
「……遂に狂ったか、『特例』」
「狂う? 狂ッた? はははははッ! このオレがかアッ!? 散々好き勝手やってくれたなカラス野郎がァ! 殺ス! 壊ス! 捻ジ伏セルッ! はははははははははははははははははッ!」
野獣のような四足で水面を蹴りだし、ラヴェンダーへの距離を詰める。
「届かんよ『特例』君。 次の生命では有翼生物に生まれ変われると良いな?」
「『特例』だの何だのワケ分かんねェ名前付けやがってなァ! 引きずり堕として喰ってやンよクズ肉がッ」
黒い痣で染まった手で、額を掴む。
そのまま素早く顔を撫で下ろすと――――、
硬い質感が出現し、顔面に張り付いたのが分かった。
「それは……! ロビンソンの鉄仮面か……!?」
「黙れッ、死ね! 『爆弾作り』、弩弓ッ! 白を白に、黒を黒と断別しろォッ!」
鉄仮面に爪を立てて、躊躇いなく思い切り引っ掻いた。
最早、痛みはない。
あるのは底なしの快楽と、戦乱の衝動。止まらない脳内物質の海に酸素ボンベ無しで潜水して大笑いする脳味噌だけだ。
爪の赤黒い血で形どった、歪な形状の弩弓が実体化した。
それを片腕で持ち上げ、空へ向けて発射する。
ラヴェンダーは翼を羽ばたかせ、放たれた血の矢を避けようとしたが、それは叶わず。
左の翼に直撃し、大きな風穴をあけた。
「どうして……、ロビンソンの権能を……!」
「はははははははッ! オイオイいつまで飛んでンだァ? 人を見下ろす景色はもう充分楽しんだよなァ! 墜ちろよ火つき蜻蛉!」
弩弓を解体し、溶け出た血液を操って次に創ったのはロビンソンが使った槍斧だった。
それを水面に突き刺し、即席の足場代わりにして跳躍する。
「テメェしか飛べねえと思ってたら大間違いだぜ医者気取りが! 『爆弾作り』ッッ!!」
仮面を思い切り、引っ掻く。
全ての指の爪が弾け飛んだのに目もくれず、両手を使って空中で設計を描き、巨大な大剣を創り出した。
それを、片手でブン回す。
「そんな大振りが当たると思っているのか!」
当然、ラヴェンダーは翼を羽ばたかせ、より高空への回避を試みた。
それはオレに翼がなく、これ以上の高さには届かないと踏んだからこその行動だった。
だから、翼を創ることにした。
「『爆弾作り』、
『悲劇の誕生』ッ!!
オレは剛翼のイカロス役だッ!
ここらでギリシャ神話の再演と
洒落こもうじゃあねェか!」
顔面に張り付いた仮面が変形する。
右半分の黒鉄仮面に、左半分は角の伸びた歪なヒーローマスク。
両の仮面の力を、同時並行して執行する。
『爆弾作り』で創り出したのは、血蝋の片翼。それを背に突き刺し、強引に植える。
そして『悲劇の誕生』を使い、自分自身に空を飛ぶキャラクターを配役。翼を使って自由に飛翔する力を獲得する。
片翼をはためかせ、飛び避けようとしたラヴェンダーとの距離を再び詰めていく。
そして振りかぶった大剣を、思い切り、振り下ろした。
ぐしゃり、と厚紙を潰したような音と共に刃はラヴェンダーの肩に直撃し、そのまま水面まで叩き落とした。
潰れかけるヤブ医者の断ち切れた翼の根から、ドス黒い霧が吹き出す。
「ひはははははははははッ! 最高にスカッとするぜこいつはよォ!? アー、ミスって頭カチ割っちまわなくて幸運だった。 まだまだぶっ壊し甲斐が有るってモンじゃねェか!!」
「ぐ……が、……な、ぜだ……! どうして、他人の権能を……、しかも複数も扱える……! まさか『特例』とは……、EXE様はこのことを仰っていたのか……!」
