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触れられたのが、手袋越しだったのが不幸中の幸いだ。
もし、素手で触られていたら、ときめきで心臓が止まっていただろう。まったく、人をおちょくるのにも程がある。
グレンシスは、顔だけはいい。悔しいけれど、本当にいい。きっと、女性に不自由したことなんてないはずだ。だから、異性に触れることにも、抵抗がないんだ。
こっちの気持ちなんて何も知らないくせに、あんなことをするなんて……このバカタレ!!
ティアは心の中でグレンシスに悪態をついた。それこそ全力で。
そうしなければ、変に嬉しくなってしまう。もしかして嫌われていないのかもと、期待を持ってしまう。
それが怖くて、全力で喜びに満ち溢れそうな気持ちを振り払うために、ティアはすぐに両手でぱんっと頬を強くはたく。
力加減を間違えて、かなりヒリヒリしたけれど、そのぶん頭は冷静になった───まずは、着替えだ。
ティアは部屋の隅に置いてある自分の衣装ケースを開け、豪快に中を探る。確か1着だけ袖を通していない服があるはずだ。
「あった」
勢いよく引き出したのは、黒に近いグレーと濃紺のストライプ柄のシンプルなワンピース。
ただ裏地は黒のレースをふんだんに使っているので、良く見ればかなりお値が張る一品。
誰が用意したのかわからないけれど、ちょっと高級すぎて今まで着れなかったのが幸いした。この配色なら、闇夜に紛れるのにはうってつけである。
「アジェーリアさま、申し訳ありません。私の服を着てください」
ショールを脱ぎ、寝間着のボタンを外していたアジェーリアは、目を丸くする。
「そちのか?……じゃが、それは……万が一のことがあったら……」
そこでアジェーリアは、一旦言葉を止めた。
でも、すぐに口を開く。その視線は、今までで、一番鋭いものだった。
「……おぬしが、身代わりになるということか?」
誤魔化しは許されない厳しい口調に、ティアは賢くも、頷くことも否定することもしなかった。
その代わり、とても狡い言葉を口にする。
「王女様は、恐ろしい目にもあってはいけないし、ましてや傷など負ってはいけないんです」
ティアはきっぱりとそう言い切った。
好きな人とうんちゃらかんちゃらと説得したところで、アジェーリアは絶対に頷いてくれないことをティアは知っている。
今は、王女という責任感を刺激する方が手っ取り早い。
そんな気持ちでいるティアの本心を探ろうと、アジェーリアはティアをじっと見つめる。
待つこと3秒。折れたのは、アジェーリアの方だった。
「……わかった。そちの服を貸せ」
嫌々感を丸出しにしながらも、アジェーリアはティアから服を受け取った。
反対にティアは、アジェーリアのドレスを拝借する。
これまで着たものの中で一番地味な、初日にアジェーリアが着ていたブラウングリーン色のドレスだ。
着替え終えると、歩きやすさを重視して、最も踵の低い靴をアジェーリアに差し出し、ティアも、同じ踵の高さの靴を拝借した。
「……ふむ。着心地は悪くないが、ここが苦しいのぅ」
身支度を整え終えたアジェーリアは、胸のあたりに手を置きぼやく。
ちなみにそのワンピースは、ティアが着れば悲しい程ぴったりサイズなので、精一杯の反撃をする。
「……私の方は、ここが少し、大きいです」
「黙れ」
腰のあたりをつまんで愚痴ったティアに、アジェーリアはむっとした表情を隠さない。
言いだしたのは、そっちなのに。それに、そこまで怒らなくても……。
そんなことを思ったけれど、ティアはぐっとこらえて、最後の仕上げをするために自分の鞄の中身を探る。
衣装ケースとは別に肌身離さず持ち歩いていた小さな鞄の中には、メゾン・プレザンから送られてきた長旅に備えてのティアの身の回り品が入っている。
あかぎれに効くクリームとか、常飲している茶葉とか、読みかけの本とか。
そのほとんどが、この旅で使うことはなかったけれど、一つだけ役立つものが入っていた。
振りかけるだけで髪色を変えることができる不思議な粉と、長年愛用しているフード付きのマントだ。
この2つは、おそらくティアがオルドレイ国の血を引く人間だと気付かれた時のために、入れてくれたものだろう。
