テラーノベル
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医者パロディというすばらしく滾るネタをいただいたので、脳が幻覚を見てしまった。
医療知識は皆無です、全てを幻覚としてお楽しみください。
きゃらきゃらと甲高い子どもたちの声が、やわらかな風に乗って俺の耳に届き意識が覚醒した。
普段なら煩わしいなと感じるそれが耳に馴染み、まどろんでいる俺の瞼の向こうでちらちらと光が揺れた。ペンライトのような無機質なものではなく、ぬくもりを帯びた光だった。
うっすらと目を開けると、太陽の光を背に受けて影を作りながらもうつくしいことだけ分かる微笑みが、俺の視界いっぱいに広がった。
まるで、女神のような神秘的なうつくしさだった。
肩にかかる髪はきらきらと光り、人好きのする目は透き通り、薄いけれどやわらかそうな唇は穏やかに笑みを象っている。
こんなにもうつくしい存在を俺は今までに見たことがなかった。西洋画でモチーフにされる天上の世界はきっとこんな景色なのだろうと、見たことがない光景に想いを馳せる。
俺の目が開いたのを見て、微笑みを浮かべたその人は瞳に安堵の色を滲ませた。
「あ、起きた。……こんなところで寝ていると風邪ひきますよ?」
見た目を裏切らないやわらかな声と話し方に、誘われるように手を伸ばした。丸みを帯びたやわらかな輪郭をなぞるように頬に触れる。
彼女――いや、声からすれば彼、だろう。陽に透ける髪に小さな花をたくさんつけたその人は、俺の行動にきょとりと目を瞬く。
金色の髪越しに青い空を背負う彼の頰はすべらかで、女神って触れるんだ、触れるなら病気をしても治してあげられる、と、働かない頭がくだらないことを考える。女神って風邪引くのかな。
寝起きで乾いた喉で声がつかえ、吐き出されるはずの言葉は掠れた呼気にしかならなかったが、相手に聞こえなくてよかったと思う。ここが天国か……なんて、病院においては、特にこの場所においては縁起でもないだろう。
目を閉じで力を抜き、腕を再び地面に落とす俺に、女神もかくやというその人は、あー、と言葉を濁すように笑った。
「これ以上寝てると、子どもたちにおもちゃにされますよ」
「え」
言葉の意味が分からず目を開くと、女神のようなその人の顔の横に、にゆっと小さな顔がいくつも並んだ。
「だれー?」
「ねてるの?」
「びょうき?」
「けがじゃない?」
ピーチクパーチクと口々に話し始めた子どもたちに、女神はやわらかく笑って小さな頭を撫でた。
「大森元貴先生だよ。病気をやっつけてくれるお医者さん」
「りょかせんせいのなかま?」
「うーん……そうだね、仲間、かな?」
ね? と首を傾げて微笑んだ“りょかせんせい”に、なんで俺のこと知ってんのと眉を寄せる。言葉にはしなかったのに、表情から人の心を察するのが上手いのか、薄く笑ってとんとん、と自分の胸元を指差した。
ああ、名札か、とやっと働き始めた頭で得心すると、腕と腹に力を入れて身体を起こした。その拍子に俺からパラパラと花が落ちる。
なるほど、確かに子どもたちにおもちゃにされる……いや、既にされていたようだ。頭を軽く振ると髪の毛から花が落ちた。
それを見て子どもたちがくふくふと笑った。
子どもの頃に戻ったような土のにおいに、かすかな花のにおい。そのふたつのにおいが、どれだけ洗っても消えない、俺に染み付いた消毒液と血のにおいを消してくれるような気がした。
子どもたちの要領を得ない話に耳を傾ける彼の胸元を確認すると、子どもが好きそうなシールがいっぱい貼られた名札に“藤澤涼架”と書いてあった。漢字の下に付されたローマ字で正しい読み方を把握する。
俺が黙って見ていることに気づいた藤澤先生は、子どもをやさしく叱るように綺麗な眉を軽く跳ねて俺を見た。
