それは、突然の出来事だった。
手料理を振舞ってからひと月程が過ぎたある日、偶然帰りが同じになりアパートの共同玄関で鉢合わせた時、彼はいつになく真剣な顔で「頼みがある」と口にした。
「どうかしたの?」
そんな事を言われるなんてと驚いた私は首を傾げて彼に問いかけたのだけど、よく見てみると彼の表情は心なしか青ざめている気がする。
「……具合が……」
そう言いかけた小谷くんは立っているのが辛いのか、壁に手をついて身体を支えながら弱々しく言葉を口にしていく。
「ちょっと、大丈夫!?」
私は彼に近付き額に手を伸ばすと、驚く程に熱かった。
「すごい熱じゃない!?」
「……ああ、ちょっとな……その、悪いけど、風邪薬を……持ってたら分けて欲しい……」
話すのも辛いのか、途切れ途切れになっていく言葉。
「風邪薬? ごめん、私持ってない」
「……そうか」
私は結構身体が丈夫な方だから薬を持っていなくて、その返答に小谷くんはがっかりした様子を見せると、何を思ったかふらついた身体で引き返し再びアパートを出ようとする。
「ちょっと! どこ行くの? 薬なら私が買ってくるよ! だから小谷くんはすぐに部屋で横になって!」
流石に有り得ないと私は少しキツめに言うと余程辛いのだろう、彼は素直に従った。
「……悪い、頼む」
力なく口にした彼の身体を支えながら何とか階段を昇り、鍵を開けて彼の部屋に入る。
そして彼が着替えている間に畳んで隅に置かれていた布団を敷き、
「それじゃあ買い物行ってくるから。鍵、借りるね」
「ああ」
頼まれた風邪薬を買いにアパートを後にした。
一人暮らしの時、体調を崩すと大変だとこの時初めて思った。
ドラッグストアで風邪薬を買った私は、ついでにスーパーにも寄った。
薬を飲むにしても何かご飯を食べさせてからでないといけないからだ。
(おかゆなら、食べられるかな?)
玉子粥にしようと玉子やら飲み物、それからヨーグルトやゼリーなども買い、私は急いでアパートへ戻った。
「お邪魔します」
小さな声で小谷くんの部屋に入ると彼は眠っていたので、なるべく起こさないように準備に取り掛かり、静かにお粥作りを開始した。
調理を始めて暫くすると、物音のせいか、小谷くんが目を覚ましてしまう。
「あ、ごめん、うるさかった? 」
「いや、自然に目が覚めただけ」
「そっか。あの、キッチン勝手に借りちゃった。お粥作ったんだけど、食べれそう?」
「……食う」
まだ辛そうだけど食欲はあるようで、一言そう呟いたのを確認した私は安堵した。
「はい、どうぞ」
鍋からお皿にお粥をよそった私はスプーンと共に小谷くんに手渡すと、
「……どうも」
それを受け取った小谷くんは黙々と食べ始める。
熱いのが苦手なのか、時折フーッと冷ましながら平らげていく。
(食欲あるなら良かった)
そう思いながら、ゼリーやヨーグルトも買ってきていた事を思い出した私は、
「そうそう、ゼリーとヨーグルトも買ってきたから、良かったら後で食べてね」
忘れない内に伝えると、
「ゼリー、食いたい」
いつの間にかお粥を食べ終えていた小谷くんが台所の片付けをしていた私にそう言った。
「そっか、分かった」
冷蔵庫からオレンジのゼリーを取り出した私が小さなスプーンと共に彼に手渡すと、嬉しそうな表情で受け取ってお粥の時同様黙々と食べ始めた。
(ゼリー、好きなのかな)
そんな少し子供っぽい彼の表情を目の当たりにした私は、何だか微笑ましく思えて思わず笑みがこぼれた。
彼がゼリーを食べ終えたのを見計らってお水の入ったコップと買ってきた風邪薬を手渡すと、何故か小谷くんの動きが止まる。
「……錠剤じゃねぇんだ……」
「ん? あれ? それじゃ駄目だった?」
普段、薬を飲まない私がたまに飲む時もあり、家にはいつも粉薬が常備されていたから薬といえば粉薬だと思っていたのだけど、
「……粉、苦手なんだよな」
どうやら彼は粉薬が苦手の様で、ポツリと呟いた後、暫く薬とにらめっこ状態。
その状態は五分くらい続いただろうか。ようやく決心したらしい小谷くんは粉薬を一気に口へ入れると、眉間に皺を寄せながらコップの水で流し込んでいた。
(本当、子供みたい)
普段、無愛想で少し怖い感じの彼だけど、この姿を見てしまうとなんだか憎めない。
「……何笑ってんの」
どうやらまた口元が緩んでいたようで、小谷くんは少し顔を赤くしながら睨みつけてくる。
「ご、ごめんね、つい……」
「…………ッチ」
謝る私に舌打ちをした彼は早々に布団に潜り込んでしまったのだけど、怒っているというよりは恥ずかしさを隠しているといった感じだった。
食器を洗い、一通りの片付けが済んだ私は彼の様子を覗き見ると、薬が効いているのか眠っていた。
私は自分の電話番号と『何かあったらいつでも連絡ください。一晩鍵は預かっておきます』という書き置きを彼の枕元に置いて部屋を出て自分の部屋へと戻ったのだけど、その夜は呼び出される事もなく、翌朝様子を見に行くと熱も下がったのか小谷くんは顔色もよくなり大学もバイトも普通に出たのだった。
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