外の探索で初めて|小醜鬼《ゴブリン》を殺した時に、俺は初めての|位階上昇《レベルアップ》をした。その時点ではまだ、元の世界のゲームのように他の生物やあるいは”敵”と定義される存在を斃すことで、経験点を獲得してそうなる、という仮説は有力だった。
だが、ル・ベリのステータス画面を確認して、彼が17年生きて位階17に達していることを見て、少なくとも「敵を斃す」とは別の経験点獲得ルールが、という考えを俺は得ていた。
それは「ただ生きているだけでも自動的に一定の”経験点”が得られる」という考えだ。結果的には、その読みは一部当たっていた。
俺が|労役蟲《レイバー》達に通路の拡張を命じ、|走狗蟲《ランナー》達に各地の探索を命じていた時のことであった。
――『種族経験点』の累積が閾値を越えたことを検知。『経験点』に変換――
――位階の上昇を検知――
聞き慣れるようで、ある意味いつでも新鮮なシステム通知音に、新しい語。どうやら俺は知らぬうちに「種族経験点」なるものを蓄えていたようで、それが|位階上昇《レベルアップ》に繋がったらしかったが――種族、経験点か。
俺の種族は「|迷宮領主《ダンジョンマスター》」であった。人族である前に。
ゴブリンを殺したことも「経験」ならば、殺さずとも種族として積み重ねる「経験」もまたある――とするならば、今俺が、まさにやっていた”種族的経験”とは何であったか。
言い換えれば、つまりそれは『迷宮領主|らしい《・・・》』生き方、ということだと思われた。
ならば「迷宮領主らしい」とは。
敵対者を斃すことも”らしい”が、それ以上に、その本懐――|迷宮《ダンジョン》を構築すること。そして|眷属《ファミリア》を生み出して配置し、指揮することに他ならない。
|シースーア《この世界》の『位階・経験点』ルールでは、よりその種族|らしい《・・・》生き方を継続することで、技能点という具体的な恩恵を得るための位階上昇が起きる、と俺は推測したのだった。
(なら、ル・ベリはどう説明する? ”その種族らしく”生きれば、おおよそ1年に1ずつ位階が上昇する、というルールであれば……あいつは『ルフェアの血裔』らしく生きれていたか?)
ふと気づくことがあった。
俺とル・ベリの共通点と相違点である。俺とル・ベリには『|称号《タイトル》』があり、そしてル・ベリにあって俺に無いものは――『|職業《クラス》』であった。
「位階・経験点」ルールが「技能」ルールと連動しているならば、ここも連携していると考えるのが自然だった。
わざわざ、俺の迷宮領主らしい行為は『種族経験点』と言われていたならば、同じように『|職業《クラス》経験点』と『|称号《タイトル》経験点』もまたある、と考えるべきである。そしておそらくル・ベリは、母リーデロットによって純種の魔人族らしい生き方を制約されつつも――例の|小醜鬼《ゴブリン》関連の2つの『称号』から得られる経験点によって、それが補われたに違いなかった。
俺は【情報閲覧】の発動を俺自身を対象として|諳《そら》んじた。そして表示される青い光の窓の中から『※※未設定※※』となっていた『|職業《クラス》』の項目に指で触れた。
――|爵位権限《クリアランス》不足――
システム通知音が無情に頭の中に鳴り響く。半ばそれは予想していたことだったが、もう半ばでは、それができるという可能性も期待していたのだった。だが『爵位』が条件ならば今の俺にできることは何もない、とすっぱり今は諦めて捨て置くこととした。
ただ、せめてもの抵抗に、と俺は考察はもう少しだけ続ける。もしも|迷宮領主《ダンジョンマスター》に一定の爵位に達するまで『職業』を選択させない、というのがこのシステムを作り上げた【闇世】の神々の意思ならば、その理由は一つしか考えられない。
それは、迷宮領主という生き方に|集中《・・》させるためであろう。
(そしてそうであるなら、その意図は何も|迷宮領主《ダンジョンマスター》に限った話ではないかもしれない)
現実を超克して超常を成し、使用者に有利な現象を引き起こす|技能《スキル》は、非常に強力なシステムである。さらに技能点を得れば得るほど、強化される――それを|餌《・》として、技能点を得るような行動をさせる。
