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桜が吹雪のように舞い始める季節になりました。
みなさん、いかがお過ごしですか?__
あの時の貴方の少しハスキーな声が今でも脳裏に焼き付いて離れない。
今でも思う。
もし、貴方と出会わなければ、私は今もこんなに苦しまずに済んだ。
あの酷いほど残酷で、優しい声を思い出して泣くことはなかった。
これは全て仮説でしかない。もし、もし、もしかしたらだ、あの頃、私が
貴方の価値を肯定しなかったら、
貴方はあのまま、変わらずにいたかもしれないのに。
私と彼女__美咲が出会ったのは、高校の入学式だった。
私が初めて美咲を見た時、美咲はボサボサの肩までかかった黒い髪に、分厚い眼鏡を
つけて、私とは正反対な格好をしていた。第一印象はちゃんと髪手入れすれば綺麗になるのに勿体無いな、だった。
それだけだ。
それだけだった。
半年が経ったある日の放課後、教室の床にノートが落ちてるのを見た。
中身には何が書いてあるのだろう。そんな好奇心で頭がいっぱいになった。
やってはいけないと分かっていても、手が勝手に動いてしまう。そんな錯覚に見舞われた。
ページをめくると、ボイストレーニングの仕方、効果などがたくさん書き記されていた。
すごいなと感心しながらページを進めていくと、一瞬、脳が麻痺したような感覚がした。
『死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい』
『殺して殺して』『楽になりたい』『助けて』と、何枚かのページいっぱいに書かれていた。
急に教室のドアがガラッと開いた。美咲がいた。
「…それ、私の」
蚊の鳴くような声で、確かに自分のだと美咲は言った。
私は呑気にも、綺麗な声だなと思ってしまった。
我に帰ると、押し付けるようにして美咲にノートを返した。
「勝手に見てごめんね」そう慌てながら言うと美咲に声をかけられた。
「ね、引いた?」
美咲は死んだ魚のような目をしながら私に聞いてきた。
声が出なかった。声を捻り出そうとしても、声が出なかった。
数秒間の沈黙の後、美咲は返事を待たずに教室から出てしまった。
私はあの出来事以来、美咲に気を使うようになった。あの文章を見たら、美咲がいつ死んでしまうのか
分からない。なんなら、本気なのかすらも分からない。
でも、そんな得体の知れない美咲に私はどんどん惹かれていった。
彼女のことが気になる。もっともっと彼女のことを知りたい。
彼女の性格、足のサイズ、ホクロの数。頭から爪の先まで全てを知りたい。
高校二年生の春、桜の木の下で美咲が何かを聞いているのを見た。私は気になって気になってしょうがなくて、
思わず校庭へ駆け出していた。
「ね、何聞いてんの?」私はいつのまにか、息をあげながら彼女に話しかけていた。
彼女は気怠げそうに顔を上げた。その光の失った目で見られた瞬間、心が締まっていくのを確かに感じた。
間があいた後、彼女は私から目を逸らして
「ニュース」と言った。
「へー、ニュース好きなんだ。なんで?」
理由を聞いてみると美咲は少し嬉しそうに頬を染めながら語り出した。
「私、夢なの、ニュースキャスター」
知れた。美咲の夢を知れた。私はもうこの機会を逃せば、彼女と他に話す機会を無くすと思った。
咄嗟にそう思ってしまった。
「美咲さんならなれそうだけどね。声綺麗だし。」
その言葉を聞いた瞬間、美咲は嬉しそうに目を煌めかせた。
今でもこの瞬間を後悔している。
それ以来、美咲と話す機会が増えた。美咲もすっかり明るくなっていた。
ボサボサだった髪もちゃんと櫛を通していて、すっかり見違えていた。
だんだんとクラスに馴染めるようになっていた。
高校二年生の冬、ある授業を受けた。『自分の名前の由来』についてだった。
小学生みたいな課題だなと思っていた。そんな時、ふいに美咲の名前の由来を知りたくなった。
「ね、美咲の名前の由来って何?」
美咲は一瞬考えた後、鈴を転がしたような声でこう言った。
「これはお母さんがつけてくれた名前なんだけど、最初は蕾から美しく咲いてほしい。
努力して、夢を叶えてほしい、っていう願いが込められてるんだって」
嗚呼、美咲にぴったりな名前だな。今でもそう思う。
月日が流れ、高校三年生の春、卒業が近づいてくる時、卒業生代表の挨拶をする人を決める時がきた。
「私、立候補しようかな?」
美咲が私に聞いてきた。
「いいんじゃない?美咲が本当にキャスター目指してんなら、練習にもなるじゃん?」
あの時の私は軽率だった。
美咲は代表に立候補した。もちろん、みんなもそれに賛成だったので、すぐに投票は終わった。
「あー緊張するな。やっぱ大丈夫かな?」
美咲が不安そうに私に話しかけてきた。
「大丈夫よ。美咲ならできる。話し方も上手いし、伝え方も上手い。きっとうまくいくよ。」
その後の美咲の安心した顔が今でも頭からこびり付いて離れない。
卒業式当日、美咲の挨拶は成功した。なんならみんなその挨拶を聞いて泣いていた。
私はその瞬間思った。嗚呼、この人には自分の文章で、声で、誰かを揺さぶる才能があるんだ。
なんの涙かは分からない。でも涙が止まらなかった。
卒業式が終わり、みんなが余韻に浸っていた時、美咲に校舎裏に呼び出された。
私は心臓がはち切れそうになりながらそこに向かった。
「あ、来たんね。」
少し化粧をした子綺麗な顔をした美咲がそこに立っていた。
「私ね、あんたに言わなかったことがあるんだけどね。」
なんだろう。ただでさえはち切れそうな心臓をもっと速くして私は美咲の言葉を待っていた。
「私ね、本気でキャスターを目指したい。だから、専門学校に通うことにしたんだ。だから東京に行くんだ。」
私はなんとも言えない絶望感を感じた。
なぜか口からは本音と真逆の言葉しか出てこなかった。
喪失感を感じながら家に帰り、自分の部屋のドアを乱暴に開けた。
ドアを閉めた後、気づいてしまった。
嗚呼、私はこんなにも『美咲』が好きだったんだ。
私は『今』の美咲が好きじゃないんだ。『前』の死んだような美咲が好きだったんだ。
気持ちが悪い。私が今まで感じていたこの感情も、全て全て偽物だったんだ。
笑いが止まらなかった。
私はなんて最低なんだろう。
私は美しく咲いていく蕾に私は無惨に枯れるを望んでいたんだ。
最低で最悪で最高な気分に包まれながら私は目を閉じた。
私は今でも思う。
もし私が何か一つでも選択を誤らなければ、貴方は、どこか遠くの人間にならなかったのだろうか。
あの後、美咲は無事専門学校を卒業し、今では人気キャスターになっているらしい。
でも私はその姿を見たことがない。
いや、貴方に散ることを望んでいた私に美しく咲いた貴方の姿を見る資格もない。
今の私に残っているのは、かつて貴方を殺そうとしていた、
私の汚くて、下品で、最低な毒だけだ。
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