プロローグ
神楽の音が聞こえる。夜の帳が下りていく。茜色の空に、星が一つ瞬いている。僕たちは、この景色を知っている。どこかわからないけれど、きっとどこかで覚えている。
「終わったんだな、夏が」
焚也(たくや)が言った。絢香(あやか)が頷く。美仁(みさと)も小さく「うん」と零した。
「終わったん、ですかね」
慶太(けいた)の目は、眼鏡のレンズに反射して見えない。でも、わかる。彼は温かい目をしている。
僕はまだ、揺らいでいる。それでも。
「でもきっと、繋げていけるよ」
5人。たぶん皆、ここにいない誰かのことを考えている。知っている。知っているけれど、誰も口にしない。わかっているから。
シャラン、と、神楽の音が響いた。
第1章
一
古びた木造校舎に、はしゃぐ声が溶けていく。茹だるような暑い日。校庭からは、まだ小学生気分の抜けない一年生達の声が聞こえてくる。
僕は幼馴染の美仁と話す。これで何度目の夏だろう。
たかが中学三年生、されど中学三年生。東京の高校に進学するという生徒が多いからか、受験とか模試とか、そういう話をされる頻度が高い。いつものように話す今も、どこかでそれをわかっている。これから何度、一緒に話せるのだろうか。
「ちょっと、ちょっと翔海(かける)、聞いてる?」
美仁の声に慌てて視線を戻す。美仁は不機嫌そうにポニーテールをクルクルと指で弄ると、机に勢いよく腰掛けた。
「ごめん、聞いてる」
嘘つきぃ、と美仁は口を尖らせる。幼稚園からの幼馴染は今では随分可愛くなったなぁ、とよくわからない目線でふと思う。夏生地のセーラー服に身を包み、日焼けなどしないのかと言いたくなるくらいに白い肌と細い身体。別に変な目では見ていない、はず。
「聞いてたよ。転校生の話だよね」
「なんだ、ちゃんと聞いてるんじゃない」
見直した!とばかりに腕を組んだ美仁の後ろで、ポニーテールが跳ねた。
「東京からだっけ、女子だよね」
「やーっぱり男子ってそうなのね」
「な、何が?」
「転校生が女子だろうが男子だろうが何だっていいじゃない。そ・う・い・う・と・こ・よ!」
「ええ……」
確かに期待はした。否定はしない。でも、だからといって美仁にツンケンされるのは違うと思う。狭い田舎なのだ、都会の女子とかいう別世界の生き物に興味を持ったっていいじゃないか。
「あ、美仁と翔海、まーた夫婦漫才してるの?」
ニヤニヤしながら割り込んできたのは絢香だった。咄嗟に美仁が「違う違う!」と弁解する。勘違いされるのは困るけど、これもこれで傷付くなぁと声には出さず呟いた。空は青い。
「私はどうだっていいけどさぁ、転校生。でも中三で転校してくるとかカワイソーだよね」
絢香はいつものようにのんびりした口調でそう言う。そうだ、東京からとか女子とかそういう以前に、中学三年生だ。受験は大丈夫なのだろうか。
「確かに。しかも東京からコッチ来たんでしょ?どこに進学するつもりなんだろーね」
「この辺碌な高校ないよねぇ、ド田舎だし」
「東京かー、絶ッ対華やかでしょ」
「華やかなんだろうけど、なんか私には合わなそうかなぁ」
女子の会話はテンポが早い。参加するのははばかられるけれど、聞いているとなんだか面白い。絢香の雰囲気は柔らかいから、確かに東京の眩しいイメージに掻き消されてしまいそうだなとは思う。美仁は存外似合いそうだ。スカートを短く上げて髪を染めた美仁の姿を想像した。可愛い。
「あれ、翔海何見てんの?」
美仁の声が僕を現実に引き戻す。まずい。僕はどこを見ていたのだろうか。変な所でないことを祈りながら、なんでもないと弁解して二人の傍を離れる。その途中で机に脚をぶつけた。思ったより大きな音がした。二人がこちらを見てくすくす笑う。くそ、そんなつもりじゃなかったのに。
「っははは、翔海何見てたんだよー」
「ぅわあっ」
肩を組まれて思わず声が漏れた。それを見て更に可笑しそうに笑うのは焚也だ。
「なんでもないって」
「なんでもないことないだろー?ほらほら吐けよ、今ならカツ丼奢るぜ?」
「僕は犯罪者か!」
「美仁のこと、やらしい目で見てたんだろぉ?」
「そ、そんなことないって」
