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魔導書封印の前に使い魔たちが最後の別れをしている。決して全ての使い魔たちが納得しているわけではない。逃走、反抗を企てる可能性の高い使い魔は顕現させられない、とユカリたちは非情な決断を下した。だから、使い魔を封印することに、魔導書を再現できる保証がないことに、胸を痛める自身を欺瞞だと謗られても、ユカリに返す言葉は思いつかない。
仮初の要塞内部の港では大王国の戦士たちが船造りをしている。使い魔の幾人かはそちらを手伝っていた。
「本当に最期かもしれないしね」と使い魔の誰かが言ったのを耳にして、ユカリの胸が抉られる。
もしも魔術を再現できなければ百一人の人生を消し去ることになるのだ、同じ世界から同じ世界に生まれ変わった兄弟姉妹のような存在だと表現したこともあった存在を。
魔導書の一人として自身をも最後には封印するのだ、という覚悟を示して使い魔たちの納得を得たが、それで十分だとはユカリにも思えなかった。かといって何を言えば、何をすれば、実質的な死かもしれない別れを受け入れられるというのだろう。
「ねえねえ、ユカリ。逢引しようよ」とかわる者が言った。「これが最後かもしれないんだし」
「良いよ。どこに行く?」
別に嫌ではないが、そんな風に言われたら断れるわけがない、とも内心思う。
「あっち」と指し示すかわる者の腕が消えた。
「そんな器用なことが出来るの!?」とユカリは仰け反る。
かわる者は腕だけ深奥に伸ばしたのだ。
「ユカリもその内できるようになる! かもね!」そう言ってかわる者がユカリの腕を引っ張ると二歩目には深奥へと沈んでいた。
要塞もなければ護岸工事もされていない深奥の浜辺に二人はいた。寄せて返す波や砂粒の流れ、吹き寄せる潮風がまるで荘厳な音楽のように意味ありげに感じる。一つ一つの全てがどんな言葉よりも多くを語っているのにちっぽけすぎる自分には何も伝わらない、ユカリはそのように感じていた。この空間の豊かさを真に感じることができていないのだ、と。
深奥においてユカリは半分狩人半分魔法少女のような姿になる。身長も丁度中間くらいだ。既に海の方へ歩き出しているかわる者を追い、横に並ぶ。わざわざ深奥に来たということは秘密の話でもあるのだろうか。
「ユカリって海に来たことある?」
「うん。村を出てから初めてだけど、この旅で何度かね。湖は近くにあったんだけど」
「そうなんだ。私の故郷は――こちらの世界でのね――、海のそばの港町だったんだ」そう言って波打ち際で座り込んだかわる者は波に手を晒す。「こんなに冷たい海じゃないよ。マシチナの海だからね」
「そこで初めて目を覚ましたの?」
「そう。初めは苦労したんだよ。使い魔の例に漏れず下僕にされてね。でもお陰でいとし子と出会えた」
「友達?」とユカリは一言尋ねる。
「そう。親友だよ。自分勝手な子でね。皆に嫌われてた。私も初めは嫌いだったけど、でも仲良くなって、私をこき使ってた魔法使いを一緒に倒したんだ」
しゃがみ込んで海水に触れるかわる者の、揺れる二つ結びを見つめて、ユカリは言葉が出て来なくなる。しかしかわる者の言葉は溢れ返る。
「その次は幸福って子と仲良くなったんだ。とっても優しい子でね。でもそれが災いした。ずっと笑顔で我慢に我慢を重ねて、我慢が出来なくなっちゃった。自分を見失うほどにね。だけどお話を繰り返して、我慢するのを我慢できるようになったんだ」
それがかわる者の話したいことなのだろうか。きっと違うのだろうとユカリは理解する。
「水光は孤独な子だった。何もかもに無関心で、だから魔王の企みも誰にも話さなかった。その後で仲良くなった私がその企みに引っかかっちゃって、あの時の彼女の泣き顔は忘れられない。解決した後でも、今でもアリエーが可哀想で、悲しくて仕方なくなる」
