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顬に温かいものが伝い流れる。
微睡みの中で目を開けると
樹冠に満開の薄紅色の五花が映った。
空に色は無い。
ー彼女の夢⋯かー
最愛の夫が眠るこの大樹が
最後に目にした光景であり
哀しみに暮れた彼女には
きっともう
この大樹しか見えていなかったのだろう。
だから景色も無く
もの悲しく聳え立つ大樹のみの世界なのか。
樹冠から舞落ちてくる花弁を
見つめていた私の顔を
何者かが覗き込んだ。
光を封じ込めた様な金色の髪
同じく金色に輝く睫毛をたくわえた双眸は
炎の様に、血の様に紅い。
彼女が居た。
その深紅の双眸に射貫かれ
金縛りの様に動けない私に
ゆっくりと彼女は覆い被さり
私の胸元に顔を埋めると
微かに嗚咽を零し震えている。
体温も触れた感覚も無い。
ーサクラの記憶か?ー
私が横たわっているのは
頭上にあの石碑がある事から
あの男が眠る箇所だろうか?
私はそっと
彼女の幻に手を回した。
魔法士は
愚かにも魔法をひけらかし
闇に力を与えている事に自覚がない
謂わば悪党も同然だ。
私がいる世界は
私が粛清し導き
これ以上人々の心が惑わされ
不幸に穢されない様に
そして卿等がまた
相見える様に
ー私が救ってやろう⋯ー
私の腕の中で
彼女の幻は花弁となり散っていく。
花弁を見送ると
私の両側であの男とセイリュウが
眠っている事に気付いた。
二人の寝顔と
先の夢での血塗れの顔とが
脳内でフラッシュバックされ
戦慄を感じ私は勢いに任せ躯を起こす。
「痛ぅ⋯⋯っ! 」
サクラの根元から生えた小枝が
私の手の小指に絡んでいたのか
起き上がった反動で千切れ
擦り切れた所から血が滲む。
私が漏らした声に
目を覚ました男と目が合った。
へにゃりと笑顔を浮かべる男に
何故か無性に腹が立ち
私は錫杖を召喚すると
その柄で男の腹を力一杯に小突く。
「僕、何かしました!?
いくら何でも酷⋯い⋯⋯?」
無様に転げ回ったかと思えば
私の顔に気付くと
男は躯を起こし
濃紺の袖でそっと私の涙を拭った。
「悪い樹ですねぇ。
ろろさんを泣かせるなんて」
この夢を最初に見た時
樹肌に触れた瞬間
私の頬を涙が濡らしたのは
きっとサクラの感情が
流れ込んだからだろうか⋯。
「不躾に人の顔に触れるなと
いったい何度言えば解るのかね!
誰が貴様の為か⋯
彼女とセイリュウの胸中を想ってだ!」
男の手を叩き落とすと
キッパリと断言してやる。
此奴は図に乗らせると
面倒くささに拍車が掛かる。
「卿等らは私の世界のリュウに
接触できないからこそ
私を利用しようと言うのだろう?
だが、私も無償で
利用されてやる訳にはいかないのでね。
私も私の〝大義〟の為に
卿等を利用させて貰う」
私は私の世界に蔓延る悪党共を
あの子の為に一掃できる。
この男は無数の世界の一つから魔力を奪い
彼女を救う為に不死鳥を弱体化できる。
「正に〝利害の一致〟という訳ですね」
満面の笑みを浮かべているが
真っ直ぐ私を見返す男の鳶色の目に
復讐の炎が宿るのを見逃さなかった。
私の思惑を読んでの事だろう。
「左様。
卿の能力で
私の企てが可能であるかを問いに来た」
先の夢とサクラの記憶で知った
この男の能力は
〝植物を操る〟事であろう。
大概にしてユニーク魔法は一人に一つ。
人の心を読む事が男のそれならば
きっとあの能力はサクラの物で
男とサクラが対なる存在だからこそ
二つの能力を得るに至ったのであろう。
「ご明察通り
僕は植物を意の儘に操れます。
しかし
自分が知り得る物に限り⋯なのですが」
男にとっても名案だったのであろうが
途端に顔を曇らせる。
ーやはりなー
だがしかし
男が知り得る植物に限るであろう事は
私も想定していた。
そこで
以前から在った疑問だ。
「卿は何故
私の言葉が解せるまでに至ったのだ?」
私の言葉に男の細い目元が
悟ったかの様に見開かれていく。
「⋯魔力とは乃ち
魂により産み出される神気です。
それに触れる事により
僕の魂を同調させています。
また魂を同調させ
ろろさんの記憶を知れば⋯ 」
思った通りであった。
現に此奴に魔力を与える度に
私もこの男の記憶を夢に見ている。
「善は急げと言うであろう?
さあ、私の手を取りたまえ」
予めサクラの根元に腰を降ろし
私は男に手を差し伸べた。
「あっははは!
