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喧嘩のきっかけなんてもう忘れた。
連勤続きで疲れていた。
たったそれだけで、恋人の不機嫌にも付き合えないほどの喧嘩をするだなんて。それほど、この関係が冷めていたってことなのかも知れない。
だってほら、電話口の五条だってさっきからずっとイライラしてる。
「……じゃ、もう来んなよ」
ちょっとした冗談だったかもしれない。
いつもならもっと上手い言い方が出来た。
ちゃんと説明すれば分かってくれたかも知れない。
甘えさせてくれたかも知れない。
だけどもう、全部面倒だ。
何も考えたくない。
『……分かった』
「……は?何が」
『だから、もう二度と行かない。じゃ。』
会話を、終わらせると同時に電源を切った。
本当なら、いつ緊急の連絡が来るか分からないから、電源は落とさずにいたかった。特級様はワガママ放題言えて良いな。
こちとら、しがない1級だもんで。任務内容にケチつけらんない。死亡した非術師の遺族には罵声を浴びせられ。腐ったみかんは嫌味のオンパレードに、殺人レベルのスケジュールを要求。五条家からは“対等なレベル”を要求され、五条家にお近付きになりたいお嬢様方からの嫌味……はもうスルーできるか。だけどその存在が。
それにプラスして恋人の不機嫌。
そうやって全部重なると、心って折れるんだよ。今日だって高専に来てた。
高そうな着物を来て、きちんと髪をセットして、お化粧もバッチリで。見たくなくたって目に入るよね。悟様、悟様ってウルサイ。
任務終わりのボロボロの服。ボサボサの髪。化粧なんて崩れるの分かってるからしない。比較対象にもならない。
こんな姿見られたら、きっとまた、「悟様に相応しくない」だとか言われるんだろうなって思ったら、自分で自分を隠したくなった。ベッドに背中を預けて天井を仰ぐけど、止め処なく涙が溢あふれる。右腕だけじゃ涙を止めるには足りなくて、ついにクッションに顔を押し付けてわんわん泣いた。
もう、疲れた。
「……ねぇ」
高専で顔を合わせたのは、あれから6日後。
会いたくないなぁ、って多分顔に出てた。
あんなに好きだったのに、目も合わせらんない。
「まだ機嫌直らないの?」
『…機嫌の問題じゃないと思う』
「…僕も言い過ぎたよ。謝るから、」
『いや、もう良いよ。この関係を終わりにしよう』
「………嫌だ」
粘られるなんて考えは無かったから驚いたと同時に面倒だ、と思ってしまった。だから『もう無理だ、ごめん』と呟いて任務へと赴く。
この廃墟は呪霊は祓っても祓っても、どこかに巣があるみたいに湧いてくる。
どうなってんのよ、気持ち悪い。『どんだけ時間かかってんだ』なるべく高専にいなくて良いように、任務をぎゅうぎゅうに詰めた。上は喜んであれもこれもと任務を回す。
あれからずっと心に重い石があるみたいだ。
そこから後悔と泣き言と悲しみと言い訳が、延々と湧き出ている。まるで目の前の呪霊のよう。『……みっけ。これだな』古い柱にびっしり書かれた文字。ここは昔パワースポット的な場所だったんだろうか。
それをじっくり読みたくなって、呪いを祓いながらゆっくり近寄る。私の足音と、呪霊の声。
ひんやりした空気。
冷たく大きな柱。
愛を囁く文字、憎悪の文字、自身に向けた文字。
理解出来てしまうから怖い。呪いになる言葉など、日常にありふれているのだ。確かに愛は、存在していて。
だからこそ苦しくなって、醜くしかいられなくて、一人では抱えきれなくなって憎くなる。
そして自分の存在が疎ましくなる。人間ってずっと同じことを繰り返してるんだな。
私も呪いになったら、そうだな、祓われるなら五条が良い。あの綺麗な蒼い瞳で祓ってくれるだろうか。容赦なく最期を言い渡してくれるだろうか。
