1853年にペリー率いるアメリカの蒸気船が来航した
🇺🇸「開国しようよ」
アメリカがなぜ開国を迫ったのか?
・アメリカの目的は中国をはじめとした東アジアとの貿易でした。 そのため、日本の良質な燃料用石炭の確保、航路の確保など、太平洋航路の中継地として日本の開国は重要だったのです
🇯🇵「わかりました…」
・1854年2月13日に再来したペリーは、重ねて開国を要求する。交渉により、1854年3月31日日米和親条約が締結され、「鎖国」は終焉した
・1858年には、アメリカと日米修好通商条約を結び、他のイギリス、フランス、オランダ、ロシアとも条約を結びました
🇬🇧「うちもうちも」
🇫🇷「うちもうちも」
🇷🇺「うちもうちも」
🇳🇱「うちもうちも」
🇯🇵「ンアーッ!なんだこれは…たまげたなぁ」
外国との貿易と不平等条約への反発
関税自主権がないため、日本は安い外国製品の関税を高くすることができない
これにより、物価が上がった
すると人々の欧米への不満は高まり、1863年と1864年に薩摩と長州が外国との戦争を起こしました
薩英戦争と長州の戦い
生麦事件が起こると、イギリスは幕府と薩摩へ賠償金と犯人を引き渡せと言いましたが、薩摩が拒否したため、戦争へとなりました
薩長との戦いも勃発しますが、欧米の連合軍により敗北、欧米の強さに驚いた薩長は、欧米との関係を強くします
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