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#一次創作
眠狂四郎
590
麗太
593
Cafe Latteベース隊長
48
第232話 消えた一般人
【現実世界・市内避難所/午前】
避難所の体育館には、まだ人が多かった。
駅周辺の異常現象。
帰還した学園。
クロスワールドゲートの再起動騒ぎ。
それらが重なり、家に戻れない人たちが集められている。
壁には新しい張り紙が貼られていた。
『クロスワールドゲートが起動しても操作しないでください。』
『表示された名前に反応しないでください。』
『端末を破壊せず、職員へ知らせてください。』
職員たちは、何度も同じ説明をしていた。
「名前が出ても、本人とは限りません」
「画面を見続けないでください」
「勝手に起動した場合は、近くの職員を呼んでください」
それでも、すべての人が冷静でいられるわけではない。
体育館の隅で、一人の男性がスマホを握っていた。
四十代くらい。
疲れた顔。
避難所に来てから、ほとんど眠れていない。
彼の画面には、クロスワールドゲートの黒いロゴが浮かんでいた。
『更新を確認中。』
その下に、もう一つの文字。
『接続候補を検出』
男性は唇を震わせた。
「……美咲?」
画面に表示されたのは、娘の名前だった。
行方不明になっている娘。
駅の異常現象の日から、連絡が取れなくなっていた娘。
その名前が、スマホの中にあった。
男性は何度も張り紙を見た。
職員の説明も聞いていた。
名前だけでは本人ではない。
分かっている。
分かっているはずだった。
けれど、画面の文字は変わった。
『記憶地点を検出』
『最後に会った場所へ接続しますか?』
男性の呼吸が乱れる。
画面には、駅前の小さなカフェの写真が薄く浮かんだ。
娘と最後に会った場所。
待ち合わせをした場所。
「また今度ね」と笑って別れた場所。
それは、ただの名前よりも強かった。
名前ではない。
記憶だった。
「美咲……」
男性の指が、画面へ近づく。
近くにいた職員が気づいた。
「待ってください!」
だが、一瞬遅かった。
男性の指が、画面の「はい」に触れた。
次の瞬間、スマホの黒い画面が、光った。
音はなかった。
叫び声も、爆発もない。
ただ、男性の輪郭が一拍だけ薄くなった。
体育館の床。
パイプ椅子。
男性の肩。
手に持ったスマホ。
その全部が、一瞬だけ、駅前のカフェの窓ガラスみたいに見えた。
「え?」
男性が、自分の手を見る。
その手が、向こう側へ引かれるように透けた。
職員が駆け寄る。
「離れて!」
誰かが叫ぶ。
だが、男性はもう立っていなかった。
次の瞬間、そこにはスマホだけが落ちていた。
床に転がったスマホには、黒い画面が残っている。
そこに表示されていた文字は、ただ一つ。
『接続完了』
◆ ◆ ◆
【現実世界・帰還した学園/仮設通信室・午前】
最初の報告が入った時、部屋の空気が止まった。
城ヶ峰からの緊急連絡だった。
『市内避難所で、一名が消失』
『クロスワールドゲート起動端末を操作した直後』
『端末は現場に残留』
『本人の所在、不明』
ハレルは、思わず机に手をついた。
「消えた……?」
リオが顔を上げる。
「どこへ」
城ヶ峰の声は硬い。
『不明だ』
『ただし、従来の転移反応とは違う』
『現場に残った端末には、接続完了の表示があった』
サキは自分のスマホを握りしめた。
reが、画面の中で細かく震えている。
「reが……嫌がってる」
ノノの声が通信で入った。
『今の反応、こっちにも出た』
『でも、前と違う』
『Cの針が、画面に直接刺さってない』
日下部が続ける。
『こちらでも確認しました』
『今回の接続は、名前だけではありません』
『本人の記憶地点を入口として使っています』
ハレルは眉を寄せた。
「記憶地点?」
日下部は早口で説明した。
『その人にとって強い記憶がある場所です』
『会いたい人と最後に会った場所』
『戻りたいと思っている場所』
『後悔や願望が強く残っている場所』
『Cの門が、そこを入口として再構成した可能性があります』
リオは低く言った。
「前は、姉さんの名前だけだった」
『はい』
日下部は答えた。
『前回、こちらは“名前だけでは本人ではない”と拒否しました』
『だから今回は、名前だけではなく、記憶を混ぜてきた』
サキの顔が青くなる。
「Cが、学んだんだ」
ノノの声が重くなる。
『うん』
『前回の拒否条件を読まれた』
『だから、針を直接刺さずに、記憶そのものを入口化してる』
ハレルは拳を握った。
石造建物の試験は成功した。
だが、その成功が、Cに次の手を教えた。
「じゃあ、また変えないといけない」
セラの声が静かに入った。
『はい』
『名前だけでなく、記憶も疑う必要があります』
