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白い雪が、静まり返った夜空にふわりと舞い降りていた。 ひとひら、またひとひらと冷えきったコンクリートへ落ち、音もなく溶けては積もり、世界の輪郭をゆっくりと白に染めていく。
その薄い雪布の上を、私は一歩ずつ踏みしめながら歩いた。
キュッ、と小さく鳴る足音とともに、雪には私の足跡が規則正しく並んでいく。
相変わらず小さな足だ、と自分で思う。どこか女らしくて、頼りないほどに。
「はぁ……」
吐き出した息は白くほどけ、瞬く間に夜気へと溶けていった。
気づけば私は、無機質な番号が記されたドアの前に立っていた。
かじかんだ指先でポケットを探り、鍵を取り出す。金属の冷たさが肌にしみる。
ドアノブに手をかけ、ぐるりと回して引くと、抵抗なく扉が開いた。
ガチャ
「お邪魔しまーす…」
そう言いながら中に入ると、視線の先に彼がいた。
「ん、おかえり。」
彼は小さなソファに腰かけ、ぽつりとテレビを眺めていた。
……いや、おかえりって。ここ、私の家じゃないんだけど。
いるまがこちらへ歩み寄ってくる。
そして、私の頭に乗った雪に気づいたのか、男らしい大きな手でぽんぽんと優しく触れ、雪を払った。
「 …! 」
ふいに触れるその仕草に、胸が少しだけ跳ねる
「雪降ってた?」
「 うん、積もってた。」
「 え、まじ?公園行って、雪合戦しない?」
「 いや、やらないから。雪合戦だなんて、小学生でもないんだし… 」
男というのは、いくつになっても心のどこかに少年を住まわせているのだろう。
追いかけても追いつけない無邪気さと勢い。
それに比べて私は、昔から周りより少し落ち着いていて、いるまと並べば精神年齢はきっと私の方が上だ。
「 酒飲も。」
いるまがぽつりと呟き、立ち上がって冷蔵庫を開けた。
中から取り出したのは、ほろ酔いの缶が二つ。
ぴと、
「冷たっ」
彼は悪びれもなく、そのうちのひとつを私の頬に押し当ててきた。
ひやりとした感触に肩がぴくっと跳ねる。
頬に当たる冷たいアルミの感触が、じんわりと熱を奪っていく。はずなのに、なぜか逆に頬が熱くなる。
「…… ⸝⸝」
しばらく並んでお酒を飲みながら、どうでもいいような話をつらつら続けていた。
気づけばどちらともなく会話が途切れ、各々がスマホをいじり始める。
静かな時間。アルコールのせいか、ほんのりと身体があたたかい。
そんな時、いるまがぽつりと切り出した。
「…公園行かね?」
「いや、だから雪合戦しないってば。」
まだ言ってる。 彼の中ではさっきの提案が未解決のままらしい。
「ちょっとくらいよくね?」
「やだよ、濡れたくないし。」
「俺のジャンバーとか貸すから。ね? いいでしょ?」
言いながら、いるまは私の抗議なんてまるで聞こえていないかのように立ち上がる。
気づけば私は分厚いジャンバーを羽織らされ、首には彼の温もりをしっかり含んだマフラーまで巻かれていた。
「 ちょ、いや!無理無理!ほんと行きたくないってば!」
いるまはいつもの茶化すような笑みを浮かべたまま、私の手を軽く掴む。
その手は大きくて、温かくて、強引なくせに妙に優しい。
そのまま玄関へ引っ張られ、あれよあれよという間に外の冷たい空気が頬を刺した。
結局、いやいや言う私を強制的に連れ出した。
夜の公園は、思っていた以上に冷え込んでいた。 誰もいない遊具の影が長く伸び、風が通るたびにブランコがかすかに揺れる。
静寂と冷たさだけが支配する場所。
「さむっ……ほんとに寒いんだけど。やっぱり帰ろうよー!」
私が身震いしながら訴えると、いるまはのんきに笑って返した。
「いやいや、もったいないでしょ。」
その言葉と同時に、彼はしゃがみ込み、手袋越しでもわかる勢いで雪をぎゅっ、と丸め始めた。
「うしっ、雪合戦開始!」
宣言と同時に、白い雪玉が私めがけて飛んできた。
「 ちょ!? 」
私は身をひねってなんとか避ける。
頬をかすめた冷気にヒヤリとする。
「急に投げてくんな! ドアホ!」
「危なっ!」
私もしゃがんで雪を丸め、勢いよくいるまの胸元めがけて投げつける。
いるまには避けられて、心底ウザイ。
投げ続けて十分ほど。
息は白く、指先はかじかんでいる。だが、それよりも気になることがあった。
さっきからなにがおかしい。
私には、一度も雪玉が当たっていない。
それどころか、いるまの雪玉を作るスピードも、どう考えても遅い。
(これ……もしかして手加減してない?)
