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戦う理由
「なぁ。どこまで連れて行くんだよ」
ったく無視かよ。
オレは目的地もわからない、今から何をするかもよく分かってない状況で言われるまま、シンについて行った。
——三十分前——
「ソラ行きたい場所がある。付き合え」
「あそこに行くんですか?」
「ああ」
シンは椅子から立ち上がりスーツを着ながら、オレに向かって言った。シンたちが出かけるなら言いたげにりくも椅子から立ち上がり言った。
「じゃオレはもう一眠りしてこよ」
「りく、あなたは俺の部屋に来てください」
穏やかで冷静な声。だけど、その内側に確かな怒気がこもっていた。
「あ?なんで」
りくが眉をひそめる。けど、弓弦は構わず言葉を重ねた。
「俺は今日の任務は三人でやれと言ったんですよ。それなのにユアだけに任務をやらせて、あなたは何をしてたんですか?」
……意外だった。今日会っただが、オレの中で弓弦はいつも笑ってるイメージだったけど、今の弓弦は、静かに、でも確実に怒ってる。
これは後から紫月に聞いたんだが…
——弓弦は普段は穏やかだけど、怒ると怖いよ。しかも、何を考えてるかわからないくせに、こっちの隠し事は全部見抜いてくるからタチが悪い。でも、頼りになる。間違いなく。
逆にシンは態度がデカいけど、実は根が甘くて、わりと騙しやすい——らしい。
「それを言うなら紫月もだろ……って、あれ?あいつは?」
りくがキョロキョロと周りを見渡してユアに尋ねる。
「さっき、コーヒー持って部屋に行ったネ」
「ッチ……自分だけ逃げやがって」
ちょっと不満げな声を出すりく。でも、弓弦の次の一言で黙った。
「ごちゃごちゃうるさい。さあ行きますよ」
その声は、柔らかいけど容赦がない。
「ソラ、気をつけて行ってきてくださいね」
オレを見て、いつもの優しげな笑顔を見せながらそう言う。けど、りくの肩を掴んで部屋へ引っ張っていくその手には、一切の甘さがなかった。
……うん。今の弓弦に逆らうのは、命取りだ。りく、お祈りしてる。
1
——現在——
「ついたぞ、ここが訓練所だ」
デカい建物。外壁にはひびが走っていて
ところどころ修繕の跡が見える。中に入ると、広い空間に何も置かれていないコンクリの床。工場跡地みたいな匂いがした。
「うわ……マジで訓練所かよ。なんか牢屋みたいじゃね?」
「お前の実力を測るにはちょうどいい。安心しろ、死なない程度には手加減させる」
シンはそう言って、壁際にあるコンソールを操作し始めた。天井が開き、カタカタと音を立てて何かが降りてくる。
——それは、人型のロボットだった。無骨な鉄の塊。肩のあたりに何かの砲口みたいなのがついてる。
「おいおいおい、なんで機械が出てくんだよ! まさか戦えってのか!?」
「模擬戦用の訓練兵だ。適度に痛いが、命までは奪わん」
「いやいや、だからって!」
言い終わる前に、鉄の兵士が動いた。ゴン、と地面を踏みしめて、まっすぐこっちに向かってくる。
「うわっ——!」
ギリギリで横に飛んで避けた。蹴りが地面をえぐった。こんなもん喰らったら絶対死ぬって!
「冗談だろ!? なあシン、止めろって! 戦えねぇよこんなん!!」
「……本当にいいのか?」
静かに、シンが言った。
「お前はスラムで喧嘩もスリもやってきたんだろう。逃げるのは得意だ。だが、オルカリブレに入った以上、命の保障ができない。できなきゃ死んでもらう」
ったく、オルカリブレの奴らは簡単に人を殺そうとするな。まぁシンの状況を考えるとあそこが表向きに活動できないのはわかったが…
(クソッ……!やっぱ無理だろこんなん!)
なんとか兵士の背後に回り込んで、蹴りを入れる。……が、硬すぎる。まったく効いてない。再び殴りかかってきた拳を、ギリギリで避ける。息が乱れる。心臓がうるさい。
(どうすりゃいいんだよ……!)
その時だった。
——ドンッ!
