日が沈んだすぐあとの藍が
大好きなのは
あなたのあの黄金色の
髪が眩しすぎなくなるから
バスタード•ミュンヘンに移籍して早数年、ドイツの環境にも慣れた潔世一は今日も今日とてカイザーと壮絶なレスバトルをしたものの、ご機嫌が大層よろしかった。なんせ自身の敬愛するノエル・ノアに呼び出されたからだ。先程までカイザーに人権侵害ギリギリの罵倒をされていたというのにロッカールームでニマニマしている潔にチームメイトは全員漏れなくドン引きしていた。ウキウキ気分でミーティング室に行ったが、5分後地獄へと叩き落された。
「はぁ!?!カイザーと旅行!?無理に決まってます!」
「そうは言ってもこれは決定事項だ。これを機に少しは仲良くなれ」
話を聞くにどうやらメディアの取材の一環だそうだ。世間の皆様は新進気鋭の選手たちのオフショットが見たくてたまらないらしい。
そこまでは辛うじて理解出来るがそれが何故カイザーと二人旅とか言う拷問に生まれ変わるのか、これが分からない。
そもそも潔はカイザーとセット売りされている現状が不満でならない。2トップとかなんとか言ってすぐ二人が写ったグッズを販売するしちゃんと飛ぶように売れる。撮影嫌すぎてあとから合成した写真なのに。
ウンウン唸っているとノアと入れ違うようにクラブのマネージャーが来た。詳細を伝えられる。カイザーと潔の二人っきりで日本を観光して写真を撮る。潔にとって日本は勝手が分かっている場所だから、とスタッフは同行しないらしい。なぜだ。
「最悪すぎる…………」
「よかったじゃないか世一。俺とデートができて。」
「お前がいると碌なことねぇんだよクソ」
ミーティング室を出るとニヤニヤしたカイザーが待ち伏せしていた。顔を見るとさらに気分が下がるから、できれば二度と会いたくない。
せっかく久々に日本に行けるというのに、カイザーとデート(笑)なんて最悪すぎる。 そんな様子を見てカイザーはひっそりと口角を上げた。
「まあ精々頑張るんだな」
「クソ野郎がッ!!」
潔の渾身の罵倒もどこ吹く風。さっさとどこかへ行きやがった。
こういうわけで潔世一は因縁の仲であるミヒャエル•カイザーと何故か仲良く旅行することとなったのだ。
出発の日は忌々しいほどの快晴だった。爽やかな青が日本まで続いているようだ。しかし気分はどんより曇り空である。せめてもの抵抗と出発ぎりぎりまでベットの上で唸っていたが、クラブのマネージャーに鬼電され空港まで来てしまった。
「潔さん、くれぐれも問題だけは起こさないでくださいね。写真を撮るだけの簡単なお仕事ですからね。わかりましたか?」
「はい、分かりました……」
クラブマネージャーに急かされ飛行機に乗る。遠足前の先生かよ。アナウンスと共に扉が閉まっていくのが見えていよいよ逃げ場がなくなったことを悟った。隣を見るとカイザーが平然と座っている。
「なんで隣に座ってんだよ……」
「おいおい世一、俺と離れたらお前は誰とも会話できないだろう?せいぜい俺の優しさに感謝しろ」
「黙れクソ皇帝」
悪態をついたが相手にされなかった。マジでこいつ嫌い。
飛行機に乗り地獄のような空気のなか十数時間、やっと日本に到着した。手続きを済ませて外に出ると見慣れた風景が広がっている。ああ、帰ってきたなという感覚が湧き上がった。春の麗らかな風が心地よくて、鼻いっぱいに息を吸い込んだ。日本最高。
「さて、とりあえずホテルに向かうか」
「え、お前ホテル予約してくれたの?」
てっきり今から探すのだとばかり思っていたので驚く。するとカイザーは心底呆れたようにと言った。
「世一ぃ。クラブマネージャーからのメールを見てないのか?泊まるホテルから行く場所まで詳しく書いてあったろ」
「嫌すぎてなーんも見てなかった」
「プロ失格だな」
カイザーが小馬鹿にするように笑った。でもいつもみたいに罵倒し煽るような声色ではなく、まるで同級生と話してるみたいな感じ。最近はそんなカイザーを見ることがなんとなく多い気がする。自惚れじゃないけど打ち解けれてるのかもしれない。嬉しくないけど。全然。
「まあでも、世一クンはおこちゃまだからなぁ。俺がしっかり管理してやるよ」
うーんやっぱコイツ嫌いだわ。
空港からタクシーで10分ほどの場所にあるホテルに到着した。フロントでカードキーを受け取り部屋に案内される。部屋はダブルベッドと簡易的なデスクが置かれていた。