『ですが、記憶をすべて疑えば、人は自分を保てなくなります』
その言葉に、誰もすぐには返せなかった。
名前。
器。
場所。
そして記憶。
Cは、人を形作るものを、一つずつ入口に変えようとしている。
◆ ◆ ◆
【現実世界・オルタリンクタワー/南東サービス導線跡・午前】
日下部は、避難所から回収された端末データを隔離環境で確認していた。
画面には、接続完了の文字が残っている。
だが、通信先がない。
ネットワークログもない。
基地局記録もない。
端末内部のアプリ履歴も途中で途切れている。
それなのに、接続は完了している。
木崎は、横から画面を見て顔をしかめた。
「また、普通の理屈じゃねえな」
日下部は頷く。
「端末は、扉として使われていません」
「表示された記憶が、扉になっています」
「写真か?」
「写真というより、本人の認識です」
「端末が見せた場所を、本人が“そこだ”と確定した瞬間に入口になった」
城ヶ峰が低く言う。
「では、警告文を変える」
日下部はすぐに頷いた。
「名前だけではなく、思い出の場所にも反応しないように伝えてください」
「表示された写真、地名、過去の会話、声」
「全部、本人とは限りません」
木崎が呟く。
「人の記憶を全部疑えってか」
その声には、怒りが混じっていた。
城ヶ峰は短く言う。
「疑うのではない」
「確認する」
日下部が続けた。
「匠さんの手順も、そこに近いです」
「疑って終わるのではなく、三つを確認する」
「名前、器、場所」
「そして、次からは記憶も、単独では信用しない」
木崎は壁を見た。
かつて入口だった場所。
今はただの壁。
だが、そこにあった記憶だけは、確かに残っている。
「嫌な相手だな」
木崎は低く言った。
「人間が大事にしてるものばかり、入口にしやがる」
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/医療棟・午前】
ユナは、眠っていた。
白い寝台。
薄い青の治癒光。
腕には、王都式の治療具が巻かれている。
呼吸は安定している。
顔色も、以前よりは少しだけ戻っていた。
イデールは、寝台の横で治療光を調整していた。
「ユナ」
小さく声をかける。
返事はない。
だが、指先がわずかに動いた。
それだけで、イデールは少しだけ表情を緩める。
確かに戻ってきている。
まだ遠いが、戻ってきている。
その時だった。
部屋の隅に置かれた水晶板が、一瞬だけ黒く揺れた。
イデールはすぐに振り向く。
「誰かいるの」
返事はない。
だが、ユナの寝台の下に、細い黒い線が走った。
針ではない。
もっと薄い。
もっと広い。
まるで、誰かの記憶が床に滲んでいるような線。
イデールはすぐに治癒光を強めた。
「ノノ!」
通信を開く。
『医療棟、C反応!』
『ユナの周囲に黒い線!』
『でも、前の針とは違う!』
ノノの声がすぐに返る。
『ユナさんの名前は出てる?』
「出てない!」
『場所は?』
「医療棟の床に反応!」
「寝台の下!」
ノノが息を呑む。
『記憶反応かもしれない』
『ユナさんの中に残ってるクロスワールドゲートの記憶を、Cが触ってる』
イデールの顔が強張る。
「どうすればいい」
『動かさないで』
『名前を呼び続けるのも危ない』
『でも、無言も駄目』
『場所を固定して』
『ここはイルダ医療棟』
『ユナさんは治療中』
『転移対象ではない』
イデールはすぐに復唱した。
「ここはイルダ医療棟」
「ユナは治療中」
「転移対象ではない」
ユナの指先が、また小さく動いた。
黒い線が、わずかに引く。
だが、消えない。
ノノは通信の向こうで低く言った。
『リオには……まだ言わない方がいいかもしれない』
セラの声が、静かに入った。
『隠せば、別の歪みになります』
ノノは黙った。
その通りだった。
ユナのことを隠せば、リオはもっと焦る。
焦れば、Cの門に近づく。
ノノは歯を食いしばった。
『分かった』
『伝える』
『でも、言い方を間違えない』
◆ ◆ ◆
【現実世界・帰還した学園/仮設通信室・午前】
ノノからの報告を聞いた瞬間、リオは立ち上がった。
椅子が後ろへ倒れそうになる。
「姉さんにC反応?」
ハレルがすぐに手を伸ばす。
「リオ」
「分かってる!」
リオは叫びかけて、すぐに歯を食いしばった。
「分かってる……」
その声は震えていた。
「でも、姉さんのそばに出たんだろ」
ノノの声は、必死に落ち着いていた。
『うん』
『でも、今すぐ危険域じゃない』
『イデールが場所固定してる』
『ユナさんは治療中』
『転移対象じゃないって固定してる』
リオは拳を握る。
「俺が行ければ……」
その言葉が、危なかった。
机の上で、伏せられていたリオのスマホが震えた。
全員が息を呑む。
スマホは伏せられたままなのに、黒い光が机の端から漏れた。