本当に無いと言えるのだろうかと内心ビクつきつつ、焚也に悟られぬよう胸を張ってみせる。
「ホントかあ?」
ホントだってと返しつつ、チラリと横目で美仁を見た。美仁は美少女だ。可愛い、のである。綺麗より、可愛い。別に好みとかではない。絶対に。ハッキリ言って、クラスの中でかなりトップの方だと思う。幼馴染として誇らしいというのは身勝手だろうか。しかしそれも喋らなければ、の話だ。
「どうしてこう、口を開けばちょっと残念なのかなぁ」
「翔海お前贅沢なこと言うなよな。美仁みたいなカッッワイイ奴が幼馴染って時点でもう勝ち組なんだよふざけんな羨ましいぞこの野郎」
「羨ましいってなんだよ本音か?」
「本音だ!」
「開き直るな!」
こんなやり取りも もう毎日のことだ。焚也との会話は、変に頭を使うわけでもなく心地いい。互いが互いに信頼しているが故のふざけあいも、やはり近くにいた時間がそれなりに長いからだろう。ここまで心を通わせることが出来る友人は、これから先出来るのかふと不安になる。
焚也は東京の高校に行くと言っていた。きっと今が1番何も考えずにふざけられる時間なのだろう。声に出して笑って、それから顔を見合せてまた笑った。
「はぁ…たかが1人転校生が来るからってうるさすぎです。小学生じゃないんだから声くらい抑えてください。はっきり言って迷惑です」
またか。僕は焚也と一緒に肩を竦めた。コイツ──慶太がこうして水を差す発言をするのももう慣れた。それでも雰囲気ぶち壊しも程がある。学級委員だか秀才だか何だか知らないが眼鏡を叩き割ってやりてぇと言ったのは焚也だったか。そこまでしなくてもとは思うが、それにしたって慶太も慶太だ。
「うるさかったのは謝るけどさ、慶太もちょっとくらい はっちゃけちゃえよ」
「お断りします。僕は今忙しいし、転校生だ何だってはしゃいだところで半年もすればこの学校ともお別れだし」
慶太の長い前髪が眼鏡にかかって、表情まではよくわからない。それでも、何となく意地を張っているような気がした。
「なんでそうつまんねーことばっか言うかなぁ!ほら、カッワイイ女の子かもよ〜?」
肘で慶太をつつくのは焚也だ。これも焚也のいいところだと思う。誰にもまっすぐ突っ込んでいけるところ。たまに欠点にもなるけれど、焚也のコミュ力は見習いところだ。
「だから、そういうの僕は」
いい加減ウザったいぞと言わんばかりに手を振り回した慶太が否定の言葉を言い終える前に、立て付けの悪い扉を思いっきり開ける音がそれを遮った。
「ほんっと立て付け悪いなこの扉…はい!皆席についてー」
入ってきたのは、僕たちの担任で国語の担当でもある滝島 澄香先生だった。お淑やかなイメージの付きやすい国語担当なくせに、澄香先生はそれと真逆だ。男勝りで、どこか中性的。噂では女子のファンもいるとかいないとか。
長い脚を強調するかのような黒いスラックスを着こなした澄香先生は、相変わらず賑やかだなぁ君たちはと呆れたように呟いてから、扉の外に向かって手招きをした。
「この分だと噂になってたんだろうけど、今日からこのクラスに仲間が1人増えます」
ほら、入って。そう言った澄香先生の声に合わせて教室に入ってきたのは、長い黒髪を下ろして無表情でこちらを見る少女だった。
美人だ。カワイイ、ではなく美人。どこか近寄り難い雰囲気を感じるのは、表情が硬いからだろう。
焚也も同じことを思ったらしく、キレーだけどなんか怖いととんでもなく失礼な言葉を零す。
対して女子側はその見た目に惹かれたらしく、やれ髪ツヤツヤー!だとか やれモデルさんみたいーだとか言っている。その中で小さく、美仁の「そんなんでカワイイとか馬鹿じゃないの」とどこか凹んだ声が聞こえた。美仁は見た目で差別するような奴じゃないから、きっと何か思うことがあるんだろう。僕は気にするのをやめた。
「里中千歳です」
ぽつんと一言言い放った冷たい音は、少しの間の後にそれが名前だと認識する。いや、それだけかよ と誰かが呆気に取られたように呟いた。
続
コメント
1件
このようなお話とても好きです! 投稿など頑張ってください!