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ここからは前人未到の領域、と自分でハードルを上げておきながら、いざやることと言えばいつも通りだ。肩に力を入れすぎても剣は振れない。
どんなクエストも受けずにボスだけを叩き伏せて転移石を手に入れて淡々と深層へ進む。それだけだ。
確かに百六十六層に足を踏み入れたあたりから、空気の質が明らかに変わった。
一体一体の魔力密度が跳ね上がり、今までならボス扱いしていた連中が雑魚の群れに紛れて出てくる。
「次で百七十層。鬼が出るか蛇が出るか……」
呟きながら転移石を砕き、次の階層に移動する。
視界が闇に飲まれて瞬きを挟むより早く切り替わった。
百七十層に到達した瞬間、肺の中の空気が一拍遅れて重くなる。肌の上を目に見えない重さが幾重にも積み重なっていくような威圧感。
この圧は――竜だ。
しかも、ただの竜ではない。骨の奥に刻み込まれた記憶が告げている。私がかつて相対したことのある……古代竜の気配だ。
回帰前の戦いが脳裏に蘇る。
あの時は、それなりに気心の知れた仲間がいた。支援魔法や治癒で支えてもらいながら、最前線で牙と爪を受け止めていたのは私一人。
守られていたのか、任されていたのか。答えを出す前に、あの時間は終わってしまった。
感傷に沈むより早く、前方から異様なまでに濃い魔力反応が押し寄せてきた。
安全地帯を探そうと感覚を広げる――が、すぐに諦める。圧の届く範囲をなぞってみれば、辺り一帯が丸ごとその中だ。
「受け止める資格のない奴は死ねって事か!」
悪態をつきながら反射的に闇を展開する。
私を中心に球状に近い高密度の闇の防御を張り巡らせる。ルトリエに叩き込まれた制御を限界まで引き上げてヒビひとつ許さないつもりで魔力を押し込んだ。
直後、世界そのものが殴られたような衝撃が闇を叩いた。音という概念が潰れて鼓膜の代わりに骨が震える。
何が起きているのかは分からない。ただ、莫大な力がこちらを攻撃していることだけは、嫌と言うほど理解できた。
「竜種はいつだって私の想定を凌駕してくるね!」
喉の奥から笑いが漏れる。恐怖より先に身体が戦闘の高揚を思い出してしまった。
外側の魔力の嵐が少しずつ薄れていったのを確かめてから、そっと闇を解除する。
防御が剥がれた瞬間、視界に飛び込んできたのは、ひとつ残らず削り取られた地形だった。
私の立っている場所を起点に前方へ向かって扇状に広がる更地。
大地は抉られて岩も森も、そこにあったはずのものは色を失った灰色の地面へと変わっている。
前方のはるか彼方、米粒ほどの大きさで白い何かが浮かんでいた。
双眸に意識を集中させる。その輪郭が、ゆっくりと古代竜の形を結んだ。
「私の魔力反応目掛けてあの距離からブレスを吐いたって事……?」
ぞくり、と背筋が震える。振り返って後ろを見れば、そこには地平線の向こうまで続く更地。
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奇蹟あい
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さっきまで私がいた位置だけが残っており後ろは全てが薙ぎ払われている。
「こりゃ、まともに食らったら肉片も残らなそうだ」
息を吐きながら苦笑する。
回帰前に戦った古代竜の姿が脳内で現在の光景と重なる。
あの時は、きっと魔族に何かしらの手を加えられて弱体化していたのだろう。