そう思ったら呪いになるのも悪くない気がしたけど。『………ごめん』
任務から自宅マンションへ帰ったのは日付が替わるかどうかの時間だった。もう高専内にある部屋へはずっと帰っていない。明日の朝イチで報告書を提出して、別件へと向かう予定だ。朝までに報告書をまとめようと自室のデスクで書類を広げる。『呪霊の等級と数は、と…えーと低級が50くらいだっけ?もっといたっけ?』何だか頭がボーッとする。
あの呪霊の巣となっていた柱を見てから、ずっと考えている。私は五条を愛しているんだろう。
それ故に五条と付き合う環境に対応出来ない自分が嫌になったんだ。一番、五条と私が不釣り合いだと思っているのは、私なのかもしれない。
だから呪いになれば、五条の手で私を祓ってくれたら、きっとあいつは私を忘れられなくなる。嫌いな自分は消えて、五条の中にずっと留まる。
なんて、それこそ五条に呪いをかけてるようなものか。『……バカなこと考えるのやーめた』
それから数日。
私の任務がパタリと無くなった。『え、何で?』
「いや、それが……突然上から休ませるようにって言われたっス」補助監督も訳が分からないと困った様子で言う。「…まぁ、最近前にも増してスケジュールがパンパンだったんで、ここは休んで良いと思うっス」
『えー……』
「また任務が入ったらお知らせするッスねー」走り去る彼女も私に合わせて激務だったから、休んで欲しいとは思うけど、私は、任務がしたかった。一人でいると余計な事ばかり考えてしまう。久し振りに自炊して映画でも見ようかな。
突然手に入った休みを如何にして過ごすか、マンションの廊下を自宅へ向かいながらぼんやり考える。
自宅のドア少し手前を通ると香る、知った匂い。あぁ、そういうことか。
それを感じてから、漸ようやく気付いた。
「休みでしょ?部屋入れてよ」
『…私から任務取ったの、五条?』
「こうでもしないと僕と顔合せないじゃん」
『別れたからね、部屋にはあげられない』
「ははっ別れたつもりないけど」
『…じゃーもっかい言うけど、別れよう』
「嫌だ」
『エンドレスだな。私は別れたから』
「こういうのは後腐れない様にしないとね。だから部屋上げてくれるよね?」
ドアに手をついてニンマリと笑う。
五条がこうなったら他人には動かせないって分かってるから、せめて厭味ったらしく深いため息をついて『どーぞ』とドアを開放した。おじゃましまーす、と合意の上で私の家へ侵入した五条は、勝手知ったる他人の家、早速甘いカフェ・オレを作る。
あぁ、五条のマグカップそのままだったな。
「別れよう、なんて言って、僕のもの、全部そのまんまだね」
『任務が詰まっててそれどころじゃなかったから』
「それって僕より任務が大事みたいじゃん。ひどーい」
実際そうだからなぁ。
家にいる時間より、任務の時間の方が長いわけで。
『で、何しに来たの』
五条と距離を取って話しかける。
自分の家なのになんでこんなに隅に居るんだ、私。
「恋人と甘い休日を過ごしに」
整った顔が不敵に笑う。
こんな状況じゃなきゃ、少しは心が踊っていただろう。でもそんな気持ち、どこかへ行ってしまった。
サングラスから覗く蒼い瞳に吸い込まれないように、視線をずらす。
『……』
「恋人と甘い休日を過ごしたかったのは本当。でもその肝心の恋人が僕に甘えてくれないんだよね〜。何でだと思う?」
そんなに軽く言うのに目が笑ってないくせに。
『……さぁ。もう恋人じゃないからじゃない?』
「その答えは却下」
『……』
「ねぇ。僕が、この僕が、こんなに君を好きなのに、どうして離れようとするの」
『何でそんなに上からなの』
だって五条悟だもん、と当たり前に言うから。
