テラーノベル
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莉麻
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大いなる厄災が消えた夜。
空には、もう月がなかった。
正確には、月がなくなったわけではない。
長い長い戦いの末に、魔法使いたちがようやく取り戻した夜空には、これまで何度も見上げてきた月が、以前とは比べものにならないほど穏やかに浮かんでいた。
誰もが、終わったのだと思った。
長い戦いが。
何度も繰り返された別れが。
傷つきながら、それでも明日へ進むしかなかった日々が。
ブラッドリーは、崩れかけた城壁の上に座っていた。
隣にはネロがいる。
二人とも、ひどく疲れていた。
「……終わったな」
ブラッドリーが言った。
「ああ」
ネロは短く返した。
それだけだった。
二人とも、長い付き合いだった。
だから、それ以上の言葉はいらなかった。
ブラッドリーは夜空を見上げる。
「なあ、ネロ」
「なんだよ」
「俺たち、ちゃんと生き残ったな」
「……そうだな」
ネロが小さく笑った。
「お前、死ぬ気だったろ」
「まさか」
「嘘つけ」
「ははっ。まあ、ちょっとくらいはな」
「ちょっとじゃないだろ」
呆れたような声。
けれど、その声には怒りよりも安堵があった。
ブラッドリーはそれに気づいていた。
だから、笑った。
「でもよ」
「ん?」
「生き残ったんだから、これからは好きに生きればいいんだろ?」
「……そうだな」
「だったら、お前の飯、もっと食わせろ」
「結局それかよ」
ネロが呆れる。
けれどブラッドリーは、楽しそうに笑っていた。
「だってお前の飯、うまいからな」
「はいはい」
「なんだよ、その反応」
「何年聞いてると思ってんだ」
「何年経っても言うぞ」
「……勝手にしろ」
その夜。
二人は、まだ知らなかった。
この先にある長い人生を。
戦いのない朝を。
魔法の必要ない日々を。
そして――
二人の人生が終わった、そのさらに先を。
*
それから、何十年も経った。
世界は少しずつ変わっていった。
大いなる厄災を討ち果たした英雄として、ネロとブラッドリー、ほかの魔法使いたちは長く語り継がれた。
ネロは、それを聞くたびに、
「本人が聞いたら調子に乗るぞ」
と言った。
実際、本人は調子に乗った。
「もっと褒めろ」
「もう十分だろ」
「英雄なんだぞ、俺」
「はいはい」
「お前も俺がいなきゃ死んでたろ」
「それはお互い様だ」
二人は、相変わらずだった。
ブラッドリーは歳を重ねても豪快で、よく食べ、よく笑った。
ネロは相変わらず料理を作り、文句を言いながらブラッドリーの分まで食事を用意した。
ただ、一つだけ変わったことがある。
ブラッドリーが、以前より少しだけ静かになった。
ある夕暮れ。
二人は並んで座っていた。
若い頃なら、ブラッドリーは何かしら喋っていただろう。
けれど、その日は違った。
「……ネロ」
「なんだ」
「俺たち、結構長く生きたな」
「そうだな」
「もっと生きられると思うか?」
ネロは少しだけ黙った。
「さあな」
「お前らしいな」
ブラッドリーが笑った。
「でも」
ネロは続ける。
「もう、十分だろ」
「……そうだな」
風が吹いた。
昔なら気にも留めなかったような、穏やかな風だった。
「なあ、ネロ」
「なんだよ」
「もし次があるならよ」
「次?」
「ああ」
ブラッドリーは空を見た。
「また、お前と飯食いてえな」
ネロは少しだけ目を細めた。
「……お前、最後までそれかよ」
「いいだろ」
「別に」
ネロは笑った。
「俺も、まあ……悪くないと思う」
「だろ?」
「だからって毎日食わせるとは言ってないぞ」
「ケチだな」
「誰がケチだ」
二人の笑い声が、静かな夜に溶けていった。
そして。
二人は、それぞれの人生を最後まで生きた。
誰にも奪われることなく。
戦いだけではない人生を。
大いなる厄災を討ち果たした英雄としてではなく。
ただのブラッドリーとして。
ただのネロとして。
互いの隣で。
*
――そして。
「……腹減った」
それが、現代日本に生まれ変わったブラッドリーの最初の感想だった。
「は?」
隣にいたネロが眉を寄せる。
二人とも、見慣れない景色の中にいた。
高い建物。
走る車。
光る看板。
空を飛ぶ魔法はない。
箒もない。
魔法使いもいない。
そして何より。
自分たちの身体が若い。
ブラッドリーは自分の手を見た。
「……若返った?」
「いや」
ネロも自分の手を見る。
「生まれ変わったんだろ」
「……本当に?」
「たぶん」
「たぶんって、お前な」
ブラッドリーは周囲を見回した。
そして。
「ネロ」
「なんだ」
「ここ、魔法使いどころか魔法そのものがないんじゃねえか?」
「……みたいだな」
「じゃあ俺、何すりゃいいんだ?」
「知らないよ」
「お前は?」
「……料理」
「やっぱそれか」
