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馬車の車輪が石畳を越えるたびに、俺の体は揺さぶられる。
普段ならなんてことない振動のはずが、今は頭の中で鐘が鳴り響くようにガンガン響いていた。
「……大丈夫か?」
向かいに座るレイが声をかけてくる。その低い声には心配がにじんでいる。
「……平気だよ。ただ、ちょっと疲れてるだけだから」
そう答えたが、自分の声がどこか力なく聞こえるのが分かる。顔を上げると、レイがじっと俺を見つめていた。その鋭い視線に、思わず目を逸らす。
「顔色が悪い。さっきからまともに座っていられないだろう」
レイが言葉を続けるが、俺は頑なに首を振る。
それでなくとも情けない俺はレイに迷惑をかけっぱなしだ。これ以上の迷惑はかけたくない。
「本当に大丈夫だってば。これくらい、なんともないから。少し酔っただけだと思うし」
とにかく気にしてほしくて笑みを浮かべながら答える。
自分でも何がどう悪いのか分からないのに、レイの心配を煩わせるのが怖かったからだ。
だけど、レイはため息をついて、窓の外に目をやると、ぼそりと呟いた。
「次の村で休もう。宿を取る」
「え……いや、でも……」
俺が否定しようとすると、レイの鋭い目が俺を射抜く。
「お前が平気でも、俺が心配なんだ」
その一言に、反論する言葉を失った。
ただでさえ体が思うように動かないのに、この状態でさらに抵抗する元気なんてない。
俺はため息をつき、座り直した。
「……分かったよ……ごめん、レイ……」
レイは軽く頷くだけで、それ以上は何も言わなかった。
その冷静な横顔を見て、なんだか申し訳なくなる。
馬車はガタガタと揺れ続けているけど、俺の胸の中はそれ以上にざわざわと落ち着かなかった。
次の村に着いたのは日が暮れ始めたころだった。
その間も体調不良と戦い、心身ともに限界が近くはある。
俺たちは村の小さな宿屋に泊まることになった。
馬車を降りるとき、足元がふらついて、思わずレイに寄りかかる。
レイは俺を受け止めて、片手で俺の身体を抱いた。
「……ほらな。これで大丈夫なんて言えるのか?」
レイが小さくため息をつきながら言う。
俺は言い返す気力もなく、そのままレイに肩を借りて宿屋に入った。
部屋に着くなり、レイは宿屋の主人に頼んで村の薬師を呼んだ。
俺はベッドに横たわりながら、何も言えず天井を見つめる。
俺の身を案じ、こうして手配をしてくれる彼の優しさが身に染みて、情けなくなる。
「ごめん、レイ……」
俺の謝罪にレイは何も言わず、ただ俺の頭を優しく撫でた。
少しして、薬師が部屋に入ってきた。
白髪混じりの落ち着いた中年の女性だった。俺の顔を見るなり、すぐに診察を始めた。
「お疲れですね。最近、食事はきちんと摂れていますか?」
薬師が柔らかい声で尋ねる。
俺は曖昧に頷く。思い返せば、このところ食欲があまりなく、食事も適当に済ませていた。
「頭痛や吐き気はありますか?」
「……どっちも、わりと……」
俺が答えると、薬師は首をかしげながら俺の脈を取り、額に手を当てた。
じんわりとその手が温かくなり、身体の中に微量の魔力が回るのがわかる。
診察の一環なのだろう。
そして、ふと顔を強張らせた。
「……少しお話があります。旦那様、少しの間だけ席を外していただけますか?」
薬師がレイに目を向ける。
レイは驚いたような顔をしたが、何も言わずに頷き、扉へと向かう。
出ていくとき、一瞬だけ俺の顔を見て、何かを言いたげに口を開きかけたが、結局何も言わずにドアを閉めた。
部屋に静寂が戻る。薬師は俺の顔をじっと見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「……カイル様、驚かないで聞いてください。あなたは、妊娠されています」
「……え?」
あまりに突拍子もない言葉に、思考が完全に止まった。
頭の中で、薬師の言葉が何度も反響する。
「……妊娠……?」
男の俺が?子宮もないのに?妊娠?
目を瞬かせる俺に薬師は微笑む。
「はい。確かにその兆候があります。おめでとうございます」
薬師の穏やかな声が続くが、俺の中ではそれを咀嚼する余裕すらない。
「ちょっと待ってください。男の俺が妊娠……?そんなの……」
「気が動転されていますか?この国では珍しいことではないじゃないですか」
薬師が微笑みながら言うけれど、俺の頭の中はまだ混乱していた。この世界では、同性婚が普通に認められているのは知っている。でも、それで妊娠まで……?
「……魔法……?」
ようやく出てきた言葉に、薬師はゆっくりと頷いた。
「ええ。特にフランベルクの“扉”と“鍵”の関係は、そのような現象が起きる素質を強く持っています。あなたと領主様が選ばれたからこそ、こうして新たな命が生まれたのでしょう」
新たな命──その言葉がずしりと胸にのしかかる。俺は何も答えられず、ただぼんやりと天井を見つめた。薬師が静かに微笑みながら薬箱を閉じる。
「ご安心ください。お体は少し疲れているだけで、大きな問題はありません。これからは無理をせず、しっかりとお休みくださいね。気力のつくお茶をご用意しますから、旅の間は是非お飲みください」
その声が優しいほど、俺の混乱が大きくなっていく。これを、どうやってレイに説明すればいい?俺は深い息をつき、再び頭を抱え込んだ。
「ただでさえ“鍵”として十分じゃないのに……今度はこんな面倒まで……」
こんな言葉を考えてしまう自分が情けなかった。それでも止められない。
「カイル様。こうした状況ではストレスや疲労が大敵です。特に今のような旅の途中では注意が必要ですよ。喜ばしいことなのですから、そう悩まないでください」
その言葉が妙に引っかかったが、今の俺には深く考える余裕がなかった。