「人が倒れてるって子どもたちが呼びに来るから何事かと思ったら……仮眠室、あるでしょう?」
わざわざここまで来なくたって、外科病棟なら立派な仮眠室があるだろうと言いたいのだろう。
確かに土に寝転がるよりは快適な睡眠が得られたかもしれないが、俺があそこにいたくなかっただけの話だ。きっと阿鼻叫喚の地獄になっているだろうから。
俺が休もうとしたとき、仮眠室には俺の苦手な先輩医師が使用していた。既婚者のそいつは歳若い看護師と密会中で、不倫ってだけでも最悪なのに、密会のために俺に手術を押し付けたのかと知り、俺はそっと写真を撮って先輩医師の配偶者である内科の看護師長にメールを送った。
内科の看護師長は俺が研修医の時代からよくしてくれるやさしくも厳しい母親のようなタイプで、夫の不倫を疑っていることを聞き及んでいた。すぐにその場を離れたが、明日の朝一番で辞令が下るだろうな。看護師長は教授の娘だし、出世コースは途絶えたな。ザマァみろ。
とはいえ、まさかそんなことが言えるはずもなく、ふい、と顔を背ける。
「……気づいたら寝てた」
答えになってないよ、と呆れたように肩を竦めた藤澤先生は、けんか? と顔を曇らせる子どもたちに向かって首を横に振り、もう少し遊んでおいで、とやさしく声を掛けた。
藤澤先生の表情と声にホッとして、はぁい、と素直に頷いた子どもたちは、何が楽しいのか笑い声を上げながら走り出した。
目を細めてその様子を眺めていた藤澤先生を横目で盗み見る。大学病院勤めとは思えないやわらかな金の髪を風が揺らす。横顔があまりにうつくしくて、どくどくと心臓がうるさかった。
のどかな光景だ。意図して作られた箱庭は、俺が拠点とする病棟と同じ時が流れているなんて信じられないほど穏やかで、やさしさとぬくもりに満ちていた。
医者なのだから患者を治すことだけに専念をすればいいのに、やれ権力だやれ派閥だとうるさいジジイどもや、全ての看護師がそうというわけではもちろんないが、医師との結婚を目論む婚活に勤しむ看護師、治すために来ているはずなのに医師のいうこと聞かず看護師にセクハラをかます迷惑な患者、たいした腕もないくせに研修医にキツくあたる指導医。
俺を取り巻く全てが煩わしくて、鬱陶しくて、仮眠室から離れるために病棟を抜け出した眠る前の俺は、文字通りここに逃げ込んだのだろう。
醜悪な世界から切り離された楽園のようなここに、今まで一度も足を踏み入れることをしなかったのに、それほどにまでストレスを感じていたのだろうか。
胸の裡でわだかまっていたものがするすると解けていく。やわらかでほんわかとした雰囲気を作り出している藤澤先生は、りょうかせんせー! と叫ぶ子どもに手を振り返しながら、
「あっ」
と、なにかに気づいたように声を上げた。
「え?」
見ていたことがバレたかと焦って俺も声を上げる。
藤澤先生は、一瞬だけ気まずそうに俺を見て、すぐにいたずらをする子どものように無邪気な笑みを浮かべて、
「めっちゃ電話鳴ってたよ」
と、爆弾を落とした。
私用のスマホはロッカーに入れっぱなしだから、鳴るとしたら院内(敷地内)でのみ利用できる医療用のスマホしかない。俺の記憶が確かなら手術は入っていないはずだが、急変した患者がいるのかもしれない。
慌ててポケットを探るがスマホはなく、 くすくすと笑いながら俺にスマホを差し出した藤澤先生に、え、と声を出し、こっちは焦ってるのに笑ってんなよ、と睨みつける。
「言っとくけど取ったわけじゃないからね? 自分で放り投げてたから」
意識がないときの行動だから仕方がないとはいえ、無意識だからこそ厭わしくて遠ざけようとしたのだろう。始末に負えないなという自嘲と気恥ずかしさに顔を歪める。
すみません、と受け取り着信履歴を確認すると、15件の着信が入っていた。遠慮なく俺の手元を覗き込んだ藤澤先生が、あ、若井だ、と声を上げる。
「え?」
