ハロウィンは誰のものでもないと思うが、今回のハロウィンは自分だけのものにしたい。
秋のみくるはいつにも増して情緒不安定だった。感傷的な思考を巡らせながら、金木犀の香りが漂う道をのんびり辿る。こないだ高級化粧品店で期間限定の金木犀の香水を勧められたが、断って正解だった。やはり自然の良さには敵わない。
「……やっぱり私は華にはなれないわ」
目を閉じると一層五感が研ぎ澄まされ、甘ったるい世界に包まれる。金木犀が自分だけのものになったような感じがする。
華城みくるという存在は華やかに見えて地味だ。社交場は疲れるから嫌いだし、ショッピングは自分のペースで黙々と動きたいし、好きな男の前以外じゃ無口だし、気付けば自ら隅っこの暗がりにいる。優れた美貌と知能とコミュニケーション能力で媚を売れば簡単に中心に君臨できるし、金をばら撒けば全てが思うがままだと分かっているが、決してそうはしない。将来の道だって、ハイスペックなエリートが集う良い縁談も良い就職先も捨てて、得体の知れない血フレサービス嬢に走った。何も後悔はしていないが、そんな生き方を好む自分に少し嫌気が差したりもする。
「どんなに甘い世界でも、コソ泥みたいな真似しかできないのよ……」
ただ落ち込むだけじゃつまらないので、憂いを帯びたピンクの瞳を伏せて身体をくねらせ、ローズレッドの唇に手を当てて色っぽく溜息をついて見せる。4、5人の通行人がハッと惹きつけられるように振り返ったのをちらりと横目で確認してから、みくるは満足気に胸を張った。開放的な襟元で大きめの胸を強調した黒のロングフレアワンピースは新作のお気に入りだ。ふわふわに巻いたピンクのロングヘアや薔薇が縁取られたローズクォーツのネックレスも合わせて、我ながらモデルの何倍も似合っている。
こんなに気合の入ったお洒落をしてどこに行くのかと言うと、ただの近所の百均だ。富裕層のみくるに言わせれば下民のガラクタ収集所だ。だが一度視察に行ったらガラクタと呼ぶには惜しいほど便利でセンスの良い物が揃っていて、悔しくも気に入ってしまったのだ。同じく隣のスーパーや薬局にも毎日のように通い詰めている。今度は某ファッションセンターにも行ってみる予定だ。生活がどんどん庶民化しているが、余計なプライドさえ捨てれば新鮮で楽しい。そのことにもっと早く気付けば良かったと思う。
百均の店頭には、まだ一ヶ月も先なのに『明日はハロウィンだ!!!』と叫ぶような勢いでグッズがずらりと並んでいた。ハロウィンなんて起源も知らずに馬鹿騒ぎするだけの無意味な行事なのに、まるで10月はそれしかないとでも言いたげに。
呆れながらも一応端から商品をチェックしていく。こういう行事関連は毎年同じだと思っていたが、去年ちらりと見たものとはデザインががらりと変わっている。頭をくり抜かれているのに笑っているカボチャ、間抜け面したおばけ、陽気に踊るゾンビたち……
「あらぁ、どれも可愛いわね〜」
無意識に呟いてから、はっと口を押さえる。買い物を含め日常生活でやけに独り言を言う中高年の典型例になっているではないか。そういえば最近「よいしょ」と言って立ち上がるし、「風が強いから布団が吹っ飛んでいきそうだな」とか「このミカン、アルミ缶の上に乗っけたいな」とか駄洒落ばかり思いつくし、細かい文字が見えづらい。
「嫌だ、おばさんになりたくない……」
と嘆きつつ目を細め、商品の値札を確認しようとして、ここは百均だったことを思い出す。物忘れ、物悲しい。ここには老眼鏡も売っているらしいので、買うのも時間の問題か。
気を落としながら視線を移すと、再びテンションが上がるものを見つけた。
「わっ、吸血鬼!」
正確にはコウモリだが、チスイコウモリも家畜の血を吸うので同類だ。金はいくらでもあるので、全てのコウモリグッズを流れ作業のごとくカゴに放り込んでいく。真っ黒に染まったカゴはなんだかイカスミの味がしそうだ。
「そういやあの吸血鬼、『赤城』なのに黒色が好きなのよね」
ふと思い出し笑い。通りすがりの客に不審な目で見られ、「んんっ」と咳払いで誤魔化す。こんなことも最近多い、多すぎる。
日常の中で何度も思い出すこと、それが「好き」でいるということなのだろう。一生届くことのない「好き」、それでも尚自分の人生を彩ってくれる「好き」。好きでいられるだけで十分なのだ。
(足るを知ることは大事よね)
カゴをブランコのように揺らし、オリジナルの鼻歌を歌いながら上機嫌でレジに向かう。
