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富士樹海は過酷な環境として知らえているが、二百年前から既に都市伝説ともいえる噂があった。
特殊な磁気のせいで方位磁針が効かない、自殺死体が転がっている、人を襲う動物が生息している、自殺しきれなかった人の村がある、独自の新興宗教がある、などなど。
しかし竜の巣となってからは本当の人外魔境となり、もはやその実態を知る者はいない。かつて青木ヶ原樹海と正式に呼ばれていた頃は富士山麓の北西に位置していた深い森だった。しかし今や富士山を囲むように広がる大樹海となっており、空には常にドラゴンが飛び回っている。
「車、止まったみたいね」
「疲れましたぁ」
「ちょっと酔ったかも」
「大丈夫ヒムロ?」
シオンも慣性で身体が前に持っていかれるのを感じ、目的地に着いたのかと考えていた。
しかし窓のない車であるため、ここがどこなのかは分からない。車両の防御性能を高めるため、フロントガラス以外に外を確認する手段はほとんどない。一応、カメラで外を確認できるため、シオンはすぐにモニターのスイッチを入れた。
そこに映ったのは、遥か奥に広がる大樹海である。まだ到着ではないらしい。
予定では御殿場インターチェンジから一般道へと降りた後、この樹海を目指して北西へと進むことになる。モニターには樹海上空に鳥の群れが飛んでいるだけに見えるが、それが全てドラゴンだというのだから恐ろしい。
かつては紙幣の裏面にも描かれた霊峰富士は生い茂る樹木に覆われ、完全に樹海の一部と化している。植生など関係ないとばかりに頂上付近にも緑が侵食していた。
「あれが富士樹海、富士山か」
シオンの一言が皆の意思を代弁していた。
噂にだけ聞いたドラゴンの楽園。一目で分かる驚異的なドラゴンの数。そして今からここに侵入して実験をしなければならないという事実。それらを内包した言葉だった。
「嘘でしょ。あんな所に行くの? 聞いてないわよ」
「言わないでよセリカ。実際に言葉にされると……くるわね」
「正直、予想外だったね。これほどとは」
「生きて帰れるかな……自身無くしちゃったよ」
「それに私たちと同じ車に乗っているのは疫病神の”仲間殺し”だからね」
「セリカ、こら」
「……ふん」
棘のあるセリカの台詞は聞かなかったことにする。
シオンはただ、樹海の様相に圧倒されていた。
(正直、侮っていた。あれが竜の巣)
ドラゴンは小型であっても討伐が困難だ。チームを組み、作戦を立ててようやく倒せる対象である。エース級ならば単独でも小型ドラゴンを楽々倒してしまうこともあるが、それは例外だ。まして中型ドラゴンすら飛び交う竜の巣に行けなど、自殺行為同然。
それを今、実感した。
皆が意気消沈するなか、車内に機械的な合成音声によるアナウンスが流れる。
『これより光学迷彩を使用します。電力カットにご注意ください』
同時に車内の明かりが最低限となり、足元を照らす非常灯と各種観測機器だけが点滅する。薄暗い空間の中、新人の面々は意気消沈しているように見えた。いや、絶望すらしているようだった。
光学迷彩かなりの電力を消耗する上に、よく見れば違和感がある。稀にだが、見破ってくるドラゴンもいるのだ。
「ドラゴンに見つかりませんように……」
「ヒムロは誰に祈ってるのよ」
「……仏とか天照とか? もうアッラーでもキリストでも何でもいい」
「適当ね」
しかし祈ることしかやることがないのも事実。
そして冗談でも言って気を紛らせでもしなければ緊張で潰れてしまいそうだ。
(いつもの川崎とは違う。気を抜いたら……死ぬ)
シオンは深呼吸する。
そして自らの命を預ける竜殺の刀を握り、軽く抜く。身に付けた防具の留め金をしっかりと嵌め直し、散弾銃を無意味に触る。
落ち着こうとする心と、落ち着かない仕草が矛盾していた。
(くそ。落ち着け)
心の戦闘準備は必要であり、備えを怠れば初動に遅れて死に至る。死の危険を感じつつ、死を遠ざけるための心構えを忘れない。
それでも富士樹海は無数のドラゴンが住まう魔境だ。
無意識に募る緊張から、シオンたちの言葉数は徐々に減っていった。
◆◆◆
東経百三十八度八十七分、北緯三十五度三十二分。
そこが実験の目的地だ。富士山東側の麓であり、樹海の少しだけ奥だ。ただし、奥といってもまだまだ序の口。樹海の深奥には未知の空間が広がっている。
「これ、食べれるのか?」
拠点を設営するシオンは、荷物を運ぶ途中で木の幹に生えたキノコを見つけた。キノコは栽培の容易さから、キサラギでも積極的に食料として採用されている。ただしすっかり品種改良されたものなので、特に大きさは自然のものとはまるで別物だ。
