最後は、報われて欲しい男No.1若様視点です。
某日、都内五つ星ホテルのエントランスで俺は、もうこれベッドじゃん、って大きさのソファに座り、行き交う人々を眺めていた。
昨日の夜仕事終わりにいきなり、明日ここに13時ね、とこのホテルの名前が手書きされた紙を渡されて、詳細も何もわからないままに取り敢えずギターを持って来たわけですが。
入り口からして、本当にここ? なんで? と腰が引けるような高級ホテルだ。ツアーでも泊まったことないし、ロケ先でも泊まったことのないラグジュアリーな空間に、ギターを傍らに置いて座る俺は当然のように浮いていた。
とはいえさすが五つ星ホテルと言うべきか、誰も俺を奇異な目で見ることはなく、ドアマンをはじめとしたホテリエも己の職務を全うしている。
いつも送迎をしてくれるマネージャーもここで待機するように俺に伝えたあと、なんの説明もないままどこかに行ってしまった。正直かなり心細い。
タスケテ、と声に出さずそわそわしていると、ゆっくりと近づいて来たホテリエの女性がにこやかに俺に話し掛けた。
「若井様でお間違いないでしょうか?」
「あ、はい、若井です」
「お待たせいたしました、ご案内いたします」
結局何もわからないけれど、ついて行くしかないようだ。
ホテリエさんに先導され、エレベーターに乗り込む。緊張する俺にやわらかく微笑み、大森様より御衣装を預かっております、と告げた。
何も聞かされていない俺は、はぁ、と気の抜けた言葉を返すことしかできなかったが、ホテリエさんは気にすることなく開いたドアを片手で押さえながら俺に頭を下げた。
「お待ちしておりました。お荷物をお預かりしてもよろしいでしょうか?」
扉の前に控えていた別のスタッフさんが、完璧な笑顔で俺に伺いを立てる。丁寧な対応に緊張するしかない俺は、ろくに返事もできないまま肩に掛けていたギターを手渡した。
慎重に受け取ったスタッフさんに、あちらへどうぞと言われ、またまた違うスタッフさんに出迎えららる。やたらふかふかのスリッパに履き替えたあと、更衣室へと案内された。
何が何だかわからない、誰でもいいから説明してくれ、と心の中で叫びながら、こちらにお着替えをお願いします、と壁に掛けられた衣装を手で示される。
終わりましたらお声がけください、とカーテンを閉めたスタッフさんに軽く会釈をして、まじまじと衣装を見た。
白よりはクリーム色に近い色のスリピースのスーツで、雑誌の撮影で元貴が前に着ていたものとよく似た正装だった。
しばらく茫然としていたが、外でスタッフさんが待っている気配を感じ、考えるのをやめて着替え始めた。
突拍子のないことを稀によくやる元貴だけど、ここまで何も言われないのは初めてだった。文句のひとつも言いたいところだけど、何か考えがあるのだろうと信頼しているから取り敢えず飲み込む。
「お疲れ様でした。お洋服で何か違和感はございませんか?」
「大丈夫、です」
むしろフィットしすぎててこわいくらいだ。
「では、ヘアメイクの準備をいたします」
MVの撮影だとしても、ここまでの場所を借りることはない。なにか賞でも受賞したのだろうか、と言いたくなるような豪華さだ。
細かい指示は元貴からされているらしく、手間取ることなく衣装にマッチしたメイクとヘアセットをしてもらう。
最後に革靴を手渡され、ふかふかスリッパから靴に履き替えた。これもまた驚くくらいピッタリだった。
「それでは、いってらっしゃいませ」
「佳い日となりますように」
恭しく頭を下げてくれるスタッフさんに、ありがとうございました、とお礼を述べる。
エレベーターの前に待っていたのはうちのマネージャーで、見知った顔に安堵と一緒に不安からくる怒りを覚えた。
その感情のままに、お疲れ様ですと笑顔で挨拶をするマネージャーに、刺々しい声音で問い掛ける。
「なんなのこれ」
「さすが大森さんの見立てですね、よく似合ってます」
「答えになってないし……」
敵しかいないのか? みんなして魔王の手先なの?