与えられた『種族』や『職業』や『称号』|らしい《・・・》生き方をするという強烈なまでのインセンティブが与えられている。
……そのような見方をすることは、疑いすぎであろうか? そう俺は自嘲しつつも、半ば本気だった。
人間、でさえ人には簡単に言わない思惑を抱えて生きている。利害対立なら野生の獣だって競争の嵐の中に生きているのだ。ならば、何の説明もなくこの俺をわざわざ|迷宮核《ダンジョンコア》の近くまで転移させた何者かに、思惑が無い、と言えようか。
穿って見れば、この強烈な”生き方の誘導”とも思える『技能・経験点システム』には、明確な目的があるはずであった。
しかし、寄る辺無き俺には、掌の上と分かっていても、操りの糸があると薄々感じていたとしても、今はこの力に頼らざるを得ないのもまた事実だった。
だから俺は【|エイリアン使い《与えられた力》】をさらに振るっていく。より早く、より効果的にそれを完成させ、発展させるために。
与えられた技能点を使い、俺は【|因子の解析《ジーン=アナライズ》】を3に上昇させ、新たに【|因子の注入《グラウト=ジーン》】の技能を取得したのだった。
***
ごく一部、|走狗蟲《ランナー》などの「進化に因子が不必要」なエイリアンの系統もいたが、『進化系統図』に表示されたほとんどのエイリアン達は「因子」を進化の前提としていた。
それは、因子が「現象の設計図」であるという俺の理解と合致する。
生物の”進化”を、ある環境やシステムに適応するための『特徴を獲得』する営み、と定義してみよう。その作用をより強烈に模したのが俺の「因子システム」である。「因子」によって表現される、ある『現象を』、まるで燃えたぎる炎のような生命活動の塊そのものとも言える”エイリアン”達の肉体を通して『再現』しようというものだと俺は受け止めていた。
つまり、俺が認識した「因子」を通して、俺が期待する「ある現象」を引き起こすエイリアンが誕生するのである。
むしろ|揺卵嚢《エッグスポナー》や|労役蟲《レイバー》達が「因子不要」であったこと自体が大きな例外。迷宮領主になりたての新人への、神々からのサービスと言われても、驚くものではなかった。
現在、俺がシースーアに迷い込んでから【9日目】。
|走狗蟲《ランナー》達は35体にまで増加していた。俺はアルファからイプシロンの5体を偵察班から引き上げさせ、『司令室兼生産拠点』に集結させていた。
ル・ベリの計画では、決行まであと長くても1日か2日。
技能【精密計測】によって割り出した『最果ての島』の面積は、おおよそであるが75平方kmであった。元の世界の、俺がいた元の国で比較すれば、八丈島ほどの面積である。そして八丈島では、おおよそ1万人弱の人口であった、と俺は記憶していた。
――じゃあ、問題だー。この中に……”ピアノの修理屋さん”は何人住んでいるかわかるかな!?
――えーーマ■■先生、そんなのわかんねーよ――
喧騒が幻聴となって蘇る。
今日は――趣向を変えた幻聴のようだな、と俺は苦笑した。もう何年も前の自分自身の声を思考の向こう側で聞いたような気がした。
そして俺はその趣向に乗って、幻聴の向こう側の過去に向かって、解説するように言葉を紡ぐ。
知らず声も出ていたようだった。アルファ達がじっと俺に反応するが、独り言だとすぐに気づいたようで、身じろぎ一つせず、俺の「フェルミ推定」を受け止めていた。
――ピアノっていくらか知ってるか?
――500万円!
――よし、じゃあ500万円としよう。それを持ってる島の人は何人くらい?
幻聴の中で何人もの少年少女達の唸る声、思いつきを叫ぶ声が乱れ飛ぶ。
いつの間にか彼らの間での議論が始まり、俺はそれを静かに見守る。そして、大体”近い”推計が出たところで、話を引き取る。
――そうだな、じゃあお金持ちが100人くらいるとしよう。あと、✕✕✕✕の学校のピアノっていうのもいい線だ。そうすると、島全体でピアノは50台くらいあるな。じゃあ次に考えるのはこうだ。ピアノは1年間に何回ぐらい壊れるかな?