今、目の前にいるのが、ありのままの古代竜――本来の形。
この強さだったら、あの頃の私は勝てていない。仲間ごと、まとめて焼き尽くされていたはずだ。
ルトリエとは違う。
意思疎通も、軽口も、共闘もない。
目の前にいるのは、ただの純粋な強いモンスターという存在だ。
その事実が胸の奥で何かを熱くする。口角が勝手に吊り上がり、握り直した剣の柄に血が脈打つ。
「さあ、戦いだ」
足の裏で地面を踏みしめるたびに削り尽くされた大地がかすかに鳴った。
距離にして、ざっと数キロ。
普通なら視認すらできない距離だろう。それでも私には古代竜の輪郭がはっきりと見えた。
山のような巨体。
大理石を砕いて組み上げたような純白の鱗。
翼は広げれば空そのものを覆い隠せそうで尾は城壁を叩き壊す棍棒にしか見えない。
竜が頭をわずかに傾けた。巨大な紅い瞳が、じっとこちらを捉える。
次の瞬間――空気が震えた。
咆哮。
音というより圧力だ。肺が内側から握りつぶされそうになる。
鼓膜がきしみ、骨が共鳴するの、風で耳元の振動を散らして無理やり押しとどめる。
「随分と歓迎してくれるじゃん」
独り言を落として一歩踏み出した。
風竜の剣を抜く。刀身に触れた途端、風の感触が手のひらを撫でた。
そこにルトリエから受け取った闇を薄く纏わせる。黒と緑が混じり合って刀身が淡く脈打った。
足に風をまとわせる。次の瞬間、景色が後ろに吹き飛んだ。
踏み込み一歩で地面が爆ぜ、空気が悲鳴を上げて後ろへ引きちぎられていく。
私の体は風に押し出されるというより風と一体になって前方へ滑り込んでいた。
それでも古代竜との距離はすぐには埋まらない。近づいているうちに古代竜の喉元に再び魔力が集まるのが見えた。
空気が焼けて視界の端がゆらりと歪む。
さっきの一撃と同じ規模か、それ以上。今度は大雑把に狙うのではなく的確に私に照準を絞っている。だけど――
「二度も大技に付き合ってあげるほど優しくないんだよね」
足を止めないまま、私は一度だけ大きく息を吸った。
体の内側から闇を噴き出す。身体の周りで漆黒の闇が渦を巻き、螺旋状に収束していく。
古代竜の口を目掛けて細い黒の線が引かれると古代竜の口腔が光に満たされる。
次の瞬間、世界が白に塗りつぶされた。
炸裂した熱線が、地平線ごと全てを薙ぎ払う。
けれど、さっきとは違う。
私は正面から突っ込んでいた。
闇で作った細いトンネルがブレスの本流を左右に押し分ける。左右から焼けた魔力の奔流が押し寄せて闇の壁を削り取っていく。
それでも中心だけは辛うじて道として保たれていた。
「——ッ!」
熱で皮膚が焼ける匂いが鼻を突いた。鎧の上からでも、肌が炙られていく感覚がはっきり分かる。
視界は真っ白。頼れるのは魔力の流れと足元の感触だけだ。
体に闇を纏わりつかせる。焼けつくような熱が闇に触れた瞬間、じゅう、と音もなく呑み込まれていく。
完全には消しきれないが骨まで焼かれるのを防ぐには十分だった。
古代竜の咆哮がブレスの音に重なって響く。攻撃しながら笑っている。そんな感じだ。
「楽しいか!? 私もだよ!!」
闇をさらに絞り込む。体の前面にだけ集中させて背中側はほとんど捨てる。
そのせいで背中の皮膚が焼ける痛みが一段と増したが前へ進む速度はわずかに上がった。
やがて光が薄くなった。古代竜のブレスが止まったのだと理解するより早く、黒い影が視界を支配した。
――巨体。
眼前に迫るのは、山のような胸部と、槍のような爪。
右から、一閃。
古代竜の前脚が横薙ぎに振り抜かれた。私の体を叩き潰そうと迫ってくる。
「遅いよ」
