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「女刑事さーん!こっちでーす」
永井が手を振りきらんばかりに力一杯振っている。
「遅くなりました」
その勢いに急かされるように走っていくと、いきなり手を握られる。
「来てくださって本当にありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそお招きいただき、ありがたいばかりです」
顔一面に皺を寄せて喜んでくれる初老の男を見つめながら、琴子は微笑んだ。
「お忙しいからと恐縮しておったのですが、滝沢君がどうしてもと聞かなかったもので」
「ありがとうございます。本来なら塩かけて追い返してもいいのに」
「どうしてですか?」
永井がキョトンと目を丸くする。
「結局咲楽さんの命を奪ったのは我々警察の人間でしたし」
丸くした目を今度は瞑らんばかりににっこり笑って永井が答える。
「そんなことは関係ありません。成瀬さんも女刑事さんも、僕たちにとっては、犯人を捕まえてくださった刑事さんってことに変わりはありません」
どうやら成瀬の名前は覚えているらしい。
女刑事は心の中で苦笑しながら、プロムナードの展示場を見渡した。
やはり姿が見えない。
「ごめんなさい、成瀬も誘ったんですが、今、相当忙しいらしくて」
言うと永井は少し驚いたような顔をした後にっこり笑った。
「そのようですね。殆ど寝ていないと伺いました」
また寝ていないのか。
二階堂の逮捕直後から、壱道は刑事部二課の捜査に加わっていた。
いわゆる、岡崎組根絶に全力を上げている。
署内の廊下で数度すれ違ったが、言葉はほとんど交わしていない。
今日のことも電話で話したが、全部言い終わらないうちに「用件はそれだけか」と切られてしまった。
咲楽こと櫻井秀人の四十九日法要を兼ねて、明日からここガラスプロムナードで遺影展が予定されている。
今日は関係者だけ集めたお披露目会だ。
展示ホールいっぱいに、ところ狭しと咲楽のガラス作品が並べられている。
話では海外の美術展に出展していたものも一時的に呼び寄せたらしい。
「オーブも5つ揃ったって聞きましたけど」
「そう!そうなんですよ」
永井が興奮しながら言う。
「皆さん、快く貸してくださいましてね。ほんと、5つ並んだ姿は圧巻ですよ。見ていって下さい」
永井の案内で、いつかのようにプロムナードを進む。色とりどりで多種多様なガラスが出迎えてくれる。
それらを囲むように、咲楽の関係者らがそれを愛でる。
その中にはブーケの江崎夫妻や、杉本鞠江の姿もある。
奥に行くと、例の真っ赤なソファが置いてあり、その前にそれぞれ展示台に乗ったオーブが飾られていた。
「わあ」思わず駆け寄る。
関係者から、オーブがどれだけ人の心を動かす作品かを聞いていたが、それでも心臓を揺さぶられる程の衝撃を受けた。
それはガラス工芸というより、ちょうどマスクメロンほどの大きさに球体に切り取られた、自然の息吹だった。
向かって一番左の花を見る。ナデシコのプレートが付いている。
花弁が反り返っている小花が穂状についている、豪華絢爛で優美な花だ。
今にも留まろうとしているクマバチの羽が陽の光でキラキラ輝いている。
通り抜ける風、聞こえる鳥の声、午後の微睡み、自然の営み。
全てがその球体の中に時を止めて閉じ込められている。
思わず見とれていると、背後から声がした。
「おい、邪魔だ」
驚いて振り向くとそこには、きちんと誂えた礼服を着て、ソファの上で足を組んでいる壱道がいた。
「成瀬さん、どうですか、特等席から見るオーブは」
永井が笑顔で話しかける。
「壮観だな」
「ちょっと!私には来れないって行ってたじゃないですかー!」
琴子は思わぬ人物の登場に鼓動がまだ収まらない。
「突如仕事に空きがでたんだ」