その時だった。
「何買いに来たんだったかな」
「これじゃない?コウモリマント」
「誰が買うか」
だいぶ聞き覚えのあるノリツッコミに、ピシッと身体が硬直した。振り返っちゃ駄目、と脳が危険信号を出す。
「ちょっレジじゃないなら退いてくれます?」
「あ、すみませ……」
だが他の客に押し出されて身体を捻り、非常に見覚えのある二人の後ろ姿を確認した途端。みくるは反射的に棚の影に隠れた。なぜ隠れたのかは自分でも分からない。
「はっ、はっ……」
走った後のように息が乱れている。見なかったことにするか、「奇遇ね〜何買うの?」と声を掛ければ良いものを、今の自分にはどちらもできないらしい。今までは若干モヤつきながらも、義姉的な立場で見守れていたのに。秋の情緒不安定週間のせいで嫉妬に耐えられなくなっているのか。『家政婦は見た!』のごとく棚からひょこりと顔だけ出して盗み見るという、最も良くない行動を取ってしまう。
(これじゃまるでストーカーじゃない……)
そう思ってから、自分は元よりストーカーであることを思い出す。赤城に限らず、昔から好きな人には異常なほど執着してしまうのだ。部屋に侵入して持ち物を盗んだり、勤務中や寝顔の写真を連写したり、鞄にGPSを付けたり。床に落ちていた赤城の髪の毛を大量に集め、自分の髪の毛と編んで作ったミサンガは、つい最近までこっそり足首に着けていた。着けたままうっかりシャワーを浴びたら排水口に流れてしまったが。
とはいえ今気になっている影野夜月に対しては、まだストーキングはしていない。
(じゃあそれほど好きじゃないってことなのかしら)
ストーキングを基準にしていると、分かりやすいようで分かりづらい。
(好きか嫌いか、心が点灯してくれればいいのに。カボチャのランプみたいに……)
「お前の罪を光らせてやるー」
「ウワッ目が!!目がぁ!!」
そんな中ランプで戯れる二人。
「ヴエェェ!!」
みくるはしっかりと吐きそうになる。
「私を差し置いてイチャつくなんて、あのバカップル絶対に許さない……!!」
両思いの二人がみくるを差し置くのは当然のことなのだが。カゴで顔を隠しながらそろりそろりと近付き、早く破局しろと念を送る。
「あとトマト系のお菓子買いたいな」
「菓子ばっかだな、野菜を食え」
「トマトサラダ食べてるもん」
そのうち二人がくるりと振り返った為、隠れる間もなく、化粧品の棚の前で悩んでいるふりをする。普通に良さそうなビビッドピンクのマニキュアを見つけたので、三本ほど取りつつハロウィンコーナーに戻る。
(何がハロウィンよ、私だけ浮かれて馬鹿みたいじゃない)
それからヤケになってカゴの中身を戻し始めた。だが恋と同じく、物もなかなか離し難いものだ。
(コウモリのマスコットくらいは残そうかしら。いややっぱりレターセットも……)
迷いすぎて何が欲しいか分からなくなってくる。余計なことをしなければ良かった、と後悔していると。
「あら?これって……」
あの二人がお揃いで鞄に付けていることでお馴染みの、トマトジュースのアクリルキーホルダーが地面に落ちていることに気付いた。チェーンが緩まって外れたのだろう。「可哀想に」と「ざまあ見ろ」の気持ちが入り交じる。どっちの物だろうと拾って裏を見ると、ご丁寧に『しずく』と書かれた名前シールが貼ってあった。余程失くしたくないらしい。
(早く届けてあげなきゃ)
と脳では思うのに、身体が言うことを聞かない。まるで自分の物かのように、それを鞄に仕舞い込んでしまう。
(違うの、これは落とし物を一時的に預かっただけ。後で必ず届ける。やましいことは何もないから……)
そう自分に言い聞かせながら、やけに重く感じる鞄を提げ、店の奥にそそくさと移動する。15分ほど無意味に店内を彷徨けば、二人はとっくに居なくなっていた。ほっと息をつきながらレジを済ませたものの、のしかかる罪悪感で足取りが重い。しばらく百均には来たくないと思った。
帰り道、金木犀の香りはしなかった。
ハロウィンを自分だけのものにしたいって、こういう意味じゃなかったのに。
一ヶ月後のハロウィン当日、みくるはまだ落とし物を返せずにいた。ポケットに忍ばせたそれを表面越しになぞり、重い溜息をつく。悲劇のヒロインぶる余裕はない。その名が相応しいのはしずくの方だろう。性格の悪い当て馬ババアにことごとく邪魔されて。あそこの本棚に並んでいるレディースコミックの中なら、とっくに成敗されて地獄に堕ちているはずだ。とコンビニのレジに立ちながら思う。