ムスッとする俺にマネージャーは薄く笑う。嬉しそうで楽しそうな笑顔に、苛立ちがゆっくりと冷めていく。もういいか、行けば分かるか、と諦めた溜息を吐いて肩をすくめた。
音もなく、静かにエレベーターは上昇する。
少し前、俺たちを揺るがした例の事件は無事に終息し、元貴と涼ちゃんも元鞘におさまった。暫くは大企業の社長の逮捕とその娘の違法行為とあって連日ニュースになっていたけれど、事務所が盾となってくれたおかげで俺たちに影響はなかった。Mrs.って単語が少しでも出たらもう少し話題になっただろうが、人の興味は移ろいやすく、時間と共に風化しつつある。
あのときは、元貴が何かをしていることだけは分かっていたけれど、スタッフも俺もずっと難しい顔をしていたし、いつも笑顔の涼ちゃんが苦しそうで、それが一番きつかった。
元貴と二人で話してからは、元貴の方に涼ちゃんを手放す気はないと理解していても、涼ちゃんの心が壊れてしまうんじゃないかってヒヤヒヤしていた。
俺にできることなんてたかが知れている。少しだけ長く一緒にいて、食べようとしない涼ちゃんになんとかご飯を食べさせて、元貴に嫉妬されても嫌だからご飯を食べる涼ちゃんを写真で撮って、早く終わらせろって祈りを込めてエールを送って。
だからあの日、涼ちゃんに掛けた電話に元貴が出たときは心底安心した。今日は夕飯一緒に行かなくていいよ、ってだけ連絡が来てたから家に帰したけど、連絡がなくて心配していたから。
電話で元貴に宣戦布告した言葉は冗談ではない。もしも次同じようなことが起きたら、そのときは俺が涼ちゃんを奪い去るっていうのは本気だ。
涼ちゃんには笑っていて欲しい。たとえこの感情は恋でなくとも、しあわせであって欲しいと願う気持ちだけは本物だった。
だけど、元貴が「何があっても離さない」って言ったから、今はその言葉を信じることにする。それに、二人には一緒にいて、しあわせであって欲しい。二人がしあわせそうに笑う姿を、横で見守りたい。
元の形に戻ったことに安心して、電話を切った後にちょっと泣いたのは秘密だ。
「若井さん」
「なに?」
「私、Mrs.が大好きです」
心からの笑顔に、ぱちくりと瞬く。
何を急に、と言う前にエレベーターが目的地に到着する。
ドアが開きます、の機会音声と共に扉が開き、真意を問う暇もなく背中を押された。
「お、やっぱサマになるね」
「ほんとだ、よく似合ってる」
開いた扉の先で俺を出迎えたのは、白いタキシードを着た元貴と涼ちゃんだった。
「……え、なにこれ」
「んー、結婚式?」
「は?」
元貴に右手を、涼ちゃんに左手を取られ、エスコート……いや、引っ張られるように歩き始める。
足元にはブルーカーペットが敷かれ、その左右にはうちの事務所のスタッフが勢揃いしていた。俺たちを見て嬉しそうにみんな笑っている。
言われてみればここはチャペルだ。友人の結婚式で見たことある。ってことは、今俺たちが歩いているのはバージンロードってことになるの?
……結婚式? だれの?
「え、なに? まじでなんなの?」
「だから、結婚式だってば。……まぁ結婚式より宣誓式の方が近いけど」
「は? なに!?」
元貴の言葉の意味が分からず、思わず大きい声で叫んだ俺にくすくすと二人は笑って、部屋の中央の最奥部に引っ張っていく。周囲のスタッフもおかしそうに笑っている。
笑いごとじゃないし意味がわからない。
踏ん張る俺の抵抗虚しく力の強い二人に引き摺られて祭壇の前に立たされる。講壇の奥には神父でも牧師でもなく、いつもより仕立ての良さそうなスーツを着た社長が立っていた。
「うん、揃ったね」
元貴がしきりにタヌキ親父と呼ぶ社長がにこやかに笑った。
混乱する俺の左右の手をしっかりと握ったまま、元貴と涼ちゃんがにっこりと笑った。
ライブほどではないけど綺麗にメイクをした二人の顔を交互に見る俺に社長が、落ち着きなさい、と声を掛ける。
落ち着けって? できるか!
