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名無
#恋愛
ゆず
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僕たちの家事は完全な担当制だ。
ある日、僕が夕飯の支度をしていると、後ろから優しく肩を小突かれた。
振り返ると、妻の春佳がいたずらっぽい笑みを浮かべて立っている。
彼女は僕が歩くときの床の振動で、大体の居場所がわかるらしい。
「なに、春佳?」
僕が口の動きを意識しながら尋ねると、春佳は背中に隠していた一枚のチラシを嬉しそうに差し出してきた。
そこには、8月上旬に開催される『長岡花火大会』の文字。
「音は聞こえないけど、目は見えるんだから。花火、見に行こう」
彼女の手話と口の動きを、僕は頭の中で言葉に変換する。
「篤樹にいつも遠慮しちゃって、花火なんてなかなか見れてなかったし」
春佳は耳が聞こえない。出会いは小学校1年の頃、同じクラスで隣の席になったのが始まりだった。
『今日から仲間になる、庭元 春佳さんです。耳は聞こえないけど、みんなで仲良くしてあげてね』
担任の菅沼先生に背中を押され、にこにこと微笑んでいた小さな女の子。
彼女が僕の隣の席に案内されたとき、女子に免疫のなかった僕の心臓がうるさいほど跳ね上がったのは、未だに春佳には秘密にしている。2年生のクラス替えで離れてしまったけれど、あの笑顔が僕の初恋だった。
大人になり、夫婦になった今でも、僕はどこかで彼女を「静かな世界を守るべき存在」として気遣いすぎていたのかもしれない。花火の爆音は、彼女にとって苦痛かもしれないと、勝手に決めつけていた。
「……でも、花火って、ものすごい音がするよ?」
僕の心配を見透かしたように、春佳はさらに手話を続けた。
「コロナ禍の時は中止で見れなかったしね。それに……花火の音って、篤樹が帰ってきたときの『ただいま』の足音と同じなんだよ。お腹にトントンって響くの。だから、すごく安心する」
花火の振動が、僕の足音と同じ。胸の奥がぎゅっと熱くなった。
「わかった。仕事、絶対に有給取るよ」
そして、約束の当日。僕たちは長岡の河川敷、溢れんばかりの人混みの中にいた。
どこかにいる花火師が合図を送ったのだろう。次の瞬間、夜空の闇を切り裂くように、次々と色とりどりのひかりが咲き乱れた。
遅れてやってくる、空気を震わせる大爆音。ドンっ、ドン、と五臓六腑に響くような衝撃波が、僕たちの身体を包み込む。
僕は隣に立つ春佳を見た。見上げた夜空いっぱいに広がる光の粒子が、彼女の瞳に鮮やかに映り込んでいる。
春佳は僕の手をぎゅっと握りしめ、お腹のあたりをもう片方の手でトントンと叩きながら、僕の顔を見て嬉しそうに微笑んだ。
『ほらね、篤樹の足音とおんなじ』
彼女の口元がそう動いた気がした。
「――綺麗だね」
僕がそう呟くと、春佳は何度も深く頷いた。
耳の聞こえない妻に見せたかった、世界で一番美しい夜空が、そこには広がっていた。
コメント
11件
読んだよ〜〜!!😭💕 もうね、冒頭から「花火の音が篤樹の帰ってきたときの足音と同じ」って春佳さんの台詞で完全にやられた…!お腹にトントン響く感覚を“安心”に変換するの、優しすぎるでしょ…!篤樹くんがずっと気遣ってたけど、春佳さん自身が“見たい”って言ってくれたのがすごくよかった。お互いを想い合うってこういうことか〜って胸がぎゅっとなったよ。続きもっと読みたい…!🌸