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その室内は深淵よりも真っ暗だ。
部屋には窓がないため、太陽の陽射しすら入り込めない。
だからこその黒一色だ。
完全なる静寂も、不気味さを助長させる。
誰もいないのなら埃が舞うはずもないのだが、二つの理由で空気が揺れた。
「黒婆様、オルトリンデです」
扉が開かれたことで、室内の空気が循環される。
さらには女の声。落ち着いた声質は事務的ながらも、この部屋の主に対して敬意を表している証拠だ。
入室者に対して、暗闇が反応を示す。
「眩しいねえ」
かすれた声は老婆のそれだ。
文句のような発言が返ってこようと、女は平然と言ってのける。
「そうですか? あ、閉めなくても良いですよね?」
今はまだ日中ゆえ、隣室は明るい。
その結果、扉の開閉が光をもたらすも、家主は不満をこぼす。
闇の中には、腰の折れた老人が一人。長い黒髪には白髪が混ざっており、着ている服は喪服のような黒一色だ。
長い時代を生き抜いた証拠として、顔の皮は伸びきっている。
見た目こそ小柄な老婆ながら、内なる野心は誰よりも深い。
「好きにしな」
彼女の左目は魔眼だ。黒目の内側、その外周部分に赤線の円が浮き上がっている。
右の眼球は白く濁っており、一切の光を映さない。
呆れるように顔を歪ませる老婆を前にして、訪れた魔女が顔を傾ける。
「任務ですか?」
「退屈しておったろう? ぬしらの出番じゃ」
正座のまま、老婆は石像のように動かない。
対照的に、もう一人の魔女は直立の姿勢をわずかに崩す。
「私と妹ですか? それとも……」
「渡り鳥に出向いてもらう」
それは、オルトリンデと名乗ったこの魔女を含む四人のチーム名だ。
少数過ぎる部隊ながらも、この老婆は高く評価している。
呼ばれた理由を理解したことから、オルトリンデは前のめりだ。
「かしこまりました。次の相手は?」
今日は朝から鍛錬に励んでいたため、その服装はラフな上、あちこちが汚れている。
頭髪は白く、顔のラインをなぞるようなボブカットだ。
当然のようにその両眼は魔眼であり、この老婆に呼ばれたこととは無関係に表情の変化は乏しい。
二十代半ばながらも半袖短パンが似合う理由は、体が引き締まっているためか。
オルトリンデ。渡り鳥のリーダーであり、だからこそこの部屋に呼ばれている。
「そろそろ南の経路を開拓したくてね。王国を攻め落とすとなると、万全を期しても罰は当たらんはずじゃ、カカカ」
この魔女達の標的はイダンリネア王国。そのために結成された部隊の一つが渡り鳥だ。
薄暗い室内で小さく息を吐くと、オルトリンデが眉をひそめる。
「南、ですか? ゴミが一度は攻め落としたジレット監視哨の方が、インパクトはありそうな……」
「五十三番ですら、相手が王国軍ならば圧倒出来た。おぬしらなら、さらに楽勝じゃろう。じゃがな、今回の目的は、別経路の開拓とそのための掃除じゃ」
五十三番。おおよそ半年前にジレット監視哨を襲撃した六人組の魔女だ。
マーク率いる第四先制部隊をあっさりと壊滅させるも、駆け付けた傭兵によって返り討ちにあう。
オルトリンデは彼女らをゴミと呼ぶも、その理由は明快だ。
気晴らしにいじめていた。
この世界には回復魔法が存在するため、容赦のない暴力は一層悲惨だ。
五十三番の五人は脳が壊れかけるほどの虐待を晒され、ついには痛覚を手放してしまう。
残念ながら、抗うことは出来ない。それほどに実力差がひらいており、反撃という選択肢を思い浮かべることすら不可能だ。
なお、五十三番の六人目はいじめられていない。彼女は加害者側であり、渡り鳥でありながら監視役として五十三番にも所属していた。
「南側の掃除? 申し訳ありません、意味がわからないのですが……」
オルトリンデの視線が、老婆から天井へ向けられる。
