テラーノベル
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「まだ立つか。面白い」
「そっちこそ、余裕ぶってて大丈夫?」
互いに一歩も引かずにじりじりと間合いを詰めていく。
砂を踏みしめる音さえ、もはや合図の一部だ。肩で息をしながら私は剣先をわずかに下げて構えを整える。
ルトリエは対照的に、まるで散歩の途中で足を止めたかのような自然さで黒い剣を持ち上げた。
距離が詰まる。
互いの呼吸が風に混じって届くところまで。そこから、あと一歩。
その一歩を踏み込む手前でルトリエの黒い剣が横薙ぎに走った。
大地ごと薙ぎ払うような真正面から受ければ身体ごと両断される一撃だ。黒い軌跡が空間を削り、遅れて地面が音を立てて割れる。
それを真正面から踏み込んで受けた。
風竜の剣と黒い剣がぶつかり合う。刀身同士の境界線が分からなくなるほどの至近距離で火花が弾けた瞬間、世界が軋んだように感じた。
金属と金属が噛み合う高音が耳を叩いて腕の骨まで震えが伝わる。
私の骨が一斉に悲鳴を上げた。両腕はもちろん、肩や腰、足首に至るまで、関節という関節が全部、逆方向にねじり上げられているような感覚だ。
それでも――足を止めない。
足裏に力を込め、割れた大地を踏みしめて、押し込まれながらも一歩、さらに前へと出る。
ルトリエの目が、ほんのわずかに細められた。
それは剣戟の衝撃から目を守るためではない。意外を押し殺したときの、わずかな表情の揺れだと肌で分かる。
「その体で……そこまで前に出るか。何がお前をそこまで駆り立てる?」
「私を待っている人がいる。それに言ったでしょ、私は諦めが悪いって」
剣と剣が軋み合う状態のまま、私は左手の力を抜いて柄から放した。
重心がほんの少しだけぶれ、その瞬間にかかった圧力の配分が変わる。
空いた左手を迷いなくルトリエの胸元へと伸ばした。
指先が布と肌を掴んだ瞬間、手のひらから闇が逆流してきた。
ぬるり、とした冷たさと焼け鉄を押し付けられたような熱が同時に骨の髄へ突き刺さる。
指の一本一本が内側から炭化していくような痛みだ。
痛みを無視して指を食い込ませて布地の奥にある筋肉ごと鷲掴みにして、ぐっと引き寄せる。
互いの腹がぶつかるほどの距離。
防具と防具がきしみ、胸と胸が押し合い、顔と顔が鼻先をこすり合わせるような、ほとんどゼロ距離まで近づいた。ルトリエの吐息が皮膚に直接触れる。
闇の圧力が正面から叩きつけられてくる。
ルトリエが黒い剣を一度引き、今度は突きで貫こうとする気配が伝わってきた。
この距離なら避けることはできない。刺し、広げ、内側から私をバラバラにするつもりだろう。
――ここだ。刹那、黒い剣が私の胸を貫いた。
心臓の少し横。生への本能が、ぎりぎり即死しないラインを決めた。
肺と肋骨と、胸の中に収まっているものを全部、まとめて一気に貫通させられた。
視界が一瞬、真っ白になる。
高熱と極寒を同時に流し込まれたような感覚に頭がついていかず、理解できない世界が私を覆う。
剣を握る力すら指先から抜け落ちるのが分かった。
手の中の重みが消え、カラン、と風竜の剣が荒野の上に落ちる乾いた音が遅れて鼓膜を震わせる。
戦うための意思だけが崩れる身体を内側からむりやり突き動かす。
胸の奥底で心臓が無理やり鼓動を刻み続けているのが分かる。
体の奥底から魔力をかき集める。
もはや筋肉を動かす余力もない。残っている力を全部、上半身に、首に、歯にまで注ぎ込んだ。
口を開き、眼前にあるルトリエの首へ食らいつく。
歯が肉を捕えて骨の感触に届くまで、ためらいなく噛み込む。
ルトリエの目が初めて大きく見開かれた。
ぶち、と何かが千切れる手応え。筋と血管と肉が一度に引き裂かれ、その全てが温かい血と共に口内へ溢れ込んでくる。
喉の奥に生臭さが張り付いて肺にまで血の匂いが流れ込んだ。
使えるものは何でも使う。それが私の原点であり本来の戦い方だ。
美しくも格好良くもない。ただ戦うためだけの、泥臭い一手。
「そこまでするか……」
耳に入ってきたルトリエの声に返す言葉すら、もう喉に引っかかって出てこなかった。
声を出そうと息を吸うたび、胸の穴から空気が抜けていく。
意識を保つことだけで精一杯だ。この状態で他の何かをしようとすれば一瞬で暗闇に引きずり込まれると本能が告げていた。
次の瞬間、ルトリエの手から黒い剣が離れた。
ルトリエが半歩、後ろに下がろうとして――足が大地を掴み損ね、そのままがくりと膝をついた。
支配者のように地面を見下ろしていた姿はもうなく、彼女の身体が初めて重力に引かれて揺らぐ。
私も同時に崩れ落ちる。
胸に突き刺さっていた黒い剣が、自重に引かれるようにしてずるりと抜けた。
