コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
金管楽器のファンファーレが鳴り響いた。
人々が歓声を上げる。
花火が轟き、無数の反重力装置が、長いのぼりをするすると空高く引き上げていった。赤と白の王家紋様をアレンジしたのぼりと、商会の青い紋様が、会場全体をとりまくように微風の空に広がった。
吹奏楽団の勇壮な演奏がしばらく続き、それが終わると、おもむろに商会長の自信に満ちたあいさつが始まった。
しかしスピーカーからの音が、もわんもわんと響いて、タクヤとゼンのところからでは話の内容までは聞き取れない。
「なに言ってんだろう。めでたいとか、そんなあいさつはいいから、反重力装置について語ってくれないかな。ベルベスだっけ?」
タクヤは首を伸ばして遠くをながめ、機械好きの若者らしい好奇心を口にした。
ゼンは黙ったまま首を振った。
「ばか。そんなの説明するわけないじゃん」
「さっぱり情報ないよね、これに関しては」
「それだけ重要な秘密なんだろうさ」
「でも、こうやって一般の利用が始まったら、僕たちの暮らしもかわるってこと?」
「へんな期待するな」
「期待くらいいいじゃん、ゼンのケチくさやろう」
「簡単に量産できるならいいが、ベルベスはちがう。いや……ちがうらしいからな」
つづいて、デルフィーニ王のアナウンスが始まった。おだやかでどっしりとした王の声は、スーサリア国民なら知らないものはいない。
「すごいな」とゼンは意外そうな顔をした。「本当に王まで来ていたのか」
「だね。それだけ、大規模なイベントなんだよ。ハワイさんも来ていたし。久しぶりに会ったけど、なんかキラキラしてたな~」
「たかが商会のイベントに……」
「ま、なんてったって、春ですから」
「春か……」
ゼンは苦笑した。
「ところで王のもこもことした話し方を聞いていると、やっぱおまえと似ているな」
「僕と? なんで?」
「話し方が」
「ばか、やめろよ。光栄だけど、僕は喜ばないぞ。似てるなら、歌手とか俳優に似てると言えよ」
「すまん、そういうのよく知らん」
やがて、アナウンスが終わり、サイレンが鳴り響くと、場内がぴたりと静まった。
みなの視線が、桟橋から少し離れて停止している白い船に注がれた。
優美な流線型。
スピードを重視したデザイン。
サイズ的には、特別大きくはない。
その船体が上昇を始めた。
特別な機械音はなく、水しぶきが上がるわけでもない。
まるで船だけ、重力がなくなったかのように自然に持ち上がる。
船体が水面から浮くと、水が滴り落ちた。
科学技術というよりは、むしろ魔術っぽく感じられた。
船はぽっかりと浮いたまま、横移動を始めた。
岸壁を越え、人々の上を移動していく。
船の影になった人たちから、恐怖の悲鳴が上がった。
そのまま、さらに奥に進むと、あらかじめ用意された船台の上で止まり、ガイドロープの導きで降下し、ピッタリと収まった。
人々から一斉に拍手と喝采が湧き上がった。
「ゼン、なんだよ、これ。あり得なくない?」
興奮するタクヤ。
しかしゼンは冷たい視線を送った。
「ただ浮いて移動しただけか」
「そうだけど、下には人々がいたんだよ。おちたら、つぶれちゃうんだよ。あえてそうしたんだろうけど、すごいアピールだね」
人々の歓声が一段落したところで、空から一頭の龍が飛来した。それは誰もが『イベントの演出の一部』と思った。
しかし、龍に乗った女は、怒りのこもった奇声を上げ、剣を振り上げ、小型重力装置が引き上げていた長いのぼりを、なでるように刃物で切り裂いていった。
切り裂かれたのぼりが、張りを失い、落下していく。
タクヤはゼンに聞いた。
「なんだあれ?」
「しらねえ。ただ、龍にしては小型だな。龍人が乗る戦闘用か」
「はあ? なんでここで? 戦闘用ってどゆこと?」
龍人族、その名前はタクヤも知っていた。
過激な行動で知られる国際環境主義組織だ。
国をあげたイベントに、たった一人の襲来。
人々は、恐怖よりも、そのたった一人の龍人女の壮絶すぎる勇気に唖然とする。
王室警護兵士たちの銃声が、続けざまに響きわたった。
弾道を目視はできなかったが、弾は龍の黒い身体に命中したのだろう。
翼の力が失われ、宙に弧を描き、落下してきた。
そしてタクヤの目の前で、石畳に鈍い音を響かせて、龍と女が転がった。