王国はコンティティ大陸の最東部に位置しており、攻め込む場合、進路は限られてしまう。
大陸の北部を経由する北ルート。
山脈と渓谷を越える南ルート。
どちらが楽かと言えば、当然ながら南だ。
なぜなら、北側には王国軍の軍事拠点が複数存在する。突破の際は戦闘が避けられない。
一方で、南側は無防備だ。
その背景には、巨人族が絡んでいる。
この魔物は大陸の遥か西から現れるも、決まって北ルートをなぞる。知能があるのだから裏を突こうとするはずだが、千年の間でそういった事例はほとんど見受けられない。
ゆえに、王国は北側だけを警戒すればよい。
そのための軍事基地がジレット監視哨であり、アダラマ監視哨だ。もう一つあったのだが、今は放棄されている。
「カカカ、敵は王国だけではないということじゃ」
「あ、そういう……」
幽霊のような老婆の発言が、オルトリンデを納得させる。
イダンリネア王国の壊滅。これこそが、彼女らの宿願だ。
「北の連中は、五十三番で落とした。もっとも、半数は王国に逃げ込まれてしもうたが、問題はあるまい。じゃから次は、南ということじゃ」
「魔眼の所有者が、そんなところにも……。仲間に誘えないんですか?」
「無理じゃ。連中は王国と繋がっておる。迫害されながらも、生き延びるためにぬけぬけと……」
呆れるように。
あるいは、怒るようにしわしわな顔を歪ませる。
魔女という存在は、魔物として殺され続けた。イダンリネア王国が魔眼の女性をそう決めつけたからであり、血塗られた歴史は覆せない。
光流暦千十七年の一月に発表された人間宣言により、歪曲された情報は正されるも、恨みつらみが解消されるかどうかは別問題だ。
魔女。人間でありながら、王国にその命を狙われ続けた女性達。
その派閥は三つに分かれている。
迷いの森に隠れ住み、ハクアが束ねる王国派。
既に故郷を滅ぼされたが、かつてはレベレーシ高原の山脈で暮らしていた中立派。
そして、この魔女達。
「王国に尻尾を振っている、と言うことですか。不快な連中ですね」
「おぬしの言う通りじゃ。肉親を殺されようと、友を燃やされようと、王国と戦おうとはしない。牙を抜かれた連中じゃ」
老婆の発言は、満点とは言い難い。
細かな違いを知らないだけとも言えるのだが、ハクアがイダンリネア王国と繋がっていることは正しい。
一方で、中立派は王国を含む他の誰とも関わろうとはしなかった。
もちろん、城下町へスパイを潜ませてはいたが、それは情報収集や物資を確保するためであり、それ以上でもそれ以下でもない。
例外は、エルディア・リンゼーという武器屋の娘だ。
この人物は傭兵でありながら、二十二歳の時にその瞳が魔眼へ変化してしまう。母親がそうであるがゆえにその才能を持ち合わせていたのだが、魔眼を覚醒させる魔眼によって、後天的に魔女の仲間入りを果たす。
エルディアは自身の境遇を嘆くことなく、母親の待つ集落へ移り住むも、五十三番を名乗る襲撃者によって第二の故郷は壊された。
その後は生存者を率いて城下町に避難するも、その際に彼女は武器屋の娘として父親に迎えられる。
女王による人間宣言が、魔女の移住を成立させた。
「そんな奴らは、確かに生きる価値無し、ですね。居場所はどこですか?」
左足に重心を傾けながら、オルトリンデが問う。その際に、白髪が頬をそっと撫でるも、魔眼は正面を向いたままだ。
北の魔女は排除済み。この成果によって、北側から攻めた際に、背後を気にする必要がなくなった。
ゆえに、次は南側だ。王国という本命を落とすためにも、先ずは邪魔者を一掃せねばならない。
「ミファレト荒野の南西に森があるじゃろう。そこじゃ」
「あんなところに? そんな広かったかな……」
「あそこは案外広いんじゃ。測量が出来んような仕組みが作用しておるから、わえらが持ってる地図の方が間違っておる」