「なんで同室なんだよ!!!!」
「今すぐ出ていけ世一。世一はクソ図太い神経だから廊下でも十分寝れるだろ」
「うるせぇよクソ皇帝殺す」
なんとホテルのミスで部屋がとれていなかったらしくもうツインの部屋しかないらしい。時間も遅いし今からホテルを探すわけにも行かないので渋々泊まることにした。が、それはそれとして同じ部屋で寝泊まりとか嫌すぎる。しょうがないんだけどさ……。
荷物を整理して一息つくと、カイザーはスマホをいじり出した。どうやらクラブマネージャーに報告しているらしい。 潔は手持ちぶさたになり、テレビをつけたりスマホを見たりと暇を潰していたが、ふと疑問に思ってことを聞いてみた。
「お前こういうの意地でもやんないもんだとおもってたわ。案外真面目ちゃんなんだな」
多少からかうような色をのせて問いかけた。カイザーはベットでゴロゴロしている潔に目もくれず、しかし明らかにうんざりした顔で言う。
「別に。断ったほうが面倒だと思っただけだ。クソ世一と旅行なんて最悪以外の何物でもないがな」
「ふぅん。まぁこうなった以上楽しもーぜ。日本も結構いい所だぞ」
「クソ興味ない」
カイザーは結構自身の見られ方を気にしている。メディアを通した自分を、ミヒャエル•カイザーを完璧にプロデュースし続けている。一方潔はというと割と素の状態が多いのでカイザーって生きづらそうとか思っていたりもした。
仕事を何度も断ればメディアからの印象は悪くなる。サッカーに支障は出ないように仕事をこなすことにかけてはカイザーはうまいことやっているようで、最初潔は普段の高慢な態度とのギャップにびっくりしたものだ。
「確かに、取材とかめんどくさいよな。俺はサッカーだけしてたいのに。あ、ファンサービスは別だけどさ」
「なんだ世一、日本に来てガキみたく目ぇキラキラさせといてよくそんなこと言えるな」
「うっせ、俺先に風呂はいるわ」
空港を出てウキウキしていた所をばっちりカイザーに見られていた。恥ずかし。俺ばっかはしゃいで馬鹿みたいだ。
ごまかすように風呂へ向かう。湯船に浸かればきっとこの気持ちも有耶無耶になってくれるだろうし。
そんなことを考えている潔には、カイザーが向けた射抜くような視線に気づく余地もなかった。
カイザーと同じ部屋で寝泊まりし、五体満足で帰ってこれただけでもはや奇跡だった。
その後はまぁひどいもんだったが。辛うじて行く場所は指定されているだけマシだったがマシなだけだ。基本ツーショット(つまり仲良し笑、な自撮り)との司令であったがこれがキツい。カイザーとくっついて仲良く写真取るとか、なにそれ新手のI KILL YOU?身バレ防止のためにおいそれと人には頼めないし、そうなると二人が画角に入ってるからセーフ、とかはできないし。
旅も半ば。今日は河川敷で行われている桜祭りに来た二人は屋台を物色していた。桜はまだ盛の手前。にも関わらず結構人がいる。人の合間を縫いながら進んでいく。焼きそばやたこ焼きはスタンダードでカイザーも楽しみやすそう、あえてたませんとかもありか、なんて潔は歩きながらつらつら考えていた。ふとカイザーが足を止める。潔もつられて立ち止まった。
「世一。これはなんだ?りんごがクソテカテカしてる」
カイザーが指差す先には真っ赤なりんご飴があった。
「あー。これりんご飴。ドイツにはない?」
「見たことない。うまいのか?」
「気になるんなら食おうぜ。俺いちご飴にする」
ここまではよかった。剛胆な性格の店主はカイザーにおっきな笑みを浮かべて好きなの選んでき!なんて言っていたし、カイザーもふぅむと手を顎に当て少し吟味して一番丸くて綺麗なりんご飴を選んだ。お会計は世一持ち。カイザーがりんご飴を見つめている横で、潔はいちご飴をパクリと頬張……れなかった。カイザーが腕を掴んで止めたのだ。
「おい、なんだよ」
「おいおいクソ世一。写真撮れって言われたのを忘れたのか?飴如きでそんなことも忘れるなんて世一の脳みそはよっぽどちいちゃいのねぇ」
「む」
図星だ。先程双方顔が引き攣っていたもののまぁなんとかツーショットを1枚撮ることに成功し、なんかノルマ達成感が出ていたので余計に。カイザーに指摘されるのもなんかしゃくで。てかお前言わなきゃそれで良かったじゃん、写真とか撮りたくないだろ。ため息を一つつく。