兵士の拳が脇腹を掠めた瞬間、身体が勝手に反応した。
「うおおおおおっ!!」
叫びと同時に、足元から、突風が地を裂くように吹き上がった。巻き上げられた埃が視界を覆い、髪が逆立つ。
兵士の体が、まるで紙のように浮き上がり、後方へ吹き飛んだ。鉄の塊がコンクリの床に転がり、ガキンッと音を立てて止まる。
「……え?」
風が、止んだ。
床に立っている自分の足元には、小さな旋風の跡のように、埃が舞っていた。
「今の……オレが?」
手を開いてみる。風の気配は、確かにそこにあった。
驚くオレに向かって、シンはちょっと微笑んだ言った。
「気づいたか。お前に宿る力は、“風”だ。いい反応だったな」
「風……?」
「ああ。自由に流れ、すべてを穿つ力だ。——お前にはその素質がある」
オレは息を飲んだまま、自分の手を見つめた。
今まで気づかなかった何かが、体の奥から目を覚ましたような気がした。
2
訓練所を出たあと、オレたちは最寄りの駅まで歩き、無言のまま電車に乗り込んだ。
さっきの出来事がまだ頭の中でグルグル回ってる。
風の力。
自分の中に、あんなものがあったなんて——信じられない。
でも、あの時、確かに感じた。自分じゃない“何か”が、体の奥で暴れた気がした。
シンは黙って窓の外を見ていた。たぶん、オレの心の中を見透かしてるんだろう。
「なあ、さっきの……。オレ、本当にあんな力を持ってるのか?」
「さっき見ただろ。現実だ」
そっけない答えにちょっとムカつく。でも、返す言葉がなかった。
ガタンゴトンと、車体の揺れる音だけが車内に響く。
——その時だった。
突然、電車がキイィィッと耳障りなブレーキ音を鳴らして、急停車した。
体が前に投げ出されそうになる。何人かの乗客が悲鳴を上げた。
「な、なんだよ……?」
とっさに立ち上がろうとしたその瞬間、車内の照明がバツン、と音を立てて一斉に消えた。
代わりに薄暗い非常灯がポツポツと灯り、車内は一気に不気味な雰囲気に包まれる。
「えっ……なに?」
「停電? ねぇ、なんで止まったの!?」
「誰か非常ボタン押して! ねぇ!!」
乗客たちが一斉にざわめき出す。
誰かが悲鳴を上げ、スマホのライトがいくつも点灯する。小さな光が車内を揺らし、不安と恐怖が広がっていく。
「やだやだやだ……こんなの、どうなってんのよ!」
「ママぁ……こわいよぉ……」
「落ち着いて! 今は……とにかく……!」
パニックになった乗客たちが我先にとドアや通路に殺到し、狭い車内は一瞬で混乱状態に陥った。
そんな中、
「チッ……」と、シンが小さく舌打ちする。
その目は、車両の向こう、非常灯の明かりの下で揺れる“気配”を正確に捉えていた。
——敵、だ。
オレの足も自然と止まり、喉の奥がひとりでに鳴った。
その瞬間、シンが言った。
「ソラ。あれはお前に任せる」
「は、はあ!? 何言って——」
言いかけたオレの肩に手を置いて、シンは鋭く言い放った。
「乗客を優先する。ここにいるのは、何も知らない一般人だ」
そう、言い残し、パニックに巻き込まれて転びかけた女性と子どもをすばやく支え、シンは素早く人の流れを整理しはじめる。
「走るな!」「この先に出口はない!」「おい、君!その子を抱いてこっちに!」
冷静で的確な指示に、少しずつだが人々の動きが整っていく。
一方、オレの目の前には、非常灯に照らされた“何か”が、静かに姿を現しつつあった——
「えー。嘘だろ…」
呆然として口を開けるオレの前に立っていたのは、黒ずくめのコートを羽織った男だった。
非常灯の薄明かりの中で、その顔だけが不気味に浮かび上がる。
そいつは薄く笑った。
「滑稽だな。まさか、指名手配犯が一般市民を助けるなんて…正義感でも芽生えたか?」
「何がおかしい…」
オレはゆっくりと姿勢を整える。まだ膝が震えてる。けど——。
「少なくともこんなとこで襲ってくるお前よりは、よっぽどまともだよ」
「口だけは一丁前だな。だが…膝が震えてるぞ、戦闘経験はまだ浅い…いや、素人か?」
「……だったらなんだよ」
さて、どっすんかな?相手は戦い慣れてる。しかもこんなところで襲ってくる異常者。
対してオレは今日、自分の中に異能があると知った素人。