今年は史上最悪のハロウィンだ。若い頃はイベントも何もかも、もっと心から楽しめていた気がする。過去は輝いて見えるというが、じゃあ今を輝かせるにはどうすればいいのか。それを教えてくれないなら誰の意見も聞きたくない。
閉鎖的な気分でいようが、自動ドアは体感十秒に一回のペースで開く。
「いらっしゃいませー」
機械的に挨拶をしつつ、なんだか嫌な予感を覚える。
「お願いします」
入店から一分も経たずに出される山積みのトマトゼリー。わざわざみくるがレジの時だけ掛けてくる声。涼しげな銀髪のボブと切れ長の黒瞳。無敵感のある若さ、ミステリアスな雰囲気、どこまでも冷静なポーカーフェイス、何より吸血鬼好みの瑞々しい甘美な血……みくるが羨むものを全て持ち合わせる最凶の女。
「藍原、しずく……」
思わずフルネームを低い声で呻いてしまった。
「何?」
怪訝そうに覗き込んでくるので、慌てて笑顔を取り繕う。
「あ、あらしずくちゃん久しぶりね!トマトゼリーばっかり大丈夫?あぁちゃんとトマトサラダも食べてるんだっけ!」
「トマトサラダ食べてること言ったっけ」
墓穴確定。ぶわっと汗が噴き出す。
「あ!えっとそれは!お肌ツヤツヤなしずくちゃんのことだからお野菜沢山摂ってるんだろうなって!ボロボロの私も見習わなきゃね〜!」
誤魔化すように手をブンブン振るが、挙動がいかにも嫌味なおばさんみたいになってしまった。
しずくは「そう」と涼しい顔で気にも留めない。それがまた悔しい。
「お会計1500円です。スプーンはお付けしますか?」
こちらも負けじとスマートな対応をする。店員として当然の接客ではあるが。
「じゃあ2人分お願い」
「かしこまりました」
(は!?2人ってわざと言ってんの!?スプーンの在庫切らしてることにしたいんだけど!!)
手を震わせながらみくるが出したのは箸だった。
「あれ、失礼しました……」
続いて出したのはフォーク。相当パニックに陥っている。
やっとの思いでスプーンを出すと、しずくは抑揚のない、だがナイフのように鋭い声で突き刺してきた。
「他にも出すものあるでしょ」
バレている。
「な、何のことかしら〜?」
声が大きく裏返る。嘘を吐くのは得意なはずなのに。
「……みくるさん」
逃さまいとしずくが真顔で詰め寄ってくる。何を考えているか分からない、底知れぬ黒瞳に吸い込まれそうになる。
「う、あ……」
それでも口ごもっていると、ピカッとカボチャのランプを顔面に突き付けられた。
「お前の罪を光らせてやるー」
何らかの2時間ドラマで繰り返されていそうなその決め台詞、まさか一ヶ月もハマり続けているのか。
「アッ目が!!目が〜!!」
この期に及んで、赤城と同じことをされていると思うと少々嬉しい。
「目を潰されたくなければ罪を光らせろー」
目を潰されたくないというより、そのダサい台詞をこれ以上聞きたくないので、みくるは観念して押収品を差し出した。
「ごめんなさい、ずっと返そうと思ってたんだけど……」
するとしずくはけろりと一言。
「罠だよ」
「へっ?」
「二週間くらい前、百均でみくるさんがこっちを睨んでたことバレバレだったよ。だからわざとこれを落としてみた」
一ヶ月を二週間だと記憶していることが謎だが、今はそれどころではない。
「みくるさんの嫉妬具合がどれほどか確認してみようと思って。未だに相当引きずってるんだね」
つまりみくるはしずくの手の上でまんまと転がされていたというわけだ。真ん丸なトマトのごとく。
「……悪い?」
こうなったら逆ギレする他ない。自分のありたい理想像とは真逆だが、こうでもして自分を守らないとやっていけないのだ。
「目の前でイチャつかれたら誰だって嫉妬するでしょ。私の恋は死ぬまで諦めがつかないのよ」
「分かるよ。私も嫉妬することあるから」
やけに優しいしずくの声。そこまで怒っていないのか。
「まぁ以前その嫉妬を煽ったのはみくるさんだけど」
「あっ、あの節は大変申し訳……」
気持ち程度に頭を下げるが、もはやどの節か分からない。
「心の中でなら何してもいいよ。でもそれを実際に行うのは子供でも許されない。みくるさん、大人げないね」
しずくだって平然と暴力を働くくせに何言ってるんだかと思いつつ、「大人げない」という言葉は結構くるものがあった。
「ごめんなさい、もうしません……」
子供の頃述べたことのあるような謝罪をする。
「絶対?」
「絶対です……」
「嘘ついたら針千本飲ーます。指切った」