カイザーはそんな潔の様子に上機嫌になり、りんご飴を杖でも振り回すように左右に振って、潔の言葉を待っている。いつだって、こと潔を不快にさせるためならこの男はなんでもしてしまう。
どうしていつもこうなるんだろう。潔はピッチの上でこそカイザーといがみ合うことはあるものの、日常生活にまでそれを持ち込むつもりは毛頭ない。ただ、カイザーがちょうど神経に障るようなことを言ってくるので、ついつい応戦してしまう。その後で全部カイザーの計画どうりだと気づく。反射で言い返してしまうので毎度抗えないのだ。
「分かった。写真撮るからちょっと端寄れ。ここだと邪魔だろうし」
と、カイザーの腕を引っ張った。
瞬間、カイザーの体がつんのめって倒れ込みそうになり、カイザーは思わずりんご飴から手を放して手をつこうとした。潔はとっさにぎゅっとカイザーの腕を掴んで倒れ込まないように持ち上げて、もう片方の手でなんとかりんご飴をキャッチ。
「ふぅ、危ねー。カイザー怪我は?お前がコケそうになるとかウけるわ」
冗談っぽく言いながら抱きとめたカイザーを引っ剥がす。ギョッとした。
カイザーはびっくりしたネコちゃんみたく目をまんまるにして固まっていた。大方状況を理解しきれずフリーズしたといったところか。まるで宇宙猫。
潔は思った。あ、やべ。
「クソ世一ぃ……。お前は本当に俺の神経を逆なでするのが好きねぇ……」
案の定、意識の戻ってきたカイザーはヤクザもビックリなドスの効いた声でそう言った。掴みかかられた二の腕がギリギリ音をたてている。
「痛い痛い痛い!!手ぇ離せ!」
「黙れクソ世一。トドメを指してやるよ」
「そんな強く引っ張ってないし!よそ事考えてたカイザーが悪い」
すると以外にもカイザーは引いた。不気味〜。いつもはあんなに強情なのに。
「ちっ、もういい。りんご飴寄越せ」
カイザーは潔からりんご飴をひったくると、カプリとりんご飴に齧りついた。潔もつられていちご飴を頬張る。あ、うまいなこれ。
「カイザーりんご飴食べるの下手だなぁ」
「うるさい」
りんご飴と格闘しているカイザーを見て思わず吹き出す。それにむっとした表情で睨んでくるがそんな顔をしても全く怖くない。なんなら少し子供っぽくてかわいいくらいだ。 こいつは顔がいいしサッカーが上手いので大抵の事は許されるだろうに、どうしてこうも性格が残念なんだ。 カイザーは潔の内心などつゆ知らず、りんご飴を食べることに真剣になっていた。
木漏れ日が当たり、輪郭を縁取るように彼の金髪を照らす。きらきら輝いていて、眩しくて目をそばめた。青く染まった金色を春風が揺らして、桜の花びらが色を添える。そんな潔の視線にカイザーが気が付かないわけがなく、なんだと言いたげに見返してくる。いやお前のせいだよと言いたいのを飲み込む。するとカイザーはりんご飴を差し出した。
「なんだ世一ぃ。食べたいならそう言え」
「ん?」
「だから、そんなにりんご飴が食いたいなら素直にそう言え。流石に俺もそこまではクソ薄情じゃない」
なんだか勘違いされているようだ。ただ手持ち無沙汰だから見てただけなんだけど。でも折角だし甘えておこう。甘いものは結構好きだし。
「うん、ちょっと食いたい」
カイザーはそれに満足そうに頷くと潔の口元にりんご飴を差し出した。食べろというのだろう。餌付けみたいだ。潔は差し出されたりんご飴を一口かじる。うん、やっぱりうまいなこれ。
カイザーが何故か満足そうなのでまぁいいかと思う。潔がりんご飴をかじるのを見るカイザーの顔が、なんかいつもより柔らかい気がしたものの、すぐにカイザーはいつも通りにムカつく顔に戻ったので、気のせいかなとも思った。
写真を撮るのはすっかり忘れていた。カイザーに怒られた。お前も忘れてたくせに。
本日のホテルは無事に別部屋であった。潔はホテルに戻ってから風呂に入り、髪を乾かす。カイザーも髪乾かしているだろうか。基本ネスにすべてを任せているイメージがあるけど一人でできんのかな。まぁ別にどうでもいいんだけど。
ドイツは結構楽しいけど、やっぱり日本が一番落ち着くなと思う。 そう思いながら眠りについた。
その後も本当に色々あった。主に潔の精神はボロボロだし、カイザーはなんか上機嫌でキモいし。
