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レンジさんとの特訓を終えた俺は、仮宿のアパートまで桃花ももかさんに送ってもらった。1人で帰れるよ、と主張したのだが『子供を1人で帰らせるなんて危ない』という、反論のしようがないド正論が返ってきて車で送ってもらったのだ。
アヤちゃんも付いて来たがったのだが、レンジさんに『まだ今日の分の訓練が終わってない』ということで、残念ながら今はレンジさんと一緒に訓練中だ。
「楓さんによろしくね」
「はい!」
エントランスの入り口で、俺は桃花ももかさんを見送ってから部屋まで帰ろうとすると見覚えのある黒スーツのお兄さんが入り口に立っていた。
あれ? あの人、『神在月かみありづき』家の人じゃないか?
近づいて顔を見ると思い出した。俺に『属性変化』を教えてくれた人だ。
魔法の師匠の1人と言っても過言ではない。
お兄さんはうちのポストに何かを投函しようとしていたので、俺は話しかけた。
「お兄さん! どうしたの?」
「これはイツキ様。お久しぶりです。いま、お帰りですか?」
その時初めて俺に気がついたお兄さんは目を丸くして驚くと、そのまま中腰になって俺に視線をあわせてくれた。別にそこまでしなくても良いのに。
「うん。レンジさんと一緒に『導糸シルベイト』の感覚を研ぎ澄ませる訓練をしてたの」
「6歳で、ですか? もう『導糸シルベイト』の訓練まで……。やはりイツキ様は流石ですね」
何が流石なんだろう。
「魔法の練習するのはお好きですか?」
「うん。好きだよ」
「それは何よりです」
にこ、と笑うお兄さん。
「どうしてお兄さんはここに?」
「はい。主あるじよりイツキ様の小・学・校・入・学・前・に・少し話がしたいということで、主からの手紙を渡しに伺うかがったのですが誰もいらっしゃらなかったので」
「あれ? 母さんもヒナも家にはいなかったの?」
「はい。タイミングが悪く」
じゃあスーパーにでも買い物に行ってるんだろうか?
俺が3歳になるまでは一歩も家から外に出なかった母親も、最近では買い物など通販ではなく自分の足で出向いている。うちの母親はそういうのが好きな人なのだ。
となると、本当に俺と入れ違いになったのか。
まぁ俺は家の合鍵を持ってるから別に問題はないのだけれど。
「また神在月に? どうして?」
「えぇとですね、イツキ様が雷公童子を祓われたではないですか」
「うん」
「そのせいで、少々……その、こちらの界隈がざ・わ・つ・い・て・まして」
ざわつく……?
もしかして俺は何かまずいことをしたのだろうか。
いや、モンスターを祓ったのだ。悪いことはないはずである。
「どうして?」
「雷公童子はこれまで数百年にも渡って生きてきた“魔”で、優秀な祓魔師が数え切れないほどに殺されて来ましたから。それが祓われた、というのはとても大きなニュースでして……」
あいつそんな長生きだったの?
通りで微妙に古風な喋り方をしてるはずだわ。
「えぇ、そして雷公童子を祓ったのが宗一郎様ではなくイツキ様という話が流れてからはもう、上を下にと大騒ぎです。話も海外まで飛んでまして」
「そうなの……?」
「はい。その騒動について色々含めて我が主よりお話したいとのことです」
ぺこり、と頭をさげる黒服のお兄さん。
そして、彼は手元に持っていた封筒を俺に渡してきた。
「ですので、お手数でなければこちらを宗一郎様にお渡し願いたいのですが」
「パパに? うん。良いよ!」
「助かります」
黒スーツのお兄さんから俺は手紙を受け取ると、もう二言三言話し合ってから別れた。
そして、エレベーターのボタンを押してからぼんやりと思考を走らせた。
それにしても雷公童子が祓われたからざわついているってお兄さんは言ってたけど、どんな感じでざわついているんだろう?
俺が祓ったってことは伝わってるぽいから、やっぱり子供が第六階位のモンスターを祓ったってのが大騒ぎポイントなんだろうか。この件でもっと強いモンスターと戦わされたりするようになったりしないよね……?
