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路地裏の空気は、重かった。
湿っているわけでも、暑いわけでもない。
けれど、肺に入れるたびに、どこか引っかかる。
みことは、しばらく何も言わずに立っていた。
目の前には、こさめ。
小さな体。細い指。動かない表情。
👑「……ほんまに、売ってんの」
ぽつり、と落とす。
こさめはすぐに答えない。
代わりに、ポケットから小さな瓶をいくつか取り出した。
ガラス製の、指先に乗るほどのサイズ。
中には、薄く色づいた何かが揺れている。
赤、灰色、濁った青。
「怒り」「悲しみ」「不安」
ラベルは、手書きだった。
👑「……なんなん、それ」
🦈「感情」
短い返答。
みことは一つ、赤い瓶を指差す。
👑「これ、怒り?」
🦈「うん」
👑「いくら」
🦈「強さによる」
淡々としたやり取り。
まるで、本当にただの商売みたいだった。
👑「……強さってなんなん」
🦈「どれだけ重いか」
こさめは瓶を軽く振る。
中身がゆっくり揺れる。
🦈「重いほど、高い」
👑「……軽いのもあるん」
🦈「ある」
間。
🦈「でも、軽いのはすぐ消える」
みことは、少し黙る。
その言葉の意味を、頭の中で転がす。
消える。
感情が。
👑「……じゃあ、こさめちゃんは」
気づけば、問いが口をついていた。
👑「なんも、残ってへんの‥?」
こさめは、ほんの少しだけ考えるように目を伏せた。
けれど、それも一瞬で。
🦈「うん」
即答だった。
🦈「喜びも、好きも、全部売った」
👑「……全部?」
🦈「全部」
同じ言葉を繰り返す。
その声音に、揺れはない。
🦈「もう入らないし、残らない」
👑「入らんって……」
🦈「入れても、流れる」
こさめは胸のあたりを指で軽く叩いた。
🦈「ここ、多分空っぽだから」
みことの喉が、ひっかかる。
言葉が、うまく出てこない。
空っぽ。
そんなふうに、自分のことを言うやつを、初めて見た。
👑「……なんで」
やっと出たのは、それだった。
👑「なんで、そんなことになったの」
こさめは答えない。
視線を、少しだけ逸らす。
路地の奥。
影の深い方へ。
そこに、誰かがいる気配がした。
けれど、姿は見えない。
🦈「……聞かれたら、怒られる」
小さく、そう言った。
👑「…誰に」
沈黙。
風が吹いた。
ゴミ袋が擦れる音がする。
そのあとで、こさめは言った。
🦈「親」
その一言は、軽かった。
軽すぎて、逆に重い。
🦈「命令だから」
続く言葉も、同じ温度。
🦈「売れって言われたから、売った」
👑「……」
🦈「無くなったから、今は集めてる」
👑「集めてる?」
🦈「ネガティブなやつ」
瓶を見せる。
濁った色たち。
🦈「預かって、あとで売る」
👑「……それ、こさめちゃんの中に入れんのか」
🦈「うん」
👑「大丈夫なん」
こさめは、少しだけ首をかしげた。
🦈「大丈夫って?」
👑「いや……しんどいとか」
その瞬間、
ほんの一瞬だけ。
ほんの、ほんの一瞬だけ。
こさめの目が、揺れた。
――ように、みことには見えた。
けれど次の瞬間には、元に戻っていた。
🦈「分かんない」
🦈「感じないから」
みことは、言葉を失う。
路地の奥で、誰かが笑った気がした。
低く、濁った笑い。
この場所そのものが、誰かの感情でできているみたいに。
👑「……ねぇ」
みことは、ポケットに手を入れる。
財布を取り出して、しばらく眺める。
👑「預かるって、どういうこと」
こさめの視線が、少しだけ動く。
🦈「いらない感情、もらう」
👑「じゃあ、俺のもいけるんか」
🦈「いけるよ」
即答。
🦈「一時的にもできる」
👑「……戻ってくるんか」
🦈「返す契約なら」
淡々とした説明。
🦈「その間は、楽になるよ」
みことは、苦笑する。
👑「楽、かぁ……」
この街の笑顔が、頭をよぎる。
あの不自然なほどの幸福。
👑「みんな、やってるん」
🦈「うん」
👑「そら、あんな笑うわけや」
自分で言って、自分で納得する。
👑「……気持ち悪いな」
ぽつりと、本音が漏れた。
こさめは反応しない。
ただ、じっと見ている。
👑「こさめちゃんは、どう思ってんの」
聞いたあとで、無意味な質問だと気づく。
けれど、こさめは答えた。
🦈「どうも思わない」
やっぱり、そうか。
🦈「でも」
小さく、言葉が続く。
🦈「昔は、楽しかったと思う」
みことが顔を上げる。
👑「覚えてんの」
🦈「うっすら」
👑「どんなの」
こさめは、少しだけ空を見た。
狭い路地の、細い隙間から見える灰色の空。
🦈「笑ってた」
それだけ。
それだけなのに。
胸が、妙に痛くなる。
👑「……そっか」
みことは、ゆっくり息を吐いた。
そして、
財布から紙幣を一枚、取り出す。
👑「じゃあ、一個」
こさめがこちらを見る。
🦈「何、いる?」
みことは少し考えてから言った。
👑「一番、重いやつ」
一瞬の沈黙。
それから、こさめは頷いた。
小さな手が、瓶を選ぶ。
濁った、深い青。
ほとんど黒に近い色。
🦈「これ」
差し出される。
🦈「かなり重いよ」
👑「ええよ」
みことは、それを受け取った。
ガラス越しに、冷たさが伝わる。
👑「……これ、どうやって使うん」
こさめは一歩近づいた。
そして、
みことの胸に、そっと手を当てる。
🦈「ここに、入れる」
その瞬間、
路地の空気が、少しだけ揺れた。
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