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夢汰🌩️

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季節が一つ変わった。
窓を開けた時の空気が、少しだけ冷たくなった頃。
俺は相変わらず、店に立っていた。
ホストを辞めたわけじゃない。
No.1を目指す気持ちも、なくなっていない。
笑顔を届けたい。
楽しませたい。
その気持ちは、今でも変わらない。
でも昔とは少しだけ違う。
全部を一人で背負わなくなった。
飲めない日は、飲めないと言えるようになった。
苦しい日は、苦しいと言えるようになった。
それだけで、少し生きやすくなった。
「湊」
帰宅すると、いつもの声が聞こえる。
「おかえり」
この言葉が好きだと思う。
何年一緒にいても。
何度聞いても。
ここに帰ってきていいんだと思える。
「ただいま」
靴を脱ぎながら返す。
キッチンからいい匂いがした。
「今日なに?」
「味噌汁と、生姜焼き」
「最高じゃん」
「単純だね」
「晴の料理なら大体最高」
そう言うと、晴は呆れたように笑った。
昔なら。
この匂いを感じても、何も思わなかった。
腹が減っているかも分からなかった。
食べても、味がしなかった。
でも今は違う。
ちゃんと分かる。
お腹が空いたと思える。
美味しそうだと思える。
食べたいと思える。
それが、当たり前じゃなかったことを知っているから。
俺にとっては、奇跡みたいなことだった。
*
「いただきます」
二人分の声が重なる。
味噌汁を飲む。
温かい。
少し濃いめの味。
具材の柔らかさ。
全部分かる。
「どう?」
晴が聞く。
昔なら。
すぐに「美味しい」って答えていた。
相手を安心させるために。
でも今は違う。
本当に思ったことを言う。
「生姜効いててめっちゃおいしい」
晴が笑う。
「よかった」
その顔を見ると、胸の奥が温かくなる。
「晴」
「ん?」
「俺さ」
「うん」
「昔、飯なんて腹に入ればいいって思ってた」
晴は黙って聞いている。
「仕事のために食って。酒飲んで。吐いて。また仕事して」
言葉にすると、改めて分かる。
自分がどれだけ無茶をしていたのか。
「でも今は」
箸を置く。
隣にいる晴を見る。
「飯って、こんなに大事なもんだったんだなって思う」
晴は少し笑った。
「湊がそう思えるようになってよかった」
「晴のおかげ」
「僕だけじゃないよ」
晴は首を振る。
「湊が頑張ったから」
その言葉が嬉しかった。
頑張った自分も。
支えてくれた人も。
ちゃんと認められるようになった。
*
食事が終わったあと。
晴が洗い物をしている。
俺は隣で皿を拭く。
昔なら、晴一人に任せていたかもしれない。
疲れているから。
仕事があるから。
そんな理由をつけて。
今は、こういう時間が好きだった。
特別なことは何もない。
テレビから小さな音がして。
洗剤の匂いがして。
隣に大切な人がいる。
それだけ。
「湊」
「ん?」
「明日、何食べたい?」
「えー」
少し考える。
「晴の作るやつ」
「答えになってない」
「じゃあ味噌汁」
「毎日でもいいの?」
「いい」
即答すると、晴が笑う。
その笑顔を見る。
昔、俺が一番届けたかったもの。
誰かの笑顔。
今はもう分かる。
笑顔にするだけじゃない。
笑顔で迎えてもらえる場所があることも、幸せなんだ。
湯気の立つ食卓。
帰りを待ってくれる人。
何でもない毎日。
俺はカップに残った温かいお茶を飲む。
そして、ふと思った。
「晴」
「なに?」
「温かいって、幸せってことだな」
晴は少し目を丸くして。
それから、優しく笑った。
「うん」
短い返事。
でも、それで十分だった。
温かいものがある。
帰る場所がある。
大切にしたい人がいる。
それだけで。
明日も頑張れる気がした。
「ただいま」と言える場所があること。
「おかえり」と言ってくれる人がいること。
冷えても温めなおせる関係でありたい。
それが、たぶん俺にとっての幸せ。
コメント
1件
第7話、読み終わりました。タイトルに「最終話」とあるけど、確かにここで一区切りなんだなという納得感がありました。湊さんが「飯ってこんなに大事なもんだったんだな」と気づくシーン、そして「温かいって、幸せってことだな」という言葉が本当に染みました。無理して笑顔を届ける側だった人が、帰る場所と迎えてくれる人の温かさを受け取れるようになった。その関係性の変化が、余計な説明なしに台詞と仕草だけで伝わってきて、読んでいて胸がじんわりしました。お疲れ様でした、藤森さん。