1週間後、私はアイーシャさんの執務室に呼ばれていた。
「……ふぅ。
アイナさん、お待たせしました」
「いえ、全然」
書類の確認が大量にあるらしく、アイーシャさんは最近になってもあまり休めていないようだった。
立場ある人はこんなにも大変なのか。
……私は一生、お気軽に過ごしていきたいものだ。
「それにしても、アイナさんがアドルフと知り合いだとは思ってもいませんでした。
ミラエルツで鍛冶師に会ったとは聞いていましたけど、まさかアドルフだったなんて……」
「アイーシャさんって、アドルフさんのことをご存知だったんですか?」
「ええ、夫のお気に入りの鍛冶師だったんです。
昔ね、私にこっそりとアクセサリをくれたこともあるんですよ」
「へぇ……。アドルフさん、隅に置けませんね!」
「ふふふ♪ そうねぇ、とっても懐かしい……」
そう言うと、アイーシャさんは優しい顔をしながら紅茶に口を付けた。
「――ところで、今日は何かご用ですか?」
「ええ。いくつかあるんですけど……。
まずは『野菜用の栄養剤』の件」
「はい」
「順調に配布できているのですが、素材がそろそろ尽きそうなんです。
集めるよりも、消費する方がずっと早くて」
「結構な量も、使いますからね……」
「でも、そろそろ大丈夫かと思うんです。
あればあるに越したことはないけど、しばらくは凌げそうですので」
「それは良かった……」
「育った野菜が少しだけ入荷されて、とても美味しく出来ているそうですよ。
農家や農村の方でも研究が進んでいますし、きっと何とかなるでしょう」
「研究、ですか?」
「『野菜用の栄養剤』を使えば栽培期間がとても短くなるので、冷えないように温めたりして、いろいろな野菜を試行錯誤して作っているようです。
アイナさんばかりに頼りっきりでは申し訳ないですからね」
「なるほど、みなさんの知恵を借りられれば心強いです!」
三人寄れば文殊の知恵。
人数がさらに増えていけば、単純計算ではどんどん良い知恵が出てくることになる。
『野菜用の栄養剤』という種は私が撒いたのだから、引き続き育てていってくれる人がいるというのは頼もしい限りだ。
「……ところでアイナさん。街中で賞金稼ぎに何度も襲われていると聞いています。
治安が悪くて、本当にごめんなさい」
「いえいえ、私がのこのこと出歩いているだけですから。
それに、懸賞金を懸けられている私の方が悪いというか……」
「今度、新しく条令を作ろうと思うんです。
クレントス限定ではありますが、アイナさんたちに危害を加えたら厳罰を――って」
「えぇ? 逆に悪目立ちしませんか?
それならいっそ、誰でも何でも悪いことをしたら厳罰を……にした方が良いのでは」
「一律で厳しくしすぎると、やはり難しいところがあるんですよ。
人間は清濁を合わせ持つ生き物ですから」
「うぅーん……。
私としてはまだ大丈夫なので、もう少し様子見でも……」
「そうですか? では一旦、そうしましょう。
ただ、例え懸賞金が無くなったとしても、アイナさんはこれからずっと狙われることになりますからね?」
アイーシャさんの真面目で真っすぐな視線が私を貫く。
確かにお金だけじゃない。私にはとても優れた錬金術があるのだから、それを狙う輩も当然のように出てくるだろう。
「――……はぁ。
これからどうしたら良いものか……」
「本当に、そう思っていますか?」
「え?」
ふとした言葉に、アイーシャさんは思わせ振りな質問をした。
私としてもこの状況は何とかしたいのだ。結局のところ、まったり平和に暮らしたいだけなんだけど。
「……アイナさん。私はクレントスで王国に反旗を翻して、今はようやく束の間の平和を手に入れました。
でも、様々な問題がこれからも出続けるでしょう」
「そうですね……。すぐに解決できることばかりでも無いでしょうし……」
それは素直な私の受け止めだ。
目の前で起きている冷害、大凶作の問題は、本来であれば起こるはずのないものだった。
だからこそ、この問題は前座であって、そのあとにはまだまだ色々な問題が続くはず――