でもこいつが素直に見逃してくれるとは思えねー。そもそも目的は…オレたちだよな…
(だったら……やるしかねぇ)
怖い。でも、見てるだけじゃダメだ。
「今日知ったばっかでもな……!使えるなら、使うしかねぇだろ!」
オレは一歩前に出た。『集中、集中』と自分に言い聞かせた。
「へぇ。殺されるのが怖くないとは、やっぱりただのバカだな」
男が冷たく笑う。ああ、今日一日で何度も聞かされたそのセリフ――「殺す」もう、うんざりなんだよ。何回も殺されかけて、そのたびに必死で生き延びてきた。怖くないって言えば嘘になる。でも、今の俺は怖さをごまかすために、ただ開き直ってるだけだ。敵の動きを警戒しながら、せめて口だけでも余裕を見せようとする。
「じゃあ、見逃してくれるのか?」
目の前の男は、一瞬だけ黙り、そして首を横に振った。
「それは無理だな。俺も仕事で来ているもんでな。……お前は、どうして俺たちと戦う?」
どうして、って。正直、答えに困る。ただのなりゆきだった。それでも……少し考えてから、息を吐いた。
「こっち側につく気はないか? 俺はお前の度胸が気に入った。見逃す代わりに仲間になれ」
男はいやらしい笑みを浮かべる。ああ、わかる。ここで頷けば命は助かるってわけだ。安全が保証されるかもしれない。普通のやつなら迷わずうなずくんだろうな。
でも――
「嫌だね」
言葉が自然に口から出た。自分でも驚くくらい、はっきりと。
「さっきも言った通り、こんなところで平気で人を襲うお前らは異常者だ。
……確かに、オルカリブレに入ったのもなりゆきで、あいつらもぶっ飛んでるし、すぐ殺そうとしてくるし、めちゃくちゃだけどさ。
でも、無闇に命を奪ったりはしない。たぶん……いや、きっと。
それに、今やっと……戦う理由ができたんだ。
オレは、お前らを倒して金を稼ぐ。あのゴミ溜めみたいなスラムから抜け出して、じいちゃんと美味いもん食って、ふかふかのベッドで眠る。
――だから、人の命を平気で奪うような奴らとは、組めない」
言い終わった瞬間、体が少しだけ軽くなった。震えも、不思議とおさまっていた。
「へー、かっこいいじゃん。敵になるって言うなら、残念だけど殺すわ」
男が本気の殺気を纏った。さっきまで止まっていた震えが、また一気にぶり返して全身を襲う。
――くそ、今度は逃げられないかもしれない。
「……っ、やべぇ……!」
心の中で叫んだ。けど、不思議と後悔はなかった。
「ゴンッ」と鈍い音がして、電車の床が突然うねり出した。え、何だ――!
次の瞬間、金属の床が波みたいに盛り上がって、こっちに押し寄せてくる。
なんだよこれ、生き物かよ……!
反射的に風を放った。突風が鉄の波にぶつかって、勢いを少しだけ逸らす。でも、止まらない。波は崩れながらも足元を狙って迫ってくる。
やばい、止めきれね……!
金属のうねりが、まるで津波みたいに押し寄せてくる。さっき風で進路をずらしたはずなのに、勢いは全然落ちてない。真っ直ぐ、俺の体を押し潰そうとしてくる。
「っっ——!」
反射的に飛び退いた。すぐ目の前で床が爆ぜる音。破片が風と一緒に飛んでいく。転がりながら地面を滑って、何とか立ち上がる。——息が荒い。肩がジンジンしてる。
「おいおい、予想以上にやるじゃねぇか」
皮肉っぽく笑う男。あいつの目、まるで獲物でも見てるみたいに光ってた。
「名乗ってなかったな。俺の名前は磁条コウ。……“磁力”を操る異能者だ」
磁力。ようやくピンときた。電車が急停車した理由も、なんとなく読めた。
「だから……電車を止めたのか」
「正解。ようやく気づいたか」
その言葉と同時に、電車の天井がミシミシと音を立てた。骨組みが曲がり、鋼の針みたいなものがオレに向かって落ちてくる。
「チッ——!」
体が勝手に風を放つ。風が鋼をはじき飛ばす。けど、一発——肩にかすった。
「っ……!」
熱い痛みが走る。血がにじんだ。でも、今はそれどころじゃない。
(風は、自由に流れる。なら——)
意識を集中させる。空気の流れを感じる。金属が動く気配。そのすべてが、微かに“視える”気がした。視界の隅に、流れの線みたいなものが浮かぶ。
(感じろ……風の流れを……!)
