「大変、早くしないと産まれちゃうわ! パパ 急いで!」
「ええええっつつ!!」
無理、歩行者Aですから……。
「分娩室に急いでください」
グイグイとボス看護師さんの手下とおぼしき若い看護師さんに分娩室の隣の部屋に押し込められ、エアシャワーの後、手の消毒にキャップ、マスク、エプロンを装着。あっという間に分娩室へ。
「パパさん手を握ってあげて!」
言われるままに彼女の手を握った。
こうなったら、腹を括って見ず知らずの彼女の出産に立ち会わせてもらおう。
分娩台の上にいる彼女は、額に大量の汗を浮かび上がらせ息を吐く。時折、押し寄せる痛みに苦しそうにしながら、それでもお腹の子供のために呼吸を合わせ痛みと闘う。生命を産み出す尊い姿だ。
お腹に取りつけられた機械から、ドクドクと心音が聞こえ、彼女から痛みに耐える声がする。
「後少しよ、子宮口10cmまできたわ」
強い痛みのためにギュッと手を握り込み、口を引き結んでは耐えている。
手を握り返し、『頑張れ! 頑張れ!』と心の中でエールを送った。
看護師さんの指示が飛ぶ。
「はい、もう大丈夫ですよ。いきんで」
おぎゃ──!!
おぎゃー、おぎゃー。
狭い産道を抜けて、この世界へ産まれ出る。
泣き声をあげることによって、つぶれていた肺が広がり空気が送り込まれて行く、心臓と肺の間に流れが始まる、命の目覚めの声だ。
「産まれました。元気な女の子よ。おめでとうございます」
助産師さんは手際よく生まれたばかりの赤ちゃんを産湯で洗い、小さな体に小さな産着を着せた。
「はい、抱っこして、パパとママと赤ちゃん、家族三人の記念写真を撮りますよー」
パシャ!!
後産のために分娩室から出された後、フラフラと歩きだす。
頭の中が真っ白になっていた。
いったい何が起きたんだろう?
彼女が握った手の感触が今も自分の手に残っている。
この世に産まれて、初めて上げた泣き声は力強く、命の咆哮を上げる。
未来へ続くたくさんの希望の糸を掴むように固く握った小さな手。
生まれ出たばかりの命は、小さく弱い存在なのに光り輝くような力を秘めていた。
体の中の血が沸騰するような衝撃。
”生きる”
その現場に遭遇して生きている事の大切さを改めて考えさせられる。
過去の悲しみに囚われ、生きているのに心を凍らせて死んだような日々を過ごしている自分。
それは、生きたいと願っていたのに叶わなかった亡き妻やお腹の子供をも悲しませる行為ではないだろうか?
どれだけの時間が経ったのか。
気が付けば、暗い夜が終わり空が明るくなり始めていた。
冬空の中、吐く息は白いのに茜色に染まる空が広がり、心の奥が温かい。
日が昇り、朝霜に反射した木々が輝き出す。
見える世界は鮮やかに色を持ち、私の瞳に映る。
顔を上げ、歩き始める。
運命とは不思議なもので、前を向いて歩きだしたことによって、歯車が噛み合い動き出す。
長いこと保留にしていた仕事を引き受け、出版することになった。その本の表紙を依頼したイラストレーターがあの日、妊婦だった彼女だと、誰が予想しただろう。
本の表紙となった天使のイラスト。その天使の羽は、力強く美しい。そして、愛するものを包み込むように温かい絵だった。
私の所に舞い降りた、あの日の小さな天使は、腕の中でスヤスヤと眠っている。
確かな重さと温かさが腕の中にある。
横で彼女は柔らかく微笑み、左手の薬指に指輪が輝く。
12月14日、1歳を迎えた小さな天使の誕生日に彼女と入籍をした。
【終わり】
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