その日、学校で特に変わったことは起きなかった。
当たり前のように授業を受けて、当たり前のように給食を食べて、また当たり前のように午後の授業を受けた。
今日は体育の授業があったので、もしかしたらモンスターに会うかなと身構えていたのだがそれも無し。というのも、体育の授業を受けていると1ヶ月に1度くらいモンスターが校門に張り付いてこちらを見ていることがあるのだ。
しかし、今日は本当に何も無い。
なんとも平和な1日だった。
いつもなら放課後に少し残って魔法の練習をしたり、ニーナちゃんの家に遊びに行ったりするのだが、今日はそのまま帰宅。
なんてったって、ニーナちゃんは家うちにお泊り中である。学校に残らなくても家で遊べば良いのだ。
だから俺たちは一緒に下校していたのだが、帰っている途中でニーナちゃんがふと話しかけてきた。
「ねぇ、イツキ」
「どうしたの?」
「イツキって、普段どれくらいモンスターに出会うの?」
「1週間に1回くらいじゃないかな」
多分、平均を取ったらそれくらいになると思う。
多く会う時と、会わない時の差が激しいわけだが。
なんて俺が答えると、ニーナちゃんが少し引きつった表情を浮かべる。
「お、多くない? 私、そんなに会わないわよ」
「え、そうなの?」
思わず逆にニーナちゃんに尋ねてしまった。
しかし、考えてみればモンスターは魔力に寄ってくる。
俺は『廻術カイジュツ』で魔力の漏れを抑えているとはいえ、完全に0にできているわけじゃない。
それでモンスターが近寄ってくると考えれば……おかしくないんじゃないだろうか?
でも死にたくないから魔力量を増やして、身体を鍛えたのに、それでモンスターが寄ってきているとなると本末転倒な気がしないでもない。
だからといって鍛えていなかったらいなかったで、死んでいたことが多すぎる。
だったら鍛えていて良かったということになるんだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、ひゅう、と太陽の光がビルの影に隠れた。
「最近、昼が短いわね」
「もう11月になるから」
「そうね。でも、向こうよりは日が長いわ」
向こう、というのはイギリスのことを指していることくらいはぼんやりと理解できた。
そういえば、ニーナちゃんが日本に来てから2年は経とうとしているけど、向こうに戻りたいと思ったりしないんだろうか。聞けば良いか。
「ねぇ、ニーナちゃん」
「どうしたの?」
「ニーナちゃんは向こうに戻りたいって思ったりしないの?」
「そうね……」
俺の問いかけにニーナちゃんは少し考えるように目線を動かすと、口を動かした。
「今は思わないわ」
「どうして?」
「だってママも日本にいるし、イツキもいるし」
「僕?」
なんで俺なんだろう。
あれかな。友達だからかな、とちょっと自惚うぬぼれていたのだが、
「妖精魔法を全部教えてないのに、帰れないでしょ」
と、ニーナちゃんがそう言って微笑んだ。
俺はその言葉に嬉しくなって、せっかくだったら友達だからって言ってほしかったなというワガママをそっと胸の内に押し込んだ。
押し込んで、前を向いた瞬間に違和感。
普段の景色に明らかな異物がある。
ビル、信号機、人、車。
そんなどこにでもある街の風景の1つに、俺は言葉にできない違和感を覚えた。
「どうしたの? イツキ」
「いや、なんか……変な感じがして……」
いつも帰っている途中に見ていることなのだ。
見ているものなのに、何かがおかしい。
俺はその理由を探すべく、色んな所を見渡して……気がついた。
歩道を照らしている街灯。
その支柱に、貼り紙が貼ってあるのだ。
何枚も、何枚も、等間隔に並んでいる支柱全てに同じ貼り紙が。
『人を探しています』
紙には大きく、目立つように赤いフォントでそう書かれている。
そのまま視線を落とすと、そこには大きく1枚の写真。
見覚えのある小学生の写真。
学校に通っている途中の写真を撮ったのだろう。
ランドセルを背負い、横断歩道を渡っている。
「い、イツキ。これって……」
貼り紙に気がついたニーナちゃんが片眉を上げる。
「……イツキよね?」
「うん。みたいだね」
そこにいたのは俺・だ・っ・た・。
『そ、そ、そっくりだァ……!』
歓喜に震える、かすれた声。
気がつけば紙という紙からぬっと人の頭が生えてきて、街灯から張り紙が落ちて舞う。
『な、なな、第七階位ィ……でしょ、お前。第七階位でしょ!』
「……っ!?」
貼り紙から聞こえてきた声と突き出た手に驚いたニーナちゃんが俺の腕を握りしめながら後ずさった。
でも、大丈夫だ。
俺は既に魔法を使っているのだから。
『本人登場……!? 激アツ……! あッ! 痛いてッ! 身体が……ッ!!』
手元から離れた白い妖精たちは姿をくらませると同時に、貼り紙から飛び出してきたモンスターたちの身体を奪っていく。
奪われたモンスターの身体がどこに行くかは俺も知らない。
『妖精のいたずら』。
ニーナちゃんやイレーナさんが好んで使う妖精魔法だ。
そうして気がつけば、あたりは黒い霧で覆われており……やがて、それも風によって一瞬で消えた。
「……ねぇ、イツキ」
「どうしたの?」
「今日だけで2回も会ってるんだけど……」
ニーナちゃんの言葉に、俺は肩をすくめた。
「そういうときもあるよ」
「ほ、本当に?」
「珍しいけどね」
そもそも、モンスターは子供を好んで襲ってくるのだ。
さっきのやつがどうして俺を貼り紙にしていたのかは知らないが、モンスターの生き方なんて理解できないものが大半だ。
わざわざ考えるほどでもないと思う。
だから気を取り直した俺が帰ろうとした瞬間、道端から声をかけられた。
「ま、待ってくれ!」
「……?」
声の主は自動車に乗っている老人の男性だった。
道端に停車して窓から顔を出していて、歳相応のシワが顔に刻まれている。
しかし、その顔は未知のものを見ているそれだ。
全く新しい概念を見ている顔をしている。
「い、今のは、君がやったのか」
「今のって……?」
「貼り紙だ」
俺の問いかけに、男性は短く、震える声で続けた。
「貼り紙が動き出して、急に黒い霧になった。貼り紙は君を狙っていた。……君が、あの貼り紙たちを消したのか」
老人にそう聞かれて、俺は渋々……頷いた。
どうして、渋々なのか。
決まっている。
この人の口調からして、多分、祓魔師じゃない。
祓魔師だったら貼り紙をモンスターだと気がつくはずだし、魔法でどうにかしたんだろうという推測くらいは付くからだ。
だとすれば、この人は普通の人。
けれど、たまにいるモンスターが見・え・る・人だ。
一般的には霊感を持っている、なんて表現をされることもある。
とても珍しいが、いないわけではない。
俺も何度かそういう人がモンスターに襲われているのを見たことがある。
そして普通の人に魔法の存在を打ち明けるのは『良くないこと』として扱われている以上、俺は本当に渋々頷いたのだ。
そんな俺の心境なんて知らずに、その老人は慌てて車から降りて来て俺に頭を下げた。
「恥を承知で、君に頼みたいことがあるのだ……」
そんなことを、言いながら。
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