人差し指を掴まれぶらぶら揺らされる。あまりの屈辱に泣きそうになる。
「あ、爪がビビッドピンクだ。こういう色どこで買うの。やっぱり高級店?」
「……これは百均」
「みくるさん意外と百均好きなんだ」
「大嫌いよ。もう離してくれる……?」
この女、近頃ますますお喋りになった気がする。これも赤城の影響だというのか。
(もう嫌、秋と一緒に消えてなくなりたい……)
ぱっと手が離れる。だがしずくはこちらをじっと見つめたまま動かない。
「ま、まだ何か用?」
その顔は同情とも嘲りとも違う、やはりよく分からない顔だった。
「分かった」
「は、何が?」
「みくるさん、お菓子貰ってないから悪戯したんだ」
いやそんな、納得するようにぽんと手を叩かれても。
「何が欲しい?バラエティに富んでるよ」
しずくがリュックを逆さまにすると、ザーッと大量のお菓子が降ってきた。トマトチョコ、トマトチップス、トマトグミ……
「いや全部トマト味じゃない」
一ヶ月前百均で買っていたのはこれだったのか。人の分を用意する気配りはできるらしい。と少しは感心したのに。
「文句言わないの。本当は全部私のだけど、わがままなみくるちゃんには特別だよ」
真顔で煽ってくるとより質が悪い。
「……あんた私のこと舐め腐ってるわね」
「友達だと思ってるよ。ハッピーハロウィン」
棒読みの挨拶をしながら、無理矢理トマトスルメなるものを押し付けてくる。トマトかスルメのどっちかにしてほしい。
「一番無難なトマトキャンディーにするわ」
「おすすめ、スルメ」
「韻を踏まなくてよろしい」
結局どちらも貰うことになった。
「ハロウィン、ヒロイン、カットイン」
「うるさい」
満足げに帰っていくしずくの背中は、勝者の余裕を感じさせた。悔しいが、どう見ても格好が良かった。
(しずくちゃん、シュウくんにはこのこと言ったのかしら?言ったに決まってるわよね。ますます嫌われるわ……まぁ今更どうってこともないけど)
バイト終わり、夕焼け色の道をとぼとぼ帰っていると、偶然その張本人が前を歩いているのが見えた。
「あ……」
僅かに鼓動が早まるが、知らんふりをして通り過ぎようとする。
「おい、無視するな」
一瞬、その声が幻聴か本物か分からなかった。
「何よ」
喜んでいるのがバレないように、わざとつっけんどんな態度を取る。
「何だ機嫌悪いな」
「これでも結構良い方よ。何せハロウィンだもの」
ドヤ顔を見せつけると、赤城は「遂におかしくなったか」とでも言いたげに顔をしかめる。
(あーあ、やっぱこいつ嫌いだわ)
みくるはポケットからぐしゃぐしゃになったトマトスルメを取り出し、思い切りぶん投げた。
「せいぜいこれでも食ってなさいよっ」
「は!?ゴミ寄越すな!!」
「ゴミじゃないわよ。しずくちゃんのおすすめだってさ、喜んだら」
淡々と告げながら再び歩き出す。『しずく』の名を聞いた途端、赤城は分かりやすく無言になる。くしゃり、とトマトスルメを握り締める音だけが届く。その静寂を直接背に受けながらどんどん先を急ぐ。
(史上最悪、とまではいかないかも)
不思議と足取りは軽くなっていた。
屋敷に帰ると今更ハロウィンの飾り付けを始めた。
「お嬢様はお休みになって下さい、私がものの一分でここをお化け屋敷にしてみせます。商業クリエイターにも匹敵するほどおぞましい、あの世の地獄というものを……」
「ううん、今は自分だけでやりたいの」
必要以上に張り切る羊山を隣の部屋に押し込んで、気合を入れるべく腕捲りをする。椅子を脚立代わりにして、天井からコウモリのガーランドを下げたり、壁にコウモリのステッカーを散りばめたり、棚にコウモリの置物を並べたり。黒ばかりだと暗いので、赤色のフェアリーライトも点ける。
「わぁ、とっても綺麗……」
部屋を飾り付けただけで、今この瞬間も輝いているような感じがする。
(吸血鬼って本当に単純な生き物ね)
今までを味わってこなければ、この面白いほどの単純さにも気付けなかった。
若い頃は気にも留めなかった光が、今はやけに鮮やかに見える。老眼でぼやけたら、それはそれで幻想的かもしれない。
来年のハロウィンはどんなだろう。トマトキャンディをコロコロ転がしながら、自然と笑みが溢れる。
トマトのように真っ赤な部屋で、みくるだけが燦々と輝き続けていた。
ハッピーハロウィン♥🦇
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