テラーノベル
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シャーロットは外に出ると、まっさきに愛馬へ駆け寄った。
愛馬は飼い葉桶に頭を突っ込み、食事中のようだった。
「シルフィー」
愛馬の名を口にすると、シルフィーの耳はぴくっと動く。桶から顔を上げ、シャーロットを一瞥した。大きくて丸い黒い眼がシャーロットを見つめると、撫でてと言いたげに顔を寄せてくる。よしよしと鼻のあたりに触れると、もっともっととせがむように顔を横に曲げながらぐいぐい押してきた。
「よしよし。食事の邪魔をしてごめんなさいね。あと少し付き合ってもらいますから」
シルフィーと戯れていると、不思議と温かい視線を感じた。
「……なにか?」
シャーロットは視線の主に話しかけた。ロイが自身の隣を進みながら、こちらの横顔を楽しそうに見つめていたのである。
「ん? やっぱ、お嬢さんって可愛いなって思ってさ」
「……あなたという人は……」
シャーロットは肩を落とした。
「その台詞、他の女性にも言っているのではありません?」
「酷いな、俺って遊んでいるように見える? いまはお嬢さん一筋なのに信用ない?」
「いまは、でしょ」
この男、笑顔のまま歯が浮くような台詞を口にする。照れ臭さや躊躇いなど一切ない。きっと、よほど遊び慣れているのだろう。顔立ちは悪くないどころか、これまで出会った人のなかで五本指には入る。精悍な顔は女性を惹きつけるだろうし、人によっては国で最も美形だと謳われるアルバートより好みに感じる人も多いだろう。現に街を進んでいると、道行く女性たちの目が彼の顔に釘付けになっている。
「前の女性にも、同じ口説き方をしていたのでは?」
へらっとした顔を一瞥すると、シャーロットは彼から視線を逸らした。
「私を口説くのでしたら、貴重な本を数冊持ってくることです」
「それは物で釣ってるみたいで、あんまり良いとは思えねぇけど……ま、いっか。いつか振り向かせて見せるから」
「期待しないで待っていますよ」
シャーロットが呆れながら口にすると、わずかに馬の歩調を速めた。少し前で先導するヘンリーの隣まで馬を進ませると、彼に話しかけることにした。
「ヘンリー、あとどれくらい?」
「まもなくです、シャーロット様――あっ、見えました。あの青い屋根の家です!」
青い屋根の家――もとい、クック宅は酷い荒れようだった。
かろうじて玄関周りは隣近所のように綺麗な白い色を保っていたが、他は真っ黒に焦げてしまっている。窓も割れているか、黒い墨色に染まっていた。
火元だと思われる庭に至っては、酷い有様だった。緑の芝生は焦げ、地面がむき出しになっている。花壇も本を読むに丁度良さそうな大樹の根元も小さな納屋も炭になってしまっており、見るも無残とはまさにこのことだった。
「……これ、住人はよく無事だったな」
ロイは火炎瓶が投げつけられ、一番黒くなった壁を睨みつけていた。
「火事に気付いた瞬間、逃げ出したみたいですな」
ヘンリーが手帳を開きながら説明を始める。
「クックさんは夜、そちらの窓辺で日記を書くことを習慣にしていたようです。いつものように日記を書いていたところ、瓶が割れるような音と庭が不自然に明るいことをおかしいと思い、火に気づいたそうです」
「瓶が割れる音というのは、火炎瓶を投げつけられた音でしょうね」
「おそらく。それで、身の回りのものだけ持って、命からがら隣の家へ逃げたそうです。外に出たときには火がかなり燃え上がっていて、『火事だ!』と叫ぶ声がしていたとか」
「それは、女性の声ですか?」
「さぁ……そこまでは」
「……そう」
シャーロットはそれだけ言うと、火元から遠ざかり庭だった場所を散策し始める。庭の端は木製の柵で覆われており、隣の家との境目になっていた。風向きだろうか、こちらまで火は届かなかったのだろう。木製の柵に絡みついた蔦は深い緑を保っており、足元の芝生も少なからず残っていた。
「……さてと」
シャーロットは少し背伸びをして、柵の向こう側を覗き込もうとした。
「ちょ、ちょっと、なにをやろうとしているんですか!」
ヘンリーが慌てて駆け寄ってくる。
「シャーロット様、困りますよ! いったい何をしようとしているのですか!」
