私は老けた。
毎日、口にする薬は年を重ねるごとに多くなり、眼鏡をしていても文字が霞んでみえる。
頭に黒い毛はなく、去年入院をしてから、横になっている時間がずいぶんと増えた。
長寿への挑戦はあっさり失敗したようだ。
両親はすでに死去し、弟は立派に喪主をつとめあげた。
私に恋人はいない。当然子どもも。
いつまでも炎蔵と暮らす私に、弟は、実家に帰ってこないかと誘ったが、いまや私も立派な東京もんである。いまさら田舎暮らしにはもどれないと断った。
会社の同期や先輩の多くは世を去り、それ以外の知り合いは数えるほどしかない。
いつまでも側にいてくれるのは炎蔵だけだ。
彼だけが若々しいまま側にいてくれ、年老いた私を世話してくれる。
ペットに自分の世話をさせることに後ろめたさはあったのだけれど、炎蔵からは「いまさらの話ではないか」と笑われた。
言われてみれば、子どもの頃から炎蔵は私に連れ回されていろいろやってくれていたか。
通学ではずっと自転車で送り迎えしてくれたし、会社勤めをしてからは家事をこなしてくれた。
弟の結婚式でスピーチを勤めたのも炎蔵だ。
本当に炎蔵にはいろんなことを押しつけていたのだなと実感する。
「なに、私が好んでやったことだ。気にすることはない」
「そうだね」
その言葉は私の言葉でもあった。
炎蔵がいることで、私は恋人を作ろうとはしなかった。
それは理由の半分なんだけれど、優しい炎蔵はそれを指摘しようとはしない。
子を残さずに死ぬことを両親に申し訳なく思うけれど、弟の娘がなんとかしてくれることを祈ろう。
すでに社会人になった姪だけれど、その行動が若い頃の私に似ているというのが、いささか不安が残るところだけれど……。
「炎蔵さ、私が死んだら、あんたも実家にもどりなよ」
弟は面倒見がいいし、私よりも丈夫だ。炎蔵との関係も良好だし、なによりまだ若い姪がいる。少しは炎蔵の寂しさを紛らわせてくれるだろう。
炎蔵は私の言葉に「そうだな」と了承したフリをしたけれど、それがウソだろうことはなんとなくわかっていた。
ある晩、彼が枕元にたった。
ひょっとしてあたしの介護に疲れたのかなと思った。
目をつぶると、『なるべく苦しまないようにしてね』と内心で頼む。
だが彼は、私にとどめをさすことはないまま語りだした。
「私には人間に不死を与える力がある。以前教えた|“癒やしの炎”《キュアファイヤー》のことだ。」
そんなの聞いたかな?
「それをキミに与えさせてはくれないだろうか」
炎蔵はそんな漫画のような設定をまじめな顔で願いでる。
私は、あまりに現実味のなさに「いつか見た怪獣の夢みたいな話ね」と笑った。
だが炎蔵の表情は崩れず「キミと別れたくない」と懇願する。
それは大きくなった炎蔵のみせた初めての悲し気な表情だった。
わかっていたけれど、私が彼の弱味らしい。
でも、だからといって私がそれを受け入れることはなかった。
「ん~でも、それを受け入れると、ラブクラウンとかいう怪獣におっかけられることになるんでしょ?」
時々怪我をしてくる炎蔵にたずねると、苦々しそうに肯定された。
「そうだ。場合によっては、この|惑星《ほし》を去らねばならないかもしれない」
この歳で宇宙旅行か。ちょっとそそるものがあるな。
でも、私はそれを受け入れるようとは思わなかった。
「私はさ、あんたとはこのままの関係でいたいんだ。上手く言えないんだけど」
ひどく曖昧な答えだったけれど、炎蔵は「そうか」と後ろ髪引かれながらも受け入れてくれた。
結局炎蔵は、私が息をひきとるまで看病を続けてくれた。
冷静に私を看取った彼は、病院と弟に連絡し、その手伝いをしてくれた。
――ありがとう
そう語りかけるけれど、もう私の声は炎蔵に届かなくなっていた。
そして炎蔵は、片付けの済んだマンションの窓を開けると一度だけ室内を振り返り、そこから遠く暗い空に溶け込むように飛んでいくのだった……。
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