と、俺がそんなことを考えながら合鍵を使って部屋の中に入ると、本当に家には誰もいなかった。
靴箱を見れば母親とヒナの靴が無かったので、どこかに買い物に行ってるのかも知れない。
……ということはチャンスだな?
「ただいまー」
前世ではすっかりすることのなかった帰宅の挨拶を、誰もいないけれどちゃんとする。
これはもう習慣だ。
俺は靴を脱ぐと手洗いうがいをして、リビングに向かった。
部屋の隅っこには1冊の国語辞典が置いてある。崩れ去った家から俺が持ってきたものだ。
俺は国語辞典を引っ張り出して両開きにすると、意気揚々と呟いた。
「今日こそ魔法に名前つけるぞ!」
そう、これは俺の魔法技名辞典でもある。
ぱらぱらと辞典をめくりながら、俺は今日使った雷公童子の『身体強化』の名前や、他の雷魔法の名前を何にするか探す。これは家に誰もいないときしかできない秘密の儀式。なんで1人の時しかできないかというと理由は簡単で、俺は両親にひらがなとカタカナ以外に簡単な漢字しか教わってないからだ。
そんな俺が国語辞典をめくりながら技名を考えてる様子を想像してほしい。
異常だろ、そんなの。
だから、俺は魔法の技名をつけるときは親がいないタイミングを見計らってこっそり選んでいるのである。
前に住んでいた家は広かったので父親が仕事に出て母親が家事をやっている間に、ヒナの目を盗んで誰もいない部屋でつけていたのだが、いま住んでいるところは部屋数が少なくて目を盗んだところで読める場所がないのだ。
だから、こんな感じでヒナと母さんが買い物に出てるときじゃないと名前をつけるなんて出来ないのである。
「……『雷装らいそう』? は、ちょっとそのままだもんな。逆にして『装雷そうらい』……。うーん。しっくりこない」
そもそもどうして俺は魔法に名前を付けているのかというと、これは魔法発動のルーティンを作っているのである。
簡単に説明すると祓魔師というのは魔法を発動するときに、魔法を安定させる癖・のようなものがあるのだ。例えばどういうものがあるかというと魔法を使う時に、カカトを地面に打ち付けたり、瞬きを2回したり、など様々ある。
このようにして祓魔師は魔法発動時に自分だけの癖・を持つことで魔法の威力と出力、そして成功率を安定させるのだ。
とはいっても、別にこれは祓魔師だけがやってるものじゃない。
世の中のスポーツ選手が試合前や試合中にやってるルーティンと全く同じである。
毎日カレーを食べたり、ハーフタイム中にシャワーを浴びたり、シュートを打つ前に独特な構えを取ったり、世界で戦ってる選手たちを例にあげてもきりがない。
そして父親が言うには、魔法の癖ルーティンを持っているのと持っていないのでは極限状態での魔法成功率が全然違うのだという。
俺のルーティンが何かを探った時に、知らず知らずのうちに使っていたのが『詠唱』だったのだ。
元はと言えば教えてもらった魔法が『どういう魔法なのか』を暗記するために口にしていたのだが、気がつけば俺はどんな魔法をも使う前に魔法名を呟いている自分に気がついた。それはもう癖・である。というわけで、俺のルーティンは『詠唱』と相成あいなったわけだ。
で、せっかく技名を言うんだったらテンション上がる方が良いなということで、辞書を引いているのである。
「……雷系は英語に挑戦? いや、流石にそれはやりすぎかな……」
ぼそぼそとつぶやきながら国語辞典をめくっていると、玄関の方からガチャ、と音が聞こえてきた。
「イツキー? 帰ってるのー!?」
「にいちゃ。おかえりー!」
そして、聞き馴染みのある2人の声が響いた。
うわ、やべ。閉じなきゃ。
「あ、お帰り! 母さん! ヒナ」
俺は国語辞典を閉じると、リビングの端っこの方に置いた。
「帰ってきたら靴を揃そろえなさーい!」
うわ、そういえば忘れてたわ。
俺は小走りで玄関に向かうと、俺の代わりに俺の靴をヒナが揃えてくれてた。3歳にお世話になる兄貴って流石にどうなのよ。