警備兵たちが駆けつけ、血にまみれた悲惨な現場に白いシートをかけて、衆目からさえぎった。
シートがかけられる直前、タクヤは石畳に打ちつけられた女と、まっすぐ目が合った。
頭から血を流す女は、彼を見て、笑みを浮かべた。
その目は語っていた。
あなたのためよ、タクヤ……
華やかな祝いの場が、一人の狂女によって、悲鳴の響く悲惨な場に一変してしまった。
司会者は場をつくろう説明を続け、楽団はリラックスした楽曲の演奏をはじめた。
ずたずたにされたのぼりは、ばらばらに空にゆれ続けた。
タクヤは、むりに平常心を装ってゼンに言った。
「ま、いろいろあるんだね」
「オレ、あの人、たぶん、知っている」
「あの人?」
「龍に乗っていた女」
「ゼンが知るわけないだろ、ゲームばかりで友だちだってないのに」
「リーアンさんのところにいた龍人だ……まったく、こんなことになるなんて……」
「は……はあ……? リーアンって誰よ」
寝不足まる出しだったゼンの目が、ぎょろりと光った。
タクヤは見逃さなかった。
「なにを知っているんだ?」
「まずいな。こんな予定はなかったはずだ。伝えなくては。しかし、どうやって……」
「僕でよければ、いちおう聞いてあげるのもやぶさかではない」
「いや、おまえには関係ないことだ。むしろ、関わらないほうがいい。いや、関わるな。先に戻って、良き練習でもしてろ」
ゼンは惨劇の現場を横目に、どよめく群衆にまぎれて消えた。
タクヤは「わけわかんねえよ」と悪態をつき、この意味不明の状況から立ち去ることにした。
さっさと戻って、バイオリンの練習だ。
音楽は裏切らない。
音楽、最強。
タクヤの心には、あのとき目が合った狂女の笑みが、強く焼き付いていた。理由はわからないが、胸が焼かれるように痛い。
きっぱり忘れたくて、わざと軽くスキップを踏む。
白い街並みを抜け、寮を目指して帰路につく。
観光ガイドにも載っている白い街並みは、イベントとも狂女とも関係ない、普通の暮らしがあふれている……はずだった。しかし今日はたいがいの人がイベントに出かけてしまったのだろう。午後の太陽が降りそそぐ路地はひとけがなく、光ばかりがあふれ、ネコがあくびをしていた。
タクヤは靴音を響かせ、練習曲の速いフレーズを鼻歌にして歩いていった。
その彼の背後から、黒スーツに黒めがねの男たちが忍び寄っていた。
タクヤが不審な靴音に気がついたときには、すでに男たちがタクヤに追いつき、次の瞬間には囲まれていた。
背が高く屈強なものや、小柄なものなど、あわせて六人。
突然のことに、タクヤは困惑した。
下品な物取りには見えない。
全員、しわのない黒スーツ姿。
しかし有無を言わせぬ暴力の気配に、タクヤは足をすくめた。
「ななな、なんだよ、金ならないよ」
「お迎えでございます」
「そんなの知らない。人違いだよ」
タクヤは、スーツ男の脇をすり抜けて走り出した。もともと運動は得意ではない文科系のタクヤだったが、とっさに全力ダッシュをしていた。
しかし、走るタクヤの前方に、脇道から黒スーツの男が二人が現れた。
タクヤは足を止めて見回した。
岩壁に囲まれていた。逃げ道はない。
タクヤは迷った末に、叫ぼうとしたが、それも遅かった。
駆け寄ってきた男に、口をふさがれ、すぐさま左右の手を後ろにまわされ、手錠で固定されてしまった。
「おい、なにすんだよ!」
「お静かに」
「静かにするかっつの!」
「タクヤ様、おむかえです、お従いください」
タクヤの口に、幅のあるテープが貼られた。
うぐうぐと抗うタクヤ。
べつの男の一人が、バックを下において、注射器を取り出した。
タクヤは目を丸くして、全力で暴れたが、男たちに押さえられ、あっさりと腕に注射を射された。
すぐにめまいと眠気が襲ってきた。
「お、おまえたちは……」
「ご安心ください。手荒なまねはしたくありませんが、ゆっくりご案内できることでもありません。ご理解ください」
「なにそれ、わけわからん……」
「しばらく、眠っていただきます。どうぞ、安らかに」
「安らかにって、なんだ。帰してくれよ。れんしゅうして、ねこにえさを……」
タクヤは、ぐったりとして、悔しさをにじませた顔で、目を閉じた。
男たちは、意識を失ったタクヤをかかえ、路地の出口に止めてあった白い大型乗用車に乗り込んだ。
車が走り去ると、路地は何事もなかったかのように午後の光が満ち、気だるく猫の声が響いた。