やはり貴方は
僕の見込み通りのお人ですね!
龍の夢に渡れない時は
途方に暮れましたが
ろろさんに出逢えて良かったです!」
男もまた私と目線を等しくする為
美しい所作で目前に正座すると
手を取り合って私達は目を伏せる。
ふわりとした目眩を感じ
サクラに躯の全重を預けると
私は男が記憶を辿り終わるのを待った。
魔力を吸われるこの感覚にも
些か慣れてきた気がする。
瞬間
ズクリと胸に激痛が走った。
「⋯⋯⋯⋯⋯っ!?」
声を発する所か
呼吸すら赦されぬその痛みに
思わず私は蹲る。
まるで心臓を
猛獣の爪で
握り潰されている様な感覚だった。
ごぼりと音を立てて
肺から何か液体がこみ上げ
為す術なく私は嘔吐する。
僅かに開いた視界に映るのは
まるで雪原に狂い咲く花の様な紅だった。
ー⋯これは!?ー
「⋯すまん。私の所為でこの様な⋯」
悲痛な声と共に
躯を温かい腕に包まれ
慈しむ様に背中を撫でられる。
その肩越しに金色の美しい髪が視えた。
ー結晶の彼女⋯?ー
荒い呼吸に併せ私の口から溢れる血が
彼女の細い背中を朱に染め上げていく。
気怠い躯で力を何とか振り絞り
震える背中を抱き締めるその腕は
濃紺の、あの男の民族衣装の袖だった。
ーあの男の記憶かー
「私を置いて逝くなど⋯断じて⋯赦さん」
振り絞る様な懇願の声を震わせる彼女の背を
二対の炎が皮膚を突き破って拡げられる。
ー炎の⋯翼?ー
瞬間、男の能力で彼女の考えが
私の脳裏を穿き
制止しようと彼女の肩を掴もうとするが
想い虚しく胸を奔る激痛がそれを阻んだ。
炎の両翼を拡げ微笑む彼女を
血に塗れた姿とはいえ
美しいと想った自分に
嫌悪してしまいそうになる。
彼女は一枚の炎の羽根を携えると
力の限りに自らの胸を穿いた。
羽根は刃の様に彼女の肉を穿き
そのまま下へと鮮血を迸らせながら
胸が切り開かれていく。
ーやめろ!やめてくれ⋯っ!!ー
私の懇願の声は
彼女には届かない⋯。
彼女の顔は苦痛に歪む事も無く
凛と美しいままで
顕になった肋骨を
不快な音と共に折り拡げると
彼女は自ら紅く脈打つ心臓を引き抜いた。
「こうまでしても
私は死ねん⋯
本当に死すべきは私と彼奴なのに⋯」
哀しみの瞳で掌に掴まれた心臓を見つめる
彼女の空洞になった胸には
既に脈打ち始めた心臓が垣間見え
見る見る内に塞がっていき
陶器の様な白い肌が
何事も無かったかの如く滴る血に艷めく。
「お前を失いたくないよ⋯
死にたい⋯
それが赦されぬのなら
お前と共に生きていたい⋯」
彼女は掌の心臓に齧り付くと食い千切り
私の⋯男の躯を優しく横たえると
その深紅の瞳が
ゆっくりと視界に拡がっていく。
唇に柔らかな感触と体温が伝わると共に
先程彼女が食い千切った
心臓の異物感と 鉄の匂いとが
咥内と鼻腔を満たし刺激する。
彼女の後ろで
不死鳥が嘲笑うかの様に
卑らしく口角を上げている様な気がした。
そして
その鉤爪で鷲掴みにした私の心臓を
脈打つ事を赦さぬ様に握る。
「無駄です⋯
不死鳥は⋯僕を不死に⋯する気も⋯
ましてや生かす⋯気も無い⋯のでしょう⋯」
私の唇が男の
息も絶え絶えな声を紡ぐ。
そして
気道が血で溢れ溺れる様な苦しみの中
男が笑顔を浮かべているのが解った。
《死にたくない》
《愛する貴女と共に居たい》
笑顔とは裏腹
男の胸中はみっともなく泣き喚いていた。
それを吐き出せば
不死鳥に力を与え
彼女を更に呪う事になるだろう。
「もう一度⋯接吻を⋯」
男の願いを叶える様に
彼女の柔らかな唇が 優しく重なる。
ぽたぽたと顔に
彼女の涙が滴り落ちてくるのが
その温かさで解った。
「私は⋯貴女⋯に⋯逢えて⋯
果報者で⋯す⋯
心⋯から⋯あ⋯いし⋯て⋯⋯」
お互いに額を合わせながら
最期に微笑み合うと
目尻から彼女の滴り落ちた涙が流れる。
意識が暗闇に堕ちる中
彼女の悲痛な叫びが遠くに聴こえた。