問い。議論。適切なタイミングでの巻取り。
単なる受験勉強では無視されがちな、そういう大事な思考訓練が、その場所ではできるのだった。それが俺の本当にしたかった授業だった、と気づいた頃には、全てが遅く、あの事件が起きていたのだった。
そこまで夢想してから、ようやくこの日の幻聴……もはや幻聴を越えて幻視や幻覚の域に達していた、かなり強いフラッシュバックのような白昼夢だったが、ようやくそれから俺は開放された。
だが「フェルミ推定もどき」は続く。これは言わば、俺の思考の中に混じりこんだ、強制的な脇道へ逸れる、ある種の呪いのようなものだったからだ。
75平方kmで1万人。一家4人と考えれば2,000家族ほど。
それが、文明も技術も衛生観念も発達した社会における、この規模の島での扶養可能人数。
対しシースーアの【闇世】の『最果ての島』に生きる小醜鬼達は、狩猟採集が中心の生活であるのは明らかであり、その個体数の増減は自然に大きく左右される。しかも多頭竜蛇による”海憑き”があり、年間で100から200匹が海へ飛び込む、というのはル・ベリから聞いた情報からの推計。
――ならば、島全体で1,000匹も居れば良い方ではないだろうか。
実際、ル・ベリから聞いていた”最大”氏族であるレレー氏族は200と数十匹という所帯であるようだったので、そこまで外れた推計でもないだろう。
そして、この1,000匹もの相争う蛮族が一箇所に集まっているわけでもない。1氏族あたり100程度として半分は雌や子供であれば、戦える雄が50。狩猟や小競り合いのため半数は常に出払っていると考えれば、集落に詰めている戦力は20から30。
「小鬼術士と”氏族長筋”の大柄な連中が厄介だが、それ以外なら、お前達なら1体で2~3匹は小醜鬼を斃せるだろう。”氏族”を1つ攻め落とすには――予備兵力も加えたら、30体ぐらい居れば十分かな」
俺がずっと計算を続けていたことの意味を、アルファ達は理解したようだった。
ベータが興奮したようにわなわなし始め、デルタが荒い息を吐いて血走ったような目で闘志を表す。イプシロンはそんなデルタに引きつつも、その瞳には純然たる眷属としての忠誠心が溢れだすかのようだった。
「だが連中は毒も使う。吹き矢を使う奴らもいる。俺はちょっとでもお前達に被害が出て欲しくはない。迷宮領主として死ねと命じることもあるだろうが、今じゃない。小醜鬼なんぞとの戦いで後れを取ること自体が問題だ――だから万全を期す。幸い、時間はまだある」
故にアルファ達5体を集めたのだった。
そのために【因子の注入】の技能を獲得した。
それが、俺の迷宮をより強化させ、進化させることであるならば、そうしない理由はどこにも無いのだから。
「”氏族長筋”の大柄な連中には【戦線獣】を当てる。アルファ、ガンマ、デルタ、お前達がそれだ。小鬼術士が現れて前衛後衛で連携されないように、こちらも搦め手で対抗する。ベータ、イプシロン、お前達はそっちだ――我が”名を与えし”眷属達よ。お前達の存在昇格の時が来た」
広げた十の指に魔素と命素の流れを集める。
そしてそこに【因子の注入】を発動させながら、俺の中に刻み込まれた「因子」の強烈なイメージを、頭の中から引っ張り出す。
『因子:強筋』は、隆々たる筋骨による力の解放と巨大な質量を受け止め支える現象を。
『因子:酸蝕』は、生化学作用によって体皮も肉も骨も蝕み溶かす現象を。
それぞれ、右手と左手の五指に念じ込めた。
周囲の仄光から寄り集まる魔素と命素の向こう側に、因子の”解析完了”の時に幻視した強烈なイメージの渦が再来したかのような感覚を高めながら――俺はまず、アルファに触れる。そしてそのイメージの中に、走狗蟲の『アルファ』という個体のイメージが混ざり合う有様を念じて、一気に魔素と命素と『因子』を注ぎ込んでいった。
そうして1体ずつ。
アルファの次はベータ、ガンマ、デルタ、イプシロンと続けていったのであった。
***
【10日目】
アルファ以下5体の”名付き”の走狗蟲達を技能【因子の注入】によって、順次”進化”させてから、俺はぶっ通しで【魔素操作】【命素操作】により彼らの”繭”に魔素と命素を注ぎ続けた。
少しでも、進化の完了を早めたかったからである。
自然進化では――戦線獣は18時間、噴酸蛆は27時間だった。5体で計108時間。それを約22時間にまで縮めた。丸1日であったが――それだけの時間とエネルギーを掛けた成果はあった、と俺は信じる。