ふとした疑問を呈するシオンに答えたのは、驚くべきことに同じく荷物を抱えたセリカだった。
「それ、食べれないわよ。毒があるから」
「……びっくりした」
意外なことだったのでシオンも思わず足を止めてしまった。
すると同じく彼女も足を止め、目を逸らしつつ口を開く。
「あなたがしょうもないことで死なないためよ。もっと苦しめばいいと思っているわ。それより、その辺のキノコは食べない方がいいわよ。特にそれはドクササコって言って、食べると数週間は激痛に悩まされるわ」
「見た目はエリンギなんだけど」
「素人が見たら間違いそうね。でもエリンギはもっと柄が太いから区別には気を付けて」
「詳しいな」
「まあね」
意外な特技である。
確かにドラゴンスレイヤーの任務において、サバイバルが求められることもある。そのため、シオンも多少の知識は有しているつもりだ。しかしキノコの鑑定眼までは持っていない。そもそもキサラギ周辺で任務をこなす限り、キノコの知識が必要となる場面がないのだ。
シオンは興味が湧き、別のキノコを指してみる。
薄く黄色がかった傘の小さなキノコだ。セリカは少し悩んで、すぐに答える。
「……たぶん、キヌメリガサ。似たようなキノコでニガクリタケっていう毒キノコがあるの。私も二つ並べたら判別できると思うけど、片方だけ見せられるとちょっと自信がないわ。それにニガクリタケに似ているクリタケってのもあるから」
「うわ、面倒臭い」
「区別の難しい毒キノコは多いわ。この富士樹海はキノコが豊富だし、食べられるキノコも多いけど。というか、まだこの季節はキノコが少ないハズなんだけど、結構生えているわね。これも竜の巣の影響かしら?」
「竜の巣の影響下にある地域は環境がおかしくなるらしいが……」
「ともかく、あまり不用意にキノコを採取して食べない方がいいわね。毒がないと思ったら毒キノコだったり、毒キノコっぽい見た目なのに食べられたりするから」
「毒キノコっぽい食べられるキノコ……たとえば?」
「カベンタケモドキね。この辺にはないけど、萎れた花びらみたいな形で、色は鮮やかな黄色よ。ぱっと見ではキノコとすら気付かないかもしれないわね。毒々しい見た目だけど、食べられるわ。富士樹海でもたまに見られるから。見た目がいいから、厄災前は正月の祝い料理に使われたこともあるみたいよ?」
随分と詳しい解説にシオンは驚きを隠せなかった。素直に凄いと称賛できる。
つい興が乗って新しい質問を投げかけてしまう。
「キノコはどんな場所に多く生えているんだ?」
「日当たりが悪くてジメジメしたところなら比較的簡単に見つかるわよ。そうね……苔が絨毯みたいに広がっているような場所だったら幾らでも見つかると思うわ。毒キノコもね」
「ちなみに毒って火を通せば大丈夫だったりは?」
「しないわよ。でも毒のないキノコでもしっかり火を通すのは勿論だけど、事前によく洗って塩水につけておくことをお勧めするわ。虫がついていたりするから」
「獲ってすぐ食べるってことには向いていないわけか」
「そういうことよ。でも、毒じゃないキノコなら火を通してしまえば死にはしないわよ? どうしてもサバイバルで必要になったらやってみてもいいかもしれないわね」
新しい知識は面白く感じる。
しかし、シオンが更に質問を重ねようとしたところで、セリカは制した。
「っていい加減にしてよ。あなたと仲良くするつもりはないんだから」
「……そうだな。悪かった。打ち上げ閃光弾を設置してくる」
彼女なりの歩み寄り、というわけではなかったらしい。
だがこうして憎まれ口を叩きつつも話しかけてくるということは、複雑な感情を抱いているということだ。
(竜人に傷つけられたドラゴンスレイヤーは殺さなければならない。頭では理解していても、感情は追いつかないよな)
打ち上げ閃光弾を作動させる電波チャンネルをセットし、安全装置を解除する。対応する番号を送信すれば、ドラゴンの目を眩ませる閃光弾が打ち上げられるというわけだ。
シオンの仕事は、これを残り八つ設置することである。
他にも空を飛ぶドラゴンの目を誤魔化すための緑色ネットを張る仕事、ドラゴンの襲撃に備えて大型機関銃を組み立て設置する仕事、予備の武器を配置する仕事、やることは沢山ある。竜の巣という特別な場所において、対策をし過ぎるということはない。
一方でRDOの学者やドラゴンスレイヤーは実験の準備に余念がない。彼らは彼らで自分たちの実験のことで忙しく、拠点設営を手伝ってくれるようには見えなかった。
(あの車、機密実験物を積み込んでいるんだよな。よっぽどデカい機械なのか)
医者の彰から聞いた話によれば、ドラゴンの誘導という実験を行うことになっている。それがどうにも耳に残り、今も気になっていた。
#ファンタジー
#コンプレックス