* * *
エルバートはしゃがみ、
ベットに寝かせたフェリシアの手を握り締める。
寝室に勝手に入ってしまったが致し方無い。
少しでも帰宅が遅れていたら、彼女の命はなかっただろうと思うと胸が痛む。
「フェリシア、今少しの間、このままでいさせてくれ」
こうしてエルバートは暫(しば)し彼女との時を過ごした後、
ディアム達を書斎(しょさい)に集めた。
エルバートは椅子に座り、目の前の机に組んだ手を乗せ、向側(むこうがわ)に立つディアムからフェリシアが中庭に出た経緯をまとめた話を聞く。
「フェリシア様自らリリーシャに手伝いをさせて欲しいと申し出て、ラズールに図書室までの案内をされ扉の鍵を開けてもらい、図書室の掃除を終えた後、初対面のクォーツからエルバート様のお気に入りの花を勧められ」
「フェリシア様はその花を摘み、リリーシャに渡そうと台所に向かった際に魔除けのネックレスを落としたことに気づき、花だけを長机に置いて中庭へと戻り、ネックレスを探していたところ」
「フェリシア様が結界に近づいた事により、結界が何かと干渉をしたのか、フェリシア様がおられる一角だけ結界が弱まり、魔が結界を破ることができ、フェリシア様は魔に襲われてしまったようです」
エルバートは右手で顔を覆う。
(まさか私の為に花を摘み、命を失いかけたとは)
「フェリシア様の手伝いを断ればこんなことには……」
リリーシャが謝ろうとすると、クォーツが止め、続けて口を開く。
「エルバート様、中庭に落ちていた魔除けのネックレスにございます。花に埋もれておりました」
クォーツがそう伝えると、エルバートは顔を覆うのを止め、
魔除けのネックレスをクォーツから手渡しで受け取った。
クォーツは後ろに下がり、ラズールの、この度は誠に申し訳ありませんでしたという謝罪に続いて、同じ言葉をリリーシャと口を揃えて言い、皆で深く頭を下げる。
「全員頭を上げろ」
エルバートが命じると、クォーツ達全員頭を上げる。
「非は私にもある」
「よって、処分はブラン公爵邸の壁の一部の修復を命じる」
「え」
クォーツ達は声を揃えて言う。
「なんだ? 何か文句でもあるのか?」
エルバートが問うと、
ディアム以外は解雇されない安堵と落胆の息を吐き、かしこまりました、と口を揃えて了承し、書斎から出て行った。
「エルバート様、これまでブラン公爵邸の結界を魔に破られたことは一度たりともありませんでした」
「フェリシア様に何かあるのでしょうか?」
「そうかもしれないな」
もっと具体的に言うならば、
フェリシアがブラン公爵邸を訪れるまで結界を破られたことはなかった。
そしてディアムは先程、フェリシアが結界に近づいた事により、結界が何かと干渉をしたと言っていたが、
フェリシアがネックレスを中庭で落としたことで、フェリシア自身の魔除けの効果がなくなり、
ネックレスを探していたところ知らぬ間に結界に近づき、
多大な不安に陥った時、結界がフェリシアの“とある力”と干渉してフェリシアがいる一角だけ結界の力が弱まり、
とある力の気配を感じた魔がその力を欲しさに力が増大したことで、結界を破ることが出来てしまったのだとすれば、
フェリシアには“まだ誰にも知られていない秘められし強力な力”があるのではないか?
これはまだ仮定に過ぎないが、
とにかく、フェリシアを守らねば。
* * *
「あの、ご主人さま、今から晩ご飯の支度を……」
夕暮れ時になる前に目覚めたフェリシアはベットの上で起き上がりながら、エルバートに話しかける。
ドレスは寝ている間にリリーシャに着替えさせたとエルバートから先程聞いたものの、
まさかご迷惑を掛けた身でこんな時間まで気を失っていただなんて。
魔に髪で縛り上げられていたせいで腰はまだ少し痛むけれど、晩ご飯は作らなくては。
「支度の必要はない。晩ご飯ならここにある」
「リリーシャが作ったものだ。さあ、飲め」
エルバートはミルクと野菜のスープをスプーンですくい、口に運ぶ。
「あ、あの!?」
「なんだ? 冷ました方が良いか?」
エルバートは息を吹きかけようとする。
「そ、そのままで大丈夫です」
フェリシアが口を開けると、エルバートはスプーンを中に入れ、スープを飲ませる。
(雲の上のような人になんて恐れ多いことを!)