胸の奥がむずむずとざわつく。
女子だからって? 子ども扱いして? 舐められてるってこと?
確かに私は体力ないし、運動も得意じゃない。
でも、だからってあの精神年齢小学生みたいなやつに手加減されるなんて、普通にムカつく。
(ガキにガキ扱いされるの、なんか……癪なんだけど)
そう思った瞬間。
ボフッ!
「ん”むっ!?」
頬に冷たい衝撃。
視界が一瞬真っ白になる。
「……あ。」
私は顔面に雪玉を食らった衝撃に驚き、そのままバランスを崩して後ろへ倒れ込んだ。
冷たい空気を切って視界が揺れる。けれど、背中に広がったのは雪の柔らかい感触。
ふわりと沈んで、痛みはほとんどなかった。
ただ、その代わりに、全身に雪がまとわりついてひんやりと服の中へ入り込む。
「冷た…」
身震いした瞬間、バタバタと雪を蹴る足音が近づいてきた。
「大、丈夫?」
紫がかった顔色のいるまが、息を切らしながら覗き込んでくる。
いつもみたいにふざけた表情じゃない。
眉が寄って、声が震えていて、心配が露骨に表れていた。
その顔を見た瞬間、 なぜ彼が私にずっと手加減していたのか、痛いほど理解してしまった。
( だから…当てなかったんだ )
胸の奥がぎゅっと縮んで、鼓動が一気に早まる。
「……か、帰ろ? 寒いし……」
自分でも驚くほど弱い声が漏れた。
「うん……」
いつもの調子を忘れたように、いるまは素直に頷いた。
「はぁぁ、寒い……雪合戦したから余計に手が寒いわ〜」
指先がじんじんして、思わず手をこすり合わせる。 吐く息は白く、夜風が肌に刺さるようだった。
「手袋貸す?」
横を歩いていたいるまが、何気ない声でそう言ってきた。
「いや、雪玉作ってたんだから絶対びちょびちょでしょ。」
「別に、使ってない。なつとは正々堂々戦いたいし。」
「…………」
思わず足が止まりそうになる。
(手加減してたくせに、なにが正々堂々だよ。)
胸の奥で、言葉にならないもやもやが渦巻いた。
雪玉を当てないようにわざとスピード落として、真正面から戦うふりして。
どう考えても、いるまの方が不利に決まってる。
なのにアイツはそんな顔もしないで、普通の声で、なんでもないように「正々堂々」なんて言うんだ。
勝つか負けるかじゃなくて、
私を傷つけたくないが先にあるくせに
知らないふりして優しいところが、
なんか、ずるい。
ずるすぎる。
「…じゃあ、片方貸して」
ぽそっと言うと、いるまが首をかしげる。
「片方? 両方じゃなくて?」
「いいから。」
多少強めに返すと、彼は不思議そうにしつつも素直に手袋を差し出した。
私はその片方を自分の手にはめ、
残りの片方をそのまま彼の手に押しつける。
「はい、つけて。」
「お、おう……」
ふたりして片手ずつだけ手袋をつけるという妙な状態になる。
「よし。」
「なんか片方だけ忘れた人みたいになってるんだけど。」
「Win-Winでしょ? これで_」
冗談交じりに言おうとしたその時。
「ぁー…じゃあ、片手はこうしよう。」
「え?」
言い終える前に、いるまが一歩近づく。
手袋をしていない彼の素手が、
私の手袋のついていない方の手を、そっと掴んだ。
「!」
心臓が跳ねた。
冷えているはずの彼の指先が、意外なくらい温かい。
私の手もきっと冷たかったはずなのに、何も言わずにそのまま包み込んでくる。
夜風が冷たいせいなのか、
それとも繋がれた手のせいなのか、
頬がじんわり熱くなる。
視線をあげると、 いるまはいつもの軽い笑みより、ほんの少しだけ柔らかい顔をしていた。
「…んふ、なにこれ笑」
思わず口元が緩んでしまった。
