テラーノベル
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カーテンの隙間から、淡い黄色の光が差し込む。
昨夜の冷えた空気は、未だ微かに残ったまま。
ゆっくり目を開けば、知らない天井。
耳を澄ませば、湯を注ぐ音と生活音。
____殴られない朝だ
そう思った途端、胸の奥がじんと傷んだ。
布団を畳もうか迷ったが、勝手に触れていいのか判らず、手を止める。
結局、端を整えるだけにして、部屋からゆっくり出た。
「 ……起きたか 」
ポットを片手に、ちらりと視線を飛ばす。
『 あ、う、うん……おは、よう…… 』
何て云えばいいのか判らない。
泊めてくれてありがとう?
今日はもう帰るから?
慌てる僕を他所に、芥川は淡々と手を動かす。
当たり前のように、皿を二枚、向かい合わせに置いてやっと、朝食を準備してくれている事に気づいた。
もくもくと湯気立つスープを眺めていると、芥川は眉を顰める。
「 ……食わぬのか 」
『 えっ?あ、えと…… 』
『 ……食べる 』
椅子に座った。
音を立てないように、そっと。
両手でカップを包むと、ほわっと何かが溢れるような感じがした。
こんなに温かいご飯は久しぶりで、少し安心してしまう自分が居る。
『 ……美味しい 』
「 ……そうか 」
会話はそれきり。
傷も、深夜の電話も、何も訊かない。
優しい沈黙だった。
『 ……芥川 』
「 何だ 」
『 その…… 』
『 ……僕は、もう……その、だいじょうぶ、だから…… 』
居るとも、 帰るとも云わない。
それでも、カップから手を離せなかった。
芥川は、一瞬だけ手を止める。
でも、何でもないかのようにまた動かして、ぽつりと呟いた。
「 ……そうか 」
それだけ。
肯定もせず、否定もせず、ただ、反応しただけ。
芥川は何も言わず、食器を片付け始める。
朝は普通に流れているのに、僕だけが置いてけぼり。
「大丈夫」と云った自分の言葉が、やけに遠く感じた。
『( ……僕は )』
床に根を張った自分の足をぼうっと見つめる。
カップをなぞると、流石にもう温くなっていて、
其れに何故か胸が締め付けられて、
……そのまま、動けずにいても、芥川は何も云わなかった。
「 ……敦 」
背を向けたまま、声だけを落とす。
「 ……無理は、するな 」
『 …… 』
命令でも、忠告でもない。
感情も含んでいない。
ただひとつ、事実を置いただけの声音。
……嗚呼、此奴って、こんなに優しかったっけ。
そんな場違いな事を考えながら、言葉を探す。
『 ……僕は、 』
立つ理由はある。
それでも、
それでも……
『 ……もう、少し 』
言いかけた言葉が、カップから僅かに昇った湯気に溶けていく。
芥川は、何も云わない。
僕も、これ以上何も云えない。
……でも、
今はこれで、十分。
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「 ……大学は、如何する 」
手持ち無沙汰で其の儘椅子に座っていると、思い出したように尋ねられた。
一瞬迷ったが、意を決して口を開く。
『 今日、は……休む 』
「 そうか 」
芥川は何も反論せず、理由も訊かなかった。
それだけで、肩に入っていた力がふっと緩んだ気がした。
「 ……用があったら、電話しろ 」
『 ぁ、う、うん…… 』
外套を羽織り、家を出る直前。
チラリと此方を見ると、直ぐに背中を向けて靴を履いた。
「 ……戸締りを忘れるな 」
最後にそれだけ云い残すと、返事も待たず、其の儘家を出て行った。
『 …… 』
玄関の扉がバタンと閉まって数秒。
静かな部屋に時計の針が動く音だけが落ちて、久しぶりに静かに進んでいる気がした。
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其の儘何もせず、何も起こることなく、ソファの上で数時間を過ごした。
時計の針を見ると、時間は随分進んでおり、もうすぐで針が真上に来る処だった。
『 ……自分のだけでも、洗った方がいいかな…… 』
テーブルの上には、朝食で使ったカップと皿が並んでいる。
二人分の其れは、何事もなく朝食を終えた跡だった。
『 ……少しだけでも…… 』
食器を洗い、丁寧に拭く。
勝手に棚を開けるのは気が引けたので、端に綺麗に重ねておくだけに留めた。
ふぅ、と息を吐くと、騒がしい足音と車の音がゆらりと訊こえてくる。
『 …… 』
人が歩いている。
車も何時も通り走っている。
世界は、今日も変わらない顔で続いている。