でも、この数日間でカイザーとの距離は近づいた気がする。カイザーは日本語がほとんど分からないため潔に頼らざるを得ない。普段ならカイザーだって意地になって一人でなんとかしようとするもんなのに、だんだん面倒臭くなってきたのか潔を顎で使うようになった。初日正午の出来事である。いくらなんでも早すぎる。あれはなんだ、なんて読む、連れて行け、あれ食いたい等々。
あのカイザーが頼ってくるなんて珍しすぎる。正直鬱陶しさも感じるものの、素直なカイザーに気分を良くしたので直々にエスコートしてやった。現金なものだ。
ときは飛んで最終日の夜。これでこの数奇な旅も終わりを迎える。明日の朝には飛行機に乗ってドイツまで飛ぶ。そうすればしばらく日本には来れないだろう。少し名残惜しい。この数日間はサッカーとは無縁だったせいか、寂しさのせいか、中々寝付けないでいた。
海の近くのホテルのせいか波音が煩わしい。スーツに頭をこすりつけた。
潔は寝ようと努めたものの、ガバっと起き上がって部屋を後にした。心がざわざわしていてどうしようもないので仕方ない。スマホだけをひっつかんで雑にポケットにいれた。
ホテルを出て、浜辺へと進む。サクサクと小気味いい音を立てて波打ち際へ行き、膝を抱えて座り込んだ。 夜の海は暗くて何も見えない。波の音だけが響いていた。 穏やかな孤独が潔を包む。
この数日間でカイザーとかなり打ち解けたと思うし、なんだかんだいい思い出になったなと思う。むかつくことの方が多かったけど。 そんなことをつらつらと考えていると、突然後ろから声をかけられた。 振り返るとそこには見覚えのある人物が立っていた。いや、見覚えがあるというか、ついさっき会った人物だ。 カイザーがそこに立っていたのだ。何故ここにいるんだろう。潔は困惑したままカイザーを見る。 カイザーは潔の隣に座った。
どうせ、世一は自己管理が下手ねぇなんて言われると思った。それが今まで通りで普通だから。でも違った。カイザーはポツリポツリと日本で作った思い出を話し始めた。 東京は人が多すぎてクソ不快だ、あの神社の階段はクソ長かった、りんご飴はクソ食いづらくてクソ美味かった……
意図が分からない。なんでわざわざ俺を追いかけてきて、こんななんでもないことを話しているのだろう。
不意に、カイザーが立ち上がった。靴も靴下も脱ぎ捨てて、裾ををまくってバシャバシャ音を立てて海へと入っていった。
「おい!何してんだよ!」
思わず声を荒げる。まるで正気とは思えない。夢であればどれほど良かったか。でも、潮風の独特な匂いと穏やかな波音がそれを許さない。これは紛れもなく現実だ。波打ち際で足を止める。
カイザーは潔など気にもせずどんどん海に入っていく。
すると、カイザーの歩いた軌跡が青く輝き出した。淡い青が広がって、海を染めていく。綺麗だった。目を奪われた。
カイザーはもう腰まで海に浸かっている。まくった裾も濡れてしまっていた。
何が起こっているんだ?分からない。ただ、潔の心を占めているのは焦りだ。恐怖ではない何か別のものが心を支配する。 カイザーがこちらに振り向いた。月は欠けていた。海の光と月の光は淡すぎて、カイザーの表情はよく見えない。泣いてるようにも、笑ってるようにも見えた。
カイザーがかすかな、波音にかき消されそうな声で言った。
「世一」
それが合図であったかのように、潔の体も動いた。ざぶざぶと音を立てて海に入る。冷たくて気持ちいいはずなのに、心臓の音がやけにうるさい。 海水は腰まで浸かったところで止まった。不思議と恐怖はなかった。
カイザーの顔を見た。笑っていた。まるでいたずらに成功した子供みたいな。取り繕っていないそのままの笑み。カイザーの心の柔いところに触れてしまった様な気がした。
夜の海にカイザーの金色の髪がぼぅと浮かび上がり、その輪郭は夜の海に溶け出していた。夜闇が彼の黄金色を暗くする。いつもはあんなに眩しいのに、今は優しい色をしていた。夢みたいだった。
「世一ぃ、びっくりしたか?」
「そりゃあ驚いたよ!急に海に入ってくとか何考えてんだ!」
「そう怒るなよ。お前に見せたかったんだよ、これを」
そう言ってカイザーは海面を指し示す。いつの間にか波打ち際は青く染まり、潔達の周りも取り囲むように青く光っていた。
「これは夜光虫だ。刺激に反応して青く発光する。見られるかどうかは賭けだったがな」
「はぁ?どういうことだよ」
「何度も言わすな。見せたくなったんだよ」
そんなコト言われても分からんもんは分からん。何なんだよ、見せたくなったって。