「突如って格好じゃないじゃないですか」
「痴話喧嘩は他所でやって下さい」
振り向くとソファの後ろから、こちらもスーツを着た青年二人が顔を出してニヤニヤと笑っていた。
「咲楽先生もカップルの喧嘩なんか見たくないと思うな」
「誰と誰がカップルなんですか!」
「照れるなよ、琴子」
「琴子って呼ばないで下さい!」
「まあ、座れ」
ふっと笑った壱道に腕を引かれ、ソファに倒れ込む。
「あんな躍起になって事件を追った俺達が、まだ一度もオーブを目にしたことがなかったなんて、ある意味滑稽だな」
確かに言われてみれば、全くその通りだ。
櫻井を追えば追うほど、知れば知るほど、それはオーブに繋がっていた。
「ほら、夢にまで見たオーブが5つ並んでいるぞ」
ソファの前に置かれたオーブはそれぞれが展示台に乗り、異質の輝きを放っていた。
留学先のウイーンの国立大学に寄贈されたというナデシコ、
失恋した滝沢に送ったラベンダー、
江崎と彼が大事にしていた店に送ったグラジオラス、
自分を心配し、駆けつけてきてくれた心友に送ったスノードロップ、
自殺しようとした教え子に捧げたエリカ。
咲楽の人生が詰まっオーブたちが並ぶ姿は確かに壮観だった。
「ん?」
何か違和感を感じ、琴子が立ち上がった。
「なんか、スノードロップだけおかしくないですか?」
滝沢と青山が顔を見合わせてニヤリと笑う。
「すげーな、刑事さん。あんた、刑事なんかより芸術家のほうが向いてるよ」
嫌味たらしく言ったのはもちろん青山だ。
「そう。スノードロップだけ、他の作品と明らかに違う点が2つある。どこかわかる?」
言われてまじまじと覗き込む。可憐な白い花。淡い紫色の線、青々しい葉っぱ、今にも留まろうとするミツバチ。黒く散らばる・・・。
「わかった!土だ!」
子供のように叫んでしまう。
「当たりです!」滝沢も大げさに拍手をしてくれる。
「他のオーブは茎をスパッと切った上の部分しか無いのに、スノードロップだけ地面から生えていて、土もあるんです。大正解。でももう一つのほうが難しいですよ。わかりますか?」
ますます近づいてみる。なんだろう。花自体はそれぞれ違うし、受粉者もそれぞれクマバチだったり、ミツバチだったり・・・・。
「ヒント、展示台をこうするとわかりますよ」
滝沢がナデシコの展示台を軽く動かす。
「あれ?揺れた?」
確かに中の花が動いた気がした。
「すごい。ぜひプロムナードに生徒として入校してください」
滝沢が笑う。
「これが咲楽先生の技術なんです。花のガラスと周りを囲む透明のガラスの間に、ほんの0・数ミリの隙間が空いているんです。おそらくは熱膨張率の違うガラスを二種類使って外側のガラスを作ることによって、冷え切ったときに空間ができると考えていますが、そのためには何らかの方法で空気を入れる必要があって、僕達も再現できずにいます」
隙間。なるほど。だから少し動いたように見えたのか。
「ただ、スノードロップだけは」
言いながら青山が揺らす。びくともしない。
「要するに手を抜いたんですよ」
青山が笑う。
「どうせコンクールに出す作品でも無いから、手間を惜しんだんでしょ」
びくとも動かないスノードロップを見て、琴子は考えた。本当にそうだろうか。
「じゃあ、ごゆっくり」
そう言い残すと、彼らはプムナードのパンフレットを抱えながら、エントランスの方へと戻っていった。
壱道と二人残され、琴子はストンとソファに腰を下ろした。
「お久しぶりですね」
オーブを見ながら話しかける。
「互いに忙しかったからな。連続放火犯、捕まえたそうだな」
「そちらも岡崎組、根絶に追い込んだそうですね」
「まあ、協力した林との交換条件でもあったからな」
しばし沈黙が走る。
「まあ、しかし。署内に、二階堂さんがいないのには慣れないな」
「私は毎日会ってましたけどねー」
少し拗ねたような言い方がなんだかいじらしくて、ちょっと意地悪な口調で言ってみる。
