「今まで、どうしてたの?」
「ん、“今まで”ってのは?」
「あの一件から今まで。 そこそこ時間があったでしょ?」
わたしが首を傾げると、彼は言い難そうに視線を泳がせた。
触れてはいけない話題だったか。
というよりも、わたしの手前、一入の底意地が首を擡げたものか。
いい格好をしたがるのは、“彼”の数少ない悪癖だ。
「……野郎の差料に焼かれて、ちょっと休んでた」
「もう平気?」
「おう、大丈夫。 もうピンピンしてらぁ」
“ほら!”と、両手を広げるポーズで快気を示す彼。
こういう辺り、うちの姉に似て愛敬がある。
剽軽者とはすこし違う。
極力、悲しい物事を見ないよう、無理にでも笑っている感じ。
「それにしても、あの剣」と、またぞろ花間にポスンと身をあずけた彼は、生真面目な口調で言った。
「どういう代物か、お前さん分かるか?」
「それは、“一”のこと?」
「そうそう。 並みのモンじゃねえな……。 あれはどういう」
「天叢雲剣」
「あん?」
「もしくは、七支刀の八つ目の刃」
「え?」
「わたしのお父さん…、彼は、八頭の八つ目の頭尾」
「おいおい!」
そこで透かさず、わたしは悪戯を成功させた心持ちで破顔し、彼は「悪い冗談やめろ」と、げんなりして肩の力を抜いた。
「まぁ、触れちゃならねぇモノってのは、たしかにあるわな……」
「ん……」
天国番外、号を“一”
おいそれと扱うことのできない代物という点では、先の冗語にも匹敵するものだろうか。
あの一刀に触れることができるのは、とくに持ち主の彼だけ。
あの一刀を見ることができるのも、持ち主の彼だけだ。
恐らく、わたしでも直視は厳しいと思う。
「詳しいことはわたしにもよく判らないけど、くそヤベェものってことで、ここはひとつ」
「あぁ……。 や、きたねえ言葉づかいすんな」
「あはは。 ごめんなさい」
「まぁ、あれと似たようなモンか」
ゆったりと横たわる、彼の目線を追う。
抜き差しならないと言えば、わたしの得物もその一つだ。
人々を誘う、橋立と化した天の槍。
その穂先に我が姉上が陣をとり、日夜を問わず、人々の選り分けを進めている。
これぞ閻魔庁の、当面のお役目だ。
「あなたが加わってくれると、心強いと思うよ? 本当に」
「………………」
いつしか、雨脚がすこし強まっていた。
さっきまでさらさらと降っていた雨が、いまはパラパラと言っている。
「風邪引くぜ? いや、引かねえか」
「ん……」
徐に、彼が腰を上げる気配がした。
同じ姿をしていながら、お父さんとは中身がすこし違う彼。
ひと口で言えば、かの神の荒御魂。
誰が言ったか、世の瀬戸際に顕れる魍魎と。
そうか。
世の瀬戸際に顕れる──
「あなたは、救世主?」
風に拾われた雨粒が、花の表面をそろりと打ち、心を撫でるような柔らかい音を鳴らした。
「救世主はアイツ。 和御魂」
その直中で尚、彼の足音は、しっかりとしている。
「あれと真っ向から敵対したって事は、やっぱりオレは悪党なんだろうぜ?」
あの日、あの時。このヒトと対峙したお父さんの眼、つまりは浄玻璃が、どういう働き方をしたのかは定かでない。
このヒトに何を見て、このヒトの心奥の何を見抜いたのか。
訊ねても、うまく逸らかされるのが落ちだった。
だけども、何となく察しはつく。
彼は、根が真面目なヒトだから。 優しいヒトだから。
“悪いのは自分”と、一向に譲らず言い張った荒御魂の言い分が、耳元でゆらゆらと揺れた。
「お父さん!」
「やめとけ!」
矢も楯もたまらず呼び止めたところ、彼はカラカラと笑った。
「お前さんに、そんな風に呼ばれる筋合いなんぞ無えよ」
雨は本降り。
“さっきの事、考えとく”と、彼が言い残した台詞が、何よりの救いだった。
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