まだ、俺自身の【エイリアン使い】としての迷宮経済を把握して、さらにこの島を掌握して安定的な量産体制が整う前である。
他の迷宮領主達が『最果ての島』にやって来れるかどうかもそうだが、一応は防壁にできるだろう多頭竜蛇自体が、俺に対してどんな姿勢で臨んでくるか、もまた懸念事項だったのだ。戦力は、早く整えておくに越したことは無かった。
しかし調子に乗って、世代が上のエイリアン系統を量産できる体制にも無いため、軍量と軍質の両立を考えた際、他の”名無し”のエイリアン達と異なり、個性を身につけつつある”名付き”達をさらに精鋭化するのが良いと俺は判断した。
斯くして、走狗蟲系統の「第2世代」のエイリアン2種が俺の前に誕生していた。
【基本情報】
名称:アルファ
系統:|戦線獣《ブレイブビースト》
種族:エイリアン
位階:6
【コスト】
・生成魔素:160
・生成命素:220
・維持魔素:9
・維持命素:100
【技能一覧】
・剛腕:1
・握力強化:1
・爪強化:1
【存在昇格】
・進化:螺旋獣(因子:強筋、伸縮筋 ※解析未完了)
・進化:城壁獣(因子:硬殻 ※解析未完了)
・進化:???(更なる因子の解析が必要です)
強靭な後ろ脚と足爪を誇ったのが走狗蟲ならば、戦線獣はその状態から上半身と上腕を特に異常発達させた「筋肉の壁」のような姿と化していた。
人間で言えば大胸筋に当たる部分が異様に肥大化してはちきれんばかりの鳩胸のように突き出され、さらに両腕が丸太を立てたように太く太く筋発達して地面にまで伸び、その拳は大地に届くほどであった。そしてその異様に発達した豪腕からは、無数の血管がミミズ腫れのように浮き出ており、細かく脈動していた。
この丸太のような2本の腕は、明らかに体高の半分以上の長さを誇っており、のっしのっしと掌歩する姿は元の世界の学名ゴリラ・ゴリラ・ゴリラを思わせる。身長こそ劇的に伸びたわけではなく、”人族”としては長身である180cmの俺と同じか少し低いくらいだったが、その迫りくる壁のような「圧」は凄まじい。質量だけで見れば、俺の3倍もの体重と密度は誇っているらしかった。
それでいて、走狗蟲時代の強靭な後ろ脚はそのまま引き継がれている。しかし、上半身と両腕が発達して巨大化しすぎているせいで、その恐ろしき脚力も足爪もすっかり相対的に目立たなくなっていたのだった。
例えるならば、小型肉食恐竜の下半身にゴリラの上体を移植したかのような巨躯。その太く長い豪腕を地面に拳で突き立て、背を反るようにして胸を豪快に突き出したような体勢、という歪な出で立ちであったのだ。
さながら、走狗蟲が「筋力を脚力に」替えているとするならば、戦線獣は「筋力を腕力に」充てている、といった有様であった。”筋肉思想”が全くの別物に変貌してしまっている。
その脚力で以て加速し、俊敏なる足爪の一撃や蹴りを見舞う走狗蟲と異なり、アンバランスと言えるほど巨大な両腕で思い切り”ぶん殴る”ことが存在意義だと言わんばかりだった。当然ながら走狗蟲達ほどの機動性は無いので偵察などには向かないが、しかし有り余る筋力で力任せに腕を振るえば、決してそれは遅い攻撃ではない。
きっと、小醜鬼が束で襲いかかったとしても、まとめて叩き潰してしまうだろう頼もしさを俺は感じた。
――恐ろしいことだが、質量と筋力の暴力だけでも心臓の弱い者を逃げ出させかねないこの豪腕には、ダメ押しと言わんばかりに手の甲の付け根辺りから骨が突き出したかのような”角”のような剛爪が生えていたのである。
熊とだって正面から殴り合うことができることは想像するに難くなく、さらにこの”剛爪”の存在により、中途半端な盾と防具ではその腕力の暴力を防ぐことは困難であるように思われた。
タフさは言うまでもなく。機動力が犠牲になった分、名の通り”戦線”を最前列で支え暴れるに相応しい進化を遂げたと言えるのであった。
なお、走狗蟲時代から引き継いでいるのは後ろ脚だけではない。
一回りほど巨大化した頭部には、まるでそれがエイリアンの証明であると言わんばかりに、上下に裂ける口と、クワガタのように左右に大きく広がる、根本を肉膜に包まれた鋏のような牙――十字の牙顎を保っていた。
『強筋』の因子を導入したことでここまで変貌した、その極端さに俺は少し頬が引きつる自分を感じる。【エイリアン使い】の権能のでたらめさは、伊達に、同一個体で”進化”をやってのけているわけではない、ということだと納得するしか無かった。