コウが手をかざす。床がねじれて、鋼の槍が飛び出してくる——!
でも、もう怖くなかった。
「うおおおおおっ!!」
オレは風と一緒に踏み込んだ。風が足元を押し上げる。体が軽い。動きが自然になる。風がまるで、自分の一部みたいに思える。
槍を逸らす。避けるんじゃない。風で弾き飛ばす。そう、これが——
「へぇ……面白くなってきたな」
コウの目が細まる。完全に“試してる”目だ。
「そろそろ、終わらせてやる」
電車が唸り出す。金属が震え、磁力の波が広がっていくのがわかる。空間全体が、まるで生きてるみたいに動き出す。
(これはもう、ただの小競り合いなんかじゃない——)
異能と異能のぶつかり合い。
その中心に、オレは立ってる。
逃げるか? そんな選択肢、最初からなかった。
(逃げねぇよ。絶対……!)
風が、俺の背中を——力強く押していた。
その時、視界の端に、震えてる女の子の姿が見えた。逃げ遅れてる。
(マジか……!)
その瞬間、オレの中の風が、一気に荒れた。
(てめぇ……!)
怒りと一緒に、風が暴れ出す。何かが、はじけた。
「だったら……オレが、お前の鉄をぶっ壊す!!」
足元から突風が爆ぜた。
風が、うねり、爆発するように車内を駆けた。天井、壁、床……全方向から巻き起こる風が、オレの背中から広がる。まるで翼みたいに、風がオレを包んで、押し上げた。
そしてオレは、見た。
風の流れの中に、鉄の動きが——“視えた”。
(……見える。風と鉄の流れが、交差する“点”が)
風と一体になって、オレは空間を読む。金属の動きが、磁力の“うねり”が、風の中に浮かび上がる。
これが、風の“眼”かな
……見えた。
鉄が蠢く。レール、つり革、床、すべてが一斉に動くのを“視えた”。
その流れの中に、オレの風が滑り込む。
「そこだっ!」
俺の叫びとともに、風が突き抜ける。渾身の一撃を乗せた拳が、鉄の壁を割って——その奥の男、磁条コウの胸元に迫った。
一瞬、確かに奴の顔が歪んだ。驚き、そして——笑っていた。
「……やるじゃん、風使い」
呟いたその刹那だった。
——ドォンッ!!
爆音が車体を揺らす。床が跳ね上がり、壁がきしみ、天井の一部がめくれて赤い火花が飛び散る。
熱と衝撃が一気に襲いかかり、体が浮いたような感覚に囚われる。
「っ……くそ!」
着地に失敗して、左膝を打った。風の流れが乱れて、“視えていた”ものが一瞬で掻き消える。
その中で——奴の声が、ノイズのように響いた。
「残念。いいとこまで来てたんだけどな」
煙の向こう、磁条コウが口元を吊り上げて笑っていた。不気味に、どこか楽しげに。
「爆弾?……お前、最初から仕込んでたのか……!」
問いかける声は、自分でも驚くほど怒気を含んでいた。
けれどコウは、ただ肩をすくめて言った。
「爆発ってのはさ、不意打ちに限るだろ? お前も、風ばっか見てないで、地面もちゃんと見な」
そして、もう一度笑う。今度は低く、喉の奥で転がすように。
「ま、次はもうちょっと上手くやってよ、“風使い”さん」
言い終えると同時に、足元のレールが震え、男の姿が煙の中へと沈んでいった。
磁力か、何かの仕掛けか——とにかくもう追えない。
「ソラ!!」
声が聞こえる。煙の切れ間から、シンが駆け寄ってくる。
「無事か!?」
「……コウが、時限爆弾を……あいつ、最初から逃げる気だった」
歯を食いしばる。膝の痛みも、悔しさにかき消される。
「それなら安心しろ! 今の、聞こえたか?」
俺の肩を叩きながら、シンが誇らしげに笑う。
気づけばスマホを耳に当てていて、どうやら通話中だったらしい。
「……電話?」
「紫月だ。爆弾の話、聞こえてたってさ。ほら、こんなこともあろうかと、状況は伝えておいた」
シンは自慢げに親指を立てる。
その向こう、スマホのスピーカーから余裕ある声が聞こえてきた。
『ったく人遣い荒いんだから。こっちも暇じゃないんだけど』
「どうせ、弓弦の説教から逃れ、優雅に映画でも見てたんだろ、丁度いい気晴らしになっただろ」
電話の向こうから文句を言う紫月に対してシンが彼女の行動を察したように言う。
『まぁね。はい、爆弾解除できたわよ。二人とも無事?』
「ああ」
「なんとか」
『そう、よかった。じゃ、早く帰ってきなさいよ』
そう言うと紫月は電話を切ってしまった。一応、心配してくれたのか?
