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『花が視ている』
「これ、あげるわ」
朝、机の上にぽとりと落とされたのは、白く乾いた花だった。
「……なにこれ」
「ヒメジオン。かわいいやろ?」
にやにやと笑ういふに、ないこは眉をしかめる。
教室にはまだ数人しかいない。誰もこちらを気に留めない。
「どこで摘んできたんや」
「うちの庭。去年も勝手に咲いとった」
「……で、なんで俺に?」
いふは笑ったまま、少しだけ顔を近づける。
「花言葉、知ってるか?」
「いや、知らんけど」
「――“君を忘れない”」
その言葉に、ないこの心臓がひとつ跳ねた。
いふは軽く手を振って自分の席に戻っていく。
いつもと同じ。ちょっとイジワルで、よく笑うやつ。
けど、今日はどこか――壊れてる。
*
次の日、ないこの机にはもう一輪、違う花が置かれていた。
今度は真っ赤な彼岸花。
「おい、いふ。これ……」
「きれいやろ? “再会”って意味があるんや」
「なにと再会するっちゅうねん。死人か」
「ふふ。かもしれへん」
いふの笑みは、どこか冷たくて、冗談にしては目が笑っていなかった。
ないこはその場で花を丸めてゴミ箱に突っ込んだ。
「悪趣味やで、お前」
いふは肩をすくめただけで、怒りもしなかった。
*
三日目。ないこの机には紫色のスミレが置かれていた。
「……“あなたのことで頭がいっぱい”」
ないこは花を見て呟いた。
なんでか知ってる。前に調べたから。
けど、そこに込められた意図が、まるで呪いのように思えてきて、喉が詰まった。
「いふ、なんでこんなことすんねん」
放課後、部活もサボって、校舎裏で詰め寄った。
「なぁ、ほんまに怖いんやけど。何のつもりなん?」
いふはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。
「ないこ、うちが誰殺したか、知ってるか?」
「は?」
「去年のあの事故、あれな――全部、うちのせいやって」
ないこの顔がひきつる。
去年、文化祭の準備中、倒れてきた装飾棚の下敷きになった生徒。
あれは「事故」だった。ずっとそう思ってた。
「信じるかどうかは、あんたの勝手や。でも、罪は消えへん」
いふはポケットから黒い花を取り出した。
――クロユリ。
「“呪い”や。なあ、ないこ。うち、あんたに呪われたいんや」
「……なに言うてんねん……」
「うちは、あんたが好きやから、罰を受けたかってん。愛して、憎んで、忘れんといてほしい」
いふの手から花が滑り落ちた。風に舞って、ないこの足元に転がる。
「――おかしいやろ?」
「……あぁ、めちゃくちゃおかしいわ」
ないこはポケットからライターを取り出した。
カチ。火が灯る。クロユリの花びらに燃え移った。
「じゃあ、お前の呪いも、俺が燃やしたる」
いふはぽかんとした顔でそれを見つめていた。
「――せやかて、また咲くで。うちの庭には、いっぱいおるもん」
「それでもええ。何回でも燃やしたるわ」
ないこの目がぎらりと光った。
「だって俺、お前のこと、もう呪ってるもん。めっちゃ、忘れられへんくらいにな」
燃える花の香りが、ゆっくりと空気を満たしていく。
甘くて、苦くて、少しだけ――哀しかった。
『花が視ている・後編 ―呪花―』
ヒメジオンは、二度と咲かなかった。
あの日、いふの手から落ちたクロユリを燃やして以来、俺のまわりで“花”にまつわる出来事が頻発するようになった。
まず、部屋に置いてないはずの花瓶に、花が差されていた。
朝起きると必ず違う種類の花が入っている。
一度、全部引き抜いて捨てたことがある。茎を折って、根元から。
けど次の朝、また活けられていた。
しかも、根がついたまま、まだ湿った土が絡んでいた。
そのとき活けられてたのは――
「ジギタリス。花言葉は、“命の危険”」
いふがぽつりと言ったのを思い出す。
毒草や。心臓を狂わせる成分があるって、理科で習った。
「……いふ。お前、やってんの?」
「うちじゃないで」
「じゃあ誰が――」
「呪いや」
いふは笑わなかった。
まるで、自分が植えた種が芽吹いて、育っていくのを見守るような目をしていた。
