ソファに座りながら腕を組み
じっとティアナの仕草を
観察していたソーレンは
静かに眉を寄せた。
アリアの手によって
首輪をつけられたティアナは
まるで
その意味を正しく理解しているかのように
きちんと姿勢を正し
深々と頭を垂れた。
まるで、忠誠を誓う従者のように。
「⋯⋯なんか、この猫⋯⋯
今にも人間の言葉を話しそうな勢いだな?」
ソーレンがポツリと呟いた言葉に
リビングの空気が少し柔らかくなる。
レイチェルはその言葉にすかさず頷き
両手を合わせて
キラキラと瞳を輝かせながら叫んだ。
「ねー!賢すぎ!
もしかしたら
前世の記憶がはっきりあるのかも
しれないわね。
動きとか仕草とか
絶対普通の猫じゃないもの!」
ティアナはソファの肘掛けに飛び乗ると
まるで「当然」とでも言いたげな顔で
人間たちを見下ろした。
背筋は美しく伸び
尻尾をふわりと巻き付けているその姿は
まさに気高い王族の如し。
「あ、首輪⋯⋯これ、GPS付きなのね?」
レイチェルが
ティアナの首元
宝石の横にぶら下がった
小さなタグに気付き
屈み込んでそっと指先で触れる。
彼女の指が触れた瞬間
ティアナは軽く尻尾を揺らしたが
嫌がる素振りはなかった。
「時也さんの携帯に連動⋯⋯
いや、私の携帯にしておこっか!
時也さん
またパニック起こしたら大変だもんね!」
「⋯⋯そうして頂けると、助かります」
時也は
どこか恥ずかしそうに頬を掻きながら
微笑んだ。
普段のことならばともかく
機械類、とくに携帯電話には
未だ不慣れなのは
自他ともに認めるところで
事あるごとに誰かの手を借りていた。
レイチェルがスマートフォンを取り出し
首輪のタグを読み取る準備をしていると
ソーレンが小さく鼻を鳴らした。
「お前
いつになったら時代に追いつくんだ?
携帯操作くらい、普通だろ。
下手すりゃそのうち
猫にも追い越されるぞ?」
「ふふ⋯⋯
僕なりに、克服しようとはしてますよ」
時也は肩を竦めながらも
柔らかく笑った。
その言葉にティアナが
「問題ない」と言わんばかりに
顔を洗い始めると
全員の口元に思わず笑みが広がった。
⸻
夜の喫茶桜。
誰もが静かな眠りに包まれている中
リビングのケージに設えられた
柔らかな毛布の上で
ティアナがゆっくりと瞼を開けた。
暗闇の中でも
彼女の蒼い瞳はわずかな光を拾い
耳は寝息の一つまでも聞き逃さない。
しんとした空気に混じって
微かに流れる異質な気配。
――窓の外、何かがいる。
ティアナは毛布をそっと押しのけると
前脚をケージの鍵に添える。
まるで手のように器用に動かされた爪が
カチリと音を立てて鍵を外した。
細い身体が音も立てずに抜け出し
肉球が床を静かに歩く。
窓辺の桟に跳び乗ったティアナは
蒼い瞳を細める。
外には、気配がある。
空気の流れが不自然に押し戻され
草木の擦れる音が微かに乱れていた。
ティアナは口を開き、喉を短く鳴らす。
クラッキング――
敵意や獲物に反応した捕食者の合図。
次の瞬間
ふいに背中を撫でるような感触があった。
ティアナの全身が跳ねるように反応し
ふさふさの尻尾がブワリと膨れ上がった。
「⋯⋯おめぇ
やっぱただの猫じゃねぇな?」
低く響く声。
振り向くまでもなく
ティアナは知っていた。
ソーレン。
あの、異様なまでに重い気配を
まるで消して近付く男。
敵ではないと
本能が理解しているからこそ
ティアナは振り返らない。
ソーレンは、窓の外を見据えながら
その琥珀の瞳を鋭く光らせた。
「⋯⋯ありゃ、ただの強盗だな。
ハンターですらねぇ」
彼の声に、ティアナは一瞬だけ視線を送る。
そして、ふっと視線を戻すと
背を伸ばし、再び窓辺にじっと座った。
その白い毛並みは