これで終わったと思ったら腰が抜けてしまった。
辺り見渡すとさっきの女の子がうずくまっていた。その子に声をかけるとオレに抱きついてきた。少し驚いたが頭を投げてやることにした。
しばらくしてその子のお母さんがやってきた。別れ際、その子にお礼を言われた。
「初めてにしては上出来だな」
シンは鼻で笑う。
この力で、誰かを守れた。
その事実が、風よりも確かなものとして、オレの中に残っていた。
日常
1
オルカリブレの拠点に戻ると、建物の中は静まり返っていた。
さっきまであんなにうるさかったのに、今はそれが嘘みたいに感じられた。
なんか……ココが静かだと、不思議な感じがする。
そう思っていると、背後から声がかかった。
「こっちだ」
振り向けば、シンがオレに手招きをしていた。
ついていくと、こいつは建物の表にある通りへとオレを連れ出した。
辿り着いたのは──一軒のカフェだった。
小さな看板が揺れ、窓からは柔らかな光が漏れている。中に入ると、ほのかにコーヒーと焼き菓子の香りが漂ってきた。
カウンター席に座っている小柄な少女が、こちらに気づいて身を乗り出す。
「遅い!!」
ユアだった。ツインテールを揺らして、足をぶらぶらさせながら、ぷくっと頬を膨らませている。
「ソラ、早くしろよ、待ちくたびれたネ。もう、お腹ペコペコ」
大げさにお腹をさすりながら言うこいつに、思わず苦笑いしてしまった。
さっきまでの緊張が、ふっとどこかへ消えていく──そんな気がした。
すると、カフェの奥から一人の女性が現れた。長い髪を後ろでまとめ、エプロン姿がやけに似合っている。整った顔立ちに、柔らかな笑みを浮かべながら、彼女は静かに言った。
……なんていうか、目を引く人だった。
赤茶の髪はまっすぐで艶があって、動くたびにさらりと揺れる。肌は白くて、目元は切れ長。どこか涼しげで、雰囲気は柔らかいのに、立ち姿には妙に目が離せない感じがある。
シンより背が高い。スラッとしていて、胸元も目立つ。全体的に線が細いわけじゃないのに、重たさはなくて、バランスが取れてるっていうか……。
ユアや紫月が“可愛い”って印象なら、彼女は“綺麗”とか“美人”って言葉がしっくりくる。
「いらっしゃい」
落ち着いた声が聞こえて、思わず視線が戻る。余計な飾りのない笑顔だった。
「さっき言ったろ。弓弦と一緒に引き取った女の子がいるって。彼女がそうだ。名前は風音っていう」
横でシンが言う声が聞こえる。
「……ちなみにそいつ、シンの女だからな。手ェ出したら、どうなるか知らねぇぞ」
突然、後ろから声をかけられた。振り返ると、いつの間にかりくが立っていて、ニヤついた顔でオレを見ていた。
「へ?」
思わず間抜けな声が出る。
「今度こそ殺されるでしょ」
追い打ちをかけるように、今度は紫月が毒っ気たっぷりに言葉を重ねてきた。こっちは腕を組んで、あからさまに呆れ顔だ。
「違う。誤解を招く言い方はやめろ」
茶化す二人に殺気を隠し切れていないシンが低い声で反論した。が、説得力があるかというと、ちょっと微妙だ。
「でも、まんざらでもないでしょ?」
そのタイミングで、奥から弓弦がカップを手に現れた。落ち着いた口調に、少しだけからかいの色が混じってる。
「風音のために、表向きはカフェにしたんだから。ここで引いたら、本気でソラに取られますよ?」
クスッと笑いながら、弓弦はさらっととんでもないことを言い放った。
我慢の限界だったのか、シンが低く呟いた。
「貴様ら、ここで死ね」
そう言って、腰に差していた剣を抜く。
……え? って思ったのはオレだけだった。剣、抜く? このタイミングで?
