誰かが
優しく私の頭を撫ぜている。
頬に伝わる温かさが心地良い。
微睡みの中で深く息を吸い込むと
先の胸を奔る激痛が
消え去っている事に気付き
私は目を覚ました。
そして⋯
眠らせてしまおうか
永久に⋯!!
地を蹴り上げると
錫杖を召喚し
落下の勢いに任せ振り翳した。
「ひぃ⋯⋯っ!?」
思い切り頭を狙った筈が
男が咄嗟に身を屈めて避けた為
錫杖はその頭上
サクラの幹に突当る寸前で止まる。
「な、な、何をするんですかぁ〜!?」
頭部を守りながら身を震わせる男に構わず
私は錫杖の細工を確認する。
「ふむ。
私の大切な錫杖にも
サクラにも傷は無いな」
いつ見ても惚々れする
救いの鐘を象った細工に
傷が付いては堪らない。
「僕は!?
僕は傷付いても良いんです!?」
「痴れた事を。
頭を叩き潰す筈だったのに
貴様が避けるのが悪いのだろう?
錫杖とサクラに傷が付いたら
どうする心算かね?」
男は肩を震わせながら
ガクリと腰を抜かしたのか地に伏すと
私のカソックの裾に縋り付く。
「僕はただ
ろろさんの躯が辛くない様にと
肩を貸していただけですのにぃ!」
「それが憤ろしいと言っているのだが?」
やれやれ⋯
なんと情けない声を出すものか。
「ろ、ろろぉ〜!
どうか、御心をお鎮めください!」
錫杖を引かれる感覚がすると
その柄にしがみついて懇願する
セイリュウの姿が在った。
二人のその様子に
私は大きな溜息を
隠す事もせずに吐き出すと
錫杖をしまう。
「椅子を用意したまえ。
無駄話をしている暇など
生憎私には無いのでね」
腕を組むと指で苛立ちのリズムを取り
男に促すと
男は渋々と起き上がり指を鳴らす。
地面から延びた蔓が編まれ
テーブルと椅子になり
以前のイカレ帽子屋の様では無く
若葉色の茶が芳醇な湯気を立てて
席に着いた私の前に
セイリュウによって丁寧に差し出された。
「結論から申しましょう。
ろろさんの世界で絶滅種とされたこの花
記憶のおかげで復元再生できます」
俯いて話す男の顔から
もしやと悪い予感がしていたが
希望に安堵の溜息が漏れた。
だが、何故こうも
暗い顔なのか⋯?
「⋯⋯⋯⋯ぅぐ⋯っ」
思わず私は
その光景に頭を抱えてしまった。
大粒の涙を瞳いっぱいに湛え
ぼろぼろと零し始めたからだ。
ー此奴、私の余計な記憶まで⋯ー
私も男の記憶を見ている手前
腹立たしいが咎める訳にもいかないのが
またもどかしい。
「僕は⋯残してしまった立場ですから。
ろろさんや、彼女は⋯ こんな想いを⋯」
彼女を置いて
泣き喚きそうな心を抑えながら
笑顔で逝った男の記憶を見ても
残して逝く側の気持ちは
私には計り知れない。
ーあの子は炎に包まれながら
何を想ったろうか?ー
何もできずに慌てふためくだけの魔法士を
この兄を
肉を焼かれる痛みに悶え
きっと呪ったに違いない⋯。
私の想いを読んでか
男の涙と嗚咽が更に激しくなり
茫然自失した私は
茶を啜り香りの余韻に集中する事で
男が落ち着くのを待った。
どれだけ泣き喚こうが
過去は変わってはくれないのだ。
「主は昔から泣き虫でございまして
幼少の砌より良く私があやしたものです。
歴代最高の陰陽師と称されるに至った時は
よもやこの子がと驚きました!」
席を共にしカラカラと笑うセイリュウは
未だ咽び泣く男を通して
何処か遠く
置いてきた世界を見ている様に思えた。
この男がこの男の世界で
最高の魔法士という意味か?