肩に大怪我をして、左の三翼が折れた状態で立ち上がるラヴェンダー。
「破壊の権能の応用とは思えない……、だが顕現のそれではない……! なんだその力は、何なのだお前はああッ!」
「知るかよカラス野郎がァ! 理解できねえのがそんなにも怖ェかよ? テメェが言ったんだぜ、狂ってるってなァ!?」
大剣を下に構え、そのまま落下する。
突き刺さるギリギリのところで、ラヴェンダーは残った翼を使い数メートル後ろに後退し、直撃を回避した。
大剣が水面に深く突き刺さり、水飛沫と波紋だけが辺りへ広がった。
「あの高さからの落下を耐えきるとは、最早人間ではないな……」
「見て分かんねェのか? 破壊してンだよ、落下衝撃そのものをなァ?」
「……誤算だった。 遊びで情けをかけるべきではなかった。 『分派』の離反者共の居所を聞き出してすぐに、手加減せず殺してしまうべきだった……!」
ラヴェンダーの傷口から吹き出た黒霧が、再び旋風となって辺りに刺さっていた羽根を回収し始める。
その様はまるで、黒い嵐だ。
「さらばだ、さらば死ね。 その化け物っぷりも、この一撃で終いにしてくれる!」
嵐の中心に、極黒の球体が現れる。
濃縮された黒霧の塊が、更に辺りの黒を吸って巨大化していく。
「『誰にも望まれぬ延命措置』……! 私の負の念を全て、この黒い月に集約させる。 先程までのように破壊できるとは考えない方がいい。 この月が砕ければ、濃縮された猛毒が爆発と共に散布される。 破壊の権能だろうと、『特例』の未知の力だろうと、気体となって霧散した猛毒相手にはどう仕様もあるまい! 傷つけぬとも目鼻の網膜から常に入り込み、無限の感染を繰り返す悪夢となって君を襲い続ける!」
ラヴェンダーの翼すらも吸い取って、辺りの羽根を全て集約し完成した頭上のそれは、砂鉄の集合体のような捻れた黒の月となった。
「無駄な抵抗をするな、月に飲まれて消し飛んだ方が楽に死ねるだろう! 諦めて受け入れろ、己の死を!」
「勘違いしてンじゃねえぞ。 今や死ぬ死なねえだのを決めるのはテメェじゃねえ、死神役はオレの方だぜ害鳥がッ!」
オレの身体はずっと前から、勝手に動いていた。
装着していた仮面を剥がして放り捨て、顔を押さえて新たな仮面を出現させる。
鴉の形をした仮面、ペストマスクを。
「その仮面は私の……っ!」
「何となァく分かったぜ、夢の男が言ってた王の力ってヤツがな。 オレがこの手でぶっ壊したことのある仮面持ち共の仮面を操れるっつーことだろ……? ならよォ、ラヴェンダー。 テメェの『椅子取り遊戯』だって例外じゃねえぜ!」
全身から、黒い霧が吐き出る。
奴から受けたこれまでの苦痛、その全てが負の念となって湧いたのだ。
「OD、とか言ったかァ? その力を見て感じて思ったんだがよ、どォしてテメェ自身は108の病ってのに感染しねェンだ? そいつはテメェの権能が、抗体に近ェ性能を持ってるからなんじゃねェのかよ? アァ!? ならオレもテメェと同じ仮面を着けたら感染しねェだろォが! はっははははあははっ!! 諦めンのはどっちかなアー、駄鳥クン? ククク……、ビビった首根っこもぎ取って、背骨ごと喰いちぎってやンよォッッ!!」
ラヴェンダーの頭上の月が、ゆっくりとこちらへ向かってくる。オレは何の不安も抱くことなくその月へ近付いて、
「退け」
と、片手で触れて押し退けてやった。
破壊の力を使うまでもない。