さっきから同じ言葉しか言っていない俺を気にした様子なく、藤澤先生は自分のスマホを取り出して耳にあてた。
「あ、若井? 大森先生、ここにいるよ」
気安い言葉遣いに驚きながら、楽しそうに会話をする藤澤先生を見つめる。
「知らないよそんなの。で、どこに向かわせればいい? こっち来る? じゃぁさ、ついでにひなちゃんの様子見ていってくれる? ふふ、そうそう、わかぱ先生じゃなきゃやだって泣くからさ」
うん、よろしく、と通話を切ると、スマホを胸ポケットにしまって立ち上がった。ぱんぱんと白衣を軽くはたき、ぐっと伸びをした。髪についた花を振り落とすように手櫛で整える。座っているときは気づかなかったが、割と上背はあるようだ。
地面に座ったまま自分を見上げる俺を細めた目で見下ろして、手を差し出した。
おずおずと手を伸ばすと、華奢な腕にしては強い力で引っ張られ、バランスを崩しながらも立ち上がる。子どもたちを抱き上げることも多いだろうから、見た目に反して力はあるのかもしれない。
握られた手のひらは冷たくて、その事実に僅かに驚く。雰囲気も何もかもがあたたかな人だから、手もあたたかいのだろうと勝手に予想していた。
パッと手を離して改めて、と白衣をを引っ張って名札を俺によく見えるように示した。
「僕は藤澤涼架。小児科……んー、正確には小児緩和ケアが専門。よろしく、外科病棟の魔王様?」
「なっ」
「あはは! 有名だもの、知ってるよ」
満面の笑みを浮かべる藤澤先生に他意はないのだろうけれど、嬉しい通り名ではなかった。
腕は確かだけど傲岸不遜で、上の指示を聞かない反骨者で、舐め腐った態度を取るなら患者でさえ容赦しない乱暴者。そこからついたあだ名が、誰が言い出したのかは知らないが“外科病棟の魔王様”だ。
眉根を寄せる俺を不思議そうに見つめていた藤澤先生の脚に、とてとてと子どもの1人が走り寄って抱きついた。
「りょかせんせ、あげる!」
藤澤先生の太ももに頭が届くくらいの小さな少女は、はぁはぁと肩で息をしながら無邪気な笑顔で手を伸ばした。小さな手には花冠が握られており、表情は明るいが顔色が悪い。
せっかく立ち上がったのにすぐに膝をついた藤澤先生は、少女の頬を両手で包み、額をくっつけた。ありがとうとお礼を言いながら熱を測っているのだろう。考えるように視線を動かしたが、気にするほどじゃなかったのか、そっと離れてから再びありがと、とお礼を言って微笑んだ。
両手で花冠を掴み直した少女は、背伸びをして藤澤先生の頭にそれを載せた。
小さな手で一生懸命に作ったのがわかる、拙い花冠がやわらかな金糸の上でささやかに咲き誇る。まるで戴冠式のような荘厳な雰囲気を感じ取り、束の間、その光景に見惚れる。
「おひめさまみたい」
自分が作った花冠を載せた藤澤先生を満足げに見て、少女は立ち尽くす俺を見上げた。
「きれい、ね?」
純真無垢な目で同意を求められて、え、俺? と内心で戸惑って言葉に窮する。ムッとなった少女が、ね? と重ねて言う。肯定以外認める気のない語調に、そ、そうだね、と口ごもりながら返すと、ぷっと吹き出した藤澤先生が立ち上がって少女の手を取った。
魔王様も形無しだね、と小声で囁かれる。
「そろそろ戻ろっか」
「えー、まだあそびたいよ」
「だぁめ。お薬の時間でしょ」
いくよー、と遊んでいる子どもたちに声を掛けながら歩き始める。すぐにわらわらと子どもたちが寄ってきて、我先にと藤澤先生にまとわりついた。藤澤先生の手はふたつしかないから、取り合いながら歩いている。
ゆっくりと穏やかな箱庭を振り返ることなく歩いていく。髪を揺らしながら、やわらかに微笑みながら。
夢の中にいるような心地でその光景を眺めていると、
「元貴!」
と俺を呼ぶ声がして振り返る。
白衣をはためかせながら小走りで近寄ってきた同期の若井が、俺の近くに寄るなりバシッと思い切り俺の背中を殴った。