私は地面を蹴り前へ出た。避けるのではなく潜り込む。
爪が鼻先をかすめると空気が裂け頬に浅い切り傷が走った。
その痛みを置き去りにして、私は古代竜の懐に潜り込む。
腹の下。
竜の巨体を支える太い脚の付け根。その鱗の隙間に剣先を滑り込ませた。
「っらぁ!!」
風と闇を重ねて一気に斬り上げる。
刀身が鱗を砕き、肉と骨を裂いていく手応えが腕の骨まで響いた。
古代竜が低く唸ると足元の大地が揺れた。
次の瞬間、頭上から影が落ちる。――尻尾だ。
次の動きを考えるより早く体が動いた。古代竜の足に刺さっている剣を引き抜き、闇を盾のように広げる。
同時に風を使って自分の身体を横に流した。
――が、間に合わない。
重さと速さを兼ね備えた尾が私の半身を薙いだ。視界が回転する。
地面に叩きつけられて背骨が悲鳴を上げた。
「――っ」
肺から空気が全部吐き出された。呼吸が一瞬止まって世界の音が遠のく。
それでも、意識は落とさない。闇を肺の周りに纏わせて圧迫を少しでも和らげる。
肋骨が何本か折れている感触があったが無視した。
古代竜が再びこちらへ向き直る。先程斬り上げた脚から黒い血がだらだらと滴り落ちていた。
だが、傷そのものは既に閉じかけている。
「やっぱり、竜種の再生力はズルいね」
闇が浸食した部分だけは肉が再生しきれずに蠢いたままだ。それでも動きを止めるには足りない。
竜の喉元が膨らんだ。
さっきより規模は小さいがブレスを連発で撃ってくるつもりらしい。
広範囲で削るのではなく今度は一点狙いだ。
私は立ち上がって竜の視線から横に逸れるように走り出した。風で地面との摩擦を限界まで減らし、滑るように加速する。
魔力の流れを読む。狙いは――さっき私がいた位置だ。
予測通り、ブレスが地面をえぐる。光の奔流が石と砂を一瞬で蒸発させた。
その脇をすり抜けながら、私は竜の横腹に回り込む。
「今度は私の番」
魔力を纏わせて細く、鋭く。竜の鱗の一枚一枚を、こじ開けるつもりで斬りつける。
金属を削るような音が響いた。鱗がめくれ上がり、その下の肉が露わになる。
そこへ闇を滑り込ませた。
闇が肉に食いつき、じわりと広がる。
再生しようとする力と侵食する闇が拮抗して傷口が醜く泡立った。
古代竜が苛立ったように吠えた。翼を広げて一拍置かずに羽ばたく。
突風が襲い掛かった。ただの風ではない。魔力を乗せた衝撃波だ。
大地がえぐれて石が空中へ叩き上げられていく。
――そんなこともできるのか。
反射的に闇を盾にして構えると風圧と魔力そのものは闇が殺してくれるが音速を超える速度で飛んできた岩石までは吸収しきれなかった。
異様な硬さの岩が肩と腿に直撃して骨の砕ける音が聞こえる。
視界が少し揺れる。
頭の中に霧がかかる感覚を、歯を食いしばって押し返すと息を整える暇もなく、今度は竜の巨体が動いた。
翼を畳んで地面へ向かって急降下してくる。
ただ上から押し潰すだけの単純な動き。だが、質量が桁違いだ。
避け損ねれば、その瞬間に身体は紙のように薄く引き伸ばされるだろう。
竜の影が頭上を覆うタイミングを狙って私は自分からその下へ潜り込んだ。
急降下の勢いに逆らうように風で自分の身体を押し上げる。
目指すのは古代竜の胸の中央。
心臓の位置は回帰前の戦いで知っている。
「――ここ!」
古代竜の胸郭の中心。鱗と鱗の合わせ目に全力の一撃を叩き込んだ。
風と闇を今までで一番濃く重ねる。刀身が悲鳴を上げるほど魔力を限界まで注ぎ込んだ。
手応えは岩ではなく鋼。
何層にも重なった骨を削って叩き割る鈍い感覚が手首から肩へ突き抜ける。
