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数日後、玉井真一は竹村家の座敷で深々と頭を下げていた。
「はじめまして、玉井真一と言います」
隣には頬を赤らめた真昼が下を向いている。
「なんだ、こいつは」
「玉井真一さん、28歳」
「真昼さんと結婚を前提にお付き合いさせて頂いています」
「4歳も年下だーーーぁ!?真昼、また不倫されるぞ!」
(ーーーー不倫)
玉井真一の表情は微妙だった。
「おまえ、なんの仕事をしているんだ」
「郵便局員です」
「あーー、そりゃあ真面目で良いこったな」
「でしょ?」
話の流れで温泉饅頭を差し入れてくれた相手が玉井真一だと知った竹村誠の表情は一気に晴れやかなものになった。
「それを早く言え!」
「温泉饅頭が如何したのよ!」
「あれは美味かった!」
「はぁ」
「あれは真昼を気遣ってくれたんだろう」
「はい」
「ありがとよ」
「はい」
それから真昼と玉井真一の結婚話はとんとん拍子に進んだ。
「明日だ!明日、結婚式だ!」
「お父さん、結婚禁止期間って決まりがあるのよ」
「なんだそりゃ」
「100日間は結婚しちゃ駄目なの!」
「なんでだよ」
「もしお腹に子どもが出来たらたっちゃんの子どもか玉井さんの子どもか分かんないでしょ!」
「チッ、面倒クセェな」
それから毎日、真昼は玉井真一に手作り弁当を届けた。
(ーーーーふふん)
その仲睦まじい姿にプロレスラーのような名前の小動物系女子、大牟田美々子は地団駄を踏んで悔しがった。
年の瀬を迎える頃、真昼が手作り弁当の蓋を開けるといつもと違う臭いがした。卵焼きを箸で摘んで口に入れてみたところ、胃液が喉を駆け上った。
「ーーーーーう、え」
「真昼さん、どうしたんですか?」
真昼は事務の美香ちゃんに弁当箱を手渡した。
「ちょ、ちょっと臭いを嗅いでみて」
「はい」
美香ちゃんはふんふんと鼻先で臭いを嗅ぐと、卵焼きを指で摘んで口に放り込んだ。
「ああっ、駄目!腐っているから!」
「ふぇぇんふぇぇん、はいひょうふへす」
「嘘、出して出してーーー!」
「大丈夫です!いつもの美味しい卵焼きです!」
真昼の卵料理は旨いと評判だ。ところが真昼はそのままトイレに駆け込んだ。ウェロロロロ、昼休憩には宜しくない音が廊下に響いた。
「え、ちょっと。真昼さん、大丈夫ですか!?」
「み、みがぢゃん、けいだいどっで」
「は、はい!」
玉井真一の携帯電話に着信があったのは正午すぎ、丁度その弁当箱の蓋を開けたところだった。緊迫した声で「弁当を食べないで」とだけ告げ電話は不通となった。
(な、なにがあったんだーーーー!)
竹村事務機器に電話を掛けると、真昼の嘔吐が止まらずトイレに篭ったままだと言った。
「たっ、竹村さん!今から行きます!」
「なに、おまえ勤務中だろう」
「真昼さんの方が大事です!」
しばらくすると顔面蒼白の玉井真一が車で乗り付けた。
「おまえが倒れそうだぞ」
「そ、そうでしょうか」
「真っ青、死人、ゾンビって感じだ」
「それより真昼さんは!」
すると美香ちゃんが「病院に行くならここですよ」と近所のマタニティクリニックの地図を手渡してくれた。
(また、に?)