月明かりを受けて雪のように浮かび上がる。
ティアナの背中越しに
ソーレンは一歩、窓に近付く。
カーテンの隙間から覗くその先に
人影が僅かに確認できる。
明らかに不審な影は
夜の喫茶桜を覗き込んでいた。
「俺がやる。お前は、ここで待ってろ」
夜の静寂を裂くように
ふわりとティアナの白い影が宙を舞った。
窓の桟にいた彼女は、迷いなく跳躍し
外に向かおうとする
ソーレンの頭頂部へと着地――
そしてそのまま 勢いを殺さずに
後頭部を踏み台にして蹴り抜け
ソーレンがほんの僅かに開けていた
扉の隙間から外へと飛び出して行った。
「おまっ⋯⋯戻れって!」
反射的に小声を上げたソーレンだったが
ティアナは一切の反応を示さず
白い影のまま夜の中へと消えた。
(⋯⋯やべぇ)
ソーレンは焦った。
この猫に怪我をさせるなど
あってはならない。
アリアに詰め寄られるのも
時也の静かな怒りを買うのも
どちらも想像したくもない。
(重力操作は⋯間違いなく巻き込む。
体術にしろ⋯⋯
足元をチョロチョロされたら
かなわねぇっ)
そう判断した彼は
ひとまずティアナを戻すための
〝釣り餌〟を取りに、中へと引き返した。
扉をそっと閉めながら
ちらりと外を一瞥したその時――
⸻
庭の奥、茂みの中。
三人の男達が闇に溶けるように潜んでいた。
「⋯⋯どうやら
気付かれてはなさそうだな」
「ボスに無断でここまで来たんだ。
不死の血を奪わねぇと
割に合わねぇぞ⋯⋯」
「フリューゲル・スナイダーの
連中には悪いが
今回は独占させてもらう」
彼らは密談を交わしながら
暗視スコープのついた銃と
捕獲用の注射器を確認していた。
だがその時――
ガサッ
小さな音に三人はピクリと肩を揺らす。
「⋯⋯ね、猫?」
茂みを掻き分けて現れたのは
一匹の真っ白な猫。
まるで白雪を纏ったような長毛が
月明かりに照らされ
透き通る蒼い瞳が
じっと彼らを見据えていた。
その佇まいは
猫というよりも何か高位な存在のようで――
「⋯⋯おい。この首輪の飾り、見ろ」
「⋯⋯ミッシェリーナの涙⋯、だと?」
「⋯⋯っ!
あれだけで一生暮らせる金が手に入る!
捕まえろッ!」
男達が手を伸ばすその刹那。
ティアナの蒼い瞳が
月光を受けて鋭く細められた――
瞬間、空間が歪んだ。
――コォン⋯⋯ッ
まるで水面のような揺らぎと共に
彼女の目前に四角い結界が形成された。
中に閉じ込められた三人は
騒ぎ立て、壁を叩き、喚く。
だが、外に音は届かない。
ティアナは尾を一度、地に叩きつけた。
――バシッ
結界がひとまわり、狭まる。
二度。
三度。
――ビシ⋯ギチ⋯⋯ッ
内壁がきしみ、圧縮されていく。
最後に
怒りを込めるように一際強く
尾を打ちつけると
結界は圧壊しながら消滅した。
男達の姿は⋯⋯どこにもなかった。
「ほぉ⋯⋯すげぇな」
扉を開け
猫の餌を手に出てきたソーレンは
その惨状に立ち止まり、息を漏らした。
「やるな、白いお姫様!」
ティアナの凛とした後ろ姿に
どこか畏敬の念を覚えつつ
ソーレンはそっと彼女を抱き上げた。
「でも、今度から一匹は残してくれよな?
情報ってのは
やっぱ口から聞き出さねぇと⋯⋯
ま、猫に言っても無駄か」
その呟きに
ティアナはふっと
ソーレンを見上げたかと思えば
⋯⋯ガブッ!
「いってぇ!お前なぁ⋯⋯っ!」
思いきり彼の手に噛みついた後
ティアナは
軽やかに腕を蹴って飛び降りると
悠然と屋内へ戻っていった。
「⋯⋯あの猫
やっぱ言葉わかってやがんだろ⋯⋯」
ソーレンは噛まれた手を押さえながら
どこか納得したように呟いた。
夜は静けさを取り戻していくー⋯。
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