こんなことが出来るのは、この月はオレの装着したペストマスクの支配下にあるからに他ならない。
黒の月は等速直線運動で夕日の彼方へ向けて、視界外へ飛んでいってしまった。
「そ、そんな……、贋作の仮面如きが、私の奥の手を……、こんなにも、いとも容易く……!」
「嗚呼、今のがテメェの切り札だったのか? そいつは悪ィことしちまったな? クク……、オイオイもう怖くって怯えてンじゃねえか。 驚かせちまってすまなかったなァ!?」
ペストマスクを剥がして手のひらで顔を拭い、黒い鉄仮面を再装着する。
血塗れた指で仮面を描き、その流血で作品を描き上げる。
「兎角鋭く、兎角硬く。 処刑具の様に残酷で、拷問具の様に醜悪な兵器をッ!」
先程創り出した大剣をベースに、より破壊力を高めた重厚な武具を描き出す。
末に完成し、実体化したそれは、血によって構築された無骨な黒鉄の特大剣だった。
百五十センチほどある強大な刃の塊。
不安定な設計線により実体化時に刃こぼれし、血錆のような模様が浮き出たグレードソード。
それを軽く持ち上げ、ラヴェンダーへと向ける。
「『名もなき断頭刑具』。 こいつでテメェのそっ首、刎ね飛ばしてやンよ!」
ラヴェンダーは既に、戦意喪失していた。
しかし、それを見て躊躇いも容赦もしない。そんな興醒めをするわけがない。させない。
大剣を引きずりながら急接近し、その刃を切り上げる。斬撃、というよりは断撃という表現の方が近しいだろう。
身動ぎ出来ず立ち尽くすラヴェンダーに、回避する暇も与えぬ極大の素早い一刀が縦断した。
狙ったのは首ではない。
断撃は左肩をそっくり斬り捨て、大出血を与えた。
ぼとり、と落下した左腕を見たラヴェンダーが、腰を抜かして絶叫する。
辺り一面が、文字通り血の海と化した。
「くく、っはははははははははははははは!! そうだそれだ、苦しいか、苦しいだろ!? 痛め! 怯えろッ! 折角ぶっ壊すなら音の出る玩具の方が断然面白ェからなァ!?」
ラヴェンダーは、何時までも絶叫を止めない。
大剣を水面に突き立て、今度は素手で首を掴み、高く持ち上げる。
「がッ……ァ」
「お楽しみはこっからだぜ鳥の玩具。 絶望しろ、一切の望みを捨てやがれッ! テメェにゃもう未来は無ェ。 精々オレを楽しませろよ下種野郎ッ!!」
そこからは、オレが本当にやったとは思えない程の、残虐な行為が繰り返されていった。
首を掴んだまま放り投げ、転がるラヴェンダーの頭を、勢い任せのサッカーボールキックで蹴り飛ばす。
落ちていた左腕を足で蹴り上げて拾い、それを高く持って逆さにし、断面から流れる血液を飲み干す。
腕から肉を噛み千切り、抜き出た骨をラヴェンダーの背中に勢いよく突き刺す。
苦悶する姿に興奮し、身悶える。
そこからも、一方的で野蛮な暴力が続く。
ラヴェンダーの片脚を掴んで逆さ吊りにし、黒く伸びた鉤のような爪を腹部に何度か突き刺して一頻り反応を楽しんだあと、遂には足首の破壊を望んだのだった。
脚はプレス機で潰れるスイカやザクロみたいに内側から弾けて砕け、内容物を辺りに撒き散らした。
痛みがピークに達したのか、それとも死んでしまったのか、既にラヴェンダーの意識はなかった。
ここまでやっても――――、
オレの情欲は満足していなかった。
もっと、もっと多くの破壊を求めていた。
前菜だけでは飽き足らず。
より広大で、取り返しのつかぬ大破壊を!
混沌極まる大戦乱をッ!