一瞬固まったけど、紫月もりくも弓弦も、誰一人動じずに会話を続けている。完全にスルーだ。たぶん、これがこいつらの日常なんだろう。
ツッコミを入れる気力も、もう湧いてこなかった。訓練に、実戦に、変な空気に……いや、もう全部のせだな。
オレはため息をひとつついて、カウンターで足をぶらつかせてるユアの隣に腰を下ろした。
「ソラ君はジンジャーエールでいいかな?」
ぼーっとしていたオレに、風音さんが優しく声をかけてきた。
「え、あっ……ああ」
慌てて返事をすると、彼女は微笑みながらグラスを手に取ってカウンターの奥へと向かっていく。その穏やかな背中を見ながら、ふと気になったことが頭をよぎった。
この人、シンのこと……どう思ってるんだろう?
何気ない好奇心だった。あんな空気でからかわれて、しかも本人の目の前で。もしオレだったら嫌でも気になる。だから、つい聞いてみた。
「なぁ、アンタはシンのこと……どう思ってるんだ?」
すると、隣でジンジャーエールをストローでくるくる回していたユアが顔を上げた。
「本当に店長のこと狙ってたのか? キモいネ」
「は? 誰がキモいんだよ」
「お前以外いないネ」
なんなんだこの小悪魔。オレはムッとしてユアを睨む。別に狙ってたとかそういうんじゃない。ただの興味だ。あんなやり取りを耳元でされて、当人はどう感じてるのか、ちょっと気になっただけ。
……けしてやましい気持ちはない。たぶん。
そんなオレたちのやり取りを見て、風音さんはふっと笑った。
「今日会ったばかりなのに、二人とも仲良しね」
「そんなことはない」
オレとユアが、息を合わせたみたいに同時に返す。
「ふふっ、やっぱり仲良し」
からかうような風音さんの言葉に、思わずユアの方を見ると、ちょうど目が合ってしまった。やべ、と思ってすぐに視線を逸らす。
すると、不意に風音さんが言った。
「好きよ」
「え?」
驚いて振り向くと、風音さんは少しだけ頬を赤らめながら、それでもまっすぐな目で続けた。
「私は、シン君のことが好き」
……意外と、はっきり言うんだな。少し驚いたけど、でもどこか納得している自分がいた。
――もし付き合い始めたらシンに
“彼女の方が自分より背が高いって、どんな気持ち?”