ある日を境に、ないこは花の夢を見るようになった。
ひたすらに広がる花畑。
最初は色鮮やかなユリ、バラ、スミレ。
けど、足元をよく見ると、土じゃなくて――人の手が掘り返されたように、骨が見えていた。
寝汗で起きても、花の香りが鼻を離れない。
枕元には、いつのまにか“クレマチス”が置かれていた。
「“精神の美”……やなくて、“旅人の喜び”やったか? せやけど、裏の意味もあるんやで」
「……裏?」
「“あなたの死を望みます”」
いふは淡々とそう言った。
ないこは背中に冷たい汗が走るのを感じた。
けど、怖いのはそこじゃない。
――この状況が、だんだん気持ちよくなってること。
花が届くたびに、俺の中で“いふが考えてくれてる”って思ってしまう。
怖いのに、たまらなく――うれしい。
それが呪いや。気づいたときには、もう。
最後に届いたのは、青いバラだった。
「……作れない花やろ、これ。青いバラなんか」
「でも、あるやろ? そこに」
いふが笑う。もう、あの無邪気な顔じゃなかった。
「花言葉、変わったん知ってる? 前は“不可能”やった。でも今は、“夢叶う”や」
「……じゃあ、叶うんか? お前の夢」
「うちの夢? うちはもう充分や。ないこが、呪われてくれたから」
その瞬間、心臓が締めつけられるような痛みが走った。
視界がぐにゃりと歪んだ。立っていられず、膝をつく。
「な、いふ……っ、これ、何した、俺に……!」
「なんもしてへん。ただ、花を贈っただけや。あとは、あんたが勝手に、うちを好きになって、怯えて、呪われた」
「……っ……!」
視界の端に、ヒメジオンが見えた。
机の端にぽつんと、乾いたまま残っていた最初の花。
忘れないって言葉は、呪いや。
思い出は、記憶は、想いは、全部――
毒になって、俺の中に根を張った。
今、ないこは病院のベッドにいる。
検査の結果は“原因不明の心因性不整脈”。
けど、俺は知ってる。これは呪いだ。
いふがくれた花の、根がまだ心臓に絡みついてる。
今日も、窓辺には新しい花が届いていた。
黒いユリだった。
花言葉は、“復讐”と“永遠の愛”。
どっちかなんて、もうどうでもいい。
俺は、もういふの花から逃げられへん。
――ずっと、ずっと、視られてる。
『花が視ている・終幕 ―いふの庭―』
うちの庭には、咲いてへん花がない。
誰かが枯らした花でも、
誰かが殺した花でも、
うちの手にかかれば、また咲く。
それが“呪い”や。
うちの家系は、代々続く花師の家やった。
ほんまもんの花言葉を扱う、“言葉の毒”を伝える者。
人を呪うときは、薬もナイフもいらん。ただ一輪、渡すだけでええ。
でも、うちはそれがイヤやった。
せやから、笑って誤魔化した。
毒の花も、“かわいい”言うて渡してみた。
死の意味を、“忘れない”言葉に包んで、好きな子に差し出してみた。
うちが、ないこに初めてヒメジオンをあげた日のこと、よう覚えてる。
──ほんまはあれ、ただの“告白”やったんや。
けど、あいつは気づかへんかった。
どころか、花をゴミ箱に捨てて言うたんや。
「悪趣味やで、お前」
うちは、そこでスイッチが入った。
たぶん、うちの中の“家の血”がうずいたんやと思う。
愛してくれんのやったら、呪われてほしい。
忘れられるくらいなら、苦しんで、残ってくれ。
──それが、うちの願いやった。
呪いの仕組みは単純や。
“言葉”をのせた花を、感情ごと渡すだけ。
最初のヒメジオンには「忘れられたくない」って想いを。
次の彼岸花には「死んでもまた会いたい」って念を。
クロユリは、呪いそのもの。“この愛で終わってしまえ”って願いや。
ないこは、ちゃんと受け取ってくれた。
最初はびびっとったけど、そのうち慣れてきて、期待して、
……最後には、自分で火をつけて、クロユリを燃やしてくれた。
──それで完成や。
うちの呪いは、“本人が受け入れて、花を枯らす”ことで完成する。
そっからは、もううちのもんや。
ないこは、どんどん痩せていって、
呼吸が浅くなって、
心臓が痛むたびに、思い出してくれる。
「いふの花、まだ根っこが残ってる」って。
今日、最後の花を贈った。
黒いユリや。
これは、“終わり”を意味する花。
