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雨上がりの夕方、アスファルトの匂いがまだ少し残っていた。
若井はギターケースを背負ったまま、公園のベンチに腰を下ろす。何度も通ってきた場所なのに、今日は妙に落ち着かない。理由はわかっている。わかっているけど、認めたくないだけだ。
「遅れてごめん」
振り返ると、彼女が小走りでやってきた。昔と変わらない笑顔。少しだけ大人びた髪型。それでも、彼にとってはずっと“あの頃のまま”の幼馴染だった。
「いや、俺も今来たとこ」
嘘だ。もう20分はここにいる。
沈黙が落ちる。気まずいわけじゃない。でも、何かが変わってしまいそうで、軽々しく言葉を選べない。
子どもの頃は、こんなことなかったのに。
彼女は隣に座ると、足元の水たまりをぼんやり見つめた。
「ねえ、最近忙しいでしょ」
「まあ、うん。それなりに」
「そっか」
また、沈黙。
言いたいことは、山ほどある。ライブの話も、曲の話も、それから——
(いや、それは…)
喉元まで出かかって、飲み込む。
彼女のほうも同じだった。
本当は聞きたい。「好きな人、いるの?」って。でも、それを聞いた瞬間に、今の関係が壊れてしまいそうで怖い。
代わりに、どうでもいい話を選ぶ。
「この前さ、昔の写真見つけたの」
「え、どれ?」
「泥だらけで遊んでるやつ。覚えてる?」
「あー…あれな。めっちゃ怒られたやつ」
二人で小さく笑う。
安心する。この距離、この空気。でも同時に、苦しくもなる。
このままじゃいけないことも、ちゃんとわかっているから。
夕日が少しずつ傾いて、彼女の横顔をオレンジ色に染める。
(今、言えばいいのに)
思うだけで、口は動かない。
彼女も同じことを考えていた。
(今なら、きっと——)
でも、結局どちらも踏み出せない。
「じゃあさ」
ほぼ同時に声が重なって、二人は顔を見合わせた。
「…先いいよ」
「いや、そっちが」
また笑う。逃げるように。
結局、彼が折れた。
「…また今度、ゆっくり話そう」
「うん、そうだね」
それは約束のようで、先延ばしの言い訳でもあった。
立ち上がる。いつも通り、駅まで並んで歩く。肩が触れそうで触れない距離。
ほんの少し手を伸ばせば届くのに、その距離がやけに遠い。
改札の前で立ち止まる。
「じゃあ、また」
「うん、またね」
振り返らずに、それぞれの方向へ歩き出す。
数歩進んで、同時に足が止まる。でも、振り返らない。
振り返ったら、何かが終わってしまう気がしたから。
それでも、胸の中に残るのは同じ言葉。
(好きだよ)
言えなかったその一言が、夕暮れの空気に溶けていった。
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