片手ずつ手袋をして、もう片方は繋いで歩くなんて、どう考えても変だ。
変なのに、変なほどあたたかい。
「これなら、寒くないでしょ? いやぁ、俺ったらまじ天才。」
いるまは得意げに胸を張っている。
夜風にさらされて少し赤くなった頬で、どや顔をしているのがなんだか可笑しくて。
「……天才ねぇ。」
呆れたように言いながらも、つないだ手を離す気にはなれなかった。
彼の手は思った以上に温かくて、
寒さなんて、本当にどうでもよくなってしまうくらい。
足元では雪がきゅっきゅっと鳴り、 ふたりの影が寄り添うように並んで伸びていた。
「 神社行かない? 」
急にいるまが言い出した。
「え、初詣? まだ年越してないけど?」
「混むと歩きづらいし、電波も届きにくいじゃん? だから俺たちが一番先に終わらせよう。」
「どっちかっていうと、一番“ 最後になるんじゃ…… うん、まあいいか、行こう。」
半分ツッコミ、半分あきれながらも、なんだかんだ断れない自分がいる。
いるまとなら、変なことでも楽しくなってしまう気がした。
「うし、じゃあ競走。」
「え!?」
言い終わる前に、いるまはもう走り出していた。 片方だけの手袋と、繋いでいた手が一瞬で離れる。
「ま、待って! ちょっとほんとにやるの!? 寒いってば!!!」
夜の静かな道に、ふたりの足音が白い息と一緒に響き渡る。
雪の上の足跡が、まるで追いかけっこの軌跡みたいにずっと続いていった。
神社に着くと、境内はしんと静まり返っていた。 人影はひとつもない。 鳥居の赤さえ、夜の中に溶けて淡く見える。
まあ当然だ。
年が明けてから何ヶ月も経って、もう次の年が迫っているこの時期に、
初詣なんて普通はしない。
でも、この馬鹿は来る。
「はぁ、…はぁ…んで、願い事はどうする?」
石段で息を整えながら聞くと、いるまは真顔で考えるふりをし、ぽつりと言った。
「死ぬまで、酒飲む。」
「www 弱いのに?笑」
思わず吹き出すと、いるまはむっとした顔をしつつも、すぐ笑った。
「弱いけどさ。 酒飲むと、なんか悩んでたこと全部しょうもないなーって思えるんだよ。」
その言い方があまりにも素直で、胸がほんの少しだけ締めつけられた。
「……あぁ。 そうだね。」
アルコールで気持ちが軽くなるあの感じ。
馬鹿みたいだけど、救われる瞬間がある。
私も、それを知ってる。
だから彼の言葉が、やけにまっすぐに届いた。
その時
♪〜
「 ぁ、… 」
いるまのスマホから着信音が鳴る。
画面には、見知らぬ女性っぽい名前が表示されている。
(彼女…かな?)
胸の奥が、じくりと痛んだ。
だけど顔には出せない。
出したくない。
そんな私の前で、いるまは一度画面を見て、
親指でためらいなく ✖︎ を押した。
「……いいの?」
問いかける声が、少しだけ頼りなくなる。
「うん。今はなつとの時間だし。」
「そう、……」
その一言が、
私の期待を乱暴に揺さぶってくる。
だから嫌いだ。
こうやって、期待させるようなことを平気で言うところが嫌いだ。
本当に嫌いだ。
なのに、嫌いになれない自分がもっと嫌いだ。
私は俺が嫌い。
「決まった。」
「何を?」
「願い事。」
「え、なに?教えて。」
「秘密。」
「はぁ?俺は言ったのに?」
「口に出したら、願い事って叶わないらしいよ?」
「え、俺言ったんだけど?」
「どんまーいw」
そっと私は心の中で手を合わせた。
神様。
どうか、来世は身体だけじゃなくて、心も女性にしてください。 そしてまた、こいつと酒を飲む中になりたいです。
お願いします__