「背伸びをすれば届くと思いまして」
「だからといってですね、隣を覗き込むなんて……隣家が気になるのでしたら、ちゃんと玄関から――」
ヘンリーが汗を垂らしながら言った、そのときだった。
「シャーロットだって!?」
隣の家から怒鳴り声が聞こえてきた、と思って顔を上げたときには、怒りで真っ赤に顔を歪めた男が柵を飛び越えてくるところだった。
「シャーロット! 俺たちは決してお前を許さないぞ!!」
野良仕事をしていたのだろう。首からタオルをかけたシャツ姿の男はどういうわけか怒り狂っており、シャーロットを睨みつけていた。
「ちょっと落ち着けって」
シャーロットが口を開こうとすると、ロイがそれを遮るように前に出てきた。
「あぁん!? てめぇ、なんだその耳と尻尾!? 馬鹿にしてんのか!?」
「落ち着いてください、ノックスさん! シャーロット様は何も悪く――」
「あんたよぉ、ちゃんと捜査したのか!?」
ヘンリーからノックスと呼ばれた男は彼の喉元をつかみあげた。
「適当な捜査をして、そこの女を巻き込んだせいで、おふくろはなぁ仕事を失ったんだよ!」
「いいえ、違いますよ」
シャーロットは男を否定した。ノックスが視線だけで殺せそうな勢いで睨んできたが、静かに彼を見つめ返す。
「あなたのお母様が職を失ったのは、雇い主であるマリリン夫人が法を犯したから――夫人は人を殺したのです、その報いは受けるべきでしょう」
「奥様が人を殺すわけねぇ!! お前がはめたんだ! お前が奥様を嫌ってたから!!」
「苦手意識はありましたが、嫌ってはいませんよ。彼女が金を得る手段として、殺人なんて最低なことを選んだ以上、いまは嫌いですが」
そもそも、最初に嫌ってきたのは向こうの方である。
「あなたのお母様、例のお屋敷で働かれていたバーサーさんはお元気ですの?」
「元気なわけねぇだろ! 毎日、家に籠って泣いて暮らしてる! お前のせいで! お前のせいで!!」
「では、お屋敷にはもう行かれてないのですね」
「馬鹿にしてんのか!?」
ノックスは拳を振り上げる。
だが、その拳がシャーロットに届くことはない。
「いい加減にしろって!」
ロイが右腕を抑えつける。ノックスが必死に抵抗するも、ロイに敵うはずもない。
「ノックスさん、落ち着いて。深呼吸を!」
ヘンリーも間に入り、ノックスを抑えかかる。
「シャーロット様!」
ヘンリーは困惑しきった声を上げた。
「なにも人を怒らせるようなことをわざわざ蒸し返さないでください!」
「いえ、そのようなつもりはありませんでした。もう少し、彼とお話ししたいと思っていましたの」
シャーロットは自分を嫌う男に向かって、淡々と語りかける。
「今回の謎を解くには、彼の協力が必要不可欠になるのですから」
シャーロットはつらつらと提案を語る。
だが、当然というべきか――ノックスの反応は悪かった。
「あぁん? 誰がお前なんかに協力するか!」
シャーロットの提案を聞くと、ノックスは額に筋を立たせた。すぐさま、ヘンリーが笑顔を引きつらせながら「まあまあ」と宥めにかかるが、ノックスの怒りは収まることはない。じろっと睨みつけると、吐き捨てるように言った。
「どんな理由があってもごめんだね! おふくろを悲しませた奴を許すわけにはいかねぇ!」
「いえ、実はですね、ほら、クックさんの家で放火事件がありましたでしょう? それについて――」
「そんなことなら、もう答えただろ!」
彼の怒りは鎮火するどころか、ますます油を注いでしまったらしい。ヘンリーの首根っこをつかみかかりそうな位置まで詰め寄ると、つばを散らしながら叫んだ。
「俺は女房やおふくろと一緒に、今後のことを話し合ってたんだよ! どっかの誰かのせいで、おふくろはすっかり消沈しちまってるしさ、引っ越そうかってよ! そしたら、『火事だ!』って誰かが叫んでるじゃねぇか! 窓を見たら、クックん家の庭が燃えていてさ、慌てて外に逃げたんだ! なんだい、俺が犯人だって言うのか!?」
「い、いえ、そのようなことはね……そのようなことはないですよ、あははは……はは……」
ヘンリーは引きつった顔で笑いながら、ちらっとシャーロットに確認するかのような視線を向けてくる。
シャーロットは静かに口を開いた。
「ええ、ノックスさんは犯人ではありません」