潔がカイザーを呆然と見つめていると、カイザーは潔に近づいてきた。限りなく距離が近くなる。身じろぎすれば肌が触れてしまいそうなほどに。
深い海の色をした瞳が潔を射抜く。変にドキドキしてる心まで見透かされてしまいそうだ。
瞬間、カイザーに腕を引っ張られて海へと頭から突っ込んだ。急に海の冷たさが体にしみて背筋がぞわっとした。あわてて体を起こす。口がしょっぱい。目がシパシパする。 カイザーはそんな潔を見て爆笑していた。酒呑んだときもそんな笑ってなかったろ。さっきの笑顔が嘘みたいだ。もしかしたら幻覚だったのかも。
笑いすぎて涙が出てきたカイザーはそれを袖で拭いながら潔を見下ろし言った。
「無事仕返し成功だ。世一ぃ」
「はぁ???」
びっちょびちょの髪の毛をかきあげて殺気混じりの視線を送る。危うく溺れるかと思った。海の怖さを知れ。俺は埼玉県民だが。
仕返し、となるとついこの間のりんご飴事件のことかと一泊おいて合点がいった。唯の事故だったのにやり返さないと気が済まないのかと呆れてしまう。
「世一、」
また名前を呼ばれた。
この数日間でカイザーの色々な表情を見てきた。だからだろうか、もう何を言われても驚かない気がする。潔はじっとカイザーを見つめた。 するとカイザーが口を開いた。 その目は夜の海のように凪いでいた。そして、まるで秘密を打ち明けるかのようにそっと呟いた。
「見せたかったんだよ。世一にみせられてばっかだったから」
それは、波の音にもかき消されてしまうほど小さな、潮風で掠れた声だったけれど、潔の耳には確かに届いた。カイザーの顔ははっきりとは分からなかったけれど、潔はその顔を見て、カイザーも泣きそうに笑うんだなと思った。 カイザーは潔の手を引いて浜辺へと戻った。そしてそのままホテルの方向へと歩いていく。
長い事海に浸かっていたせいで体は冷え切っているのに、繋いだ手だけがひどく暖かかった。指先から伝わる熱が二人をしっかりと繋いでいた。
潔はもう何も言わなかった。ただ黙ってついていくことにしたのだ。 そうしてホテルに戻るまで一言も喋らずに歩いたのだった。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。きっとこの夜の海が心地よかったせいだろうと思う事にした。
各自の部屋へ戻り、寝ぼけ眼でシャワーを浴びてそのままベッドイン。翌朝までぐっすり安眠であった。が、
「あ゛〜〜!!!!スマホ水没してんじゃん!アラーム鳴んなかったのこのせいかよ!!カイザー起きろ!空港行くぞ!!」
「チッ……。うるせぇ俺は寝る」
「寝起き最悪かよとっとと起きろ!このままじゃ飛行機に間に合わない!」
なんとスマホは海水によって完全に壊れていた。昨夜はそこまで気が回らなかった。勢いで入水しちゃったし。
カイザーのスマホは生きていたもののカイザー自体寝起きが大変よろしくないのでアラームがかかっていようが起きれなかった。潔もまさかスマホが死んだとは思っていなかったため起きたのは出発時刻ギリギリ。カイザーの状況はよくわからなかったのでドアを叩きまくり最終蹴破って突入した。現役サッカー選手の脚力を舐めるなよ。後でホテルの人には謝った。出禁にされた。
カイザーを最低限整えて部屋から飛び出す。チェックアウトを爆速で終わらせタクシーに飛び乗った。その間カイザーはポヤポヤしておりタクシー内で二度寝をぶちかましていた。コイツ……。
無事飛行機に乗りドイツへと向かう。何故か今度もカイザーの隣だった。多少は嫌だったが、思い出話に花が咲いたおかげでいつもより1割位はギスギスしていなかった。俺等も成長したなぁと潔はこっそり感動した。
カイザーとの旅行も一時はどうなることかと思ったが、無事に終わりそうだ。
そんなことはなかった。
なんと世一のスマホのデータは海水により全てぶっ飛んでしまったようで、基本潔がすべての写真を撮っていたため旅行内の写真は綺麗さっぱりお亡くなりになった。一応カイザーにも確認したらしいのだが1枚も撮っていなかったらしい。そんなことある??出版社の人は苦笑いだ。そりゃそうだろう。勢いで海に入ったらスマホ水没しましたとかあまりにもアホすぎる。