だが、覚悟はしていたが、恐るべき変貌であった――元が全く同じ幼蟲や走狗蟲であったものが、ここまで分岐してしまうのだ。
そんな思いで、俺はベータとイプシロンを見た。
【基本情報】
名称:ベータ
系統:|噴酸蛆《アシッドマゴット》
種族:エイリアン
位階:6
【コスト】
・生成魔素:200
・生成命素:180
・維持魔素:62
・維持命素:48
【スキル】
・生成倍速(酸):1
・強酸化:1
【存在昇格】
・進化:???(更なる因子の解析が必要です)
こちらもまた、戦線獣とはまた別方向での走狗蟲の極端な変貌であり、俺は思わず【強靭なる精神】を発動するほど度肝を抜かれたのであった。
まず、非常に思い切りの良いことに、走狗蟲時代の主力であったはずの強靭な後ろ脚と尻尾が完全に退化して爪も無くなってしまっている。全体的な筋肉質さも消え失せ、その胴体は芋虫をそのまま肥育させたかのようにずんぐりむっくりとした体型に肥育されていた。太く、でかく、ころころ丸々とした――メタボ体型になってしまったのだった。
さすがに「メタボ」は言い過ぎかもしれない。進化前や、隣にいる戦線獣達の異常な筋肉と比較して余計そう見えているだけだ、と信じたかったが。
首までもが胴体に近い太さとなっていたが、突き出た骨で出来た襟巻きが形成されており、首と胴体の境目が一応自己主張されていた。
口の部分は走狗蟲や戦線獣と変わらぬ上顎下顎、左右の鋏状牙による十字の牙顎であったが――頭部は全体的にぶよぶよと脂肪によって肥大化して体長の3分の1ほども占めているようであり、さながら襟巻き特大オオサンショウウオといった風体と化していたのだった。
威圧感はある。
ただ、たるんだ丸々とした巨大な体に、退化して縮んだ足はほとんど押し潰されて隠れているようであり、ずるずると肉を引きずって這う姿は、図体だけでかくした幼蟲に先祖返りしたかのようであった。説明するまでもなく、戦線獣以上に機動性をかなぐり捨てて開き直ったかのような鈍重さであり、配置すべき場所まで運ぶにも労役蟲達による”牽引”すら必要かもしれなかった。
――だが、侮るなかれ。
噴酸蛆の名に違わず、『因子:酸蝕』という現象の申し子たるその能力は、特筆すべき攻撃手段を持つことにあった。噴酸蛆は、その芋虫化した体内で生成した猛烈な強酸を、口から大量に遠くまで噴き出すことができるのであった。
労役蟲達を退避させて『司令室兼生産部屋』の一角で実験したところ、その噴き出す勢いや、消防車のホースからの噴水に匹敵するほど強烈なものだった。ゴブリン程度ならば、もはや水圧だけで姿勢を崩されてしまうだろう。
そして周囲にでき上がった”酸溜まり”に倒れこむこととなり――たちまちに骨まで溶かされてしまう。偵察班が持ち帰った野生動物の骨や、根喰い熊に齧られた巨木の根の一部はおろか、鍾乳洞の壁を形成する岩壁ですらもみるみる溶かしてしまう威力に、俺は慌てて”検証”を中断したのだった。
適切な防具を持たない、特に生身の相手に対して、これほど致命的な攻撃手段も無い。
『因子』1つでここまで生物としての方向性が大きく変貌してしまう【エイリアン使い】の本質の、その片鱗であった。名前からある程度、こういうことができると予測はしていたが――それでも実際に見てみるのとでは大違いだった。
期待した通り、噴酸蛆は中距離からの後衛で砲撃役を担うことができるだろう。動きがのろく、またエイリアン十字顎のある正面以外からの接近戦には向いていないため、護衛が必要という意味では注意が必要だが、戦術には大きな幅が生まれること間違いなしであった。
同じ飛び道具を扱う後衛であっても、弓や銃と異なり、扱うのが”液体”であることが非常につぶしが利くと俺は考えたのだ。
噴き付け方によっては、広範囲にばら撒いて面制圧を行うこともできる。それはしばらくすると蒸発して消えてしまう性質の酸であるようだったが、逆に言えば、それまでの間は地面に残り続けて迫る敵の足を焼く、という行動制限的な運用も可能。
戦線を戦線獣という筋肉と暴力の盾で支え、その後ろから岩をも溶かす強酸を浴びせかける。乱れたところを、遊撃の走狗蟲達が四方八方から横槍を入れ、しかも走狗蟲達の敏捷性であれば、酸に巻き込まれる心配は少ない。そんな陣形が基本になるだろう。