「そりゃそうだろうな」
ロイもノックスを抑えつけながら、同意するように頷いた。
「こいつは火炎瓶を用意したり計画を練ったりする前に、直接殴り込みに行くだろうさ」
「その通り。彼は犯人像と一致しませんわ」
火炎瓶を作る知識があったところで、わざわざ過去四件の場所を燃やす理由にはならない。第一に隣家を燃やすのは、いくら引っ越す予定があるとはいえ危険すぎるし、まっさきに犯人だと疑われかねない。仮に「どうしても火をつけないといられない!」と炎を信奉するような放火魔であれば、細かいことを深く考える間もなく燃やすこともありえるが、事件の特徴とは異なっている。
「私が聞きたいことは二つ」
シャーロットは指を立てると、ノックスの怒りに満ちた目を見つめた。
「一つ目は『火事だ』と叫ぶ声です。誰の声だか分かりますか?」
「知らねぇよ!」
ノックスは依然として喧嘩腰だったが、変な疑いをかけられているわけではないと知ったからか、ほんの少しばかり怒りが収まったらしい。荒々しく舌打ちをすると、拳を振りほどいた。
「男だったんじゃねぇの? 野太い男の声だったな」
「クックさんの声では?」
「あいつとは幼馴染だぜ? 間違えるはずもねぇだろ」
シャーロットはそれを聞くと、興味深そうに目を細めた。
「ありがとうございます。……では、二つ目。最近のバーサーさんについて教えていただきますか? そのように怖い顔をされなくても、彼女が犯罪に加担しているとは思っていませんよ」
あくまで、今回はだが……と、内心付け足す。
バーサーは庭師の殺害に加担していないということで罪に問われなかったが、二人がこそこそ計画を練っていることに気づいていないとは思えなかったし、保険金計画については知っていたのではないかとさえ疑っている。
だが、少なくとも今回の事件において、彼女は容疑者リストに載っていない。
「彼女、家から一歩も出ていないのでしょう?」
「なんで知ってるんだ!」
「先程、ご自分でおっしゃったではありませんか。毎日、家に籠って泣いていると」
ノックスは「確かに言ったな……」と不快そうに眉を寄せると、いらだちをこめて舌打ちをした。
「おふくろは夫人に良くして貰っていてな。元々仕えてた貴族さんが別荘を売り払うことになってな、仕事を失って困っていたときに、夫人がおふくろを雇ってくれたんだ。夫人もおふくろを気に入ってさ、最後まで雇ってくれていて……さ。『なんで、奥様の苦しみに気づかなかったんだろう』って」
「……もう一度、お尋ねします。お屋敷には? お掃除などしに行かれていないのですね」
「お屋敷に行くと、奥様のことを思い出してしまうから無理なんだと。……このまま引っ越すまで、一度もいかねぇつもりらしい」
ノックスの目に少しだけ寂しそうな色が混じる。
「なあ、警備兵様よぉ……本当に、本当に夫人は殺したんか?」
「……残念ですが、本人も認めておりますので」
「……そうかぁ……」
ノックスはどこか縋りつくようにヘンリーを見ていたが、だんだんと首が垂れさがり、最後には地面を見つめていた。
「……ノックスさん、引っ越しはいつを予定していますか?」
「……一週間後」
それを聞くと、シャーロットは名案を思い付いたかのように手を叩いた。
「せっかくですし、明後日にしません? 明後日の昼間」
「は、はぁ!?」
ノックスは驚いたように跳び上がった。
「おまっ、なに考えてんだ!? 勝手に人の家のことを決めんじゃねぇよ!」
「バーサーさんも夫人との思い出の詰まった街を早く離れたいことでしょう。それに、あなたや家族自身が生きづらさを感じているのでは?」
シャーロットが指摘すれば、彼は喉にモノが詰まったようにうめくも反論することはなかった。
マリリン夫人の逮捕は王都の新聞の一面を飾るほど、大きなニュースになった。この街でも騒ぎにならないはずもなく、その家に長年仕えていた家族ともなれば、注目の的になり、良くも悪くもありとあらゆる噂をされることになるだろう。
彼が住んでいた家を引き払い、一カ月もしないうちに引っ越しを考えるくらいには、居心地の悪さを感じていたに違いなかった。
「ノックスさん……いえ、ノックス様の引っ越しは、少なからず私が夫人の罪を暴いてしまったことで起きたこと。明日、引越しの手伝いを幾人か寄こします。荷物をまとめたり、片付けをしたりとすることも多いでしょうし、人手は多い方がいいでしょう」