この空間だけ、空気と時間の外側に居る。
でも、今は、……
『 ……ここが、いいな 』
動き続ける世界から弾かれたこのほとりが、酷く、心地いい。
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____________
それから三十分もすれば、ガチャリと鍵を開ける音が静寂を破った。
「 ……戻った 」
『 あ、う、うん……おかえ、り……? 』
空気が一瞬詰まる音がしたが、芥川は表情を崩さず、
「 ……嗚呼 」
それだけ云って、両手に持っているビニール袋を床に置いた。
外套を脱いで早々、袋の中からコンビニで購ってきたであろう弁当を二つ取り出す。
『 …… 』
ひとつは、僕の分なのだろうか。
取っていいか判らず戸惑っていると、其れを察したのか、芥川は眉を顰める。
「 ……冷めるぞ 」
『 へっ?あ、う、うん…… 』
まるで当然の事のように、当たり前のように云われ、僕は反射的に椅子に座った。
『( ……僕の分も、あるんだ )』
唯のコンビニ弁当なのに、じわりと目尻が熱くなるのを感じた。
『 ……( 美味しいな )』
おかずを黙々と口に運びながら、ふと思う。
誰かに何かをしてもらうなんて、何時ぶりだろう。
普段は、自分で作るばかりだったから。
沈黙を続けていく内に、弁当の底が見えてきた。
『 ……ご馳走様、です 』
「 ……塵は纏めておけ 」
『 うん 』
空の容器を重ね、ビニール袋の空気をしっかり抜いて纏め、口をきゅっと結ぶ。
一方芥川は、昼食が終わって早々、パソコンを開き始めた。
『( ……あ、課題…… )』
パソコンで思い出した。
そういえば、大学の課題にレポートがあった筈だ。
『( 如何しよう……全部家に置いてきちゃった…… )』
……取りに行く?
それとも、教授にはなんとか……
『 …… 』
『 ……御免、毛布……借りるね 』
「 嗚呼 」
『( ……駄目だ。大学の事まで頭が回らない…… )』
諦めた僕は、現実から逃げるように、毛布に包まった。
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キーボードの音、針が動く音、布が擦れる音、そして暖房。
其れだけを訊いていれば、いつの間にか窓から差し込む光が傾いていた。
ぐるぐると思考が回り続ければ、時が経つのも早いものだ。
〜♪
『 ……? 』
お風呂が沸いた事を知らせる音で、思考が現実に引き戻された。
「 ……先に使え 」
戸惑いを破るように、芥川は、パソコンから視線を離さず云った。
『 ……っえ? 』
「 ……此方はまだ掛かる 」
そう云っている芥川は、キーボードを打つ手を止めない。
……そういえば、芥川は、一度やり始めたら終わるまでやり続けるんだっけ。
『 ……御免。じゃあ、先に使わせてもらうね 』
「 …… 」
芥川は一瞬だけ眉を顰めた気がしたが、気の所為だと処理して洗面所へ向かった。
がさ、がさ
ぶち、ぶち
服を脱いで、顔に貼られたガーゼに手をかける。
ふと横を見ると、酷い顔をした自分が写って、反射的に目を逸らした。
『 ……っ、 』
べり、
べり、
ぶち
殻が剥がれていく気がした。
どんどん弱い自分が見えてくる。
……気持ち悪い
『 ……早く、済ませよう…… 』
お湯でも被れば、少しはマシになる筈だ。
……きっと。
______________
____________
『 ……ふぅ…… 』
躰の芯の震えが収まった感覚は久しぶりだった。
冬に冷水を浴びせられた事もある僕にとっては、随分と珍しい事だ。
『 ……あ、…… 』
ふいに横を見ると、綺麗に畳まれた着替えと少し大きいスリッパ、歯ブラシ、
そして……絆創膏。
『 ……此れは…… 』
開封された跡がない。新品だ。
『 ……何処迄判ってるんだよ 』
自然と箱を持つ手に力が籠った。
『 ……ぁ、あの……芥川、 』
芥川は、未だにパソコンに向き合った儘だった。
僕の声に気付くと、ゆっくりと顔を上げる。
「 ……何だ 」
『 その……あ、有難う……色々 』
「 …… 」
「 ……礼には及ばぬ 」
『 ……うん 』
芥川は、それ以上何も云わず、再び画面に視線を戻した。
明日になったら、また外に出なければいけない。
……でも、今は、
ちゃんと、このほとりで、息ができていた。
コメント
2件
あー、女神とはゆーねこちゃんの事だったか… いや普通に語彙力凄くない?? 表現の仕方とかまじ神ってる…😇😇 尊いをありがとう✨✨ はぁー、寿命が伸びた気がする