病室の窓際に、ナースに届けさせた。
カードには何も書かんかった。もう、言葉なんていらんから。
その日の夜、ないこは息を引き取った。
死因は、心因性の心不全。
医者は頭を抱えてた。
でも、うちはわかってた。
あいつは最後まで、うちのことを忘れへんかった。
最後まで、花のことを想って、死んでいった。
──あぁ、なんて美しいやろ。
この感情が、呪いやなくて、何やって言うねん。
今、うちは自分の庭に立ってる。
ないこの名前を彫った札を立てて、その足元にヒメジオンの種をまく。
あの子が最初にもらった、あの“かわいい花”を。
忘れられへんように。
また、夢で会えるように。
次はもう、告白なんてせん。
ただ、咲くだけや。
その花を見て、ないこがまた苦しめばええ。
だって、それが――愛やから。
その夜、うちの庭に、白い花が咲いた。
月明かりの下で、ひっそりと。
誰にも知られず、けれど強く。
その花の名を、誰がつけたか知らん。
けど、うちは勝手に、こう呼ぶことにした。
――ないこの花、って。
おわり
真相まとめ
いふは呪いの花を扱う家系の出身。
ないこに花を贈る行為は、愛情と呪術を重ねた“両想いの儀式”。
呪いが完成するのは「受け手が自ら花を手放す=拒絶ではなく受容」をしたとき。
最終的にないこは、呪いを“受け入れた”上で命を落とし、永遠にいふのものになる。
バッドエンド:ないこの死をもって、いふの呪いは完成し、永遠に記憶の中で続く。
『花が視ている・外伝 ―ないこの種―』
人がひとり死んだら、そこには“穴”ができる。
その穴に、花の種が落ちてしまったら――
もう、誰にも止められへん。
ないこが死んで、一ヶ月が経った。
季節は梅雨に差しかかっていたけど、雨は降らず、妙に生ぬるい風ばっかり吹いていた。
「……変やな、このとこ」
学校の中でも、少しずつ噂が立ちはじめた。
──「夜の廊下で、知らん男が花を配っとった」
──「図書室に、誰も借りてない“花の本”が増えてる」
──「誰かが夢の中で、花畑に呼ばれてる」
どの話にも、共通点がひとつだけあった。
「赤い目をした男が、笑ってた」
それを聞いたとき、いふは何も言えんかった。
いや、わかってた。あいつは、死んでへん。
ないこは、今――花になっとる。
その夜、いふは夢を見た。
風も音もない、黒い花畑。
見渡す限りのクロユリと、彼岸花と、スミレが咲いてる。
その中央に、ひとりの男が座っていた。
ないこや。
笑ってた。
けど、あれはもう、あの子やない。
目が、完全に“赤”になっとった。
「いふ、来たの」
「……お前、死んだはずや」
「うん。だけど、花は枯れても、種が残るでしょ」
ないこが指を鳴らすと、花畑のなかから、何人もの生徒が立ち上がった。
見知った顔。どれも、最近になって顔色が悪くなっていった子ら。
「なぁ、知ってた? 呪いってね、伝染することを」
「やめろ。お前、何になってしもたんや」
「俺のこと呪うてくれて、ありがとう。おかげで、芽出たよ」
ないこは、いふに向かって歩いてくる。
足元から、花が咲いていく。
黒い花、赤い花、青い花、全部が音もなく開いていく。
「お前が“呪いの根”になってしまったの」
「……っ、ちがう……うちは、そんなつもりで……!」
「“つもり”じゃない。呪いは結果。
誰かが傷ついて、誰かが残った。それだけ」
ないこの手が、いふの胸に触れる。
「次は、お前が渡す番や。俺の種を、広げて」
いふの胸の奥で、“何か”が根を張った。
あのとき、ないこがくれた愛情を。
あのとき、自分が押しつけた呪いを。
すべて、返される。
“花が咲く”って、そういうことや。
翌朝、いふの部屋の机には、白い花が一輪、置かれていた。
クチナシだった。
花言葉は、「私は幸せです」
いふは、それを見て――泣いた。
けど、もう誰も止められへん。
その週から、町では原因不明の「花の病」が流行した。
朝起きると、知らぬ花が枕元に咲いていた。
赤い目の誰かが夢に出てくる。
誰かに“花の名前”を聞かれたら、もう逃げられない。
花は、静かに広がっていく。
呪いは、とても優しくて、温かくて、断れない。
いま、あなたの部屋にも――
見覚えのない、花が咲いていませんか?