「そ、そりゃそうだが……なぁ」
「安心してくださいませ、我がエイプリル家に長年仕える者たちですわ。身元も仕事もしっかりこなす一流ぞろいです。すぐに支度が終わるでしょう……引っ越しの資金も少しですが包ませていただきます。そのくらいのお詫びはさせてくださいませ」
シャーロットはスカートの裾を持ち上げた。
「ノックス様……どうか、許していただけませんでしょうか?」
「い、いや、俺は別に金が欲しかったわけじゃ……」
ノックスはあたふたと声を上げる。
まさか、本当にシャーロットが頭を下げるとは思っていなかったのだろう。ロイやヘンリーも驚く気配がひしひしと伝わってくるのも感じながら、シャーロットは頭を下げ続けた。
「私にできることは、これくらいしかできません。家を継ぐこともできず、婚約者から愛想をつかされ、寿命も残り一年もありません……ですが、引越しの手伝いをすることくらいはできます。どうか……」
「わ、わかった。わかったから、お願いする!」
ノックスが了承すると、シャーロットはホッと胸をなでおろした。
「では、明後日……人を寄こしますわ。日程変更の手続きに関しましては、こちらがやらせていただきます。そういった細々としたことは得意ですので」
「あ、ああ、それは頼む」
そのまま、シャーロットたちはノックスと引っ越し先や今後のことについて話しながら、庭の出口に向かって歩き始めた。ロイが「他に見ることはないのか?」と囁きかけてきたが、シャーロットはにこやかに「大丈夫」と返す。
「さあさあ、忙しくなりますわ!」
シャーロットは往来に出ると、気を張るような大きい声で言った。
「明後日には引っ越しですものね! こちらも手伝いに向かわせる使用人の選定に励まなければ!」
シャーロットは後ろを振り返り、ノックスに語りかけながら――目線を一瞬だけ周囲に走ら反対隣の玄関口には、なにかいそいそと箒で同じ場所を掃き続ける女性がおり、向かいの家では窓の傍で一心不乱に本を読んでいるように見えるのに、目だけはこちらを見つめている男性がいる。彼はシャーロットと目が合うと、慌てたように本に顔を隠していた。
「……これでよし」
シャーロットは小さく呟くと、ノックスと別れて帰路に就く。
「なあ、お嬢さん。本当にこれで大丈夫なのか?」
ロイが怪訝そうな声を上げると、ヘンリーも不安そうに眉を寄せている。
シャーロットはそんな二人に向かって、にこやかに笑いかけるのだった。
「これで明日――遅くても、明後日には犯人を逮捕できるでしょう」
「はっ!?」
「最後の火事になると思いますよ。そうですね、規模の大きい火事が起きるでしょうが……」
※
シャーロットの予言通り、翌日の早朝――突如として街に黒い煙が立ち昇った。
真っ赤な火が燃え上がったのは、郊外ではなく街の役場。警備の者以外誰もいないとはいえ、中心部で起きた火事は人々を恐怖の渦に叩き込む。
「お嬢様! 大変です!」
その火事は、シャーロットの耳にもすぐに入った。
その日、シャーロットは書庫で眠ることなく過ごしていた。侍女が青い顔で駆けこんできたので、パタンっと本を閉じる。
「では、行きましょうか」
今回の放火魔を逮捕するために。
コメント
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「見当違いの男」、めちゃくちゃ面白かったです……! 冒頭のシルフィーとのやりとりからもう愛おしくて、ロイに「可愛い」って言われて照れを隠すシャーロットの反応に思わず頬が緩みました。でもその後、ノックスさんとの対峙で一転、彼の怒りや悲しみがひしひしと伝わってきて胸が締め付けられました。それでもシャーロットは毅然と頭を下げ、自分のできる限りの償いをする。その強さと優しさにじんと来ましたね。そしてラスト――「これで明日には逮捕できる」と言い切って、本当に火事が起きる展開、震えました。次が気になって仕方ないです!
冥律舞斗
75
黒 華 ❤︎ꫂ ၴႅၴ
1,531
柚子胡椒
15
アネモネ
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