テラーノベル
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男を誘惑するのには、
慣れていた。
視線の流し方も、
笑みの作り方も、
指先ひとつで距離を詰める方法も。
夜の街で生きるなら、
それは武器であり、鎧でもある。
欲しいものを手に入れるために、
いつもそれを使ってきた。
時には自分の感情さえも切り離し、
ただ相手を酔わせるためだけの女を演じていた。
でも___
あの夜だけは違った。
降り続く雨の中、
わざと傘を持たずに歩いた。
髪も服も肌も濡れ、ひんやりとする。
それでも、
濡れた姿のほうが男たちの視線を引くことを知っていたから。
ドアの前で一度だけ深呼吸し、
笑みを整えた。
___でも、
ドアを開けた瞬間、計算が狂った。
視線がぶつかった。
黒いシャツの胸元からのぞく肌、
長い指でグラスを持つ手。
余裕を漂わせながらも、
ほんの一瞬、動きが止まった。
その視線は、
私を「値段」でも「役割」でもなく、
一人の女として見ていた。
それが、
心の奥をわずかにざわつかせた。
私が男を揺らすはずなのに___
揺らされたのは私の方だったみたいだ。
et「…ここ、座ってもいい?
声を低く落とすのはいつもの癖。
けれど、
その返事を聞いた瞬間、自分の鼓動がひとつ強く打った。
グラス越しに交わす視線。
彼の瞳の奥には、
私を測る冷静さと、探るような好奇心が混じっている。
いつもなら、
数分で相手の心を解きほぐすことができる。
でもこの人は違った。
微笑んでも、
軽口を叩いても、
どこかで距離を保っている。
その距離を破りたくて、
私はテーブルの下で足先をそっと触れさせた。
偶然を装いながら、反応を試す。
彼の目が一瞬だけ揺れた。
その小さな揺らぎが、妙に愛おしかった。
___だから、閉店間際。
雨の中を二人で歩きながら、
私は決めていた。
et「あなた…
et「私に恋しちゃダメよ。
それは彼を惑わせるための台詞。
でも本当は、自分への戒めでもあった。
この人に惹かれてはいけない___
そう思うのに、唇が勝手に求めてしまう。
ネクタイを掴み、
唇を重ねる。
冷たい雨粒が頬を流れ落ち、
彼の唇の熱で一瞬にして温まる。
舌が触れ、わずかに押し返される。
そのやり取りだけで、
背中が震えるほどの快感が走った。
腰を引き寄せられ、
濡れたワンピース越しに彼の体温が伝わる。
水に濡れているはずなのに、全身が熱を帯びていく。
もっと近づきたくて、シャツのボタンをゆっくりと外し、
もう一度、
唇を彼に近づけた。
けれど___
そこで止めた。
et「続きは、また雨の日にね。
離れた瞬間、
彼の熱が急に恋しくなった。
でも、
それを振り切って背を向けた。
雨が好きだったわけじゃない。
ただ、
あの人にもう一度会う理由が、
他に見つからなかったから。
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