最早ユカリが言葉を挟む余地もない。
「途絶えぬ祝福は真面目な子で努力家で、私とは正反対って感じ。でも報われなかった。憧れた人に裏切られて、自分にすら裏切られて、だけどそれでも前に進むことを選んだ、私の憧れ」
「鎖は天使憑きで、仲良く……、んーん。まだ本当には仲良くなれてない。ジェーナとも仲良くなりたいんだ。それにみんなにまた会いたい。だってそれが私の……。私には私の……」
誰が誰だか知らない人たちの人生を、関係を突きつけられる。その意味するところが、かわる者の想いがユカリに突き刺さる。
波打ち際のかわる者がゆっくりと立ち上がり、深奥の水平線を見つめる。
「そうだ。行けばいいよね。深奥なら縁を辿ればすぐに会えるんだから。ユカリにも皆に会わせてあげるよ」
かわる者がユカリの腕を掴むが、ユカリがかわる者の反対の腕を掴む。しかし言うべき言葉は見つからない。
「どうかした? ユカリ。別に良いでしょ? これが最後かもしれないんだし」
「分かったよ。分かった」ユカリは深呼吸する。「約束する。必ず魔導書を再現する。これが最後にはしない」
かわる者は無表情で見つめ返す。
「無責任じゃない? 何の保証もない」
「分かってる」
「それに再現するのは主にベルニージュでしょ?」
「その通りだよ。だけど前世の記憶を取り戻して少しずつ分かってきた。魔法少女は打算も妥協もしない。希望を示すんだ」
「さあてね。そんなの作品次第でしょ」
「だけど――」
「だけど!」涙を浮かべてかわる者がユカリを見つめる。「……信じてるよ。ユカリのこと」
銀の野原に桃色の空、色とりどりの靄に覆われた白い四阿で、足の長い兎のような、耳の長い猫のような、尻尾の長い熊のようなププマルと再会する。
深奥によく似たこの場所で、六つ目の星が輝いた。
前世の記憶を取り戻したよ、とここでは儚い存在となるユカリは言った。
「それは良かったププ。ようやく使命を本当の意味で理解できたんじゃないかなププ?」
まあね。でもププマルへの不信感が募った。どうして私がノートの一冊だということを黙っていたの?
「ただのノートじゃないププ。ただの魔導書でもないププ。前世の、力を持ち過ぎた少女の、君は特別な人だったはずププ」
空想上の友達、ね。でもノートでもあった。魔導書に魔導書を集めさせて、心ある存在を封印させて、悪いとは思わなかったの?
「他の誰にも出来ないことププ。魔導書が魔導書に惑わされることも、魅了されることもないのだからププ」
他にも隠し事があるんじゃない? って聞いても答えてくれないんだろうね。
「聞いてくれたなら何だって答えるププ。ただ君が何を知りたいのか分からないだけププ」
そういうことにしておくよ。
百一枚の封印はユカリの手の中で一冊の魔導書に変わっていた。レモニカとソラマリアはラーガの元へ、グリュエーユビスの元へ向かった。要塞内部の港の端の薄暗がりで、ユカリは魔導書の表題を見つめる。と同時に促すようなベルニージュの視線を感じる。
「『ますこっとしーるのーと』だってさ」とユカリは魔導書に記された題名を正直に伝える。
「本当は?」
「本当だよ!」
「ユカリだったら何て名付けるの?」
揶揄われているのかと思ったが、ベルニージュは至極真面目な顔をしていた。
「何でそんなこと知りたいの?」
「ユカリだって魔導書なんでしょ? どう考えるかは重要な情報になる、かもしれない。ならないかもしれない」
ユカリは頁をぱらぱらとめくる。使い魔らしき絵が描かれ、数行の文章でその特徴が記されているようだった。
「……『魔性写本』、とか?」
「ふうん」という気の無い相槌だけして、ベルニージュも横から覗き込む。
最後の頁、魔法少女のマスコットの項目には手を繋ぐ二人の少女が描かれていた。