無様に泣き顔を晒す男を見て
全く想像がつかない。
そんなセイリュウの腕が
血で染まった包帯で
巻かれている事に気付く。
「⋯怪我でもしたのかね?」
私の視線の先に察したのか
セイリュウは痛々しいその腕を撫ぜながら
ニコリと笑顔を向けた。
「〝匣〟を造る際に
鱗を少々剥がしただけにございます」
そう応えながら
テーブルの上に置かれたのは
掌ほどの大きさの
黒曜石の様な煌めきを放つ
鱗で組まれた一つの匣であった。
「この花は⋯
魔力へ過剰反応するので
魔力を遮断する為に誂えました」
ぐしゃぐしゃに泣き腫らした顔で
男はセイリュウから匣を受け取ると
祈る様に組んだ手に魔力を篭め始める。
瞬間
男の掌の中から炎の如き光が放たれ
その炎は男の躯を包まんと揺らぎ向かい
急ぎ匣に封じ入れられた。
「怖い!
この花すっごく怖いですっ!
何てものに遭逢したのやら⋯」
怖いと言いながらも
男の顔は歓びに打ち震えている様だった。
「此処で匣は開けないでください。
彼女に僕が傍に居ると思わせる様に
桜を通して魔力を送り続けて
この夢の世界が成り立っているので⋯」
魔力を相当消費したのか
肩で息をする男に促され
セイリュウが匣を私の目前に差し出す。
私達の魔力でもって
私達の願いである魔力の根絶の為に
再び生命を得た花か⋯
これを使えば
もうおぞましい魔法に頼らず
悪を断罪し闇を祓い
清廉潔白な世界へと産まれ直させられる。
「んふふ⋯
悪党の栄える世など有り得ない。
正しい世界を作るのが私の使命だ!」
ー廉潔清純を体現した正しき判事の様に
私が私の世界を救ってみせようー
その瞬間
全身が総毛立つただならぬ悪寒と気配に
全員が一斉に
それが正しいと本能の察するまま
臨戦態勢へ入った。
左手に錫杖を召喚し
枯渇しかけている魔力を
右手の指輪の魔法石に篭める。
「⋯珍しく焦った様ですね?」
男が不敵に笑みを浮かべ見遣る先で
結晶の彼女が血涙を溢れさせ
その足元でタールの様に粘着質な闇が
ゴボゴボと音を立てて湧き出でる。
「六根清浄⋯急急如律令!」
男の指の動きに合わせ
舞い散る五花の花弁が
意志を持ったかの様に 星芒形を描くと
防波堤に当たる波の様に闇が押し返された。
「あははは!
貴方とこうして対峙するのは
何百年振りですかねぇ!!
まさか怖いのですか?
不死鳥おおぉっ!!」
ーほぅ⋯?見事な防衛魔法だー
歴代最高と
先にセイリュウが称するに値するだけあって
男と、その世界の魔法の技術の高さに
感嘆の息が自然と漏れていた。
「ふむ⋯。
魔法史の一環として
気に食わんが彼奴に教えを乞うのも
悪くないかもしれんな?」
「ろろ!
感心している場合ではございません!
主も私も貴方も
今は誰も不死鳥に適いませぬ!
早く匣と共に退却してくださいませ」
セイリュウにローブを引かれ我に返ると
防衛障壁を張っている男と目が合う。
「青龍⋯
ろろさんを頼みましたよ?」
その目は慈しむ様に優しく
口許には微笑があった。
「のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ
まかろしゃだ そわたや⋯
うんたらた かんまん!」
男の詠唱の言葉と共にセイリュウの躯は
魔力で満ち
その姿をドラゴンへと変貌を遂げていく。
ドラゴンとなったセイリュウの
大きく開いた紅黒い口が迫るのを背に
男を見遣ると
その口が微かに言葉を紡ぐのが見えた。
《また⋯お逢いしましょう!ろろさん》
男の笑顔が
閉じられたセイリュウの口により
見えなくなる。
共に呑み込まれたであろう
ひらりと目前に舞うサクラの花弁に触れた。
〝おん かかか⋯びさんまえい そわか⋯〟
花弁は優しく紡がれた男の声を発すると
淡く輝き私の躯を包んでいく。
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