「……私もね、もう歳だから……そこまで長くはないと思うんです。
まったく、どこまで出来ることか……」
「そんな弱気なことを言わないでください。
病気や怪我なら、私が治しますので!」
「ありがとうございます、頼りにしていますよ。
ただ、それでも人間には寿命というものがあるんです」
「錬金術には――」
「……ええ。不老不死を得る薬や、寿命を延ばす薬だってきっとあるでしょう。
でもね、私は自分の天寿をまっとうしたいの。それで、胸を張ってあの世で夫に会いたいわ」
その言葉に、私の胸は締めつけられた。
何がどう、ということはない。アイーシャさんは、今の人生を全力で生き抜こうとしている。……ただ、それだけだ。
「そうですね……。ええ、それが一番だと思います……」
……人はそれぞれ、価値観が違う。
基本的にはそれぞれが自由に生きて、自身でその責任を取っていけば良いと思う。
例えば不老不死の選択肢があったとしても、全員が全員、それを望むことはないだろう。
選択した人だけがそれを手にして、そのあとは自身で責任を取っていけば良いのだ。
「――アイナさん。あなたは私の恩人。私、あなたには幸せになってもらいたいんです。
きっとこれから、たくさんの試練や苦難が待ち受けていることでしょう。
だから、あなたには『あなたを護る力』を手に入れて欲しいの」
「私を、護る力……?」
……仲間がいる。
神器だって1本ある。あまつさえ、2本目すら手に届くところにある。
しかしそれで自身を護れるかと言えば、なかなか難しいところもあるだろう。
王都からクレントスに戻る間だって、仲間がいて、神器があったが、危ない橋を何回も渡ってきたのだ。
それなら、一体どうすれば――
「アイナさん。あなたには誰も追い付けない、錬金術の力がある。
それを使って――『国』を作ってみない?」
「……は?」
それは思い掛けない、大胆な提案。
私が……国を作る? 例えばヴェルダクレス王国のような――……いや、大国すぎて例にはならないか……。
「さすがにそれは……あはは」
「きっとあなたは、クレントスでも今より狙われるようになってしまう。
他の場所へ、他の国に逃げたところで同じことでしょう。
……身分を隠して生きていく? そんなの、私が嫌なんです」
アイーシャさんの顔は真面目そのものだ。
突拍子もない話ではあるものの、気恥ずかしさや照れなどは一切ない。
「……もしかして、以前から言っていた『相談事』っていうのは――」
「そう、この話。
私はあなたを護りたい。でも、私にはずっとは無理。だから、アイナさん自身がそれを目指して欲しいの」
「……すいません。あの、何と言って良いか……」
それは私の純粋な気持ちだった。
今の今まで、考えたことが無かったこと。しかも、すぐに答えを出すことなんて出来ないこと。
常識的に考えれば拒否して終わるところではあるが、確かに私が国を作ってさえしまえば――
「……ええ。よく考えておいてくださいね。
ただ、私は私でやりたいことがあります。だから、クレントスは譲りませんよ♪」
「あはは……」
そうすると、ゼロからのスタートか……。
でも国って、そんなに簡単に作れるものなのかな……。
「それでね、アイナさん。
私としてはずっとでも良いんですけど、そろそろ肩身は狭くなってきません?」
アイーシャさんはそう言うと、クレントスの街の地図を出してきた。
「この場所にお屋敷があるんですが、引っ越してみませんか?
今回の戦いの褒賞ということで、無料で差し上げますから」
「へ?」
「王都ではお屋敷を持っていたんでしょう? それなら、他人の屋敷でずっと|燻《くすぶ》っていてはダメです。
きっとまた、色々と運勢が開けてきますから。ね?」
……思わぬ形で、またお屋敷が転がり込んできてしまった。
まぁ『国』は置いておいて、ひとまずは『自分のお屋敷』を作っていけば良いか。
確かに言われてみれば、ずっとアイーシャさんのところに居座るわけにもいかないし……。
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