二人は顔を見合わせた。
そして、同時に笑った。
前世と同じ笑い方だった。
*
それから二人は、現代の世界で生活を始めた。
最初は何もかもが分からなかった。
スマートフォン。
電車。
コンビニ。
電子レンジ。
自動ドア。
ブラッドリーは何度も驚いた。
「これ、魔法じゃねえのか?」
「違う」
「じゃあどうやって動いてんだ?」
「俺に聞くな」
「ネロ、お前こういうの詳しいだろ」
「前世では魔法の道具しか触ってないんだよ」
それでも、二人は少しずつ覚えていった。
そして、ネロはある日、小さな料理店で働き始めた。
料理の腕は、転生しても変わらなかった。
ブラッドリーはというと。
「俺は?」
「働け」
「何の?」
「知らない」
「お前、冷たくねえ?」
「前からずっとそうだろ」
結局、ブラッドリーも働き始めた。
けれど、仕事が終わると必ずネロのところへ来る。
「飯」
「まだできてない」
「腹減った」
「知らない」
「なあ、ネロ」
「うるさい」
「腹減った」
「子どもかよ」
そんなやり取りを、毎日のように繰り返した。
けれど。
二人には、分かっていた。
これは、あの頃とは違う人生なのだ。
戦いもない。
魔法もない。
厄災もない。
誰かを守るために命を懸ける必要もない。
ただ朝起きて。
働いて。
飯を食って。
眠る。
それだけの日々。
ブラッドリーは、最初、それを少し物足りなく感じていた。
「なあ、ネロ」
「なんだ」
「平和って、暇だな」
「……贅沢言うなよ」
「分かってる」
ブラッドリーは窓の外を見る。
「分かってるけどよ」
少しだけ笑った。
「こういうのも悪くねえな」
ネロは答えなかった。
ただ、皿を二枚、テーブルに置いた。
「食え」
「おう」
「冷めるぞ」
「分かってるって」
二人は向かい合って食事をした。
前世と同じように。
*
ある夜。
ブラッドリーがネロの家を訪ねた。
「ネロ」
「なんだよ、こんな時間に」
「……月、見たか?」
ネロは窓の外を見た。
そこには、現代の夜空があった。
ビルの光で星は少なく見える。
けれど。
月だけは、昔と変わらずそこにあった。
「……ああ」
「同じだな」
「そうだな」
ネロは窓辺に立った。
「俺さ」
「ん?」
「前の人生で、長生きはしたくねぇって思ってた。」
ブラッドリーは黙って聞いていた。
「でも今になって思うんだよ」
ネロは月を見上げる。
「結局、俺はまた生きてる」
「……そうだな」
「しかも」
振り返る。
「お前もいる」
ネロは少しだけ目を伏せた。
「……そうだな」
ネロの言葉に苦笑するように。
「だったら、十分だろ」
「何が?」
「次の人生」
ネロは少し笑った。
「気が早いな」
「何度でも会えばいいだろ」
「……そう簡単に言うなよ」
「なんで?」
「俺たちはもう一回、生きてるんだから」
ネロは窓の外を見る。
「今度は、今の人生をちゃんと生きろ」
「……ああ」
ブラッドリーは笑った。
「もちろん」
そして二人は、月を見上げた。
かつて魔法の世界で何度も見た月。
戦いの夜も。
別れの夜も。
生き残った夜も。
その月が今は、何も知らない顔で現代の街を照らしている。
魔法はない。
厄災もない。
けれど。
二人は確かにここにいる。
ブラッドリーとネロとして。
そして今度こそ。
何かに追われることもなく。
何かを守るために命を投げ出すこともなく。
ただ、隣にいる相手と一緒に。
普通の人生を、生きるために。
「なあ、ネロ」
「なんだよ」
「これからも、飯作ってくれよ」
「……自分で作れ」
「嫌だ」
「なんでだよ」
「お前の飯が食いてえ」
「……ほんと、お前は変わらないな」
「お前もな」
「俺は変わったよ」
「どこが?」
ネロは少し考えて。
「……前より、お前と飯食うのが嫌じゃなくなった」
ブラッドリーが笑う。
「そりゃ大進歩だな」
「うるさい」
二人の声が、夜の部屋に響いた。
月は静かに二人を照らしている。
遠い昔。
魔法の世界で始まった二人の人生は、一度終わった。
けれど。
終わりは、別れとは限らない。
二人がもう一度巡り会えたのなら。
きっと、この先にも。
まだ続きがある。
――今度は、戦いのない世界で。
コメント
1件
読み終わりました……これは、いい話でしたね。 「終わった」という一言から始まる静けさと、そこに滲む“生き延びた”という実感が、最初から最後まで一貫して温かかったです。特に「俺たち、ちゃんと生き残ったな」というブラッドリーの言葉に、ネロが短く返すだけの間――あの沈黙に、長い戦いのすべてが詰まっているようでした。 そして転生後の「腹減った」で再会する流れ、最高でした。前世と同じ笑い方、同じ呼び方、同じ飯のリクエスト。魔法も厄災もない世界で、ただ隣にいるという選択を繰り返す二人に、とても心が温まりました。 私はこういう「同じことを言い合える関係が、何度生まれ変わっても続く」話に弱いんです。設定の切なさと優しさのバランスが素晴らしかったです。