ティアは荷造りをしてくれたマダムローズに感謝して、髪色を変える粉が入った缶を手に取ると、蓋を外して髪にぱっぱと振りかける。
気分はオーブンに入れられる直前の鶏のような気持ちだ。粉の香りがハーブではなかったのが幸いだ。ただ、かなり臭い。
つんとした刺激臭に顔をしかめながらも、ティアは自前の手鏡で、粉をなじませてから髪の色を確認する。
鏡に映る自分の髪色はさすがに黒髪ではなかったけれど、かつてのブラウンローズより少し暗い色になっていた。
これにフード付きのマントを着たら、ごまかせるかもしれない。いや、きっといける。
ティアはそう自分に言い聞かせ、みすぼらしい焦げ茶色のマントを羽織ってから、アジェーリアの手を取り外へ出た。
王女を見送るために。
城塞の庭は、とても静かだった。しんとし過ぎて耳鳴りがしそうなほど。
まるで反逆者が、こちらに向かっているなんて嘘のようだ。
でもきっと、王女がここを離れることに気付かれないようそうしているのだろう。
その証拠に、各所に配置された城塞の兵士達は、グレンシスと同じように略式の甲冑姿である。ここが、いつ争いの場になってもおかしくはない。
ティアはこくりと唾を呑む。決意は固いけれど、恐怖心はどうやっても消すことはできない。
その反面、軽口を叩けるほど距離が近くなった王女の恋を応援したいという気持ちは、更に強くなる。
「お待たせしました」
馬車の前でティア達を待っていたグレンシスに、ティアは声をかけた。
すぐにこちらを向いたグレンシスは、はっと息を呑み、他の騎士達数人もグレイシスと同じような顔をした。
王女と自分を見間違えてくれたのか。いや、間違いなくそうだ。これは、とても幸先のいい。
相手は王女の顔などロクに見たことのない連中だ。これなら、まんまと騙されてくれるだろう。
そう確信したティアだが、残念ながら勘違いである。
グレンシスと数名の騎士達は、同時に3年前のとある出来事を思い出していただけ。
ただ、それを確認しあう余裕はなく、アジェーリアが馬車に乗り込むのを見届けると、ティアはグレンシスに向かって自信満々に声をかけた。
「騎士様、私はここに残ります」
「は?」
「私が王女様の身代わりになってここに残ります。そうすれば、時間をかせぐことがきっとでき───」
「四の五のうるさい。行くぞ」
グレンシスは、ティアの両脇に手を入れ持ち上げると、そのまま馬車に放り込んだ。
そんな殺生なっ。ありったけの勇気をかき集めて決心したのに。
そう言おうと思った。胸倉の一つも掴んでやりたい気分だった。
けれど、ティアが口を開く前に、グレイシスは鋭く言い放つ。
「かなり揺れるから、ちゃんと座っておけ。舌を噛むぞっ 」
まるでこれ以上、聞いていられるかと言わんばかりの態度で、ドアが派手な音を立てて閉じられた。
その勢いでティアが、馬車の座席に尻もちをついた途端、馬のいななきと共に勢いよく馬車は走り出した。
グレイシスの忠告は、本当にその通りだった。道中、どれだけ御者が気を使って馬車を御していたのかわかるほどに。
窓枠を掴んでなんとかずり落ちないでいるティアとは真逆で、アジェーリアは揺れる車内でも取り乱すこともなく、無言で窓に映る景色をじっと見つめている。
けれど、やはり気丈にしていても、不安なものは不安なのだろう。
窓から差し込む月明かりに照らされたアジェーリアの顔は痛々しい程に青白い。
当たり前だ。王族だって人間だ。感情は、ある。
「アジェーリアさま、ご安心ください。王女さまは傷一つ負うことなく、お輿入れできます」
ティアだから断言することができるその言葉に、アジェーリアは困ったように少し眉を上げた。
「そなた、いつから預言者になったのじゃ?」
「いえ、違います。そんな胡散臭いものになった覚えはありません」
至極真面目に答えれば、アジェーリアはぷっと吹き出した。
笑われたという表現の方が正しいけれど、とにかくアジェーリアから笑みを引き出せたことに、ティアはほっとする。
それを目にしたアジェーリアは、不安げな瞳を茶目っ気のあるものに変え、ティアに問うた。
「では何故、この状況でそのようなことを言えるのじゃ?」
ティアはその問いに答える代わりに、ほんの少しだけ笑った。
口に出せば、異国の言葉でいう『フラグが立つ』ということになってしまうから。