平日のランチタイム。先月、街角にオープンしたばかりのベーカリーは「安くておいしくて、品揃えも豊富」と早くも評判を呼び、今日もパンを買い求める常連客で混雑していた。GUNのエージェントである漆黒のハリネズミ、シャドウもまたその一人だ。香ばしい匂いに誘われるようにして、店の中へと足を踏み入れる。休憩時間にこのベーカリーを訪れることは、彼の新たな日課になりつつあった。
右手のトングでバゲットやライ麦パンを掴んでは、左手に持ったトレーの上に乗せていく。そろそろレジに並ぼうかと思った彼の目の前には、ちょうど焼きあがったばかりのパンが大量に並べられていった。
淡い黄緑色をした、丸いパンだ。ほのかに漂う甘い香り。程よく焼き色のついた表面には、少しだけ砂糖がまぶしてある。棚の上に飾ってあるポップには「新商品:メロンパン」と書かれていた。
シャドウはじっくりと「メロンパン」なる未知の物体を観察した。網目のような模様や形といい、確かにメロンにそっくりだが、「メロンパン」などと名乗るからには、おそらく中にもメロンがはいっているのだろうか。
彼が一人で考え込んでいる間にも、物珍しさに惹かれた客たちが集まってきた。
「何このパン? 丸くてカワイイね。スイーツみたい」
「ふーん、メロンパンって言うんだって。初めて見た!」
「アタシ知ってる。これ日本ですごく人気があるんだよお」
若い女性を中心に、常連客たちは焼きあがったばかりのパンを次々と手に取っていく。ほんの数分前にはたくさん並んでいたメロンパンはあっという間に消えていき、残り僅かになってしまった。
シャドウの頭にふとナックルズの顔が思い浮かぶ。彼の記憶が正しければ、あのハリモグラは果物が大好きで、ソニックの誕生日パーティーの時も山ほど置かれたチリドッグには目もくれず、ブドウやフルーツサンドばかり食べていたはずだ。
左手首につけた携帯端末の画面を、彼は横目で確認した。明日の午前は上層部からの要請でエンジェルアイランドに赴き、マスターエメラルドの調査を行う予定が入っている。
「……これは単に今後の調査を円滑にするために彼との友好関係を築くため……。そう、いわば投資みたいなものだ……」
シャドウはうっすらと顔を赤くして独り言を口走りながらも、残っているメロンパンを全てトングで掴み、トレーに乗せていった。
「なんだこれ」
「差し入れだ。調査の協力に対する謝礼、とでも言っておこう。毎回手ぶらで来るのもなんだからな」
「へーえ。お前にしちゃあ、随分と気が利いてるじゃねえか。ありがたくもらっとくぜ」
翌日、エンジェルアイランドを訪れたシャドウから紙袋を受け取ったナックルズは、早速中を覗き込んだ。
「お、メロンパンじゃねえか! これ結構うまいんだよなあ」
「知っているのか?」
予想外の反応にシャドウが首を傾げる一方で、ナックルズは得意そうに頷いた。
「まあな。お前にクリソツのお喋りハリネズミがこの間持ってきたんだよ。『こういうの好きだろ?』ってな。しっかし、メロンパンなんて名前の癖して肝心のメロンが入ってないなんて、サギみてーだよな」
「……何だと?」
シャドウは二重にショックを受けた。世俗に疎いナックルズが、自分の知らないことを知っていたことに。彼の口から出た衝撃の事実に。おまけに、よりによって己の思考回路がソニックと似たり寄ったりと言われたようで、謎の敗北感さえ覚える始末だ。
「どうしたんだよ、間抜けなツラしやがって。……あ、ひょっとしてお前知らなかったのか? メロンパンにメロンが入ってないってこと。へー」
ニヤニヤと笑うナックルズに、途端にシャドウの頬が熱くなる。
――彼に喜んでもらいたかっただけなのに、これじゃあ僕が馬鹿みたいじゃないか。
思わずそんなことを考えた自分自身にさえ戸惑うばかりだ。彼の胸の奥で、気付きたくもなかった感情がくすぶり始めた、その時だった。
「あ!」
ナックルズが驚いたように声を上げた。
「このクリーム……、メロンの味だ! すっげえうまい」
「クリーム?」
「お前も食えよ、ほら」
シャドウの返事も待たず、ナックルズは半ば強引に彼の口にパンを押し込んだ。
「これ、は」
なるほど、確かにメロンの味だ。パンの中からは、あの瑞々しい果肉を彷彿とさせる、オレンジ色のカスタードクリームが覗いていた。ナックルズは瞳をキラキラとさせながら、勢いよくメロンパンにかぶりついている。
「なあ、シャドウ。まさかお前、知ってて黙ってたのか?」
「……食べながら喋るな。行儀が悪いぞ」
「へっ、どうだかな。見ろよ、お前の顔。クリームついてるぜ」
おもむろにグローブを外したナックルズの手がシャドウへと伸びる。永遠のようでいて、ほんの一瞬。ナックルズの力強い指先が、彼の頬についたクリームを拭った。突然のことに、シャドウの体は固まるしかない。彼の視線は、そのままナックルズの舌がゆっくりと指先を舐める仕草に釘付けになってしまう。しかし見られていることに気づいたのか、ナックルズがちらりと顔を上げた。目線と目線とがかち合い、シャドウはようやく我に返る。
――不埒なものを見てしまった。
そう直感した彼は慌てて顔を背けたが、ナックルズの笑みはますます深まるばかりだ。
「ガキみてえだな」
「なっ……! 僕に言わせてみれば、君の方がよっぽど子供じみているぞ。フン、他人の頬についたクリームなんてよく舐められるな。まったく、意地汚い」
「はあ? なんだとてめえ! コラ、待ちやがれ!」
「君とこれ以上話していても時間の無駄だ」
眩い閃光がシャドウの体を包み、時空が歪む。
「カオス・コントロール!」
祭壇を離れたシャドウの心臓はどきどきと高鳴り、ナックルズの指が触れた頬は、燃えるように熱くなっていた。
「さっきの僕は……一体、何を期待していたんだ?」
彼の問いに答える者は誰もいない。春の終わり、木の葉のさざめきが、どこからか甘いメロンの匂いを運んできた。
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