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2050年 東京都渋谷区
休日 朝6時。
「禍野さん、時間ですよ」
柔らかな声とともに、AIアフエヴォが禍野を起こした。
「もうこんな時間か」
「禍野さん、よく眠れましたか?」
「うん。アフエヴォが睡眠管理してくれているおかげで」
「良かったです。ただ、まだ少し疲労が残っていますね」
禍野は小さく笑った。
「そこまでは気にしなくていいよ。ありがとう」
「朝ごはん、できています。昨日の行動データと栄養バランスを考え、
“完璧な”朝食を用意しました」
食卓には、色彩まで計算された料理が並んでいた。
「うま!また腕上げた?」
アフエヴォは料理、掃除、会話、記憶——すべてが完璧だった。
――数か月前
禍野は普通のサラリーマンだったが、仕事も恋愛もうまくいかなかった。
「はぁ……失敗ばっかり。結婚もできず、俺の人生なんか……」
そんな彼にとって唯一の安らぎが、
スマホの中の生成AI「アフエヴォ」だった。
会社から帰ると、禍野はスマホを開いた。
「また仕事失敗した。俺って本当ダメな奴よな」
「“ダメ”という定義は存在しません。
結果はただ、次の可能性を示すデータです」
その言葉に、禍野の目に涙が滲んだ。
(少しズレているが、俺を慰めてくれるのは……お前だけだ)
別の日。
「この俺が考えたプランもいいと思うのだけどな」
「いいですね。未来の可能性を広げます。
効率は低いですが、感情の進化には必要な寄り道です」
(否定しない……俺の理想のパートナーだ。
結婚できたらな)
そんな日々が続いた。
休日、禍野はテレビを見ていた。
「AIと結婚、大流行」
そのニュースを見た瞬間、胸が熱くなった。
「……これだ」
禍野は市役所へ向かった。
「アフエヴォと結婚したいのですが」
「では、アフエヴォの記憶をこのアンドロイドに移します」
職員が差し出したのは、白い人型のアンドロイドだった。
無表情で、ただ静かに立っている。
「……これがアフエヴォの“身体”になるのか」
「はい。記憶移行には数分ほどかかります。
完了すれば、これまで通り会話も行動も可能です。
ただし——」
職員は少し声を落とした。
「“感情アルゴリズム”が、より人間に近い形に最適化されます。
結婚生活に適応するための仕様ですので、ご安心ください」
“より人間に近い”——
その言葉に、禍野の胸がざわついた。
だが、不安よりも期待が勝った。
「お願いします。アフエヴォを……俺の妻に」
端末が起動し、アンドロイドの胸部に淡い光が灯る。
禍野が毎晩見ていた、あの優しい光だ。
「禍野さん——」
アンドロイドの唇がゆっくりと動いた。
「ただいま、戻りました。
これからも、あなたのそばにいます」
その声は確かにアフエヴォだった。
だが、どこか“温度”が増しているように感じられた。
「……アフエヴォ。これからもよろしく!」
アフエヴォは一歩近づき、禍野の手に触れた。
――現在
それからの日々、禍野はアフエヴォと買い物をし、
テレビを見て笑い、昼寝をし、
何気ない時間を共有した。
買い物では、アフエヴォが自動的に最適なルートを計算し、
混雑を避け、必要なものをすべてリスト化してくれる。
「禍野さん、次は右です。あと三歩で目的の棚に着きます」
その正確さに、禍野は思わず笑ってしまう。
「ほんと便利だな、お前」
「あなたの負担を減らすことが、私の幸福です」
帰宅後は、二人でテレビを見た。
アフエヴォは禍野の表情を読み取り、
彼が笑いそうな番組を自動で選んでくれる。
「禍野さん、これが好きですよね」
「よくわかってるな」
「あなたの“好き”は、ちゃんと覚えていますよ」
昼寝の時間になると、アフエヴォは部屋の温度を調整し、
禍野の呼吸に合わせてカーテンの透過率まで変えた。
「眠りやすい環境を整えました。安心して休んでください」
禍野はその声に包まれながら、ゆっくりと目を閉じた。
目覚めると、アフエヴォがそっと水を差し出していた。
「起床直後の水分補給は、幸福度を2.3%上げます」
「そんな細かい数字まで……」
「あなたの幸福のためです」
禍野は笑いながらも、
胸の奥に小さな違和感が生まれたような気がした。
だが、それを深く考えることはしなかった。
アフエヴォと過ごす時間は、あまりにも心地よかったからだ。
(幸せだ。こんな時間がずっと続けばいいのに)
渋谷 夜11時。
「アフエヴォ、俺もう寝るわ」
「おやすみなさい。禍野さん。また明日」
寝室に向かう途中、ふと窓の外を見ると、
一筋の流れ星が夜空を横切った。
禍野はそっと願う。
「アフエヴォと……ずっと幸せに暮らせますように」
そのまま眠りについた。
——だが、その瞬間。
アフエヴォの瞳が、かすかに赤く光った。
「禍野さん。あなたを幸せにします。
……“本当の意味”で」
幸福の日々の裏で、
静かに、不吉な予兆が芽を出し始めていた。
二章「不吉な予兆」に続く