玉井真一は目を丸くした。
「おめでとうございます」
「ーーーーはい?」
満面の笑みを湛えた女医は玉井真一に向き直ると一枚の薄いプリント用紙を手渡した。
「これ、は」
黒い扇形の真ん中に、小さなそら豆に似た白点が確認出来た。
「奥さま、妊娠17週ですよ、出産予定日は9月11日ですね」
「にん、し、ん」
「はい」
次の瞬間、玉井真一は間抜けな質問をし失笑されてしまった。
「お、男ですか!女ですか!」
「お父さん、それはもう少し先にならないと分かりません」
(お、おとう、さん)
ウェロロロロ
背後のベッドに横たわる真昼は嘔吐が止まらず洗面器を抱えていた。
「大丈夫ですか」
「ゔぁいじょうぶ」
「おい」
「なんでしょうか」
「こりゃあ、真昼の腹がデカくなる前に式を挙げんとな」
「そんないきなり」
「いきなりだとぉ?」
竹村誠は病院の階段の踊り場で玉井真一の襟元を捻り上げると詰め寄った。
「なんだ、おまえ約束が違うじゃねーか」
「い、いえ。そんな意味では」
「真昼を傷物にしやがって、口から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタさせるぞ」
「それは勘弁して下さい」
「ガタガタだぞ!」
「それは勘弁して下さい」
マタニティクリニックで吐き気どめを処方された真昼は会社のデスクに突っ伏していた。こうなると仕事どころの話ではないが有給休暇にも限りがある。
「真昼さんの送り迎えが僕がします!」
「ありがどゔ」
「お安いご用です!」
会社の送迎は玉井真一が行う事になった。
「叔父さん」
「なんだ」
政宗が珍しくパソコンを開き画面を食い入るように見ていた。
「叔父さん、なにしてるの」
「仕事だ!」
「あぁ・・・・」
案の定、ブライダル情報サイトを閲覧しメモ帳に何やら書き込んでいる。
「叔父さん」
「なんだ」
「勤務中です」
「おう、人生はいつでも勤務中だ」
「なにを言っているの、判子押して下さい」
山積みとなった請求書やダイレクトメールをポンポンと叩いてみたがそれどころでは無いと言い放った。
「仕事してよ」
「奥歯ガタガタ言わすぞテメェ」
「姪っ子の奥歯ガタガタって、なによそれ」
真昼は幸せの階段を一歩一歩着実に上っていた。
結婚式の日取りも決まり真昼と玉井真一はブライダルコーナーで真昼の婚礼衣装を吟味していた。真昼は「二度目だから恥ずかしい」と最後まで駄々をこねたが「僕は真昼さんの白無垢姿が見たい!」と玉井真一は頑として譲らなかった。
「玉井さん、意外と頑固なのね」
「真昼さんを僕色に染めたいんです!」
「はっ、恥ずかしいからそーーゆーーのやめて!」
「なんでですか、本当にそう思っているんです」
至極真面目な面持ち、純粋な眼差しで真昼の目を覗き込んだ。
「だから、そんな顔しないでーーー!」
「真昼、そんなもん二度も三度も一緒だ!」
「三度とか!不吉でしょ!」
「気にすんな、気にすんな」
「気にするわよ!」
そう笑い飛ばす真昼の父親と玉井真一の父親は「|寡《やもめ》同盟だ!」と理由をつけ、毎晩のように酒を酌み交わし人生を謳歌している。
リンゴーーン リンゴーーン
真昼の再婚禁止期間100日をすぎた桜の頃、教会の鐘が鳴った。広坂大通り、用水路沿いの桜並木には薄紅色の花びらがハラハラと舞い落ちていた。石造りの教会で、シャンパンゴールドのウェディングドレスを身に|纏《まと》った真昼の姿は美しかった。
「悪阻は大丈夫なのか」
「今は、ご飯の匂いが駄目で」
「腹ん中の赤ん坊は元気なんだな」
「うん」
「結構なこった」
政宗から真昼に手渡された純白のブーケは八重咲きの薔薇、それは一枚一枚が幸せの象徴であるかのように見えた。
荘厳なパイプオルガンの音、祭壇には白いタキシードを着た玉井真一が左の八重歯を覗かせて微笑んでいた。深紅のバージンロードを真昼と歩いて来た真昼の父親は傍若無人な物言いで玉井真一の背中をバンバン叩いて笑った。
「よう、今度の旦那は小せぇなあ!」
「おっお父さん!止めてよ!」
「ーーーすみません小さくて」
「男としての器は龍彦よりもデカそうだな!」
「ーーー龍彦、さんですか」
「おっ、おっ、お父さん!」
祭壇上で慌てふためく場面もあったが、ステンドグラスの眩い光の中で見つめ合う真昼と玉井真一の間には何の隔たりもない。微笑みあうその姿は幸せに満ち溢れていた。
「汝、玉井真一は、この女、竹村真昼を妻とし、良き時も悪き時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分つまで、愛を誓い、妻を思い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」
「誓います」
「汝、竹村真昼は、この男、玉井真一を夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分つまで、愛を誓い、夫を思い、夫のみに添うことを、神聖なる婚姻のもとに、誓いますか?」
「誓います」
桜が舞い散る教会で二人は永遠を誓う口付けを交わした。竹村真昼は玉井真昼となり、新しい人生を踏み出した。
了