そうしてマスクの上からラヴェンダーの頭を鷲掴み、粉々になるよう、最後に徹底の破壊を望んだのだった。
仮面と頭蓋が粉砕し、スローモーションカメラで風船を割る瞬間を撮影した映像のような、筋肉質と血液だけの球体が姿を現した直後、それも亀裂が入り八方に散る。
仮面が砕けたことで権能が解除されたのか、夕日の世界が消えていく。
火のついた紙片のように消失していく空の下、血塗れのまま高笑いするシルエットだけが残り続けた。
「ゲームオーバーだ、ラヴェンダー……!」
――――――――――――――――――――――――――――――
「――――っ!」
気が付くとそこは、
夕日に照らされた線路沿いだった。
正面には、ラヴェンダー。
ゆらゆらと揺れてから、
後ろへ倒れていくのが見て取れた。
どうしてかあまり思い出せはしないが……、オレは夕日の世界でラヴェンダーを倒し、仮面を剥がすのに成功したようだ。
「……上手くいったみたいだな」
後ろから声をかけてきたのは、季節外れのミリタリーコートを着込んだロングウルフの男、ジョン・ドゥだった。
「ヒーローに言われた通り、ラヴェンダーの回収に来た。 ……まさか本当に一人で倒しちまうなんてなあ」
ジョン・ドゥの後ろを追い、気絶するラヴェンダーの元へ寄り立った。
ペストマスクが外れた素顔は……、青い唇に、青いミディアムパーマをした一般男性だった。
「よくやったな、これで君は晴れて自由の身だ。 夏休みは終わり、もう二度と8月32日はやってこない」
「……今日は、31日か?」
「ん、あぁ、その通り。 君が話してたのが正しければ、今は六周目の8月31日だ。 俺には何周目がどうとかってのはよく分かんねえけどな」
六周目の夏の8月31日ということは……、ラヴェンダーに二度目の『黄昏症候群』に感染させられた時点に戻ってきたようだ。
夕日が落ちていないことから、現実の時間じゃ一瞬のことだったみたいだが……、長い、長い戦いだったと心の疲労が記憶している。
一息つこうと、その場で座り込みかけたオレにジョン・ドゥが提案を挟んできた。
「……友達追っかけたらどうだ? 今から走れば、まだ間に合うだろ」
そうだ、ラヴェンダーと決着をつける前、オレは『いつもの場所』のメンバーと一緒にいた。
「あいつらと別れて、どれくらい経ってる?」
「まだ五分ぐらいだな、線路追って行きゃあすぐだろ。 ……行ってやれよ、ヒーロー。 守り抜いた仲間のとこにさ」
「ああ……。 すまねえ、ジョン・ドゥ。 後のことは頼んだ、また連絡する!」
「おう、行け行け」
オレは、すぐに走り出した。
無限に想えた夏を越えたことに感動しながら。
明日には新学期の9月を迎えられる。
絶望を塗り替え、誰も死なない後悔なき結末に……、希望に到達したのだ。
夕日を背に線路を追い、皆の元へ。
それが、とにかく幸せに感じた。
「……一応のためにヒーローが失敗した時の策は何重にも用意していたが、まさか無駄になるとは。 流石はこの物語の主人公サマだぜ」
ジョン・ドゥは転がったペストマスクを拾い、
遠ざかる背中を見つめる。
「だが気になるな……。 ラヴェンダーの権能から解放された後のヒーロー……。 ありゃあ、先日とは雰囲気が違ったように見えた。 異物感……、いいや、ありゃあどちらかっていうと、EXEと初めて対面した時のような、もっと別の…………」
―――――――――――――――――――――
「あっ、キラー! 忘れ物取ってきたー?」
「はぁ……! 良かった、間に合って……」
「めっちゃ汗かいてる。 走って追っかけてきた?」
少しの距離を走っただけで汗だくになってしまった。
だが後悔も、不快感もない。
少しでも早く皆と会いたかった。
会って、確かめたかったんだ。
あの繰り返しの日々から脱したことを。
皆が、笑っていることを。