いてぇわ。
「おっまえ、爆発させて逃げてんなよ!」
「……なんのこと?」
「……おまえなぁ……外科だけじゃなくて内科も地獄だぞ、今」
内科医の若井にも衝撃の余波はいったか。それに関しては悪いことをしたなと多少は思うが、元々は俺のせいではない。下半身がだらしないあいつが悪い。院内でことに及ぶとか最悪だろ。
俺がしれっとした態度を崩さないでいると、若井は頭をかいて溜息を吐いた。
「てか、ここに来んの珍しくない? 初めてくらい?」
「うん。初めて来た」
「なんでまた」
「……さぁ。俺もよく分からない」
なんだそれ、と若井は肩をすくめるが、本当に俺もよく分からないのだ。イライラしてむしゃくしゃして、外科病棟から逃げ出して、気づいたらここで寝ていた。
病棟に戻っていく藤澤先生と子どもたちを眺める俺を不思議そうに見て、次いでニヤリと笑った。
「女神様に見惚れてんの?」
「は?」
俺の心境を見透かされたのかと不自然に心臓を跳ねさせながら横に立った若井を振り向くと、意外そうに目を見開いた。
「知らねぇの? 藤澤涼架先生。通称、小児緩和ケアの女神様」
……なんだ、女神だと感じるのは俺だけじゃないのか。
なんとなくそれを残念に思いながら、小さく首を横に振った。
「……知らない。基本的に関わりないし」
「ま、そうだよな」
小児緩和ケア病棟の中でもさらに奥まった場所にあるここは、病状が進行し、治療によっての回復が見込めない子どもたちが、最期を過ごす場所だ。外科的治療のために存在する俺とは最も縁遠い場所である。
先ほど俺の顔を覗き込んだ子どもたちも、花冠を持ってきた少女も、楽園のようなこの場所で最期を迎える。最期まで笑顔でいられるように、少しでも苦痛を緩和できるように、疲弊する家族たちをも癒す役割を持つ。
そこに祀られる女神様、ね。
あまりにも皮肉だ。だけど同時に、どうしようもないほどの救いだ。
「……おまえは仲良いんだ?」
「ん?」
「その女神様と」
楽園のような場所に棲む女神様の姿はもうない。小さな病棟に入ったのだろう。
若井に向き直って訊くと、なんでもないことのように頷いた。
「ああ、内科医として関わることが多いからさ。元々は俺、小児にいたしね」
数年前に異動になったと言っていたが、その前は小児科にいたのか。ふぅん、とつまらなさそうに呟いた俺を物珍しげに見た後、若井の手が俺の肩を慰めるようにぽんぽんと叩いた。
なんだよ、と睨みつけるように視線を向けると、生ぬるい、労わるような視線とかち合った。なんか腹立つな。
「……先に教えとくけどさ」
「なにを」
「涼ちゃんは難攻不落だぞ」
「は?」
「女神様に懸想する奴は多いってこと」
言いたいことだけ言って、若井は俺を残してさっさと歩き出した。だんだんと小さくなるその背中を睨みつけながら、涼ちゃん、と口の中で呟いた。
たった数文字のなんでもない音が、じんわりと俺の中に染み込んでいった。
続くかもしれないし続かないかもしれない。
魔王と女神の出会い。書くとしたらこの世界線の突発短文(これ5000字あるけど)。
こんなんでいかがでしょうか、いちりさん。
コメント
48件
最近、自分ので精一杯で、皆さんの作品をなかなか拝見できてなかったのですが、最&高でした🫠💓 小児緩和ケア病棟の女神、最上の設定過ぎます、愛してます💛 パロ作品、私もちょっとハマっちゃいそうで、頭の中で色々妄想してます💗 でも、なかなか作品に至るまで文章にまとめるのが難しいんですよね、Keiさんは本当にすごいです💖 素敵な作品を、ありがとうございました🥰✨
続きみたいです!
最高でした〜🤤🏥 女神に惹かれて行く魔王とか、💙と💛ちゃんの仲良さに嫉妬する魔王とか、白衣の♥️💛とかあれやこれやと妄想出来ました🫶 keiさんの気持ちがのるのなら、続き読みたいです!!!