同時にバランスを崩した古代竜の体が地面へと叩きつけられた。
着地の衝撃が大地を砕いて爆風が周囲へと広がる。
私は剣を突き立てたまま、その衝撃に巻き込まれた。体が浮き地面に叩きつけられて転がる。
骨がきしみ、肺から血混じりの息が漏れた。
「……っ、はぁ……っ」
視界が二重にブレる。
それでも、逃げるという選択肢は私にはない。
竜の胸元を見ると鱗が大きく抉れ、その下で闇が蠢いていた。
傷は深い。だが――まだ足りない。
古代竜の片目が、ぎょろりとこちらを向いた。その目に明確な敵意と僅かな興味が混じっている。
喉がもう一度、光る。今度の魔力の集まり方はさっきまでとは違っていた。
一点集中。膨大な魔力が尋常じゃない密度で圧縮されてブレスとなり私に照準を合わせている。
体は限界に近い。肺は焼け、肋骨は折れて、肩と大腿の骨は砕けているのを闇で包んで誤魔化している。
そんな状態でも足は、動く。私は剣を引き抜き、竜の胸を蹴って飛び上がった。
狙うのは喉の内側。ブレスの発射位置そのもの。
竜の口が開く。眩い光が喉の奥から溢れ出す。
その光へ、自分から飛び込んだ。
風で自分の体を押し込み、闇で外側を包む。
熱と光が闇にぶつかり狂ったように暴れ回る。
闇の膜が焼かれ、剥がれ、再生しながら、わずかな隙間をこじ開けてくれる。
喉の粘膜が目前に迫る。そこに剣を突き立てた。
私の奥底から闇を引き出して放出する。内側から竜の喉を抉り取るように。
咆哮とも悲鳴ともつかない声が頭蓋の内側を震わせた。竜の体が大きく痙攣する。
ブレスの光が暴発して喉の中で逆流した。
放出した闇を傷口へ流し込む。竜の血と肉に絡みつくように内側から心臓へ向かって走らせた。
その瞬間――凄まじい衝撃が背中から襲ってきた。竜の咄嗟の反撃か、それとも暴発した魔力の余波か。
分かる前に私は口腔から弾き出されて空へ投げ出された。
空と地面がぐるぐると入れ替わる。気づけば地面が目前に迫っていた。
着地らしい着地をする余裕もなく私は背中から大地に叩きつけられた。
肺の中の空気が再び全部吐き出されて視界が白飛びする。
――気を失うのは倒したのを確認してからでいい。
竜の方へ視線を向けると古代竜が、ゆっくり、ゆっくりと、崩れ落ちていくところだった。
胸のあたりから黒い煙が上がり、鱗の隙間から闇が漏れ出している。
体の内側で闇が心臓を喰い破ったのだと理解する。巨体が地響きを立てて横倒しになった。
砂煙が舞い上がり、しばらく視界を覆う。それが晴れたとき、そこには動かない古代竜だけが残っていた。
「……ふぅ」
長く息を吐き出す。肺が焼けるように痛むが、生きている証拠だ。
腕を動かして何とか上体を起こす。
全身が鉛のように重い。それでも、古代竜の死体へ近づく足を止める気はなかった。
胸元の傷口に手を差し込む。
熱と血の粘り気を感じながら、奥へと腕を突っ込む。
やがて、硬い感触に触れた。
古代竜の魔石。掌ほどもある巨大なそれを掴んで引き抜く。
魔石を持ち上げると日の光を反射してぎらりと光った。
「またこれを見る日が来るとはね」
ぼそりと呟いて魔石袋に仕舞う。
そのすぐ近くで赤い光がちらりと視界を掠めた。
転移石だ。
古代竜の魔石のすぐ横に、ひっそりと埋もれるように転移石が埋まっている。
手を突っ込んで拾い上げると、ずしりとした重みが掌に乗った。
「……この山みたいな巨躯を一人で解体しないといけないのか」
戦利品の獲得の方が厄介そうだ、と心の中でぼやいて解体ナイフを取り出して軋む体を労わりながら古代竜の解体をするのであった。