一堂に会したスタッフ全員が、一斉に俺たちに注目する。授賞式のインタビューでもこんなに見られたことはない。ライブとは違う眼差しが落ち着かない。
「それじゃぁ、はじめようか」
社長の言葉にスタッフたちの密やかな話し声もやみ、しん、と静寂が訪れる。音楽も何もないから、本当に静かで、ここは本当に都会の中心なのかと疑うほど喧騒とは切り離された空間だった。
元貴と涼ちゃんが俺の手は握ったままに、空いている方の手をそれぞれ二人で重ねて、俺の前に立った。円陣を組むように、三人で手を繋いで、
『私たちは誓います』
元貴と涼ちゃんが同時に言う。
「どんなときも、何があっても、この手を離さないことを誓います」
涼ちゃんが噛み締めるように微笑んで言う。
「未来を見て、過去に感謝し、今ある奇跡を愛することを誓います」
元貴が俺の目を真っ直ぐに見つめて言う。
「楽しいことを三倍にして、つらいことを三で割ること誓います」
涼ちゃんが俺の顔を見て、元貴の顔を見てやわらかに笑って言う。
「揺るがない信頼と、変わることのない愛情を誓います」
元貴が幼いときから変わらない強気な笑顔を浮かべて言う。
「私、大森元貴と」
「藤澤涼架は」
元貴が俺を見て勝ち気に微笑み、涼ちゃんが俺を見て泣きそうに微笑む。
――――やめて。
『若井滉斗に永遠の友情を捧げることを誓い、私たちがしあわせであることを生涯を懸けて証明することを誓います』
泣いちゃうから。
わぁっとスタッフたちが歓声をあげ、社長が手を叩いたのを皮切りに割れんばかりの拍手が会場を包んだ。
「……泣くなって」
元貴が俺を抱き締める。
「そうだよ、メイク落ちちゃうよ。せっかく決まってるのに」
涼ちゃんも抱きついてくる。
「……ふたりも泣いてるじゃん」
二人の腕を掴みながら、俺は笑って言った。
「さ、これは私からのささやかなお祝いと迷惑を掛けたお詫びの気持ちだ」
空気を読めないと言うより読まない社長は、そう言って元貴に向かって小さな封筒を差し出した。
空気読めよ、と顔をしかめた元貴が、じと、と社長を睨んだ後、俺たちから離れて社長からそれを受け取る。
中身を取り出すと、三本の鍵が入っていた。
「事務所が買い上げたマンションの鍵だよ」
今の家を引き払って引っ越してもいいし、作業部屋として使ってもいいし、まぁ好きに使いなさい、と微笑む社長。
涙をハンカチで拭きながらチーフマネージャーが静かに近寄って、こちらが資料になります、と家の詳細が書かれた書類を元貴に手渡した。
「……すご」
三人で書類を覗き込んで、まずはその所在地に驚き、ついで間取りに軽く引く。マンションだと言っていたけれど、何人家族で住むための家なのだろうかってほどの広さがあった。
涼ちゃんが小さく驚嘆の声を出すが、俺と元貴も概ね同じ感想だ。
名義は事務所になっているから、家賃の引き落としも事務所が持ってくれるようだ。いや、買い上げたってことは家賃も発生しないか。
福利厚生の一環だとしても、あまりに豪華すぎやしないだろうか。
でも、元貴と涼ちゃんが一緒に住めば、些細なすれ違いもなくなるだろうし、元貴が変に暴走することもなくなるだろう。元貴の精神安定剤である涼ちゃんと、涼ちゃんの生きる意味となっている元貴が二人で住めば、俺も安心できるというものだ。
ふぅん、と目を細める元貴の口元がもぞもぞとしている。喜びを表現するのを抗うときの表情に小さく笑う。
俺と涼ちゃんが素直じゃない奴、と元貴を眺めていると、照れ隠しのようにムッとして、キーリングから三本の鍵を抜き取った。
一本は元貴に、もう一本は涼ちゃんに。あと一本はスペアキーか、事務所保管用だろう。
「はい」
「へ?」
そう考えていた俺に、最後の一本が差し出された。
「……? それは予備でしょ?」
「はぁ?」
「何言ってんのよ」
首を傾げた俺に、元貴だけじゃなくて涼ちゃんまで呆れたような顔をしている。
『若井のに決まってるでしょ』
示し合わせたわけではないだろうに、二人が声をそろえて言った。
「言ったでしょ、何があっても離さないって」
「死が我らを別つまで……なんなら死んだ後も付き合ってもらうから」
涼ちゃんが俺を抱き締めて、元貴が俺の肩を軽くどついた。
「なんだよそれ……コキ使いすぎだろ……ッ」
また涙があふれて止まらなかった。
そんな俺たちを優しく見守っていた社長が、ちら、と腕時計を見て軽く手を叩いた。
「さ、次は大森が暴れたレストランで食事だ。移動しようか」
「ちょっ」
元貴が焦った声を出して社長! と叫んでいる。
「……暴れた?」
眉を寄せた涼ちゃんの声から察するに、涼ちゃんも知らないらしい。
なんでもない、と顔を背ける元貴の肩を、お返しとばかりに軽くどついた。
「なにしたんだよお前」
「なんもしてない。行こ行こ」
逃げるように歩き出した元貴を、涼ちゃんと顔を見合わせて笑ってから追いかける。
「絶対なんかしてるじゃん! なにしたんだよ!」
追いついて肩を抱くと、元貴がなんもしてないってぇ、高い声で笑った。涼ちゃんが反対側に並んで、なにしたの? と笑いながら顔を覗き込んでいる。
うん、しあわせだ。
終。
次の後書きで想いを語っておりますのでよろしければ。
コメント
13件
三人の誓いがっ(号泣)みんな幸せになってよかったです!素敵なお話ありがとうございます!
うわぁ、最高でした✨ 3人で一緒にって、1番幸せなかたちですよね✨ 3人とも幸せになって欲しい💕
❤️💙💛の皆が報われたハッピーエンド最高です🥺🥺🥺🥺