どうか、それに名前をつけないでください。
なぜなら――
それは、ないこかもしれないから
『花が視ている・終焉譚 ―彼らの咲くところ―』
【序章:噂】
「なあ、知ってる? “花人間”の話」
放課後、理科準備室の裏。
埃っぽい空気と、干からびた標本の匂いの中で、彼女はそう言った。
「夜中、誰もいない教室に花が活けてあると、誰かが死ぬんだって」
「どんな花?」
「バラとか百合とか。色は黒とか赤が多いらしい。
でも一番やばいのは――“名前のない白い花”」
話をしていた女子生徒が、意味深な笑みを浮かべる。
「それ、見ると呪われる。……じゃなくて、“思い出される”んだってさ。
ほんとうに怖いのは、その花じゃなくて、“誰が持ってきたか”の方」
「……まさか」
「そう。“赤い目のふたり組”」
都市伝説の名は、こうだ。
――『いふとないこの花伝説』
【一章:記録されなかったふたり】
昔、この学校にはふたりの生徒がいたという。
一人は、花の呪いを操る少年。
もう一人は、その呪いに殺されながら、なお咲いた“死人の花”。
ふたりの名前は――
いふとないこ。
けれど、この話には記録が一切残っていない。
卒業アルバムにも、出席簿にも、校内名簿にも“いふ”も“ないこ”もいない。
だけど、不思議なことに、
この学校に通う誰もが「その名前を聞いたことがある」と言う。
そしてある日、学校に花が活けられる。
その教室に入った生徒は、翌日から花の夢を見るようになる。
──クロユリに囲まれた、赤い目の少年。
──白い花を手渡してくる、青髪の少年。
その夢を見ると、もう逃げられない。
【二章:咲く者】
都市伝説に興味を持った生徒、りうら(女)は、ある日、図書室の奥で一冊のノートを見つける。
表紙にはタイトルがあった。
『花が視ている』
中には、花の名前と花言葉が、狂気のように綴られていた。
ヒメジオン:君を忘れない
クロユリ:恋の呪い
クチナシ:私は幸せです
クレマチス:あなたの死を望みます
青いバラ:不可能→夢叶う
【いふ】:渡す者
【ないこ】:咲く者
──誰が書いた?
ページの最後には、こうあった。
「この呪いは、記憶から咲く」
「忘れられることが、一番怖い」
「だから君に咲いてほしい」
その瞬間、りうらの背後で、花が“カサッ”と音を立てた。
振り返ると――机の上に、“名前のない白い花”が咲いていた。
【三章:開花】
翌日、りうらは花を持ち帰らなかったはずなのに、枕元にそれがあった。
夢に現れたのは、二人の少年。
ひとりは赤い目で無表情、
もうひとりは青髪で、まっすぐこちらを見て笑った。
「見つけた」
そう呟いた彼に、りうらは尋ねた。
「あなたが、いふ……?」
彼は静かに首を振る。
「俺は、ないこ。
でも……今の“いふ”は、君でしょ?」
りうらの胸がずきんと痛んだ。
「君が花を渡す番」
その言葉と同時に、夢の中でりうらの両手から、花が零れ落ちた。
白い花、赤い花、紫の花――
全部、名前のついた花。
そして最後に、まだ名のない花がひとつ、咲いた。
【終章:伝説の継承】
現在、この学校では“花を配る生徒”がいるらしい。
顔も知られていない。
でも、花の名を言われたら、もう逃げられない。
そして誰かが新たな呪いを継ぐとき、
夢にふたりの少年が現れるという。
いふとないこ。
渡す者と、咲く者。
彼らは、もう記録にいない。
でも、忘れられたことは一度もない。
誰かの記憶に咲き、
誰かの夢に根づき、
今日も、静かに、咲いている。
だからあなたも、どうか――
──その花に、名前をつけないで。
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