老婆の言う通り、迷いの森は特別だ。
特殊な結界が張られており、それが侵入者の方向感覚を狂わせ、たちまち森の外へ排出させる。
扉からしか光が差し込まない部屋の中で、オルトリンデは一瞬の思案と共に口を開く。
「敵の数は?」
「わからん。五百以上と思っておけば、問題はないはずじゃ。カカカ」
「その程度なら、私とモカで事足りますね。タイガーとティットスはどう配置しよう……」
この魔女が発した固有名詞は、渡り鳥の構成員だ。
それぞれが一騎当千の強者であり、戦闘系統や魔眼の能力はバラバラながら、だからこそチームとして機能している。
「王国軍よりは手ごわいじゃろう、気を抜くでないぞ」
「さっき言ってた、測量うんぬんという部分で、私達に実害は?」
「そちらについても問題ない。あれは魔女には通用せんからのう」
この老婆は見抜いている。
結界の仕様を。
ハクアの居場所を。
だからこそ、優秀な部下を襲撃に向かわせる。
静かに笑う老人の腕は、木の枝のように細い。皮と骨しかないからだが、その表情は心底楽しそうだ。
その姿を眺めながら、オルトリンデが平然と尋ねる。
「そいつらを全員殺した後は?」
「長居は避けた方が良い。王国軍だけでなく、傭兵連中も駆け付けるかもしれん」
「なるほど。ですが、私達なら返り討ちに出来ますが?」
「まぁ、そうじゃろうな。五十三番ですらやってのけたしのう、おぬしらなら余裕か。好きにせい」
「黒婆様がそうおっしゃってたと、三人にも伝えておきます」
質疑応答は完了だ。
そうであると裏付けるように、張り詰めた空気がいくらか和らぐ。
渡り鳥。現時点における、この地の最大戦力。
だからこそ、惜しむことなく迷いの森へ向かわせる。
四人の勝利は確実だ。
そう思っているかどうかは定かではないが、褒美をちらつかせることを忘れてはいない。
「ぬしらの親が殺されて、十八年。いや、そろそろ十九年か。王国に攻め入る際は、優先して暴れる機会を作ってやろう。そのためにも、先ずは目先の仕事を片付けよ」
「承知しています。以上でしたら、私は失礼します」
「吉報を待っておるぞ。カカカ」
結果はわかりきっている。
だからこそ、老婆は笑わずにはいられない。
部下が去り際に扉を閉めたことから、室内から光が完全に消え去る。
その暗さは、闇よりも深い黒色だ。人形のような笑い声が、いつまでも響く。
「三百年、かかりました。この世代を使って、あなた様から奪ってみせましょう、全てを……」
老婆はつぶやく。
それは決意表明であり、生きる理由そのものだ。
三百年という年月に、嘘偽りはない。運命のいたずらと言う他ないのだが、この女もまた、長寿を可能とする天技を会得してしまった。
「お会いしとうございます、ハクア様……」
もはや狂っている。
長すぎる人生と三百年前の邂逅が、彼女の精神を歪ませてしまった。
老婆の名前はマヨナイ。見た目は八十歳かそれ以上。折れ曲がった背中と細すぎる手足ではが、歩行が困難に思えるも、そうでないことを里の者達は知っている。
ここは、イダンリネア王国から遥か彼方の僻地だ。迷いの森とは異なる結界が、何人たりとも寄せ付けない。
渡り鳥の派遣が、次なる災いを呼び込む。そこに慈悲はなく、流れる血は大量だ。
白く濁った右目は、何を見ているのか?
左の魔眼は、何を見たがっているのか?
闇の中に、真っ黒な老婆が座っている。
本来ならば、人間同士で争っている場合ではない。その事実に誰よりも気づいていながら、それでも復讐の炎に身を焦がしてしまう。
人間とはそういうものだ。たかだか三百年程度では、過去を忘れることなど出来ない。
老婆の号令が、新たな戦争を産み落とす。
ハクア率いる魔女。
マヨナイ率いる魔女。
二つの勢力が、迷いの森で激突する。
殺すか、殺されるか。
その地は戦場ゆえ、どちらかしか生き残れない。