特に生身の生物を相手に無類の強さを発揮することが期待できたが――ただ、検証している中で、意外な弱点があることに気づいた。どうも、肝心の噴酸蛆自身は自らの体内で作り出す強酸に対して、完全な抵抗力は持っていないようであったのだ。
なんとも間抜けな話だが、酸を吐く時に、自分の口腔を激しく焼いてしまうのであった。
そしてそれを、これもまたオオサンショウウオばりの強靭な自己再生能力によって、命素を吸収しながら急速に修復するという力技で乗り切る。そして焼かれた食道と口腔の回復までは”次弾”は噴射できない――という、これまた戦線獣とは別の意味で、生物としては強烈なアンバランスさを持ったエイリアン系統なのであった。
【体内時計】技能で調べたところ、一度の「噴酸」から次の「噴酸」までかかる時間は、おおよそ2分ほどであった。ただし俺が【命素操作】によって回復力を早めると、その分だけ早くなったため、もし将来的に回復役の役割を担うエイリアン系統が現れたら、この弱点は補っていくことができるだろう。
なお、口腔が酷く焼け、噴酸蛆自身も苦痛にもだえてダウンしてしまうことも厭わないならば、数回分の強酸を口の中に溜め、「酸爆弾」としてまとめて吐き出すこともできる。
この場合は、再生するまでに10分以上かかってしまい、巨体を転げながら暴れて痛みに耐えようとするため、ウドの大木どころか邪魔にさえなる。
それでも「酸爆弾」の面制圧能力は非常に強力であり、ちょうど大砲のような運用もできるということで、この点でもやはり潰しは非常に利くといえるのであった。
<御方様。お待たせしました……長らくお待たせした我が力の不足をお叱りください。ですが、ようやっと万事、整いまして御座います>
<あぁ、構わない。俺の方も――整ったところだ。いつでも征けるぞ>
<御意のままに。それでは、手はず通りに……>
待ちに待った、ル・ベリからの報告であった。
万全を期するという意味では、もう少し「第2世代」を増やしても良いとは思っていたが、物事はそれ以上に「機」が大事であった。準備のし過ぎで、ル・ベリがせっかく彼のこれまでの「小醜鬼に偽装された」人生を賭けて仕掛けた大仕掛けを献上してくれたということ、その好機を無駄にする理由も無かった。
デルタが、まるで”新しい体”の使い勝手を試したくてたまらないとばかり、好戦的に十字顎を打ち鳴らしてガンマと取っ組み合い始め、ガンマがしょうがないなという様子でそれを受け止め組み合う。
動き回ることが好きであったはずのベータは機動力が無くなってどうするのかと思ったが――なんと丸っこい全身を、ごろごろと横に転がりながら、アルファとイプシロンの間を行ったり来たり衝突しているのであった。
アルファはベータが鬱陶しいのか、転がってくるたびに剛腕で打ち返している。ベータがわざと労役蟲達の通り道に転がりこみ、邪魔をし始めたので俺もさすがに”名付き”達に号令をかけることにした。
<ゼータ、イータ、シータ、全偵察班を招集しろ。ル・ベリの準備が整った。お前達の力と生命の滾りと忠誠を、この島の生態系に見せつけてやる時間だ>
「デルタ、ガンマ、その昂りを俺を邪魔する小醜鬼達に存分にぶつける時だ。アルファ、お前の献身はいつだって俺を安心させてくれる。その身体なら、お前一人でも俺を運んで現地まで行けるな? ベータ、遊びたいか、暴れたりないか? これからもっと楽しいことをしよう。イプシロン、ベータが遊んでいる分、お前の真面目さが頼りだ――”名付き”達よ。これが、俺が迷宮領主として、お前達に命じる最初の『征服命令』だ。存分に、戦ってくれ」
【眷属心話】と、口から声に出しての指令。
俺は【エイリアン使い】として、迷宮領主たるべき在り様を、自分自身の眷属達に高らかに宣言した。同時にそれは、俺にそうであることを求める何者かに向けたものでもあった。
今は思惑に乗っておこう。与えられる『経験点』という餌をありがたく喰らおう。
(だが――俺は、ル・ベリ以上の反骨者であり、ひねくれ者なのだぞ?)
斯くして、ここに【エイリアン使い】としての初陣である『小醜鬼2氏族競食作戦』が開始された。
※本作は「小説家になろう」において現在0167話まで、全て先行投稿されています。
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