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「生きてる……!生きてるよ!!君は、あの高校生か―――?」
俺は必死で顎を引きつらせながら、聞こえてくる頭上に向けて叫んだ。
「そんなに叫ばなくても聞こえます」
少女は自分で話しかけてきたくせに、なぜかうんざりしたような声を出した。
「はあ。生きてるのか」
ポリポリと頭だか顔だかを掻いている音まで聞こえてくる。
「死んでたら悩まず警察呼んで終わりなのに」
俺はますます首を伸ばして叫んだ。
「なんで悩むんだ……!今すぐ警察を呼んでくれ!これは立派な監禁事件だろ!」
「監禁、ねえ」
少女の声はいつぞやにこの部屋で聞いた声よりもだいぶ温度がないように感じた。
「暴行だって受けてる!食事も排泄も満足にさせてもらえず肉体的、精神的に虐待だって!このままでは本当に――――」
その言葉は口にしたくなかった。
―――しかし事実、時間の問題だ。
こんな真っ暗な闇の中で、食事も与えられず、身体の動きも封じられ、
視力は弱くなるし、だんだん体力も削られるし、直に関節だって動かなくなる。
その先に待っているのは、間違いなく―――死だ。
「そうでしょうか」
少女の声は冷静で、その言葉には同情は一切感じられない。
「だってあなた、最近でこそ手錠で繋がれてましたが、初めは拘束もなく、トイレもシャワーも好きに使ってましたよね」
「―――それは……」
「食事だって随分いいものを食べていたし」
「それは俺にはわからないが―――」
「あなたがこうなった理由はただ一つ」
彼女は軽蔑のため息を混ぜながら言い放った。
「無駄にセックスしまくったからじゃないんですか?」
「無駄にって……」
今度はこちらがため息をつく番だった。
「あれは求められるまま仕方なく……」
「仕方なく?そんなふうには見えませんでしたけど?」
俺は暗闇に向かって瞬きを繰り返した。
「……この状況で、拒めるわけないだろ……。食料や着替えや、つかの間の自由だって、与えられるものを拒否するなんて選択肢は、俺にはなかったんだよ」
「そうですか。ま、別にヤりまくっていたことを責めるわけではないんですけど」
「――――」
彼女の声と口調は直接聞いたときと、明らかに違っていたが、もしかしたらこちらが素なのかもしれない。
幼くて、素っ気なくて、疑い深くて、閉鎖的で、ずっと女子高生らしい。
「―――なに笑ってるんですか?気持ち悪い……」
思わず笑うと、彼女はムッとしたように声を一層低くした。
―――今くらいの声でも聞こえるのか……。
彼女の声はどこから聞こえてくるのだろう。
感覚では頭上から降ってくるような感じなのだが、如何せん部屋が真っ暗で、わからない。
「君は今、どこにいる?」
聞いてみる。すると彼女はふうとため息をついた。
「外です。換気口の前にいます」
「換気口?」
「天井にありましたでしょう?あんなに毎日馬鹿みたいに上しか見ていなかったのに、覚えてないんですか?」
言葉の端々に棘が混ざる。
しかし今は彼女に頼るしかない。
そして彼女も俺とコンタクトを取ってきたということはおそらく――――。
「……率直に聞く。君は俺を助けてくれるのか?」
俺の質問に、彼女は初めて躊躇したように、言い淀んだ。
「―――助ける……というのはここから出してあげるということですか?」
「そうだ」
「生きた状態で?」
「当然だ…!」
思わず声が高くなる。
彼女は長い溜息をついた。
「それは、あなたの正体によります」
「―――正体?」
「率直に伺います。あなたは、誰ですか?」
◆◆◆◆◆
暗い。
これまでも時計があったわけではないが、時間になると必ず食事を与えられていたし、訪問するヘラやアテナの雰囲気や匂いで、なんとなく時の経過を知ることができた。
例えば部屋に入ってきたヘラから化粧の匂いや付けたばかりのコロンが香れば、今は朝。
アテナの髪型が少し乱れて疲労の色が見て取れたら、今は夕方、という具合にだ。
しかし今は訪問者もなく食事もない。
食事がないためか排泄欲求がないことだけが唯一の救いだ。
あれから、何時間経つのだろう。
アテナを殴ってから。
ヘラに殴られてから。
そして、少女と言葉を交わしてから―――。
**********
「そんなの俺の方が知りたい。俺は誰なんだ……?」
言うと少女はうーんと唸った。
「私が知るわけもありません。あの女なら知ってるかもしれませんが、私が彼女から聞き出す術はありません」
そう言った。
「あなたがあなた自身について気づいたこと、思い出したことをまとめておいてください。私も同じように、私が知り得る情報をかき集めておきます。
明日の同じ時間にまた話しかけます。いいですね」
少女の声はだんだん遠ざかっていくように感じた。
「待ってくれ!君も俺の問いに答えてないぞ!」
必死で言うと少女の気配がまた近くに戻ってきた。
「俺の正体によっては、君は俺を助けないということか?」
言うと彼女は少し間をおいてから答えた。
「正確に言えば、あなたが助けるに値する人間かどうかによります」
「―――もし、そうじゃなかったら、このまま見捨てるのか?」
「そうなりますね」
彼女は躊躇せずにそう答えた。
「……助けてくれ!こんな暗闇で、空腹に耐え、自分のこともわからないまま、ただ死を待つなんて……嫌だ……!」
縋るように言うと、信じられないことに少女は笑った。
「大丈夫。あなたはそこまで生きられないと思いますよ」
「――――どういうことだ?」
「言ったでしょう?あなたにはタイムリミットがあります」
そうだ。
少女は数日前、確かに俺にそう言った。
「―――そのタイムリミットっていうのは具体的にどういうことなんだ?あと何日あるんだ?」
言うと少女は少し考えてから言った。
「おそらくあと2週間ほど、ですね」
「2週間……?」
「あなたが今いる地下室なんですけど、すでに解体が決まっています。その着工日がちょうど2週間後なんです」
「――――解体だと……!」
「ここまであなたを拘束監禁してきたあの女が、あなたをそのタイミングでどうするか、ちょっと考えればわかるでしょう?」
「―――まさか」
「あなたは埋められるんですよ。解体される地下室とともに」
想像する。
弱り切った自分が寝ているこの地下室を、ショベルカーが解体していく。
そして土やコンクリートが流れ込み、自分の死体ごと、この地下室を飲み込んでいく。
全身に鳥肌が立った。
「それが嫌だったら、必死で自分のことを思い出してくださいね。タイムリミットはありますが、考える時間もまた、たっぷりあると思いますので」
明るく言い放つと、少女はまた少し笑った。
想えば少女の笑い声を聞いたのは、今日が初めてだった。
************
今の俺にとって、脱出=生存の道が残っているとすれば、それは唯一、少女の救済以外にはない。
俺は少女に協力を惜しまず、そして少女にもまた協力を切望しなければならない。
少女こそが俺を救ってくれる唯一無二、本物の女神なのだ。
女神、か。
俺は暗闇の中で笑った。
ギリシャ神話、『パリスの審判』における女神は三人いた。
嫉妬の女神、ヘラ。
戦いの処女神、アテナ。
そして、愛と救済の女神、アフロディテ。
彼女はその美しさと善愛の象徴という立場から、たびたびローマ神話のヴィーナスと同一視されてきた。
それならば少女のことはこう呼ぼう。
愛と救済の女神、ヴィーナスと。
これで、奇しくも『パリスの審判』に登場する三人の女神が出揃った。
審判されるのは俺か。
それとも三人の女神たちか……。