刃が肉と骨の隙間をこそげ取るように通り抜けていく感覚と共に、体の奥から何か大切なものまで引きずり出されていくような喪失感が走る。
地面に手をつこうとする。けれど、うまく力が入らない。
指先が土に触れているはずなのに、その感覚さえ曖昧だった。体が自分のものじゃないみたいに重い。
視界の端で、ルトリエがゆっくりとこちらに顔を向ける。
さっきまで当然のように浮かべていた余裕は剥がれ落ちている。それでも、その目の奥には、どこか楽しげで満足した光が確かに宿っていた。
「……見事だ。ここまで、やるとはな」
息の合間を縫うように、言葉が途切れ途切れ零れ落ちる。
首筋からは、黒い煙が絶え間なく漏れ出していた。まるでそこから彼女という存在そのものが崩れ始めているかのように。
「この総力戦を、たった一人で終わらせる者がいるとは……神々も、退屈せずに済むだろう。お主なら……妾を、このくそったれの監獄から出せるやもしれんな」
「囚われてるんだね」
自分でも驚くほど、かすれた声が喉から絞り出された。
胸を震わせただけでも傷が開きそうで、ほんの一言ですら肺の奥を刃でなぞられるような痛みを伴う。
「ふ……楽しかったぞ。次は――分身体ではなく本体で合間見えよう」
聞き捨てならない言葉と共に、ルトリエの体が崩れ始めた。
まずは大きく広がっていた翼が、砂を崩したように外側から崩れていく。
羽根の一枚一枚が闇の欠片となって剥がれ落ち、風に溶けて消える。
続いて腕、胸、腹部と、輪郭が順番に崩壊していく。
灰と砂と闇をないまぜにしたような粒が、ぽろぽろと剥がれ落ちて足元に積もる間もなく風にさらわれていった。
最後に残った顔の輪郭が、完全に崩れ落ちる寸前、わずかに口が動いた。
「その時まで死んでくれるなよ。これは妾の分身体を屠った褒美だ」
その一言を最後に、ルトリエという存在は完全に形を失った。
その場に残されたのは、巨大な闇を無理やり握り固めたかのような濃密な闇の魔力を放つ黒い球体だけだった。
重力さえ歪めそうなほどの圧と冷たさを放ちながら、ふわりと宙に浮かんでいる。
同時に、視界の中に赤いウィンドウが滲むように浮かび上がった。
『プレイヤー陣営:一人。モンスター陣営:全滅』
『総力戦階層〈31層〜44層〉の攻略を確認しました』
『称号:一人軍隊を獲得しました』
『神々が貴女の狂ったように剣を振るう姿と鬼神の如く戦う姿を見て二つ名:【剣鬼】を授けます』
文字が、じわりと滲んでいく。
読もうとしているのに視界の中で赤い線が揺らぎ、文面が水に溶けるインクみたいに形を保ってくれない。
脳が正しく内容を拾い上げる前に、意識の方が先に揺らいでいた。
(……終わった、のか)
ゆっくりと、胸の中で何かが冷えていくのが分かる。
さっきまで火事場のように燃え上がっていた感情も、戦意も、ほんの少しずつ鎮火していく。
息を吸おうとしても、肺に空気が入ってこない。
代わりに喉元まで血がこみ上げてきた。
息を吸うたび、胸の中で生暖かい液体が揺れる感覚がある。その一部が逆流して口の端から零れ落ちた。
こぼれた血が頬を伝い、顎を伝い、ぽたりと地面に落ちる。
荒野の土が音もなくそれを飲み込んだ。
視界の隅には、さっきまでの戦場が広がっている。
山のように積み上がった死体の群れ。斬り裂かれえぐり取られた大地。焦げたような匂いと血の匂い。
その中心で私は仰向けに倒れ込んでいた。
(ここで……終わり、か)
一瞬だけ、そんな考えが脳裏を掠める。
その考えは体のどこかに安堵の色さえ含んでいた。もう動かなくていい、という甘い誘惑が痛みの隙間から忍び寄ってくる。
けれど、その甘さをすぐに自分で叩き潰す。
(まだだ。まだ、終われない)
沙耶の顔、皆の顔が脳裏に浮かぶ。眠そうな目で私を起こしに来る顔。
文句を言いながら毛布を剥がしにくる手つき。なんだかんだで、隣にいることが当たり前になっていた背中。
――もう一度会うまでは。
どれだけ致命傷を負おうと、ここで終わるわけにはいかない。
指先から生気が遠ざかっていく。
体の重さがふわりと消えて、胸の奥深くで、微かな温かさだけが残っていた。
その温かさを、意識のぎりぎりの淵で掴む。
指ではなく、ただ意志だけで、それを握り締めるように。
……視界の縁から色が抜けていった。
荒野も、血の匂いも、痛みさえも、すべてが遠くへ引き伸ばされていく。
輪郭がぼやけ、音が薄紙越しに聞こえるみたいに遠ざかる。
最後に見えたのは、ルトリエが残した黒い球体が私の口元にゆっくりと近づいてくるところで意識が途切れた。
『【塵骸の女王の庇護】を獲得しました』
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