ハレルが叫ぶ。
「リオ、見るな!」
リオは目を閉じた。
強く。
画面を見ない。
名前を見ない。
記憶を見ない。
リオは、自分に言い聞かせるように言った。
「姉さんは、イルダ医療棟にいる」
「治療中だ」
「この画面の向こうじゃない」
スマホの震えが、一瞬だけ強くなる。
サキのスマホで、reが光った。
reは、リオのスマホとノノの通信線の間に、小さな白い点を置いた。
サキが言う。
「reが、こっちって言ってる」
「ユナさんの場所は、画面じゃなくて、ノノたちの通信の先」
ハレルも続けた。
「そうだ」
「ユナさんは、あのアプリの中じゃない」
リオは息を吐いた。
「……分かってる」
スマホの震えが、少しずつ弱くなる。
だが、完全には止まらなかった。
Cは、まだ諦めていない。
◆ ◆ ◆
【異世界・旧石造建物跡/地上部・午前】
石壁の白い線が、また動いた。
今度は、Cの針ではなかった。
白い階段の輪郭そのものが、少しだけ濃くなったのだ。
ミレイが声を上げる。
「地下階段の記憶反応、上昇!」
ダミエは壁を見る。
「針じゃない」
「はい」
ミレイは水晶板を見つめる。
「Cの針ではありません」
「でも、入口化が進んでいます」
王都軍の隊長が顔をしかめる。
「どういうことだ」
ミレイは青ざめた顔で言った。
「入口だった記憶そのものが、入口に戻ろうとしています」
「前回、Cの針は弾きました」
「でも今度は、針を使わずに、記憶を動かしています」
ダミエは、静かに立ち上がった。
「次の形」
ノノの通信が入る。
『ダミエ、まだ拒否しないで』
『その記憶が何に変わるか見たい』
『でも、人は近づけないで』
ダミエは王都軍の隊長を見る。
「全員、下がって」
隊長はすぐに命じた。
「全員、五歩後退!」
兵士たちが動く。
石壁の白い線は、階段の形を作りかけていた。
だが、そこに降りる段はない。
ただ、降りたくなる感覚だけが生まれている。
ミレイが震える声で言う。
「主任……これ、見てると降りたくなります」
ノノの声が鋭くなる。
『見続けないで!』
『水晶板越しだけにして!』
ダミエは壁を見たまま、短く言った。
「ここは、階段だった」
「でも、今は降りない」
白い線が震える。
「地下は、今ここにない」
「通る場所じゃない」
その言葉に、階段の輪郭が少しだけ薄くなった。
だが、完全には消えない。
ミレイが水晶板を握る手に力を込める。
「拒否条件、追加が必要です」
「針を弾くだけじゃ足りません」
「記憶そのものに、“今は通らない”を重ねる必要があります」
ダミエは頷いた。
「分かった」
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深層】
Cは、記憶を動かしていた。
針は使わない。
針を刺せば、弾かれる。
針を見せれば、reに見つかる。
ならば、入口だった記憶そのものを揺らせばいい。
Cは、石造建物の階段の記憶を見る。
そこには、本当に階段があった。
本当に地下施設があった。
本当に人が通った。
だから、嘘ではない。
嘘ではないものほど、人は拒みにくい。
ジャバが笑う。
「今度は刺さねえのか」
「はい」
「性格悪くなったな」
Cは答えない。
奥から、カシウスの声がした。
「悪くない」
ジャバが振り返る。
カシウスは、石造建物の白い線を見ていた。
「針を弾かれるなら、針を使わなければいい」
「偽物を拒まれるなら、本物の記憶を使えばいい」
Cは静かに言った。
「これは本物です」
「ああ」
カシウスは頷く。
「だから厄介だ」
「次は、医療棟の記憶へ広げます」
ジャバが眉を上げる。
「ユナって女か」
カシウスは短く言った。
「そこは慎重にやれ」
「リオはよく揺れる」
「だが、揺れすぎれば壊れる」
「壊れた鍵は使いにくい」
Cの黒い線が、静かに動いた。
「観測します」
カシウスは、薄く笑った。
「観測だけではない」
「必要なら、誘導しろ」
深層の暗がりで、白い階段の記憶と、医療棟の床の記憶が細く繋がった。
Cは、もう針だけでは動かない。
記憶そのものを、門に変えようとしていた。
コメント
1件
うわあ、今回も凄まじい回だった……。Cが「名前」だけじゃなくて「記憶」そのものを入口に使い始めたのが本当に怖い。避難所のお父さんが、娘さんと最後に会ったカフェの写真を見て「はい」を押してしまうシーン、胸が締め付けられたよ。張り紙や職員の注意は頭では分かってても、ああいう“本物の記憶”を突き付けられたら理性が持たない。C、確実に学んで進化してる……。リオが自分のスマホの光に耐えて「姉さんは画面の向こうじゃない」って自分に言い聞かせるのも、読んでて苦しかった。でも、それにreが応えて、サキたちが支える構図は熱い。この緊張感、続きが気になって仕方ない。