結局写真が無い以上取材自体がおじゃんになってしまった。ノアにもやんわり怒られたし、マネージャーは激烈に怒こっていたし、出版社の方には深く謝罪をして事なきを得たが、スマホが壊れる原因を作ったカイザーはというと反省の色はあまり見られなかった。むしろ謝罪に東奔西走する潔をよそ目にトレーニングに勤しんでいた。この旅行で上がったカイザーの好感度はゼロになった。マイナスじゃないだけマシな方だ。
「カイザぁ。何か俺に言う事あるだろ」
「あぁ、世一。トレーニングそっちのけで大変そうだなぁ」
「やっぱお前のコト嫌いだわ」
「奇遇だなぁ世一。俺もだ」
1ミリでもカイザーから謝罪の言葉が出ると思っていた俺がバカだった。でもそう思ってしまうほど俺はカイザーに絆されてしまったのかもしれない。
コイツのことは嫌いだけど、コイツとのサッカーは好きだから。
だから今日も今日とて俺はボールを蹴る。ミヒャエル•カイザーを喰らい尽くすために。
🌹
おまけ&補足のカイザー視点↓
ドイツで世一と再開した日はよく覚えている。ブルーロックにいた頃と同じギラギラした目で見つめてこられたものだから柄にもなく興奮したものだ。
でも、それはすぐに変わった。世一は慣れないドイツという土地に翻弄され、二軍で燻り、ドイツ語も満足に話せなかった。調子は最悪。
そんな世一の様子を直々に見てやろうと接触を測れば、たどたどしい幼児以下の発音、バサバサの髪の毛、目の下にはくま、どうやら相当参っているらしい。
そんな世一をみて、俺は同情でも嘲笑でもなく、怒りを覚えた。
弱った世一を潰したってなんの意味もない。世一がBMで活躍し、それを俺が実力でねじ伏せて初めて俺の「不可能」は証明されるというのに。
そうして、気づけば飯を奢っていた。なぜだ。マジで記憶がない。
一度踏ん切りが付けばもうどうでも良くなった。時間があれば世一に構い倒し、ドイツ語を教えてやった。公共料金の支払いから電車の乗り方だの諸々ドイツで生きていく上で必要な知識も一緒に。
なにせ罵倒されても発音がぐちゃぐちゃすぎてさっぱり理解できないため、この頃だけは二人の間には穏やかな言葉だけがあったことは何故かよく覚えてる。
潔世一は適応能力の天才。俺の干渉から数ヶ月で絶不調もどこへやら、さっさか一軍へ移行しFWとして頭角を現していった。当然罵倒の語彙は豊富、何なら日常会話よりよほど流暢に話していた。
そこから数年の時が流れた。
俺と世一はBMのツートップとして活躍していた。だがセット売りされているのだけは勘弁して欲しい。俺の方が絵になるだろ、普通に。クソ平凡双葉と同列扱いなんてクソ不快。
そんな頃に舞い込んできた取材。チャンスだと思った。二人きりならば世一も俺を構わざるを得ない。それに漬けこみ世一の全てを暴き出してやる。どうせ久々の日本だとはしゃぐだろうし、その隙を狙おうと画策した。
メディアに消費されるのは遺憾だが、これも必要な投資だと割り切って。
かくしてこの俺、ミヒャエル•カイザーは潔世一と仲良く(笑)旅をすることとなったのだ。
結論から言おう。計画は大失敗、最悪の結果だ。
想像以上に異国の地というものは精神的に負荷がかかった。
別に試合で他国へ行くことなんぞ頻繁にあるが、あれは単にサッカーをして帰ってくるだけのことだ。現地の言語に触れることなんて殆どない。基本会話は全て英語だ。
でも、この旅行ではそうもいかない。話さなければいけない。読めなければいけない。英語はなかなか伝わらないし、聞こえてくる言葉は全て日本語。耳馴染みのない音とドイツと全く違う環境はすぐに精神を犯してきた。
世一がいなければ早々に日本の義務教育の敗北にブチギレて帰国していただろう。そう、世一がいなければ。
俺が日本人との会話を半ば諦めた頃合いから世一は世話を焼くようになった。正直世一に頼るのは死んだほうがマシだったが如何せん日本語がさっぱり分からんもんだから仕方ない。そう自分に洗脳をかけ正気を保っていた。
ふと、世一がドイツへ来た頃のことを思い出した。あの頃の世一はこんな気持ちだったのか、と素っ頓狂な考えがぽんと思い浮かんだ。いつもならこんなこと考えもしない。人の苦しみとか知ったこっちゃないという主義なもので。
世一の全てはサッカーで出来ている。じゃあ、渡独して実力を発揮できていなかった世一は死んでいた様なものだ。俺が、潔世一という男を生かした。
その事実に実に気分が良くなった。
ならば俺は世一を頼っているのではなく手助けしてやった対価を受け取っているだけなのでは?むしろこき使ってやるべきだ。そう結論付けたのでそのあとの旅行は割と楽しめた。