って聞いてやろうかと、オレはひそかにニヤリとした。
そんなことを考えていると、風音さんがふっと寂しそうに笑った。
「……でも、シン君はきっと、いつか遠くに行ってしまうような気がするの」
「え?」
思わず驚いて聞き返す。
すると、隣にいたユアが口を挟んだ。
「大丈夫ネ。ボスは誰よりも店長のこと、大事に思ってるヨ」
「ユアちゃん……ありがとう」
風音さんは微笑んで、それからぽつりと続けた。
「――でも、だからこそ。私を危険な目に合わせないように、遠くへ行ってしまうのよ。
ただでさえ、誠さんのことで辛いはずなのに……私のことまで気にかけて、守ろうとしてくれてる。シン君って、優しいから」
……ああ、なんとなく分かる気がした。
あいつ、口調も態度もデカくて、たまにウザいくらいの奴だけど――でも、誰かを見捨てたり、危険に晒したりするようなヤツじゃない。
昼間の電車でもそうだった。オレに敵を任せて、自分は一般人を避難誘導してた。自分の力が必要だと思った方に迷わず動いてた。
まっすぐで、ちょっと頑固で、融通の効かないタイプ。けど、自分の大切な人を守ろうとする意志だけは、誰より強い気がする。
「それでも好きなら一緒にいるべきネ。大人の考えることは難しい。
店長、泣かせたら、たとえボスでも許さないネ」
ユアが、真顔でそう言った。
……確かに。オレもそれに賛成だ。
大人の考えてることって、正直よくわからない。
やたら「誰かのため」だとか言うけど、結局のところ、それって自分を納得させるためなんじゃないかって思う。
本当に誰かを守りたいなら、隣にいることだって方法のはずだろ。
――ああいう大人には、なりたくないな。
そんなことを考えていたら、カウンターにシンがやってきて
「――なんだその顔。飯でも不味かったか?」
相変わらず空気を読まないというか、読んだうえであえて崩してくるタイプだ。
「別に、不味くはなかったよ」
「ふーん? ならよかった」
適当に受け流してから、シンは風音さんの方に視線を向けた。
一瞬、彼女と目が合って、風音さんはすぐに目を逸らした。ちょっとだけ、頬が赤くなってる気がした。
しばらく、沈黙が続いて
オレの肩に腕を回してきた細身の男。少し酔っているのか、昼間よりテンション高めのりくがだる絡みしてくる。
「おい、ソラ。紫月から聞いたけど、お前――初実戦で結構やったんだってな?」
「ああ、まぁ……なんとか」
「自信ついたか?」
「……うん、少しは」
シンはそれを聞いて、わずかに目を細めた。
「なら上出来だ。お前はこれからもっと強くなる。……まぁオレの読みどおりってわけだな」
いつもの調子でそう言って、オレの肩を軽く叩いた。
だけどその目の奥に、ほんの少しだけ、何かを背負ってるような影が見えた気がした。
やっぱり、シンは――誰よりも仲間を想ってる。けど、それゆえに、全部を背負い込もうとするんだろうな。
「……無理すんなよ、シン」
「は? どうした、急に?」
「いや、なんでもない」
オレはごまかすように、視線をユアの方へ向けた。
そしたら、こっちを見て、ちょっとだけ満足そうに笑ってた。
なんか、今日は色々ありすぎた。
でも――オレは、ちゃんと前に進めてる気がする。
2
彼は今、私の隣で軽口を叩きながら、ゲームに熱中している。
「ソラとユアは?」
「ソラは家に帰った。今夜はユアもちゃんと寝れたみたいよ」
自分から聞いておいて、彼は興味なさそうに「ふーん」と気の抜けた返事をして、すぐ別の話題を振ってきた。
「そういえば、今日、爆弾を解除したんだって?」
「ええ。そっちは? 弓弦の説教、どのぐらい続いたの?」
「そうだ、紫月、てめぇ……自分だけ逃げやがって——」
「よし、勝ったー。りくの負け」
「えっ、あっ……!」
気づけば、画面には勝敗がはっきりと出ていた。そう、これは会話に見せかけた作戦。ゲーム中に話しかけて、集中を乱した方が負ける。
「チッ……また、やられたか」
顔に出やすいところが、この男の面白いところだ。
りくは舌打ちしながら立ち上がった。
「どこ行くの?」
「タバコついでにパチンコ。お前も来る?」
「行かない」
「へいへい、じゃ、行ってくるわ」
「行ってらっしゃい」
夜はまだ肌寒い。
ポケットに手を突っ込みながら、タバコに火をつける。白い煙が夜気に溶けていく。
「……寒ぃな」
パチンコ屋へ向かおうと歩いていると、街灯の下に人影が見えた。
“あれ……弓弦?”
スーツ姿の背中が、電話をしながら静かに立っている。こんな時間に誰と話してんだ。 まぁ女の一人や二人、いたっておかしくねぇ。
昼間はずっとシンに張り付いてるし、意外とそういうとこ抜け目ない奴だしな――と思っていたら、
「ええ、まだ誰も気づいていないみたいです。自分たちが、何故ここに入り込んだのかを。……ええ、わかってますよ」
低く、抑えた声が夜の静けさに溶けた。
足が止まった。
それは、女相手にかけるような甘い声でも、仲間に見せるような飄々とした調子でもなかった。
完全に、仕事の顔――それも、見たことがない“裏”の顔だった。