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虚空教という宗教をご存知でしょうか?
それはこの世の原初である虚空に想いを馳せ、欲の決して無い、強き人間になるための教えです。
まず虚空とは何か。
虚空とは、全ての始まり。万物に平等に存在する〝0〟というボーダーライン。つまり虚空とは〝無〟を指します。
人間が赤ん坊として産まれ、物心がつき、意識を獲得するまで、我々の魂はどこにあったのでしょうか?宇宙がビッグバンにより誕生するまで、この世は何で満ちていたのでしょうか? そう、虚空なのです。
情報や物で飽和する現代。その圧倒的な情報量に押し潰され、自分の立ち位置が分からなくなってしまった結果、心を病める者、傷つく者のなんと多いことでしょうか!
しかし、原初に思いを馳せてください。人間は生きるために狩りをし、飯を食らい、寝る。それだけだったはずです。心を病むまでもなく、生きるか死ぬか漠然としたそれだけの世界。シンプルで、強き者の時代。しかし、それは今も変わっていません。溢れてしまった情報量に惑わされないでください。貴方の立ち位置は原初の時代から何も変わらず、ずっと虚空の上にあるのです。
そう、我々は元々持たざる者、何も無き者。もし貴方がこれから悲しむことがあったとしたら、それは全て、貴方が贅沢だからです。高望みをしているからです。ハードルを高く据えているからです。どうか忘れないでください、我々の立ち位置を。
我々には失うものなど無いのです。何故ならば、元々何も持っていなかったのだから。
「我々は”虚空”という絶対的存在の上で生に縋り付いているのです。底が見えない水の中で必死に足掻いたって、いくら神々に願ったって虚空からは逃げれません。あなたの人生が、我らの人生が、”無”に還るその時まで傍に居続けます。ずっと、永久に。
けれど、恐れないで。あなたのその感情も虚空があってこそなのです。」
青年は微笑んだ。墨を垂らしたような真っ黒い夜空にまんまるい満月が浮かんでいる。淡い月明かりに縁取られた深紫が小さく揺れた。冷ややかな夜風が辺りを攫い、木々が連鎖するように枝を揺らした。
「まァつまり何が言いたいかというと。我らが生きる性から開放されるその時まで、虚空教はあなた方を歓迎します。無知を、どうか恐れないで。」
両手を広げながら「簡単なことでしょう?」と問いかける青年の姿に、我らは感銘を受けたのかもしれない。ほぅ、と誰かの息が漏れたと同時、青年を囲むように並んだ群衆の中で拍手が起こった。
夜の空に響く、乾いた音。それを筆頭として連鎖するようにまた一人と手を叩き始め、耳が劈くような拍手喝采の嵐を受けても尚青年は薄っぺらい笑みを浮かべていた。嗚呼、彼は、我らを救ってくれる存在なのかもしれない。群衆の中で男は思った。虚空教に入信すれば、もしかしたら。
「入信します」
男がそう声を上げると、ぱちり、青年と目が会った。慈悲深く、それでいて愉快そうに目を細めた青年は、「ようこそ、虚空教へ。」と呟いた。
一年ほど前に書いたボツです