世一は俺の要求を素直に受け入れるし、日本の春はぽかぽかしていて気分がいい。
流石に腕を引っ張られて無様にコケそうになったときはキレかけてしまったがキレてないのでギリギリノーカンだ。
柄にもなく、嬉しくなってしまった。なんでもないただのりんご飴だったのに。真っ赤にツヤツヤ輝くそれを見て、心臓みたいだと思った。潔世一の、心臓。外側はクソ甘くて、でもその内側に本質がある。ほんのり甘やかで、柔らかくて、でも芯はあって。それでいて輝いている。
りんご飴に気分を良くし気を取られていたせいか、それで転びかけたのだ。
クソムカツクが100自分のせいだからすぐに引いた。世一はドン引きしていた。おい。
まぁ、詫びとしてりんご飴を下賜してやった。世一もチラチラこちらを見ていたしこれでチャラだ。もっ、とりんご飴に齧りついた世一がまるで小動物のようで餌付けみたいだと思った。
だが、この数日間俺は世一に与えられてばかりだった。そんなのはごめんだ。俺は皇帝、ミヒャエル•カイザー。施す側であり、圧倒的強者。ならばこのままでは終われない。
そう思って隙間時間を活用し色々とリサーチしていた。何か一つでも、世一の度肝を抜くようなことをしてやれば、何か俺が勝った感じになるだろう的な。
思い返せばちょっとしたハイになっていた。或いは旅行で柄にもなく浮かれていたか。じゃなきゃこんな短絡的な思考はしていない、はずだ。
検索に引っ掛ったのは青く光る海。どうも最終日のホテルはビーチに直結しているらしく、今の季節には夜光虫が発生しているそうだ。
世一はマネージャーから送られてきたリンクを全く見ていないと言うし、これも知らないだろうと踏んだ。
見られるかどうかは賭けだ。でも今は何故か見られるという確信があった。不可能上等。最悪ホタルイカでも買ってきて撒けばなんとかなるだろ。
静寂が夜を満たしていた。真夜中、世一を呼び出そうとドアに張り付きタイミングを伺っていたが、なんと世一は部屋をあとにした。これは好都合だ。こそ泥よろしく世一の後をつける。ちなみにホタルイカは買わなかった。流石に世一に怪しまれず入手することはできなかったから。
どうせ世一のことだから中々寝付けず夜風にあたるついでに海に行くと踏んだが大当たりだった。
世一は砂浜に座り込んでいた。サクサクと足音を立てて近づくと振り返った世一と目が合った。言うこともないのでその視線を無視して隣に座った。
さぁ、ここからどうしようか。気まずい雰囲気が漂う。
世一と同じように目の前に広がる海を眺める。波音が心地良い。潮風がベタベタと肌に張り付いてくる。
生ぬるい風と周期的な波の音はゆりかごのように理性を溶かしていく。
気づけば口から言葉が溢れた。
それは世一と過ごしたこの数日間の思い出だった。なぜ話したのかは自分でもよくわからない。思い出を戸棚へ整理してしまうように口にする。世一は何も言わなかった。それがかえって息苦しかった。
そんなことを思ったら止まらなくて、結局頭に浮かんだ言葉を全て口にしてしまった。 最悪だ。こんな子供みたいな真似をするとは思いもしなかった。
でも、もうどうにでもなれと思った。俺は潔世一の全てを喰らってやろうと決意したのだから。だから、最後に俺のエゴを見せてやる。 そう意気込んで勢いよく立ち上がる。世一が驚いて身じろぎする音がした。 そのまま海へと足を進めていった。 裾を上げて靴を放り出してバシャバシャ音を立てて海へと入る。 海水が冷たくて気持ちよかった。水を蹴るようにして足を進める。
冷えていく思考、でもその奥にある熱い塊が確実に脳を焼くように焦がす。 青い光が足元から広がっていく。夜光虫は鼓動に呼応するように光り始めた。 後ろから世一の足音がした。何か言っている様だけど無視して進む。
腰まで海水に浸かったところで立ち止まった。
振り返る。
世一は波打ち際でためらっていた。表情は見えなかったが、考えていることは手に取るように分かる。
優しくなんてしてやらない。崖下に突き落とすように言葉を紡ぐ。今度はこぼれ落ちたものではなく、はっきりとした意思を乗せて。
「世一」
弾かれたように世一が走り出した。躊躇せず海へと入っていく。
世一の踏み出した足元から青い光が広がった。夜光虫の光は歓喜するように世一を包み込んだ。