どんどん胸が苦しくなる。この人が「五条悟」じゃなかったら。
「五条悟」が持っているもの全てを持ってなかったら。
ただの一般人、せめてその地位も能力ももっともっと親しみやすいものだったら、私も彼に応えられるのに。こんなに苦しくないのに。ちゃんと甘えられるのに。
「……ねぇ、何考えてんの?そんな泣きそうな顔で」
気付けば目の前に迫った蒼が稀に見る真剣味を帯びていて、更に私を追い詰める。
「何でなんにも言わないの」
『近寄らないで』
「どうして辛いって言わない」
『…やめて』
五条の暖かくて大きな手が私の頬を包んで。
「本当に嫌なら、本気で抵抗しろ」
ゆっくり優しく落とされた口付け。
頬に触れる髪の毛。
抵抗、出来るわけない。
私だけが触れてもらえる、その喜びに。
「……なんで泣いてるの」
『お願い、だから……独りにして』
「それは出来ない」
『……独りにして…!』
「もう充分、独りでいたでしょ」
僕も独りだったよ、と優しく抱きしめるから。
溢れる涙は止め処なく。
『…五条悟、なんて大嫌い』
「…うん、」
『あんた、なんで、五条悟、なのよ』
「ごめん」
『なんで、もっと下に降りてきてくれないの』
「ぇ、神ってこと?」
『……』
「ぃてっ」
あぁ、離れらんないな。
世界で特別な五条悟が、特別普通に扱ってくれるんだから離れらんないんだよ。もしも、瞳が蒼くなくても、誰でも触り放題だったとしても。
もしも、身長が今よりも低くて、髪の色が白くなくても。
「…もう別れるって言わない?」
『ううん、別れる』
「…なんで」
不安げに揺れる瞳が嬉しくて。
『だって、五条悟と対等になんて死んでもなれないし、』
「なにそれ、誰に言われたの」
抱きしめる腕の強さも。
不快に歪むその瞳も。
『知らないの?五条家にからしょっちゅうお手紙頂いてますけど。学長経由で。それにご令嬢たちに悟様と相応しくないってご忠告されますし』
「誰だよ」
『誰かは知らない。私には着こなせない、綺麗な着物着てらっしゃる方々』
全てを愛おしいと思ってしまうから。
ちょっとズルい告げ口をした。
「そういうのはちゃんと言って」
『言ったらどうにかなるの?』
「五条家潰しに行くから」
『……キミ、五条悟じゃなきゃ良かったのに。そしたら一緒にいられるのに』
「五条悟とずっと一緒にいるんだよ」
思わず笑いを洩らせば、嬉しそうに顔が明るくなるから。私のザラザラとささくれ立った心がようやく凪いでいく。
『ねぇ、もしも。私が呪霊になったら、五条が祓ってくれる?』
「迷わず僕が祓うよ。ちゃんと、お前が誰かを殺す前にね」
『そっか。良かった。…それなら五条悟と一緒にいられるかも』
「……僕といると呪霊になるの?なんで?」
紐解いてしまえば理由なんて大したことなくて。
私が、あなたを好きだからだよ。と呟けば、不敵に笑って知ってるとキスを落とす。
「長い喧嘩だったね」
『そうだね』
そうやって笑い合えるから、きっとこれからも、こうやってお互いの気持ちをすり合わせるんだろう。怒って泣いて逃げようとする私と、絶対に自分を曲げない五条と、きっとずっと変らないんだと思う。
「ねぇ、2分だけ待っててよ。五条家に顔出してくる」
『……暴れちゃだめだよ』
「大丈夫。ちょっと後悔させるだけ」
離れ際に軽い口付け。
「戻ってきたら、とことん甘やかすから。いい子で待っててね」
飛んできたウインクに不覚にもときめいて、すぐに消えた彼に返事のしようはないけれど。
いそいそと部屋着に着替えて、甘やかされる準備はしておこう。冷めてしまった甘いカフェ・オレを作り直そう。五条の部屋着も出しておこう。
そうして聞こえる軽快な「ただいま〜」に笑って『おかえり』って言えるように。