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「襲われた、って。そう言ってたけど」
残念。それは、できないよ。口元に薄く笑みを浮かべた武道は、しかし、その目は一ミリたりとも笑っていなかった。ゾッとした寒気が全員の背中を走り、主犯格である女は声にならぬ悲鳴を上げた。
「あ? どういうことだよ」
マイキーが負けじと武道を睨む。それに怯むことなく、武道はくすりと笑って、それからなんと──服を、脱ぎ始めた。ぎょっとするマイキーたちをよそに、武道は上着を脱ぎ、シャツを脱ぎ、それから下着を、脱ぎ捨てた。
「っは……?」
誰の声だったか。それに混じるのは、困惑、疑問、喫驚、はたまたその全部か。
「だって私、女だから」
ひどく無機質で、乾いた、冷たい声だった。そう、彼──いや“彼女”は、正真正銘、女であった。上半身は何も纏っていない状態で、彼女の胸にはさらしが巻かれており、そこから少しはみでた乳は男にあるはずもない、女にしかつかない柔らかな肉のそれで、晒された肌は雪のように白く、しかし所々には隊員から受けられただろう暴力の跡が痛々しく赤黒い痣となって残っていた。
「今更、って思った?」
「ひっ……!」
あからさまに怯えた女を見て笑う武道に、全員が恐怖を感じていた。こいつは、一体誰だ、と。花垣武道という人物は、本来泣き虫で、喧嘩も弱くて、それでいて、絶対に諦めるものか、と強い意思を持った“男”のはずだ。それが、今目の前にいる“女”は、まるで正反対だ。
「俺も……いや、私もさ、もっと早く言えばよかったって思うよ」
悲しそうに目を伏せる武道は、ひどく、小さな声で、つぶやいた。
「もう、赤ちゃん、うめないや」
それは、本当に小さな、小さな声で、だけど、マイキーたちの耳にははっきりと届いたその言葉は、彼らの心を抉るには十分だった。
「ねえ、貴方には分からないでしょうね。レイプされる痛みも、お腹を殴られる痛みも、煙草を押し付けられる痛みも、髪の毛を切られる絶望も、恐怖も、諦めもぜんぶ、ぜんぶぜんぶっ!!」
悲痛な叫びだった。そんな武道に対して、そんなの知らない。私のせいじゃない。あいつらが勝手にやったこと。女は泣いて、そう言った。マイキーたちは放心状態だった。すべて初耳だった。だからこそ、先程の武道のつぶやきに納得した。そして、自分たちの今までの行いを、後悔し、絶望した。
──────────
私のせいじゃない。目の前にいる女はそう言って、泣きわめく。主犯の常套句だ。そうやって罪を誰かに押し付け、責任から逃れようとする。ああ、なんて醜いんだろうか。──でも。
「もう、いいの。全部、どうでもいい」
「た、たけみっち、?」
掠れた声は、マイキーくん。顔を真っ青にする彼、いや、彼らに、私は何も思わなかった。
「悲しいのも苦しいのも辛いのも痛いのも、もうなにも感じない。もう、泣けないの」
涙、枯れちゃったのかな。体にぽっかり大きな穴が開いたみたいで、だけど、それを塞ごうにも塞ぐものもなくて。虚無感が私を襲った。そのまま食らいつくされたみたいに、私の心はなにも感じなくなってしまった。髪を切られたあの日から。レイプされたあの日から。もう子供は産めないのだと知ったあの日から。私の何かが、ぷつん、と音を立てて切れてしまった。
「女として生きるのも許されない。男として生きるのも許されないのなら、私はどうすればよかったの」
生まれてきたのが間違いだった? 死ねばよかった?
「それならいっそ、殺してくれたほうがマシだった」
切実な願いだった。本心だった。殺してくれたならどんなにか。この世界から逃げ出せるのなら、死んだって構わなかった。だけど、自ら死を選ぶのは簡単なことじゃなくて、いざ死のうと首にナイフを押し当てたとき、屋上のフェンスを越えたとき、ロープを首にかけたときには、いつも体の震えが止まらなくなるのだ。でも“誰かに”殺されるのなら、勇気もクソもない。ただ少し痛むくらいで、すぐ楽になれるのに。
「相棒っ、」
「──相棒? ああ、千冬、かぁ……あいぼう、あいぼうって、なんだっけ」
もう自分でもなにを言ってるのか分からない。
「もう、殺して。死にたいの。生きてる意味がわからないの。私が嫌いだったんでしょ? 邪魔だったんでしょ? 憎かったんでしょ? なら殺して。私を殺して、ころして、ころしてよ」
もはやうわ言のように繰り返して、私はふらりと女の方へ近寄った。彼女を守ろうとする人は、もう誰もいなかった。ひどく怯えた様子の彼女に、一本のナイフを握らせる。ひっ、と小さく悲鳴を上げたのが分かったけれど、そんなのもすべて無視して。
「さ、早く」
「な、ぁ、なに、なに、ぇ、?」
「そのナイフで私の首を切って」
ぐ、と彼女にさらに近づき、カタカタと小刻みに震えるナイフに首をあてた。ぷつ、と皮膚が切れる感覚に、思わず笑みがこぼれてしまう。ああ、やっと死ねる。やっと楽になれる。そう思った。だけど。
「やめろ!!」
ばしっ、とナイフが弾かれ、飛んで、そして地面に転がり落ちた。目の前にいた彼女は腰をぬかしたのか崩れるように倒れ込み、私を見上げたまま、声も出ないようで、ただ怯え、震え、泣いていた。
「どうして?」
口から出たのはそれだけだった。私は──マイキーくんを見つめた。
「っ、ごめんたけみっち! ごめん、ごめんっ」
「ねえ、どうして? どうして止めるの? 私死にたい。もう生きてたくない。だってあなたたちが言ったのに。生きる価値なんてない、って」
そうだ。あの日、あのとき、私は確かに覚えている。
“お前みたいなやつ、生きてる価値ねぇよ”
その瞬間、私の中のすべてが音を立てて崩れ落ちたような気がした。
「ねえお願いよ。ころして、私をころして」
「あ、ごめ、ごめん、ごめん、ごめんっ」
何度も何度も謝るマイキーくんは、ぎゅう、と強く、私を抱きしめた。それを皮切りに、次々とこちらに駆け寄ってくる人たち。マイキーくんと同じく、ドラケンくん、三ツ谷くん、千冬、場地くん、一虎くんも、八戒も、みんなが私を抱きしめるように。
「どうして、ころしてくれないの」
小さな呟きは、誰にも拾われることなく、気づいたときには、いつの間にか自分の部屋にいた。どうやって戻ってきたのか、あのあとどうなったのかも分からないままだった。
────────────
「それ、やめて」
「え……?」
「相棒、っていうの、もうやめて。たけみっちっていうの、もうやめて」
言われるたびに、呼ばれるたびに、頭がひどく痛むのだ。それは私じゃない。私じゃないのだから。
「私は、もうあなたの相棒じゃない。メンバーじゃない。だから、やめて」
もう疲れたの。ハッピーエンドの代償がこれだなんて、あまりにも残酷すぎる結末。私が何をしたの。なにをしたっていうの。ねえ、神様──?
「やっぱ、許せねぇ、よな……」
泣きそうな顔をして、彼は言う。そんな資格、あなたには、ううん、あなたたちには、あるはずもないのに。
「許すとか、許さないとかじゃ、ない。どうでもいい。なにもかも、どうでもいいの」
ただ、ただ、疲れた。果てしのないループ。鳥かごに囚われているような感覚だった。挙げ句の果てに、この有りさま。私の頭は、もはや思考停止の状態だった。