潔世一という存在はいつだってそうだ。俺の人生を狂わせる。俺がサッカーに魅せられたように、世一もまた、サッカーによって生かされている。その輝きは時に俺を焼き焦がし、時に心臓を強く脈打たせる。 この感情の正体がなんなのかは分からない。
だが、そんなことどうでもよかった。ただ目の前の心臓を喰らい尽くしたいという本能だけが頭を占めていたから。まんまと懐に飛び込んできた世一がいじらしくて思わず笑みがこぼれた。
「世一ぃ、びっくりしたか?」
笑いながら問いかける。世一は徹頭徹尾混乱しっぱなしだ。そりゃそうだろう。険悪なチームメイトが突然海に入っていくとか正気の沙汰ではない。こいつは俺が自殺するとでも思っているのだろうか。
世一がこうして情けなく頭を悩ませている姿を見てると入水自殺まがいのことをしたかいがあるというものだ。
あ、いいこと思いついた。
目的を気取られないようにそっと世一に近づく。視線が重なる。まだ近づく。まつげが触れそうなほどに。どちらかが身じろぎすればきっと触れてしまう。
世一の瞳は吸いこまれそうな程に深い藍色だった。フィールドを統べる苛烈な藍。
世一の意識の全てが俺に集中する一瞬を狙って腕をぐいと引っ張る。俺は抱きとめてやるような優しさは持ち合わせていない。
バシャンと大きな音を立てて世一が頭から海に突っ込んだ。飛沫が少し目に入って痛い。
腹のそこから笑いがこみ上げてくる。堪えきれずに大声を上げて笑った。こんなに笑ったのはいつ以来だろうか。笑いすぎて涙が出てきた。あー、クソウケる。
あまりにも計画通りに行き過ぎて自分が恐ろしいな。
世一は全身濡鼠で髪を乱暴にかきあげてこちらを睨みつけている。その目はシリアルキラーそのものだ。確実に殺すという硬い意志を感じた。やっぱコイツ面白いな。
まだ夜光虫は青く輝いていた。でも、月は欠けていた。淡い光だけがあった。世一の輪郭すら曖昧にするこの夜闇の中なら、言える気がした。
コイツはクソ鈍感だし、俺のことを理解されたいとも思わないけど。この数日間の礼代わりに、特別に。
「見せたかったんだよ。世一にみせられてばっかだったから」
こうして世一に何も飾っていない裸の言葉を投げかけるのは久しぶりだ。あの頃から俺達の本質は何も変わっちゃいない。ただ、俺達の間に名付けられる言葉だけが変わっていた。また変わるのだろうか。そうだといい。あぁ、思考回路が焦げ付いてうまく考えが纏まらない。
目の奥が熱くなる。まつげがふるふると震えて、それでも世一は俺を見つめていた。その顔ははっきりとは分からなかった。
瞳から一筋だけ涙がこぼれた。頬を伝ったあついそれはすぐに落ち、海と混ざりあった。
どうして涙が流れたのかは分からない。誤魔化すように世一の手を掴んで浜辺へと向かう。その手は涙と同じ熱があった。
世一はきっと涙には気づいていない。あのクソお人好しは気づいたならば俺相手だろうときっと涙を拭いに来たろうからな。
世一の沈黙が、今はとても優しく感じられて居心地が良かった。
結局その後ホテルで気持ちよく惰眠を貪っていたと言うのに世一に叩き起こされた。最悪の目覚めだ。
そうして、あれよあれよと言う間に飛行機にぶち込まれ気づいたらドイツに帰ってきていた。なんともあっけなく旅は終わりを迎えてしまいなんとなく腑に落ちない。
世一のスマホデータがぶっ飛んだと聞いたときは流石に爆笑してしまった。コイツあまりにも愉快すぎる。矢張り道化の素質あるな世一。
「カイザぁ。何か俺に言う事あるだろ」
ロッカールームに入ってきた世一が不満の色を隠さず言った。まぁ俺が労る理由もない。
「あぁ、世一。トレーニングそっちのけで大変そうだなぁ」
「やっぱお前のコト嫌いだわ」
「奇遇だなぁ世一。俺もだ」
世一め、俺が謝るとでも思ったか。ばーか。
結局俺とお前は何時までもサッカーし続けるだけだ。それ以外はなにも必要ない。そうしていつものように青薔薇を撫で、今日もフィールドへと向かった。
日が沈んだすぐあとの藍が
大好きなのは
あなたの瞳が僕の泣いてるとこ
見えなくていいから
コメント
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やばい神作すぎる……めちゃくちゃ好きです!長かったですね……何文字くらいですか? 神作ありがとうございました! フォロー失礼します!