「昨日、すべての取り調べが終わり、検察へ移送してきましたよ」
琴子は覗きこんだ。
「よかったんですが?取り調べ、全部私たちに任せて」
「やかましい」
言いながら壱道が足を組み直す。
「ちゃんと留置所で出る飯は食うようになったか」
「あ、はい。逮捕されて数日は何も口にしなくて心配しましたけど、私が“陽菜ちゃんの様子を見に行ってあげますから、ちゃんと食べてください”って言ったら、一生懸命食べてましたよ」
「妹の陽菜はまだ何も知らないんだろう」
「知りません。主治医からも事件に関する話は止められているので、話を聞くことは愚か、咲楽さんの名前を出すことさえ控えています。
確かに、自殺未遂まで追い詰められた人間にとって、さらに自分の兄が、自分のために、自分の命の恩人を殺したなんて、酷すぎますからね」
「そうだな」
「でも元気そうでしたよ。お見舞いの塩シュークリーム、美味しそうに食べてました」
「俺は生涯食わなくていいがな」
ホールには、静かにバッハのインベンションが流れている。
「綺麗ですね。この世のものとは思えないです」
「逆だろ。この世は美しいと再認識させてくれる作品だ」
「あ、その表現ステキ」
「馬鹿にしてるだろ」
クククと笑う。
暫し光り輝くガラスの花を見つめる。
「やっぱり違う」
「何が」
「スノードロップは手抜きなんかじゃない。特別、なんです」
少しずつ思い出しながら言葉にする。
「咲楽さんの言葉を借りるなら、オーブは、幸福の絶頂の瞬間を永遠にお預けにした、マゾヒズムの象徴なんでしょう。
だからわざと動くようにしてあるんですよ。
意識のあるままお預けにされている悲劇をそのような形で表現しているんです。
でもスノードロップは違う。
本当に時間を止められただけなんです。
神様か誰かが手をパチンと叩けば、また時は動き出す。受粉者が花に留まりやがて受精した種子は土に落下し、そして芽吹く」
一気にそこまで言うと、隣に腰掛けている壱道を見る。聞いているかはわからない。彼はただ静かにスノードロップを眺めている。
言おうか迷っていた言葉を口にしてみる。
「壱道さん。私、あれあらずっと考えてたんですけど、もしかして、櫻井の最後の電話はーーー」
みなまで言わずとも、通じたらしい。作品を見ている鞠江に目線を移す。
「どうだかな。本人には何かしら伝わってるんじゃないか」
つられて見ると、彼女が手にしているのは、あの工房にあった“心友”だった。その女の子を手にして目を潤ませている。
そうだ。きっと伝わっている。親友ではなく、心友という字を用いた意味を。
「お前はどうなんだ」
急に壱道がこちらに向き直る。
「想い人に気持ちを伝えなくていいのか」
顔中が熱くなり、思わず目を反らす。
いきなり何を言い出したんだこの人は。
世界中の女が自分のことを好きだと思いやがって。などと動揺していると、
「青柳、だったか」
あ、なんだ、そっちか。頬を抑えながら答える。
「そんな大それたもんじゃないですよ。感謝してるってだけで」
「その気持ちを伝えたいんだろ。会ってみる気はないのか?」
「機会があれば」
「なんだ。随分消極的なんだな」
「だって恥ずかしいんですもん。もう“お嬢ちゃん”と呼ばれる歳でもなくなったし。それにーー」
自分が言おうとしていることについ吹き出す。
「なんか、会える気がするんですよ。近いうちに」
「……第六感の無駄遣いだな」
「え、今なんて?」
「物騒な物も無くなったしな」
言いながら彼の手が琴子の尻を叩く。
「せ、セクハラです!」
「セクハラついでにパワハラもいいか?」
笑いながら立ち上がる。
「ここまで二課の奴らに乗せてきてもらったので足がない。家まで送っていけ」
返事も聞かずにスタスタと歩き出す。
琴子は慌てて、光るガラスの中を、少し懐かしい小さな先輩の背中を追いかけた。