そう恐縮し、目のやり場に困り、スープの入った器を見ると、隣にブルーの花が添えられていた。
「あ、その花……」
(ご主人さまがお気に入りの……)
「私の寝室の花瓶に飾る花を摘みに中庭に出たそうだな」
「は、はい、申し訳ありません」
「もういい」
エルバートはそう言い、フェリシアの首に魔除けのネックレスを付ける。
「魔除けのネックレス、見つけて下さったのですか?」
「クォーツがな」
「そうですか、ありがとうございますとお伝え下さい」
「分かった、伝えておく。それからこれも」
エルバートはフェリシアに宝石が上品に輝くリボンのような形をしたシルバーの髪飾りを見せる。
その髪飾りには2本の三日月の形をした綺麗な垂れ飾りも付いている。
「髪飾り?」
「あぁ、魔除けの髪飾りだ」
「フェリシア、命懸けで家を守ってくれたこと、礼を言う」
エルバートはそう言ってフェリシアの頭に髪飾りを付ける。
嬉しくて、涙が零れ落ちた。
* * *
そして翌日の朝。
ルークス皇帝に呼び出されたエルバートは皇帝の間で跪く。
ルークス皇帝は髪を麻紐で一つにくくり、高貴な軍服を着たエルバートを見据えた。
「エルバートよ、昨日の朝、ブラン公爵邸を魔に襲われたそうだな」
「はい、緊急であった為、早退し、魔を浄化致しました」
「お前の花嫁候補の女が魔に襲われたと我の側近にアベルから通達があったが、大事ないか?」
アベル、余計な事を。
今朝、カイと共に心配され、大事ないと伝えたが、まさか、ルークス皇帝にフェリシアのことまで話していたとは。
「お気遣い頂き、誠に恐縮にございます」
「彼女は魔に腰を縛られ、痛めましたが、家を守り抜き、幸い大事には至っておりません」
「ほう、家を守り抜いたとは。それは実に興味深いな」
「いずれにせよ、無事で何よりだ」
「気を引き締め、今後も執務に専念せよ」
「かしこまりました」
エルバートは跪いたまま、深々と頭を下げた。
* * *
その夜のこと。
ブラン公爵邸の居間は凍りついたような空気に覆われていた。
エルバートの母であるステラ・ブランが馬車で執事と共に駆け付けてきたからだ。
腰が少し痛むフェリシアとエルバートの真向かいに座るエルバートの母は美しく、キリッとした表情でエルバートを見ている。
エルバートの父は公務で忙しい方らしく、
執事とふたりでここ に駆け付けてきたのだとエルバートと玄関で出迎えた際に彼女からすでに聞いており、
エルバートによると、母だけでも厄介で、マナーに厳しい方らしく、
面倒そうな顔をした後、 気をつけろ、良いな? と居間に入る前に念を押された。
けれど、令嬢でもない自分がこの場に同席しているだけでも、すでにマナー違反な気がしてならない。
「エルバート、ブラン公爵邸が魔に襲われるだなんて、一体、 どういうことなの?」
エルバートの母が怪訝な顔で尋ねる。
「魔が私の力を上回り、一部の結界が破られ、入り込まれた」
「よって、今後は結界をより強化し、ブラン公爵邸を守っていく。それだけのことだ」
「母上にご足労頂くことも、もうない」
「そう」
エルバートの母は冷たく返すと初めてフェリシアを見る。
「貴女が花嫁候補のフェリシア・フローレンスさん?」
「は、はい」
エルバートの母は、にっこりと笑う。
「単刀直入に言うわ。エルバートに婚約破棄をさせるから今すぐここから出て行って頂けるかしら?」
フェリシアは固まり、エルバートは表情を崩さない。
「エルバートには、こちらのアマリリス・シェリー嬢とご婚約して頂きたいの」
エルバートの母は鞄から新聞のようなものを取り出し、スッと差し見せる。
(わ、綺麗な人……)
「よって、こちらの事情も兼ねて、貴女には良い額を支払うわ」
フェリシアが答えられずにいると、エルバートの母は息を吐く。
「座る姿勢も悪い上に何も答えないなんて言葉のマナーもないのね」
「貴女が来るまで今まで一度もブラン公爵邸が魔に襲われたことはなかった」
「そんな不吉で、身分も低く、祓いの力もない、たかが料理を作れるだけの貴女はエルバートには相応しくないと言っているのよ」
「母上、今すぐ撤回しろ」
エルバートは座りながら冷ややかな気を放ち、剣に手を掛ける。
「何? エルバート、ここで魔でもない母親の私を祓う気?」
エルバートの母もすごい気迫。
このままではまずい。
「ご主人さま、わたしは大丈夫ですから」
フェリシアがなだめると、エルバートは、フーッと息を吐く。
「そう、貴女、やっと立場を理解したのね」
「婚約を破棄するからここを出て行って頂けるわね?」
ブラン公爵邸に行くことになった最初の理由は、エルバートのご婚約の手紙が家に届き、
伯母の命令とエルバートの絶対的権力に逆らえなかったから。
そして、ブラン公爵邸が魔に襲われたのはエルバートの母の言う通り、自分のせい。
なら、絶対に呑むべきだ。分かっている。
けれど――――。
身分も低く、祓いの力もなくても、
この家を守り続けたい。
(わたしが、ご主人さまを隣で守りたい)
フェリシアはエルバートの母に強い眼差しを向ける。
「婚約破棄はお受け出来ません」
「ここも出て行きません」
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